私の聴いて来た音楽(ポピュラー邦楽編)
すでに中島みゆきさんと山崎ハコさんについては一章を割きましたので、今回は彼女たち以外の国内のアーティストについて書きます。若い頃から実生活では恋愛経験といったものがほとんど無かった自分ですが(そんなに特別なことでもないでしょう?)、いつも心の中には恋する女性がいました。しかも結構浮気者で、同時進行で何人かの女性に心を惹かれていたことも珍しくありませんでした。いつも彼女たちは「歌うたい」の姿に化身して、私の目の前に現れて来たものです。まあ、そんな作文をしてみたくなるほど、好きな女性シンガーが多かったのですね。もしも彼女たちの歌が無かったら、自分の青春はどんなに味気ないものだったことか。彼女たちの多くはもう音楽活動から離れてしまい、その近況も分からない人たちです。新譜を聴くことも出来なければ、昔の音源を手に入れることだって容易ではない。しかし、歴史に埋もれさせてしまうにはあまりに惜しい、まさに不朽の名作と呼ぶにふさわしい作品がたくさんあるのです。CDによる復刻は難しいとしても、せめてオリジナル・アルバムの構成のままデジタル化して、ダウンロード出来るようにならないものでしょうか。私自身は決して鋭敏な耳を持った音楽批評家ではありませんが、こうしたアーティストを音楽史のなかから掬い上げられない現代の批評精神とは一体何なのだろうと不審になることがあります。
1.稲葉喜美子
ウィキペディアの見出しにもなっているので、いまでも根強いファンのいる人なのだと思います。1982年に発表されたデビューアルバム『願ひごと~公園にて』を初めて聴いた時の、新鮮な感動は今も忘れることが出来ません。子供の頃からラジオのFENでアメリカ音楽に親しみ、ジャニス・ジョプリンに憧れて育ったという稲葉喜美子さんは、酒と煙草が大好きで、大病を患ったこともあると言いますから、ジャニスのように破滅型の生き方を指向していた部分があったのかも知れません。ひりひりするくらい傷つきやすい心を持って、それを歌の世界に写し取ることに成功したという点では、おそらく彼女の右に出るシンガーはいないのではないかと感じます。同じ失恋をテーマにした歌でも、彼女の歌には中島みゆきさんの歌よりももっとずっと生々しい当事者感覚があって、恋愛経験の少ない自分でさえ心を締めつけられるような気持ちを追体験させられたものでした。時代が移り、恋愛をめぐる風景は変わっても、こういう感受性はいまの若い人にも通じるものではないでしょうか。レコード・プレイヤーを持っていないので、いま彼女の歌を聴きなおすことが出来ないのですが、自分の記憶の中から好きな曲を選ぶなら、『雨の音で目がさめた』と『夜汽車』という2曲が特に印象に残っています。
2.大友裕子
和製ジャニスと呼ぶなら、大友裕子さんの方がさらに一枚上手かも知れません。もしも今のJポップの世界に、突如彼女のようなシンガーが現れたら、どれほどの事件になることだろうと想像してみます。その存在感のあるハスキーな歌声は、最近のポップスとは異質な世界に属するものだと感じます。いや、彼女がポプコンに優勝してデビューした1978年当時だって、私たちはたいへんな衝撃を受けたのです。宮城出身の東北弁まるだしの女の子の歌が、東京という都会の真ん中で炸裂したという感じ。デビュー曲となった『傷心』をはじめ、彼女の歌も恐ろしいような男と女の関係をテーマにしていて、この人は若いのにどんな過去を持っているんだろうといぶかしく思ったことを覚えています。だから偶然ラジオで聴いた彼女のライブのトークで、「こう見えても私って処女なんだよね」と話しているのを聞いた時は、驚きと同時に一種の親近感を感じたものです(こう見えても当時自分も童貞だったから。笑)。ウィキペディア情報によれば、数年間の音楽活動のあと、結婚されて引退したのだとか。幸せになってくれているといいなあ。いい曲がたくさんあるなかでも、自分が好きだったのは『独枕(ひとりまくら)』という曲。代表曲という意味では『傷心』ともう1曲、『死顔』という曲も恐ろしいほどの傑作です。
3.佐々木好(ささきこのみ)
