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2008年12月23日 (火)

私の聴いて来た音楽(ポピュラー邦楽編)

 すでに中島みゆきさんと山崎ハコさんについては一章を割きましたので、今回は彼女たち以外の国内のアーティストについて書きます。若い頃から実生活では恋愛経験といったものがほとんど無かった自分ですが(そんなに特別なことでもないでしょう?)、いつも心の中には恋する女性がいました。しかも結構浮気者で、同時進行で何人かの女性に心を惹かれていたことも珍しくありませんでした。いつも彼女たちは「歌うたい」の姿に化身して、私の目の前に現れて来たものです。まあ、そんな作文をしてみたくなるほど、好きな女性シンガーが多かったのですね。もしも彼女たちの歌が無かったら、自分の青春はどんなに味気ないものだったことか。彼女たちの多くはもう音楽活動から離れてしまい、その近況も分からない人たちです。新譜を聴くことも出来なければ、昔の音源を手に入れることだって容易ではない。しかし、歴史に埋もれさせてしまうにはあまりに惜しい、まさに不朽の名作と呼ぶにふさわしい作品がたくさんあるのです。CDによる復刻は難しいとしても、せめてオリジナル・アルバムの構成のままデジタル化して、ダウンロード出来るようにならないものでしょうか。私自身は決して鋭敏な耳を持った音楽批評家ではありませんが、こうしたアーティストを音楽史のなかから掬い上げられない現代の批評精神とは一体何なのだろうと不審になることがあります。

1.稲葉喜美子

 ウィキペディアの見出しにもなっているので、いまでも根強いファンのいる人なのだと思います。1982年に発表されたデビューアルバム『願ひごと~公園にて』を初めて聴いた時の、新鮮な感動は今も忘れることが出来ません。子供の頃からラジオのFENでアメリカ音楽に親しみ、ジャニス・ジョプリンに憧れて育ったという稲葉喜美子さんは、酒と煙草が大好きで、大病を患ったこともあると言いますから、ジャニスのように破滅型の生き方を指向していた部分があったのかも知れません。ひりひりするくらい傷つきやすい心を持って、それを歌の世界に写し取ることに成功したという点では、おそらく彼女の右に出るシンガーはいないのではないかと感じます。同じ失恋をテーマにした歌でも、彼女の歌には中島みゆきさんの歌よりももっとずっと生々しい当事者感覚があって、恋愛経験の少ない自分でさえ心を締めつけられるような気持ちを追体験させられたものでした。時代が移り、恋愛をめぐる風景は変わっても、こういう感受性はいまの若い人にも通じるものではないでしょうか。レコード・プレイヤーを持っていないので、いま彼女の歌を聴きなおすことが出来ないのですが、自分の記憶の中から好きな曲を選ぶなら、『雨の音で目がさめた』と『夜汽車』という2曲が特に印象に残っています。

2.大友裕子

 和製ジャニスと呼ぶなら、大友裕子さんの方がさらに一枚上手かも知れません。もしも今のJポップの世界に、突如彼女のようなシンガーが現れたら、どれほどの事件になることだろうと想像してみます。その存在感のあるハスキーな歌声は、最近のポップスとは異質な世界に属するものだと感じます。いや、彼女がポプコンに優勝してデビューした1978年当時だって、私たちはたいへんな衝撃を受けたのです。宮城出身の東北弁まるだしの女の子の歌が、東京という都会の真ん中で炸裂したという感じ。デビュー曲となった『傷心』をはじめ、彼女の歌も恐ろしいような男と女の関係をテーマにしていて、この人は若いのにどんな過去を持っているんだろうといぶかしく思ったことを覚えています。だから偶然ラジオで聴いた彼女のライブのトークで、「こう見えても私って処女なんだよね」と話しているのを聞いた時は、驚きと同時に一種の親近感を感じたものです(こう見えても当時自分も童貞だったから。笑)。ウィキペディア情報によれば、数年間の音楽活動のあと、結婚されて引退したのだとか。幸せになってくれているといいなあ。いい曲がたくさんあるなかでも、自分が好きだったのは『独枕(ひとりまくら)』という曲。代表曲という意味では『傷心』ともう1曲、『死顔』という曲も恐ろしいほどの傑作です。

3.佐々木好(ささきこのみ)

 稲葉喜美子さんが1957年生まれ、大友裕子さんと佐々木好さんは1959年生まれ。へえ、みんな自分と同年代の人たちだったんだ。私たちの世代は、後世にろくな作品を残せなかった〈不作〉の世代だったと思うのですが、彼女たちだけは別です。北海道小樽出身の佐々木好さんがデビューしたのは1982年、私が彼女の歌を知ったのは翌年に発表されて小さなヒットになった『ストレート』という曲ででした。彼女のアルバムは全部レコードで持っていたし、CDで再版されたものも出来るだけ集めていました。冷たい北国の空気のように透明で、冬の到来を告げる雪虫のようにはかなげな彼女の歌声は、さりげない日常の風景の向こうにある別世界から響いて来るもののように感じられ、一種畏敬の念を感じながら聴いたものです。似たような作風の人なんて誰もいない、実に得がたいアーティストだったと思います。5枚あるアルバムの中では、2枚目の『にんじん』が代表作、名作『ストレート』はそこからのシングルカットです。佳曲揃いのなかでも私は特に『You』という曲が好きだったなあ。後期のアルバムのなかには、『縄文』だとか『雨雪風』といった何か歴史の魂にふれるような不思議な曲が散りばめられていて、これにも心を奪われました。

4.新保牧代(にいほまきよ)

