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2008年12月14日 (日)

田母神論文を読んで考えること

 少し旬を過ぎてしまった話題ですが、航空自衛隊のトップの地位にいた人が書いた論文が世間を騒がせた、この問題を取り上げようと思います。インターネットに当の論文が掲載されていたので、私もダウンロードして読んでみました。別段そんなにひどい内容の文章だとも思いませんでした。ここに書かれているようなことは、すでにどこかで読んだ覚えがあるような気がしますし、懸賞論文の一等賞にふさわしいかどうかは別にして、文章だって特に悪文という訳でもない。問題は、こうした歴史認識を自衛隊の現役トップがあえて確信犯的に発表したということ、さらには彼の部下である現役自衛官の九十数人が、同じような論旨の論文を書いて応募していたということにあるようです。もしも世間に向けてのアピールが目的だったとすれば、この作戦は大成功だったと思います。何故なら、もしも田母神さんが引退後に自分のブログにこの論文を発表したとしても、そんなものに世間の注目は集まる筈がなかったからです。

 田母神論文の論旨はまったく単純明快で、太平洋戦争は日本の侵略戦争などではなかった、そういう評価は勝った連合国側と中国共産党によって事後的に作られたもので、もしも日本があの戦争を戦わなければ、多くのアジアやアフリカの国々が白人国家の支配から解放されることもなかっただろう、そういう歴史解釈です。こういう主張に有効に反論するのが難しいのは、この考え方が幾分かは正しいからだと思います。日本の戦争は大義名分の立つ解放戦争でもなければ、かと言って一方的な侵略戦争でもなかった。その両面を合わせ持つものだったのだろうと、私は単純に考えています。しかし、今日日本国内でこの問題が論じられる時には、絶対に相手に譲歩しない白か黒かの議論になってしまうのがふつうです。右寄りの人も、左寄りの人も、そういった議論にはもういい加減うんざりしている訳です。だからこうした素朴な主張に対して、真っ正面から議論を受け止める人もほとんどいない。おおむねリベラルな立場に立つ日本のマスコミが、今回の〈事件〉に対して採用した論点は、田母神氏の論文発表は、「文民統制」という点から見て大変な問題があるのではないかということでした。

 私がインターネットで検索した限りでは、この点について最も説得力を持って論を展開しているのは、伊東乾さんという気鋭の論客の方ではないかと思います。伊東さんの文章は、ユニークな視点と説得力のある論理で教えられることが多いのですが、むしろその「論の正しさ」ゆえに、反撥を感じさせられることがあります。もしも田母神さん自身がこの評論を読んだとしても、議論をしたい気持ちにさえならないでしょう。例えばこういう文章があります、「官費で供される武力に預かる、責任ある立場の者が、自らの行動を何によって規制されるのか? 法治により憲法が国権をコントロールするのが普通の一等国であり、軍事力を背景に政府方針と違う「意見」を空砲のように乱発するのは、国のグレードを二等以下に落しかねない不用意な行動です。」 けれども、田母神さんのようなメンタリティの人にとっては、そもそも現行の日本国憲法というもの自体が、戦勝国によって押し付けられた我慢のならないものな訳でしょう? 政府方針とは言うけれど、先の戦争において日本を一方的な侵略国家とする見解には、国民ばかりでなく国会議員の先生方の中にだって異論が多い訳じゃないですか。(そもそも田母神さんが自衛隊に入隊した頃には、まだ村山談話だって出されていなかった訳だし。) こういう現実を見ないふりをして、「文民統制に乱れ」なんて正論で攻めるのは、頭のいい人のスマートな議論の仕方ではあっても、建設的な議論を目指したものではないと感じます。

 『日本は侵略国家であったのか』と題されたくだんの論文を読んで感じるのは、いかに日本の自衛隊というものが、一国の軍隊としての大義を主張しにくいつらい立場の軍隊であるかということです。そりゃそうですよね、有事の時の交戦権も持たなければ、国民からの尊敬も得られていない、その存在自体が憲法違反かも知れないなどと言われて来た軍隊なんだから。(いや、そもそも「軍隊」ですらないんだっけ?) そんななかで、田母神氏のような美化された過去に大義を求めようとする心理が生まれて来るのは、まったく当然のことではないかという気がします。…なんて冷静ぶって批評するのは良くないね、私が田母神さんに言いたかったのはこういうことです、よしんば日本が過去に行なった戦争に「良い点」があったとしても、それは二十一世紀の私たちにとってみれば、未来に何も約束しない類の「良さ」でしかないのではないかということです。自衛隊が田母神幕僚長を中心に決起し、ふがいない文民政党を打倒して軍事政権を打ち立てたとして、その後あなたたちは何に対して挑もうとするのであるか。今日でも白人国家中心の帝国主義は世界中で覇を競っていると思いますが、それは主に金融資本主義による支配であって、軍事力によって解放出来るようなものではない。あるいは武力で他国に侵攻する帝国主義国家を打倒するなら、日本はもう一度アメリカに宣戦布告をしなければならないことになる。

 私は日米軍事同盟は解消して、自衛隊も規模を大幅に縮小して専守防衛に徹するべしという立場の人間ですが、それにしても今の自衛隊は気の毒で仕方がありません。世界有数の軍備を持ちながら、戦うべき敵もいなければ遂行すべきミッションも持たない、宙ぶらりんな巨大組織。これはまったくの私見ですが、この組織に存在意義を与える方法はたったひとつしか無いと思います。すなわち、自衛隊の主務を国防から国際人道支援にシフトすること、これです。それもインドネシアの津波や四川地震のような災害救助だけでなく、戦闘地域にも果敢に乗り込んで行って、そこで虐げられている人民を救出する任務を他国の軍隊に先駆けて行なう、そういったミッションを持った軍隊という意味です。(災害救助だけなら軍が出動する必要もない訳だから。) イラクに派遣された時、自衛隊は最も治安のよい地域を選んで、しかもオランダやオーストラリアの軍隊に守られて人道支援活動に当たりました。これは一国の軍隊として耐えがたい屈辱ではないか。仮にも軍隊である以上、その活動が危険と隣り合わせであることは当然のことです。むろん自衛官の中からは殉職者も出ることでしょう。しかし、それは日本国内だけではなく、世界中の人々からも真に尊敬される軍隊として覚悟しなければならないリスクとも言えます。これはこの平和な国、平和な時代の軍人にとって、望み得る最高の栄誉とは言えないでしょうか?

 日本が過去に行なった戦争に対して、認めるべき点は認め、反省すべき点は反省する、そのために欠けているのは歴史に対する充分な認識でもなければ議論でもないと思います。そんなことはすでにさんざんやって来た筈です。むしろ今の日本に欠けているのは、国際社会の中で自国が果たして行く使命についてのはっきりした自覚であり、それを遂行することで得られる他国からの尊敬のまなざしです。それがあって初めて、過去の歴史に対しても正面から向き合えるようになるのだと思う。四川地震では、自衛隊は瓦礫の下敷きになった人々を救出することは出来ませんでしたが、犠牲になった人たちの遺体を前にして、自然な気持ちとして黙祷を捧げたのだそうです。それが現地ではとても好ましいこととして受け止められたという話を聞きました。想像してみてください、もしも我が自衛隊が、国際人道支援部隊としての確固たる地位とブランドを確立することに成功したら、それは日本という国のステータスをどれだけ高めることに貢献するか。その時が来れば、もうくだらない歴史解釈に淫する必要も無くなるのです。

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