稲葉喜美子さんが1957年生まれ、大友裕子さんと佐々木好さんは1959年生まれ。へえ、みんな自分と同年代の人たちだったんだ。私たちの世代は、後世にろくな作品を残せなかった〈不作〉の世代だったと思うのですが、彼女たちだけは別です。北海道小樽出身の佐々木好さんがデビューしたのは1982年、私が彼女の歌を知ったのは翌年に発表されて小さなヒットになった『ストレート』という曲ででした。彼女のアルバムは全部レコードで持っていたし、CDで再版されたものも出来るだけ集めていました。冷たい北国の空気のように透明で、冬の到来を告げる雪虫のようにはかなげな彼女の歌声は、さりげない日常の風景の向こうにある別世界から響いて来るもののように感じられ、一種畏敬の念を感じながら聴いたものです。似たような作風の人なんて誰もいない、実に得がたいアーティストだったと思います。5枚あるアルバムの中では、2枚目の『にんじん』が代表作、名作『ストレート』はそこからのシングルカットです。佳曲揃いのなかでも私は特に『You』という曲が好きだったなあ。後期のアルバムのなかには、『縄文』だとか『雨雪風』といった何か歴史の魂にふれるような不思議な曲が散りばめられていて、これにも心を奪われました。
4.新保牧代(にいほまきよ)
インターネットで検索しても、新保牧代さんの情報はほとんど得られません。かろうじて分かったのは、彼女のデビューが1978年だったこと、そして彼女の生まれが1958年だったことくらいです(おおっ!)。1枚のアルバムと、2枚のオリジナルのシングル盤だけが遺産でした。CDになったこともないし、再版を求めるファンサイトがある訳でもない。でも、新保牧代さんの『二十歳のエチュード』というアルバムは、私にとっては一生のたからものなのです。『ジルバ』という曲が小さなヒットになったことがありますから、覚えている方もいるのではないかと思います。古風な、と言ってもいいくらい端正な叙情性と、青春の暗さを振りはらうサバサバした明るさを合わせ持った人だったと思います。とても曲作りのうまい人なので、もっと活躍してもらいたかった気がするのですが…。アルバムのすべての曲が素晴らしいなかでも、特に私は『ひとりしずか』や『由比ヶ浜』といった曲が好きでした。レコードにはなっていないのですが、ライブ録音で聴いた『わが心のジプシー』という曲は、自分にとってまぼろしの名曲です。もうカセットテープも無くしてしまった。「♪電車に揺られて車の流れや、人の流れを見てると血が騒ぐ。どうしようもなく遠いところに行っちまいたくなるんだ。」そんな詞を持った歌だったと記憶します。そのメロディーを口ずさむと、私のなかでも血が騒ぐものがあるのです。
5.石黒ケイ
山崎ハコさんと同じ事務所で、最初はアイドルのような扱いをされた人でしたが、シンガー・ソングライターとしての実力も相当なものだったと思います。彼女も1958年生まれですね。初期のアルバムにはハコさんが書いた曲が含まれている一方で、石黒ケイさんの方もハコさんに曲を提供したりしています。「幻想旅行」に収められていた『サンクチュアリーへ』なんて、実にカッコいい名曲だったよなあ。彼女にとって2枚目になるアルバム『女は女』(1978年)で自分の世界を確立して、4枚目の『アドリブ』(1980年)で作家としての頂点に達したというのが私の評価です。『女は女』は曲の順序を並び換えると、男と女の出会いから別れまでがひとつのストーリーとなって現れて来て、私は自分でそういうオリジナル・テープを作って聴いていました。『アドリブ』の方はアート・ペッパーやトゥーツ・シールマンスと共演した豪華なアルバムでしたね。好きな曲を挙げるなら、シングル盤にもなった『ひとり暮らし』と『サフランのように』を。インターネットで検索したら、彼女のオフィシャル・サイトが出来ていて、最近音楽活動を再開されたのだそうです。もしも機会があれば、いまの彼女のライブを聴いてみたい気がします。
6.小川美潮(おがわみしお)
私が大学生のころ、チャクラという不思議なグループが人気を博したことがありました。とにかくボーカルが印象的で、一度聴くと耳について離れないほど個性的なのです。(『福の種』という曲が頭から離れずに困った経験があります。笑) そのリード・ボーカルが小川美潮さんだったのですね。その後ソロシンガーになって、何枚かの素晴らしいアルバムをリリースされています。彼女の場合は、ソングライターとしてよりもやはりシンガーとしての個性が際立っていたと思います。(いや、もちろん自作曲にも傑作が多いんですよ。) もしも最高傑作を1枚挙げるなら、『4to3』というアルバムを。詞の多くを工藤順子さんが書かれていて、それが素晴らしい楽曲とあいまって、美潮ワールドの魅力全開という感じ。「輪廻転生」がその隠されたテーマだったと私は解釈しています。愛の輪廻をテーマにした1曲目の『デンキ』から、死と再生の物語をつづった終曲の『窓』までをしみじみ聴かせたあと、人を食った大傑作『おかしな午後』でどんでん返しを演じてみせる、まったく心憎いアルバムだと思います。小川美潮さんと言えば、遊佐未森さん、甲田益也子さんとユニットを組んだ、細野晴臣氏プロデュースの『Love,Peace And Trance』というアルバムも素晴らしかったですね。