 インターネットで検索しても、新保牧代さんの情報はほとんど得られません。かろうじて分かったのは、彼女のデビューが1978年だったこと、そして彼女の生まれが1958年だったことくらいです(おおっ!)。1枚のアルバムと、2枚のオリジナルのシングル盤だけが遺産でした。CDになったこともないし、再版を求めるファンサイトがある訳でもない。でも、新保牧代さんの『二十歳のエチュード』というアルバムは、私にとっては一生のたからものなのです。『ジルバ』という曲が小さなヒットになったことがありますから、覚えている方もいるのではないかと思います。古風な、と言ってもいいくらい端正な叙情性と、青春の暗さを振りはらうサバサバした明るさを合わせ持った人だったと思います。とても曲作りのうまい人なので、もっと活躍してもらいたかった気がするのですが…。アルバムのすべての曲が素晴らしいなかでも、特に私は『ひとりしずか』や『由比ヶ浜』といった曲が好きでした。レコードにはなっていないのですが、ライブ録音で聴いた『わが心のジプシー』という曲は、自分にとってまぼろしの名曲です。もうカセットテープも無くしてしまった。「♪電車に揺られて車の流れや、人の流れを見てると血が騒ぐ。どうしようもなく遠いところに行っちまいたくなるんだ。」そんな詞を持った歌だったと記憶します。そのメロディーを口ずさむと、私のなかでも血が騒ぐものがあるのです。

5.石黒ケイ

 山崎ハコさんと同じ事務所で、最初はアイドルのような扱いをされた人でしたが、シンガー・ソングライターとしての実力も相当なものだったと思います。彼女も1958年生まれですね。初期のアルバムにはハコさんが書いた曲が含まれている一方で、石黒ケイさんの方もハコさんに曲を提供したりしています。「幻想旅行」に収められていた『サンクチュアリーへ』なんて、実にカッコいい名曲だったよなあ。彼女にとって2枚目になるアルバム『女は女』(1978年)で自分の世界を確立して、4枚目の『アドリブ』(1980年)で作家としての頂点に達したというのが私の評価です。『女は女』は曲の順序を並び換えると、男と女の出会いから別れまでがひとつのストーリーとなって現れて来て、私は自分でそういうオリジナル・テープを作って聴いていました。『アドリブ』の方はアート・ペッパーやトゥーツ・シールマンスと共演した豪華なアルバムでしたね。好きな曲を挙げるなら、シングル盤にもなった『ひとり暮らし』と『サフランのように』を。インターネットで検索したら、彼女のオフィシャル・サイトが出来ていて、最近音楽活動を再開されたのだそうです。もしも機会があれば、いまの彼女のライブを聴いてみたい気がします。

6.小川美潮(おがわみしお)

 私が大学生のころ、チャクラという不思議なグループが人気を博したことがありました。とにかくボーカルが印象的で、一度聴くと耳について離れないほど個性的なのです。(『福の種』という曲が頭から離れずに困った経験があります。笑) そのリード・ボーカルが小川美潮さんだったのですね。その後ソロシンガーになって、何枚かの素晴らしいアルバムをリリースされています。彼女の場合は、ソングライターとしてよりもやはりシンガーとしての個性が際立っていたと思います。(いや、もちろん自作曲にも傑作が多いんですよ。) もしも最高傑作を1枚挙げるなら、『4to3』というアルバムを。詞の多くを工藤順子さんが書かれていて、それが素晴らしい楽曲とあいまって、美潮ワールドの魅力全開という感じ。「輪廻転生」がその隠されたテーマだったと私は解釈しています。愛の輪廻をテーマにした1曲目の『デンキ』から、死と再生の物語をつづった終曲の『窓』までをしみじみ聴かせたあと、人を食った大傑作『おかしな午後』でどんでん返しを演じてみせる、まったく心憎いアルバムだと思います。小川美潮さんと言えば、遊佐未森さん、甲田益也子さんとユニットを組んだ、細野晴臣氏プロデュースの『Love,Peace And Trance』というアルバムも素晴らしかったですね。

7.おおたか静流(おおたかしずる)

 今回取り上げたアーティストの中で、一番ポピュラーで安定した活動をしているのが彼女だと思います。おおたか静流の名前を聞いたことがない人でも、彼女の歌声を聴いたことのない人は少ない筈です。なにしろCMソングを数百曲も歌っている歌の職人といったような人ですから。自らボイス・パフォーマーと自称するほど、表現力豊かな七色の声を持った歌い手で、ソングライターとしても実力があるし、また人の曲をカバーする時の選曲も素晴らしい。傑作アルバムが多くて迷うのですが、この1枚を選ぶとするなら1997年発表の『Lovetune』というアルバムを。佳曲揃いのなかでも、あまり知られていない『Joy』という曲を、私はおおたか静流さんの最高傑作に挙げたい気がします。聴きようによってはとてもエロティックな、性と死のたゆたいといったものを感じさせる不思議な曲です。さらに好きな曲を挙げるなら、『Return』(1992年)というアルバムの『冬の花火』や『風の中に』も良かったなあ。昔の歌謡曲をカバーしている『リピート・パフォーマンス』というシリーズの中では、1969年のヒット曲だった『みんな夢のなか』が必聴の1曲です。

8.宝達奈巳(ほうたつなみ)

 宝達奈巳さんも実力あるクリエーターなのに、世間的には相応の評価をされていない人だと思います。1994年に『へび』という曲が話題になって、確かにそれは宝達ワールドの広告という意味では重要な曲だったのかも知れませんが(私もこの曲で彼女を知りました)、彼女の真髄を誤って伝えるものだったようにも思います。私はこの曲の入った『HOTATSU-NAMI』というアルバムを買って、いっぺんでファンになってしまった。インディーズ・レーベルから出ていたデビューアルバムの『たからたち』も手に入れたし、彼女がたぶん自ら転機を求めた『Stranger Than Movie』というミニアルバムも結構聴き込みました。そしてその後、たぶんJポップの評論家にだってほとんど知られていない大傑作『天の庭』がリリースされるのです。1999年のことです。私はこのアルバムを、日本のポピュラー史の十指に入る傑作だと信じています(まあ、ここに書いているアーティスト以外ほとんど聴かない人間の言うことですから、信憑性はありませんが。笑)。曲の良さとライブ感覚あふれるスリリングな演奏があいまって、奇跡のような傑作集になっている。ウソだと思うなら聴いてみてください。いまでも彼女のホームページで申し込めば、彼女自身が郵送してくれる筈です。『夕暮れ道をいく』だとか『Something Remained』だとか、ほんとは誰にも教えたくない私自身の〈たからたち〉です。