7.おおたか静流(おおたかしずる)
今回取り上げたアーティストの中で、一番ポピュラーで安定した活動をしているのが彼女だと思います。おおたか静流の名前を聞いたことがない人でも、彼女の歌声を聴いたことのない人は少ない筈です。なにしろCMソングを数百曲も歌っている歌の職人といったような人ですから。自らボイス・パフォーマーと自称するほど、表現力豊かな七色の声を持った歌い手で、ソングライターとしても実力があるし、また人の曲をカバーする時の選曲も素晴らしい。傑作アルバムが多くて迷うのですが、この1枚を選ぶとするなら1997年発表の『Lovetune』というアルバムを。佳曲揃いのなかでも、あまり知られていない『Joy』という曲を、私はおおたか静流さんの最高傑作に挙げたい気がします。聴きようによってはとてもエロティックな、性と死のたゆたいといったものを感じさせる不思議な曲です。さらに好きな曲を挙げるなら、『Return』(1992年)というアルバムの『冬の花火』や『風の中に』も良かったなあ。昔の歌謡曲をカバーしている『リピート・パフォーマンス』というシリーズの中では、1969年のヒット曲だった『みんな夢のなか』が必聴の1曲です。
8.宝達奈巳(ほうたつなみ)
宝達奈巳さんも実力あるクリエーターなのに、世間的には相応の評価をされていない人だと思います。1994年に『へび』という曲が話題になって、確かにそれは宝達ワールドの広告という意味では重要な曲だったのかも知れませんが(私もこの曲で彼女を知りました)、彼女の真髄を誤って伝えるものだったようにも思います。私はこの曲の入った『HOTATSU-NAMI』というアルバムを買って、いっぺんでファンになってしまった。インディーズ・レーベルから出ていたデビューアルバムの『たからたち』も手に入れたし、彼女がたぶん自ら転機を求めた『Stranger Than Movie』というミニアルバムも結構聴き込みました。そしてその後、たぶんJポップの評論家にだってほとんど知られていない大傑作『天の庭』がリリースされるのです。1999年のことです。私はこのアルバムを、日本のポピュラー史の十指に入る傑作だと信じています(まあ、ここに書いているアーティスト以外ほとんど聴かない人間の言うことですから、信憑性はありませんが。笑)。曲の良さとライブ感覚あふれるスリリングな演奏があいまって、奇跡のような傑作集になっている。ウソだと思うなら聴いてみてください。いまでも彼女のホームページで申し込めば、彼女自身が郵送してくれる筈です。『夕暮れ道をいく』だとか『Something Remained』だとか、ほんとは誰にも教えたくない私自身の〈たからたち〉です。
9.鴉鷺(あろ)
白鳥英美子さんと言えば、30年前のトワ・エ・モアの時代から今日に至るまで、日本の音楽シーンを代表する女性シンガーのひとりと呼べる人でした。しかし、トワ・エ・モアとソロシンガー白鳥英美子のあいだに、「鴉鷺」というグループでの活動があったことはあまり知られていないのではないかと思います。素晴らしい3枚のアルバムを残したにも関わらず、いまではほとんど忘れられた存在と言ってもいい。1988年に発表された『鴉鷺』というファースト・アルバムを聴いて、ふつうにファンになってしまいました。たぶん非常に人気を博したグループだったとしたら、レコードを買うほどの動機も持てなかったかも知れません。アルバムのなかでは『萩』という曲が出色で、この1曲だけでも鴉鷺の名前は日本のポピュラー音楽史に残る資格があると思います。日本的な叙情がこのような完成度の高いポピュラー音楽となって結実した時代があったのですね。インターネットで調べると、鴉鷺のベスト盤のCDが発売されたことがあったようですが、その中にも『萩』は収録されていなかったようです。マスターテープは無事に保管されているのでしょうか?
10.五堂新太郎(ごどうしんたろう)
ここまで9人の女性シンガーを紹介して来ましたが、最後はひとりの男性シンガー・ソングライターで締めくくりましょう。決してプロの歌手ではなく、放浪の人生のなかでただ一度だけ偶然の出会いがあって、その結果として1枚のレコードが我々の手元に残った、そんな解説をしたくなる稀有なアーティストです。「たむたむたいむ」という番組のDJだったかぜ耕士さんが、(確か)パチンコ屋で偶然隣り合わせたことが五堂新太郎さんがレコード・デビューをするきっかけだったと記憶します。1977年のことです。どんな経歴の人かも分かりません(一時期、小椋佳さんのバック・ミュージシャンをしていたという話を聞いた覚えがあります)。もしも歌詞の内容が自伝的なものであるなら、こんなプロフィールを想像します。奥さんには死に別れ、ひとり娘はもう嫁いで、わびしいひとり暮らしを続けている中年男。その彼の目に映るよしなしごとを実に叙情的に切々と歌っているのが『FADE IN』というそのアルバムです。かぜ耕士さんの作詞による曲も何曲か入っていた筈です。代表曲はシングル・カットされた『雪景色』ですが、その他にも『飛んでった日曜日』だとか『吊り橋』だとか、実に印象的な曲がたくさん入っていました。もちろんCDになったことなどありませんし、その1枚のレコードを残してご本人は沓としてゆくえをくらましてしまった。あれから30年が過ぎ、私もあのころの五堂さんと同じような歳になりました。いまもどこかで旅を続けていらっしゃるのでしょうか、それだけが気がかりです。
(追記です。今回取り上げたアーティストのことをインターネットで調べていて、気付いたことがありました。YouTubeのような動画サイトに昔の懐かしい曲が多くアップされているということです。しばし原稿を書く手を止めて、聴き惚れてしまいました。さすがにここに取り上げたような人たちは、ライブの録画が残っている訳ではありませんが、名曲のいくつかを聴くことなら出来ます。おすすめの曲にリンクを張っておきますので、もしも今回の記事で興味を持った方がいらっしゃいましたらクリックしてみてください。
稲葉喜美子 『夜汽車』
大友裕子 『傷心』
佐々木好 『ストレート』
小川美潮 『おかしな午後』
チャクラ 『福の種』
おおたか静流 『水の恋唄』
山崎ハコ 『やさしい歌』
最後の山崎ハコさんのライブは、安田裕美さんとのご夫婦での共演ですね。昔からハコさんはギターが下手で、私たちファンはハラハラしながらライブを聴いていたものですが、さすがギタリストの安田さんとの息の合った演奏は安心して聴いていられます。それに歌っている彼女の表情の明るいこと。これはいいものを見せてもらった。眼福、眼福。)
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コメント
新保牧代で検索していたらたまたまここにたどり着きました。
彼女の情報、さすがに少ないですね。
じつは、彼女の弟という人物がかつて同じ高校に通っていて
デビュー当時はだいぶ話題になりました。
そんなこととは無関係に
実際、彼女の歌はすばらしかったわけですけれども
久々に聞きたいと思ってもCD化されているわけでもなく
なかなか入手できません。
ただ、哲学者さんのように
彼女のこと、彼女の歌を思い出に持つ方を
ネット上ではあれ、見つけられたことが
なんともうれしく、コメントしてしまいました。
投稿: kei | 2009年2月 2日 (月) 20時58分
keiさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
新保牧代さんに弟さんがいらっしゃったというのは知りませんでした。貴重な情報をありがとうございました。歌詞の内容から、鎌倉あたりで青春時代を過ごされた方かも知れないと想像していたのですが、keiさんの高校もそのあたりですか? なんとなく私の思い出のなかでは、新保牧代さんの歌は古都のイメージと結び付いているんです。
音楽というのはほんとに不思議ですね、これが例えば小説だったら、若いころ読んで感動した作品でも、それほど記憶に残っていることはまれだと思います。ところが、若いころに聴いて好きだった音楽は、30年の時を経ても鮮明に心に刻まれていたりする。そういう作品を残せるって、素晴らしいことですよね。私も今度生まれて来るとすれば、哲学者なんてやめてシンガー・ソングライターに生まれて来たい気がします。(笑)