9.鴉鷺(あろ)

 白鳥英美子さんと言えば、30年前のトワ・エ・モアの時代から今日に至るまで、日本の音楽シーンを代表する女性シンガーのひとりと呼べる人でした。しかし、トワ・エ・モアとソロシンガー白鳥英美子のあいだに、「鴉鷺」というグループでの活動があったことはあまり知られていないのではないかと思います。素晴らしい3枚のアルバムを残したにも関わらず、いまではほとんど忘れられた存在と言ってもいい。1988年に発表された『鴉鷺』というファースト・アルバムを聴いて、ふつうにファンになってしまいました。たぶん非常に人気を博したグループだったとしたら、レコードを買うほどの動機も持てなかったかも知れません。アルバムのなかでは『萩』という曲が出色で、この1曲だけでも鴉鷺の名前は日本のポピュラー音楽史に残る資格があると思います。日本的な叙情がこのような完成度の高いポピュラー音楽となって結実した時代があったのですね。インターネットで調べると、鴉鷺のベスト盤のCDが発売されたことがあったようですが、その中にも『萩』は収録されていなかったようです。マスターテープは無事に保管されているのでしょうか?

10.五堂新太郎(ごどうしんたろう)

 ここまで9人の女性シンガーを紹介して来ましたが、最後はひとりの男性シンガー・ソングライターで締めくくりましょう。決してプロの歌手ではなく、放浪の人生のなかでただ一度だけ偶然の出会いがあって、その結果として1枚のレコードが我々の手元に残った、そんな解説をしたくなる稀有なアーティストです。「たむたむたいむ」という番組のDJだったかぜ耕士さんが、(確か)パチンコ屋で偶然隣り合わせたことが五堂新太郎さんがレコード・デビューをするきっかけだったと記憶します。1977年のことです。どんな経歴の人かも分かりません(一時期、小椋佳さんのバック・ミュージシャンをしていたという話を聞いた覚えがあります)。もしも歌詞の内容が自伝的なものであるなら、こんなプロフィールを想像します。奥さんには死に別れ、ひとり娘はもう嫁いで、わびしいひとり暮らしを続けている中年男。その彼の目に映るよしなしごとを実に叙情的に切々と歌っているのが『FADE IN』というそのアルバムです。かぜ耕士さんの作詞による曲も何曲か入っていた筈です。代表曲はシングル・カットされた『雪景色』ですが、その他にも『飛んでった日曜日』だとか『吊り橋』だとか、実に印象的な曲がたくさん入っていました。もちろんCDになったことなどありませんし、その1枚のレコードを残してご本人は沓としてゆくえをくらましてしまった。あれから30年が過ぎ、私もあのころの五堂さんと同じような歳になりました。いまもどこかで旅を続けていらっしゃるのでしょうか、それだけが気がかりです。

(追記です。今回取り上げたアーティストのことをインターネットで調べていて、気付いたことがありました。YouTubeのような動画サイトに昔の懐かしい曲が多くアップされているということです。しばし原稿を書く手を止めて、聴き惚れてしまいました。さすがにここに取り上げたような人たちは、ライブの録画が残っている訳ではありませんが、名曲のいくつかを聴くことなら出来ます。おすすめの曲にリンクを張っておきますので、もしも今回の記事で興味を持った方がいらっしゃいましたらクリックしてみてください。

稲葉喜美子 『夜汽車』
大友裕子 『傷心』
佐々木好 『ストレート』
小川美潮 『おかしな午後』
チャクラ 『福の種』
おおたか静流 『水の恋唄』
山崎ハコ 『やさしい歌』

 最後の山崎ハコさんのライブは、安田裕美さんとのご夫婦での共演ですね。昔からハコさんはギターが下手で、私たちファンはハラハラしながらライブを聴いていたものですが、さすがギタリストの安田さんとの息の合った演奏は安心して聴いていられます。それに歌っている彼女の表情の明るいこと。これはいいものを見せてもらった。眼福、眼福。)

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コメント

新保牧代で検索していたらたまたまここにたどり着きました。
彼女の情報、さすがに少ないですね。
じつは、彼女の弟という人物がかつて同じ高校に通っていて
デビュー当時はだいぶ話題になりました。
そんなこととは無関係に
実際、彼女の歌はすばらしかったわけですけれども
久々に聞きたいと思ってもCD化されているわけでもなく
なかなか入手できません。

ただ、哲学者さんのように
彼女のこと、彼女の歌を思い出に持つ方を
ネット上ではあれ、見つけられたことが
なんともうれしく、コメントしてしまいました。

投稿: kei | 2009年2月 2日 (月) 20時58分

keiさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

新保牧代さんに弟さんがいらっしゃったというのは知りませんでした。貴重な情報をありがとうございました。歌詞の内容から、鎌倉あたりで青春時代を過ごされた方かも知れないと想像していたのですが、keiさんの高校もそのあたりですか? なんとなく私の思い出のなかでは、新保牧代さんの歌は古都のイメージと結び付いているんです。

音楽というのはほんとに不思議ですね、これが例えば小説だったら、若いころ読んで感動した作品でも、それほど記憶に残っていることはまれだと思います。ところが、若いころに聴いて好きだった音楽は、30年の時を経ても鮮明に心に刻まれていたりする。そういう作品を残せるって、素晴らしいことですよね。私も今度生まれて来るとすれば、哲学者なんてやめてシンガー・ソングライターに生まれて来たい気がします。(笑)

投稿: Like_an_Arrow | 2009年2月 3日 (火) 02時37分

レス、どうもありがとうございました。
じつは、通っていた高校というのは、哲学者さんの予想とは違っていて
千葉県習志野市にある市立習志野高校です。
当時、学校群制度というものがありましたから
その弟君も地元習志野市か近隣の船橋市あたりから
通っていたのではないかと思います。
牧代さんは大学生だったのか、どうだったのか
当時のことは、僕自身あまりよく知りません。

彼女のプロフィールよりも
その歌や詩の世界に心奪われていたというのが
当時の自分だったように思います。

確かに、芸術にもいろいろありますが
音楽はどこか特別な存在のように思います。
クラシックやジャズの名曲もいいですが
かつて心の糧となった思い出の歌や詞は
自分の中で永遠に光り続ける、いわば宝物です。

そんな歌をつむぎ、聴かせてくれる
シンガーソングライターに憧れる気持ちは僕にも理解できます。
しかし、哲学者というお仕事もまた素晴らしいではありませんか。

瑣末な日常に追われている僕などにとってみれば
真善美の追求に携われるすべての人が憧れの対象ですよ(笑)。

投稿: kei | 2009年2月 4日 (水) 02時04分

引越しの荷物を整理していたら、彼女のジルバというシングルが出てきて、とても懐かしくなり、ネットで検索していました。高校時代に(彼女の高校は私立習志野高校ではありません)野外のライブで歌っていた彼女の歌の個性と、詩の純粋さ、綺麗な顔立ちに私としては珍しく声をかけて、それから家に行き来する中になったのですが、そのときに彼女が歌った、「前原東の三丁目・・」という歌が今でも耳に残っていて、実家に帰ると、無性に彼女に会いたくなってしまいます。今はどこにいるのかも消息がつかめません。
デビューしてとても喜んでいましたが、南こうせつさんとのステージでなにか失敗事を言ってしまい、ユイからはずされてしまった。「私がばかだった」と悔やんでいたのですが、とても残念でした。当時私の彼女に対する愛情も独りよがりで、彼女の気持ちを本当に大切にしてあげられなかったのが心残りです。私はPAの道を行き彼女が歌ってくれれば、そんな夢をみていたんですが・・・。
ぼそぼそと語用に歌う彼女の詩には感傷的な女性の感情でも、現実に照らし合わせてちょっと斜めに放り投げるような明るさがあって、救われました。まだ自宅録音、小さな会場のライブカセットも残っています。この間、全部WAVファイルに変換して残しました。牧代ちゃん もしこの書き込みを見ていたら、ここに足跡を残してください。
まだ音楽を、歌を続けていてくれたら、こんな幸せなことはないです。私もまだ音楽を続けていますよ。

投稿: 新保牧代さんの古い彼氏 | 2009年2月15日 (日) 04時31分

文中に誤りがありました。市立習志野高校 
中->仲 です。お詫びして訂正いたします。

投稿: 新保牧代さんの古い彼氏 | 2009年2月15日 (日) 07時37分

新保牧代さんの古い彼氏さん、はじめまして。貴重なコメント、と言うかメッセージをありがとうございます。

もしも彼女ご自身がこの記事を見て、ネット上で「ご対面」なんてことが実現したら素敵ですね。(笑)
私は新保牧代さんの歌をラジオとレコードで知っているだけですが、学年が彼女と同じということもあって、やはり特別な思い入れがあります。そう、山崎ハコさんや佐々木好さんが何か近寄りがたいオーラをまとっていたのに対して、牧代さんは等身大の同世代の女の子という雰囲気があって好きでした。持っていたカセットテープには、『マシュマロママ』というタイトルの可愛い曲も入っていたっけ。いまではどこかでママになっていて、肝っ玉かあさんみたいにたくましく生きていてくれることを想像するのです。

投稿: Like_an_Arrow | 2009年2月16日 (月) 00時20分

今日、彼女のLP「二十歳のエチュード」がヤフオクから届いて、レコードに針を落としました。ジルバに歌われている、"窓の外の独りよがりの雨" は私のことだなーと自己中を愛だと勘違いしていた当時の私が恥ずかしくなってしまいました。彼女が高校の時(アマチュアの時)彼女のギターの弾き語りに私がアドリブでフルートのオブリガートをつけて、何回かライブしました。LP聞いたら、当時の私のフルートとそっくりのテンションでフルートがフィーチャーされた曲があって、驚きました。ビクターからLPが出たことは知っていましたが、もう別れた後でLPは聞いていなかったので、30年を経てそのまんまの彼女に再会できた思いです。ジャケの写真は特に裏面は、彼女の美しさを引き立ててて、嬉しくなりました。でもEP「港町」のジャケ写真のカーリーヘアの彼女のほうが、普段の彼女の雰囲気がよくでているなあーと思いました。彼女のお母様もとても綺麗でおおらかな方だったので、きっと彼女もお母さんになって娘を見守っているんじゃないか・・・But 家の中に籠もっちゃうタイプじゃないから、何かきっと活動してると思います。インターネットで、もし彼女が自分の足跡をたどってくれれば、ここで再開もありですね。・・正直会いたいです。私のイニシャルだけ残しておきます。S.F ・・・巷間哲学者さんに感謝です。ありがとうございます。