投稿: Like_an_Arrow | 2009年2月 3日 (火) 02時37分
レス、どうもありがとうございました。
じつは、通っていた高校というのは、哲学者さんの予想とは違っていて
千葉県習志野市にある市立習志野高校です。
当時、学校群制度というものがありましたから
その弟君も地元習志野市か近隣の船橋市あたりから
通っていたのではないかと思います。
牧代さんは大学生だったのか、どうだったのか
当時のことは、僕自身あまりよく知りません。
彼女のプロフィールよりも
その歌や詩の世界に心奪われていたというのが
当時の自分だったように思います。
確かに、芸術にもいろいろありますが
音楽はどこか特別な存在のように思います。
クラシックやジャズの名曲もいいですが
かつて心の糧となった思い出の歌や詞は
自分の中で永遠に光り続ける、いわば宝物です。
そんな歌をつむぎ、聴かせてくれる
シンガーソングライターに憧れる気持ちは僕にも理解できます。
しかし、哲学者というお仕事もまた素晴らしいではありませんか。
瑣末な日常に追われている僕などにとってみれば
真善美の追求に携われるすべての人が憧れの対象ですよ(笑)。
投稿: kei | 2009年2月 4日 (水) 02時04分
引越しの荷物を整理していたら、彼女のジルバというシングルが出てきて、とても懐かしくなり、ネットで検索していました。高校時代に(彼女の高校は私立習志野高校ではありません)野外のライブで歌っていた彼女の歌の個性と、詩の純粋さ、綺麗な顔立ちに私としては珍しく声をかけて、それから家に行き来する中になったのですが、そのときに彼女が歌った、「前原東の三丁目・・」という歌が今でも耳に残っていて、実家に帰ると、無性に彼女に会いたくなってしまいます。今はどこにいるのかも消息がつかめません。
デビューしてとても喜んでいましたが、南こうせつさんとのステージでなにか失敗事を言ってしまい、ユイからはずされてしまった。「私がばかだった」と悔やんでいたのですが、とても残念でした。当時私の彼女に対する愛情も独りよがりで、彼女の気持ちを本当に大切にしてあげられなかったのが心残りです。私はPAの道を行き彼女が歌ってくれれば、そんな夢をみていたんですが・・・。
ぼそぼそと語用に歌う彼女の詩には感傷的な女性の感情でも、現実に照らし合わせてちょっと斜めに放り投げるような明るさがあって、救われました。まだ自宅録音、小さな会場のライブカセットも残っています。この間、全部WAVファイルに変換して残しました。牧代ちゃん もしこの書き込みを見ていたら、ここに足跡を残してください。
まだ音楽を、歌を続けていてくれたら、こんな幸せなことはないです。私もまだ音楽を続けていますよ。
投稿: 新保牧代さんの古い彼氏 | 2009年2月15日 (日) 04時31分
文中に誤りがありました。市立習志野高校
中->仲 です。お詫びして訂正いたします。
投稿: 新保牧代さんの古い彼氏 | 2009年2月15日 (日) 07時37分
新保牧代さんの古い彼氏さん、はじめまして。貴重なコメント、と言うかメッセージをありがとうございます。
もしも彼女ご自身がこの記事を見て、ネット上で「ご対面」なんてことが実現したら素敵ですね。(笑)
私は新保牧代さんの歌をラジオとレコードで知っているだけですが、学年が彼女と同じということもあって、やはり特別な思い入れがあります。そう、山崎ハコさんや佐々木好さんが何か近寄りがたいオーラをまとっていたのに対して、牧代さんは等身大の同世代の女の子という雰囲気があって好きでした。持っていたカセットテープには、『ふわふわママ』というタイトルの可愛い曲も入っていたっけ。いまではどこかでママになっていて、肝っ玉かあさんみたいにたくましく生きていてくれることを想像するのです。
投稿: Like_an_Arrow | 2009年2月16日 (月) 00時20分