投稿: 新保牧代さんの古い彼氏 | 2009年2月27日 (金) 12時05分

とりあえずメールくれます?
あんまり公開はしたくない内容の新保牧代情報を伝えたいので。
詐欺とかキャッチとかじゃないです。

投稿: トムおじさん | 2009年3月18日 (水) 12時04分

ここはアドレスが伏せられてしまうのですね。
再投稿します。
私は新保牧代さんの知人ですが、彼女は7、8年前に亡くなったらしいです。
私も知ったのが2年程前でかなり驚きました。
原因は詳しくはわかりませんが、何かの病気だったようです。
本当に残念です。このことは自分でも悲しくて、あまり公にしたくなかったのですが、マキちゃんの古い彼には知らせておきたかったので……。
彼女のチャーミングでいながら強く哀しく歌う弾き語りが今でも忘れられません。
僕も当時彼女の歌に心を強く打たれました。
きっと生きていたら、今も街中で歌っていた事でしょうね。
この情報は確かなものです。何せ僕は彼女の親族から教えてもらったので。
ちなみに僕は彼女のお兄さんと同級生で、マキちゃんとはよく話してました。まだ小学生の時の話しですが。
亡くなったと聞いて、マキちゃんがデビューして喜んだ時のことが夢のように消えました。
本当に残念です。

投稿: トムおじさん | 2009年3月18日 (水) 19時51分

えー 絶句です!。お知らせ頂いてありがとうございます。マキのお母様とは彼女の自宅でお会いしたことがあります。当時私は八千代高校のギター部(フォークソング)で、船橋近隣の高校フォークグループのネットワークを作りをしていました。高校生の時、彼女と二階で歌作りをしていると、階段を上がってきて、顔をみないようにそーっとお盆にお茶とお菓子を置いていって下さるような、優しいお母様でした。・・・・・いつか再会できると思っていました。彼女が今私の後にいて「そんなもんだから、まああんたがこっちに来るまで、精一杯やんなよ」って笑っているようです。今日は喪に服してお祈りしています。

投稿: 新保牧代さんの古い彼氏 | 2009年4月17日 (金) 15時54分

トムおじさんさん、新保牧代さんの古い彼氏さん、こんにちは。
コメントのご返事が遅くなってしまい、すみませんでした。

まさか自分の記事がきっかけで、新保牧代さんの訃報を聞くことになろうとは思ってもみませんでした。もう彼女の新しい歌を聴くことも永遠に出来ないのですね。悲しいと言うよりも、なにか悔しい気持ちです。

彼女が遺してくれたたった1枚のアルバムは、自分にとって生涯の愛聴盤であるばかりか、多くの人に聴いてもらいたい本物の名作だと思います。スタンダードナンバーとなってもよい名曲がたくさん散りばめられています。せめてCDとして復刻することは出来ないものでしょうか。いまの若者たちのなかにも、きっと彼女の歌に共感する人は多いだろうと思うのですが…

投稿: Like_an_Arrow | 2009年4月29日 (水) 02時57分

新保牧代は私の母です。このブログを見てあまりに嬉しくてコメントさせて頂きました。ママは7年前に透析という病気で亡くなりました。私が高校2年生のときでした。亡くなる前日に、パパが今日はお見舞いに行く?という問いかけに、今日は行かなくていいよ。と言ってしまったことを今でも後悔しています。でも、今はただ、自分が幸せになることがママにできる唯一の親孝行だと思って、小さな幸せを大事に生きています。ママのことを覚えていてくれて、本当にありがとうございます。これからもどうか忘れないでいて下さい。
CD復刻版、私も作ってあげたいです。ママの生涯は短かったけど、長く皆の心の中に生きていて欲しいから。

投稿: ありがとうございます。 | 2009年5月24日 (日) 21時34分

うれしいコメントをありがとうございます。そうですか、新保牧代さんには貴女のような素敵な娘さんがいらしたんですね。若くして亡くなられたと伺って、なんだかやるせない気持ちになっていたのですが、少し救われた気がしました。そう、お母さんはとても魅力的な女性だったんですよ。私はレコードやラジオで流れたライブ録音でしか聴いたことがなくて、コンサートにも行ったことが無かったのですが、あのころのファンはみんな牧代さんに恋をしていたものでした。(もちろん私もそのひとりです。笑)

ほんとに新保牧代さんのあの頃の歌が、またCDで聴けたらうれしいのになあ、と思います。コメントを下さった、Keiさん、新保牧代さんの古い彼氏さん、トムおじさんさん、CD復刻のために何か良いアイデアはありませんでしょうか?

投稿: Like_an_Arrow | 2009年5月25日 (月) 00時51分

お邪魔します。宝達奈巳と申します。旦那さんが見つけてくれてこちらにお邪魔させていただきました。
このようなご評価にあずかり大変光栄で本当に嬉しいです。
ありがとうございます。

「天の庭」以降はソロ活動は休止していましたが、作りためた曲を最近まとめました。HPのほうにUPしましたのでぜひご覧ください。
よろしければ私のブログも覗いてみてください。
http://astromedia.cocolog-nifty.com/blog

投稿: astromedia | 2009年7月 4日 (土) 22時26分

宝達奈巳さん、こんにちは。と言うか、たいへんご無沙汰しております。以前にCDを何度か注文させていただいたことがありました。その際にはご丁寧なメールもいただいた記憶があります。

しばらく奈巳さんのHPを拝見することが無かったので、新作を出されたことも知らずにおりました。ぜひ聴いてみたいです。またメールでご連絡させていただきますね。

それにしても、同じココログ仲間だったなんて…。(笑)

投稿: Like_an_Arrow | 2009年7月 5日 (日) 05時20分

初めまして、私も昔、音楽をやっていて、新保さんとは同じライブハウスで歌っていたことが在りました。彼女は歌手としても女性としても大変魅力的で私はすっかり虜に成ってしまいました。その後彼女はフォーライフからデビューすることに成り段々と遠くへ行ってしまい、お会いする機会も減ってしまい、私も音楽から離れ何時か仕事におわれ彼女の姿を見ることも無くなって行きました。時がすぎ、もう一度彼女の歌が聞きたいとこうしてインターネットで彼女の情報を時々検索したりしていたんですが。まさかお亡くなりになっていたとは。心よりご冥福をお祈り致します。熱烈なる1ファンより

投稿: kk-bobby | 2009年7月21日 (火) 23時35分

kk-bobbyさん、コメントありがとうございます。

新保牧代さんにゆかりのある方からたくさんコメントをいただいて、なにか不思議な気持ちです。彼女のファースト・アルバムのタイトルが『二十歳のエチュード』、レコード・デビューも二十歳の時だった筈ですから、それ以前からライブハウスで歌っていらした訳ですね。初めて知りました。貴重な情報をどうもありがとうございました。

いまインターネットで検索してみたら、『由比ヶ浜』がYouTubeにアップされていました。音は良くないのですが、とても懐かしく聴きました。こんなふうに青春の叙情を歌った人は、彼女以外には誰もいません。

http://www.youtube.com/watch?v=UNlHODXZpAk

投稿: Like_an_Arrow | 2009年7月22日 (水) 23時37分

 新保さんとは2回お会いしたことがあります。一回目は1977年か1978年のフレッシュサウンズコンテストの地区大会。赤坂のTBSホールの楽屋で。当時、ディランにあこがれフォークシンガーを目指していた私はテープ審査に通って参加。私はこの地区大会で敗退してしまいましたが、新保さんは全国大会まで進んで、その後、あっというまにビクターからデビューを果たしました。
 お互い演奏を終えた楽屋で、周りはすべてライバル、頑なな態度でいた私でしたが、新保さんは気軽に話しかけてくれて、連絡先を交換した記憶があります。バンドが多いなかで、同じようなフォーク系の弾き語りということで親近感をもってくれたのだと思います。
 2回目の出会いはラジオを通してでした。ラジオ関東で、斉藤哲夫というフォークシンガーが番組をもっていて、そこで新保さんのテープが流されたのです。たしかG-D-Amの循環コードで、バイオリンがフューチャーされていて、曲調も当時のディランを思わせるジプシー風の雰囲気のある曲で、めちゃくちゃかっこよく、曲のグレードの高さに驚愕しました。僕もこの番組に、オリジナル曲(坪田直子さんに捧げる歌)を投稿して放送されたこともあって、同じ番組に投稿した偶然に、コンテスト以来の新保さんの名前を懐かしく思ったものでした。これもデビュー前のことですね。
 ビクターからデビューする前の新保さんは、ほんとうにかっこ良かったですよ。作品も、ファッションも、ギターを弾く姿も。70年代後期は、ディランとかニールヤングとかジョーンバエズとかクロスビースティルスナッシュとか、向こうのミュージシャンもめちゃくちゃかっこ良くて、当時の新保さんにも彼らのエッセンスが色濃く反映されていたのです。だから、ビクターから出たLPジャケットの写真とかは少し歌謡曲ぽくて、正直、彼女のかっこよさが生かされてなくて、デビュー前を知っているものとしては少し残念な気持ちもありました。
 長くなってすみません。デビュー前の地区コンテストの楽屋で話しただけの関係ですが、新保さんとのこの一シーンは私にとってフォークにかけていた青春の貴重なひとこまなので、つい語ってしまいました。一学年下の彼女がすでにこの世にいない人だなんて複雑な思いがします。二十歳になったかならないかの若さで、新保さんは作品も歌唱もすでに完成していました。(お嬢さんへ。当時のお母さんはそれはそれはとても魅力的な女性でしたよ。)

投稿: mitsuru nakamura | 2010年7月 9日 (金) 22時13分

mitsuru nakamuraさん、こんにちは。コメントをありがとうございます。

デビュー前の新保牧代さんの横顔が伝わってくる、とても貴重な証言だと思いました。私は『二十歳のエチュード』で初めて彼女の歌を知ったので、ボブ・ディランやニール・ヤングの線と彼女の歌を結び付けて考えたことがありませんでした。詞の内容やメロディーから、何かとても古風で端正な、日本的な叙情をたたえたシンガー・ソングライターだと思っていたんです。だからギターを弾く姿やファッションがめちゃくちゃかっこいい彼女というのは、私にとってとても新鮮でした。

デビュー・アルバムの後に出たシングル盤(『港町/月夜がらす』)は、もっと本格的な歌謡曲、というか演歌っぽい曲調で、正直なところ戸惑いを感じたことを覚えています。でも、これはうろ覚えの記憶ですが、ラジオにゲストで出た彼女は、この新曲について自分の本当にやりたかった音楽の方向性が見えて来た、確かそんなことをおっしゃったのです。きっといろいろ模索をしていたのだと思います。その後の彼女の歌を聴きたかったファンは、私以外にもたくさんいたのだと分かりました。

こんな小さな記事を見付けて、新保牧代さんにゆかりのあった方々がコメントを寄せてくださる。それだけ存在感や影響力の大きな人だったのだと思います。青春の短い一時期でも、彼女の歌に出会えたことは本当に幸せだったと感じています。

投稿: Like_an_Arrow | 2010年7月11日 (日) 02時44分

デビュー後、新保さんはすぐに女性シンガーとして第一線で活躍しはじめました。当時「ひなまつりコンサート」という音楽祭に出演していたこと、覚えています。

共演者らの名前をみて、新保さんが遠い存在になってしまったと感じたものです。私自身プロになることを目指していたので、多少、というかかなり嫉妬の眼差しで彼女の活躍を見ていたわけです。

ネットで調べてみたら1979年に開催された第3回ひなまつりコンサートの主演者は、尾崎亜美、太田裕美、川島康子、渡辺真知子、八神純子、杏里、竹内まりや、越美晴、そして新保牧代さん。やっぱりすごい顔ぶれ。

私は、本当に、たまたまネットで、ここにたどり着きましたが・・・。人生の長さに関係なく、輝いた生き方をした人の記憶は、本当に多くの人々の思い出の中に、時を超えて深く刻みこまれているのだと思います。