今日、彼女のLP「二十歳のエチュード」がヤフオクから届いて、レコードに針を落としました。ジルバに歌われている、"窓の外の独りよがりの雨" は私のことだなーと自己中を愛だと勘違いしていた当時の私が恥ずかしくなってしまいました。彼女が高校の時(アマチュアの時)彼女のギターの弾き語りに私がアドリブでフルートのオブリガートをつけて、何回かライブしました。LP聞いたら、当時の私のフルートとそっくりのテンションでフルートがフィーチャーされた曲があって、驚きました。ビクターからLPが出たことは知っていましたが、もう別れた後でLPは聞いていなかったので、30年を経てそのまんまの彼女に再会できた思いです。ジャケの写真は特に裏面は、彼女の美しさを引き立ててて、嬉しくなりました。でもEP「港町」のジャケ写真のカーリーヘアの彼女のほうが、普段の彼女の雰囲気がよくでているなあーと思いました。彼女のお母様もとても綺麗でおおらかな方だったので、きっと彼女もお母さんになって娘を見守っているんじゃないか・・・But 家の中に籠もっちゃうタイプじゃないから、何かきっと活動してると思います。インターネットで、もし彼女が自分の足跡をたどってくれれば、ここで再開もありですね。・・正直会いたいです。私のイニシャルだけ残しておきます。S.F ・・・巷間哲学者さんに感謝です。ありがとうございます。
投稿: 新保牧代さんの古い彼氏 | 2009年2月27日 (金) 12時05分
とりあえずメールくれます?
あんまり公開はしたくない内容の新保牧代情報を伝えたいので。
詐欺とかキャッチとかじゃないです。
投稿: トムおじさん | 2009年3月18日 (水) 12時04分
ここはアドレスが伏せられてしまうのですね。
再投稿します。
私は新保牧代さんの知人ですが、彼女は7、8年前に亡くなったらしいです。
私も知ったのが2年程前でかなり驚きました。
原因は詳しくはわかりませんが、何かの病気だったようです。
本当に残念です。このことは自分でも悲しくて、あまり公にしたくなかったのですが、マキちゃんの古い彼には知らせておきたかったので……。
彼女のチャーミングでいながら強く哀しく歌う弾き語りが今でも忘れられません。
僕も当時彼女の歌に心を強く打たれました。
きっと生きていたら、今も街中で歌っていた事でしょうね。
この情報は確かなものです。何せ僕は彼女の親族から教えてもらったので。
ちなみに僕は彼女のお兄さんと同級生で、マキちゃんとはよく話してました。まだ小学生の時の話しですが。
亡くなったと聞いて、マキちゃんがデビューして喜んだ時のことが夢のように消えました。
本当に残念です。
投稿: トムおじさん | 2009年3月18日 (水) 19時51分
えー 絶句です!。お知らせ頂いてありがとうございます。マキのお母様とは彼女の自宅でお会いしたことがあります。当時私は八千代高校のギター部(フォークソング)で、船橋近隣の高校フォークグループのネットワークを作りをしていました。高校生の時、彼女と二階で歌作りをしていると、階段を上がってきて、顔をみないようにそーっとお盆にお茶とお菓子を置いていって下さるような、優しいお母様でした。・・・・・いつか再会できると思っていました。彼女が今私の後にいて「そんなもんだから、まああんたがこっちに来るまで、精一杯やんなよ」って笑っているようです。今日は喪に服してお祈りしています。
投稿: 新保牧代さんの古い彼氏 | 2009年4月17日 (金) 15時54分
トムおじさんさん、新保牧代さんの古い彼氏さん、こんにちは。
コメントのご返事が遅くなってしまい、すみませんでした。
まさか自分の記事がきっかけで、新保牧代さんの訃報を聞くことになろうとは思ってもみませんでした。もう彼女の新しい歌を聴くことも永遠に出来ないのですね。悲しいと言うよりも、なにか悔しい気持ちです。
彼女が遺してくれたたった1枚のアルバムは、自分にとって生涯の愛聴盤であるばかりか、多くの人に聴いてもらいたい本物の名作だと思います。スタンダードナンバーとなってもよい名曲がたくさん散りばめられています。せめてCDとして復刻することは出来ないものでしょうか。いまの若者たちのなかにも、きっと彼女の歌に共感する人は多いだろうと思うのですが…
投稿: Like_an_Arrow | 2009年4月29日 (水) 02時57分
新保牧代は私の母です。このブログを見てあまりに嬉しくてコメントさせて頂きました。ママは7年前に透析という病気で亡くなりました。私が高校2年生のときでした。亡くなる前日に、パパが今日はお見舞いに行く?という問いかけに、今日は行かなくていいよ。と言ってしまったことを今でも後悔しています。でも、今はただ、自分が幸せになることがママにできる唯一の親孝行だと思って、小さな幸せを大事に生きています。ママのことを覚えていてくれて、本当にありがとうございます。これからもどうか忘れないでいて下さい。
CD復刻版、私も作ってあげたいです。ママの生涯は短かったけど、長く皆の心の中に生きていて欲しいから。
投稿: ありがとうございます。 | 2009年5月24日 (日) 21時34分
うれしいコメントをありがとうございます。そうですか、新保牧代さんには貴女のような素敵な娘さんがいらしたんですね。若くして亡くなられたと伺って、なんだかやるせない気持ちになっていたのですが、少し救われた気がしました。そう、お母さんはとても魅力的な女性だったんですよ。私はレコードやラジオで流れたライブ録音でしか聴いたことがなくて、コンサートにも行ったことが無かったのですが、あのころのファンはみんな牧代さんに恋をしていたものでした。(もちろん私もそのひとりです。笑)
ほんとに新保牧代さんのあの頃の歌が、またCDで聴けたらうれしいのになあ、と思います。コメントを下さった、Keiさん、新保牧代さんの古い彼氏さん、トムおじさんさん、CD復刻のために何か良いアイデアはありませんでしょうか?
投稿: Like_an_Arrow | 2009年5月25日 (月) 00時51分
お邪魔します。宝達奈巳と申します。旦那さんが見つけてくれてこちらにお邪魔させていただきました。
このようなご評価にあずかり大変光栄で本当に嬉しいです。
ありがとうございます。
「天の庭」以降はソロ活動は休止していましたが、作りためた曲を最近まとめました。HPのほうにUPしましたのでぜひご覧ください。
よろしければ私のブログも覗いてみてください。
http://astromedia.cocolog-nifty.com/blog
投稿: astromedia | 2009年7月 4日 (土) 22時26分
宝達奈巳さん、こんにちは。と言うか、たいへんご無沙汰しております。以前にCDを何度か注文させていただいたことがありました。その際にはご丁寧なメールもいただいた記憶があります。
しばらく奈巳さんのHPを拝見することが無かったので、新作を出されたことも知らずにおりました。ぜひ聴いてみたいです。またメールでご連絡させていただきますね。
それにしても、同じココログ仲間だったなんて…。(笑)
投稿: Like_an_Arrow | 2009年7月 5日 (日) 05時20分
初めまして、私も昔、音楽をやっていて、新保さんとは同じライブハウスで歌っていたことが在りました。彼女は歌手としても女性としても大変魅力的で私はすっかり虜に成ってしまいました。その後彼女はフォーライフからデビューすることに成り段々と遠くへ行ってしまい、お会いする機会も減ってしまい、私も音楽から離れ何時か仕事におわれ彼女の姿を見ることも無くなって行きました。時がすぎ、もう一度彼女の歌が聞きたいとこうしてインターネットで彼女の情報を時々検索したりしていたんですが。まさかお亡くなりになっていたとは。心よりご冥福をお祈り致します。熱烈なる1ファンより
投稿: kk-bobby | 2009年7月21日 (火) 23時35分
kk-bobbyさん、コメントありがとうございます。
新保牧代さんにゆかりのある方からたくさんコメントをいただいて、なにか不思議な気持ちです。彼女のファースト・アルバムのタイトルが『二十歳のエチュード』、レコード・デビューも二十歳の時だった筈ですから、それ以前からライブハウスで歌っていらした訳ですね。初めて知りました。貴重な情報をどうもありがとうございました。
いまインターネットで検索してみたら、『由比ヶ浜』がYouTubeにアップされていました。音は良くないのですが、とても懐かしく聴きました。こんなふうに青春の叙情を歌った人は、彼女以外には誰もいません。
http://www.youtube.com/watch?v=UNlHODXZpAk
投稿: Like_an_Arrow | 2009年7月22日 (水) 23時37分