投稿: mitsuru nakamura | 2010年7月15日 (木) 19時08分

私は高校生の時新保牧代さんと同じクラスでした。
その頃からマキはギターも歌も作品も素人離れした素晴らしさで、 特に曲の良さと高音の響きが印象的でした。

また、 料理や裁縫も上手で、さっぱりとした性格のとても魅力的な人でした。
自分もマキの影響を受けてギターをやり始め
当時は お互い曲を披露しあったりして
二人の間ではほとんど音楽の話しかしなかったような気がします。


卒業してからもしばらくはマキとは ライブを通して付き合いは続いていましたが、最後に会ったのは確か23年位前でしょうか・・・
その時はお嬢さんを連れて家に遊びに来てくれました。

そして12、3年前にマキから電話をもらって話をしたのが本当に最後だったんですね。

私は今でもユニットでライブを続けています。 高校の時、マキに出会っていなければ、ギター大好き人間の自分はなかったと思います。

昨年、たまたまこのブログに行き着き
亡くなられた事を知り、しばらくは放心状態でした。 今でも信じられませんが
マキの歌は皆さんの心にしっかりと刻まれているんですね。
私は
マキの「今日はこれから」(曲は斉藤哲夫さんですね)を今も歌っています。
これからも大事に

歌っていきたいと思ってます。

投稿: hocyaka | 2010年7月26日 (月) 19時18分

hocyakaさん、コメントありがとうございます。

不思議ですね。こんなマイナーな私のブログ記事を見付けて、むかし新保牧代さんと関わりのあった方たちが次々にコメントをくださる。音楽の素晴らしさもあるけれど、やはり彼女の人柄がたくさんの人を惹きつけていたんですね。

「今日はこれから」聴きたいなあ。レコードは持っているのですが、プレイヤーがありません。斉藤哲夫さんの名前も懐かしい。自分も若い頃はフォークギターを持っていて、独学で練習したけど、ものになりませんでした。ギターを弾ける人生、歌を歌える人生、素晴らしいなあ…(ため息)

投稿: Like_an_Arrow | 2010年7月29日 (木) 23時44分

最近ネットで再会した高校時代の後輩が送ってくれた、へたくそなライブの音源がありまして、そのコンサートにゲストとして新保さんが来てくれていました。当時ユイ音楽工房からデビュー直前で、いろんなアマチュアコンサートに飛び入りしていたんだと思います。素敵な歌声でした。懐かしくなりネットで検索していたらここにたどり着きました。お亡くなりになっていたんですね。残念です。「この曲を歌えればコンサートでは満足してしまいます」という言ってから唄いだした曲、「パーティの・・・」よく聞き取れないので本当は何と言う題名なのかわかりませんが。心にしみる唄です。

投稿: チョビ | 2011年8月26日 (金) 11時59分

チョビさん、コメントありがとうございます。

新保牧代さんの歌で、レコードになった曲は十数曲ほどですが、その他にもいい歌がたくさんあったようですね。「心にしみる唄」に出会う機会がめっきり減った今、知られざる彼女の曲をもう一度聴いてみたい気がします。未発表曲のCD化は難しくても、音源を収集して採譜することが出来たら、そしてそれを誰かが歌ってくれたら…、そんなことを想います。

投稿: Like_an_Arrow | 2011年8月28日 (日) 07時10分

はじめまして。TATSUYAと申します。チョビさんに当時のライブ音源(1978年4月18日)を送った者です。
先輩に送るに際し、ライブ音源を全部聴いて、その中に
デビュー前の新保牧代さんのステージもあって、先日33年ぶりに聴いたばかりでした。お亡くなりになっていたと聞いてビックリです。なんか信じられません。
でも素敵な娘さんもいらしたご様子、きっとお幸せだったのでしょう。ご冥福をお祈り致します。

投稿: TATSUYA | 2011年8月28日 (日) 14時27分

TATSUYAさん、コメントありがとうございます。

私が持っていたテープ(AMラジオからのエアチェック)には、「我が心のジプシー」ともう1曲「マシュマロママ」という楽しい歌が入っていました。不思議ですね、音楽というのは30年の年月を経ても、はっきりと心に残っています。小説なんて、読んで1、2年もすれば筋書きもすっかり忘れてしまうのに。「パーティーの…」で始まる歌、私も聴いてみたい気がします。

投稿: Like_an_Arrow | 2011年8月30日 (火) 23時59分

そうでしたか。新保牧代さんが亡くなられていたとは残念です。私がいちばん好きなのは「寂光土」ですが、YouTubeでも聴けません。『二十歳のエチュード』がCD化されるといいですね。

投稿: 不透明人間 | 2011年9月18日 (日) 16時53分

不透明人間さん、コメントありがとうございます。

『二十歳のエチュード』、私もレコードは持っているのですが、プレイヤーを持っていないので、たぶん20年以上も聴いていません。まだアナログの時代ですからね。レコード会社に保管されている音源は無事なのでしょうか。それを思うと心配です。

投稿: Like_an_Arrow | 2011年9月20日 (火) 00時39分

新保先輩が亡くなられていたと知りびっくりしました。
高校のギター部で2つ先輩でした。
「前原東の三丁目」は高校のときから歌っておられました。
ずば抜けた存在であこがれの人です。普段はとても寡黙な印象なのに、歌われたときの表現力に圧倒されました。長い髪を2つに束ね(たぶん校則上)、横の髪で少し輪郭をおおうようにしていて、その奥に不思議な美しさがありました。
新保先輩のまわりを囲うようにして、あれをこれをと歌をねだったりした贅沢な放課後を思い出します。気どったところがなくもの静かできさくで清々しい、歌にあらわれている通りの方でした。影ながらファンという人がものすごくたくさんいました。
今日、ふとその後どうしておられるだろうと検索したらここにたどりつきました。
偶然にもお彼岸でした。このページに感謝致します。

投稿: obaru | 2011年9月23日 (金) 22時15分

obaruさん、コメントをありがとうございます。

またひとつ新しい情報を教えていただきました。新保牧代さんは高校でギター部に所属していらしたんですね。「前原東の三丁目」は牧代さんとobaruさんの通っていた高校の所在地なのでしょうか。とても素敵な青春の思い出ですね。

このブログ記事で取り上げた何人かの女性シンガーソングライターは、偶然でしょうか、新保牧代さんと同年代の方たちです。私も同じ時期に青春を過ごしたひとりとして、彼女たちの歌と出会えたことはとても幸運なことだったと思っています。

投稿: Like_an_Arrow | 2011年9月24日 (土) 00時54分

初めまして。私も新保牧代さんの名前で検索して辿り着いた者です。そして、同じようにショックを受けました…
新保牧代さんは、デビューしてしばらく、半年か1年ほど、週1で静岡のSBSラジオに番組を持っていました。30分のトーク番組でした。
私は当時中1で、小学校時代からのラジオっ子(今もです)。
毎週ではないですがハガキを出して、何度か読んでいただいたこともありました。
そして、毎週1名に、新保さん手作りの革製キーホルダープレゼントがあり、私もそれをいただきました。
番組タイトルの「New Music Work Shop」の頭文字を革に刻み、ご本人が金具等も取り付けたという、本格的なキーホルダーです。
それ以来もう32年間、私の家の鍵のキーホルダーは、新保さんが作ってくださったそのキーホルダーです。家や鍵は変わりましたがキーホルダーは昔のままです。
すっかり色も変わりましたがいまだ壊れず破れず、しっかり私の鍵を守ってくれています。
正直言って、新保さんの歌そのものはあまり覚えていませんでした。今回、検索してみて、由比ケ浜という歌を聴き、彼女の喋る声やラジオの音を鮮やかに思い出しました。
でも、キーホルダーは毎日使う物ですから、新保牧代という名前はほぼ毎日のように思い出していました。
今もまだ使ってますよ、とお伝えしたかった…
これからも大切に使います。

ショックは受けましたが、このページに来る事ができて良かったです。
どうもありがとうございました。

投稿: Lulu | 2011年12月10日 (土) 22時29分

Luluさん、コメントありがとうございます。

新保牧代さんが静岡のラジオ局でトーク番組を持っていたというのも、初めて知りました。貴重な情報をありがとうございました。「新保さん手作りの革製キーホルダー」というのはたいへんな宝物ですね。

彼女のレコードは、今もネットオークションなどで手に入れることが出来るようです。ぜひLuluさんも機会があれば聴いてみてください。私も来年はレコードプレイヤーを手に入れて、もう一度彼女の歌を聴いてみたいと思っています。

投稿: Like_an_Arrow | 2011年12月12日 (月) 00時48分

はじめまして。新保牧代さんで検索していたところ、こちらのサイトを拝見し、とても驚いております。

新保牧代さんは楽曲、歌詞、歌唱とも独自の世界がありデビュー時にラジオから流れてきた彼女の歌声に魅せられました。誕生月まで同じということもあり、大ファンになり、ライブにも行きました。確か浅草の木馬亭という寄席でのライブで歌われていた「純白」という曲(お知り合いが作られたとおっしゃっていました。)が素晴らしく、私もアマチュア活動をしていたので、この曲でライブハウスのコンテストを受けたりしました。

今でもデビューアルバムの全曲を覚えています。
本当に素晴らしいアーティストでした・・・残念でなりませんが、ご冥福をお祈り致します。


投稿: yux | 2012年9月26日 (水) 00時27分

yuxさん、コメントありがとうございます。

私も新保牧代さんとは同年代なのですが、地方で大学生活を送っていたこともあり、彼女の歌を生で聴く機会はありませんでした。だから彼女のライブに行ったとか、同じコンテストに出たとかいった話を聞くと羨ましいです。(笑)

この記事で取り上げた10人のミュージシャンのなかで、たぶん作品が1曲もデジタル化されていないのは彼女だけではないかと思います。ほんとに今の若い人にも聴いてもらいたい名曲が多いのに残念です。

投稿: Like_an_Arrow | 2012年9月27日 (木) 22時49分

お返事ありがとうございます。ずいぶん出遅れたコメントでしたが、このサイトにお伺いして、新保牧代さんのことを知って・・・わずか2日間、いろいろなことを思い出しました。1ファンに過ぎませんでしたが、今思うと彼女の歌に、ものすごく影響を受けたのだと思います。ほんとうにショックで、残念でなりません。

「わが心のジプシー」大好きでした。こっそりライブで録音したテープを何回も、何回も聞きました。
「・・一人ぼっちでやり直したい。逃げた分だけ苦しくなっても。」でしたね。

こうして彼女のことを偲ぶ人たちの想いも知り、お嬢様までコメントをくださり、この場を与えてくださったことに心より感謝いたします。・・・テープとコンサートのチケット、確か保存してあります。著作権の問題がクリアできるならば、ぜひとも後生に残したいものですね。

投稿: yux | 2012年9月28日 (金) 01時13分

yuxさん、こんにちは。

「わが心のジプシー」ご存知なんですね。レコードに収められた曲は、聴き返すことが出来ますが、牧代さんの曲のなかにはレコーディングされなかった名曲も数多くあるようです。彼女の個性的な歌唱は別にしても、曲だけでも採譜して後世に残したいものですね。

このコメント欄には、彼女にゆかりのあった方やファンだった方が時々訪れてくださいます。たまに思い出すことがありましたら、また覗いてみてください。

投稿: Like_an_Arrow | 2012年9月30日 (日) 11時56分

何気なくググったらヒットした新保牧代さんネタ。
何の情報もありませんが、私の出身校である高校の文化祭に来てくれたことがありました。
1979年の今頃でしょうか。
同級生で生徒会長だったのが、その後のラガー刑事。文化祭実行委員長は別の人だったでしょうか。

それまで芸能人など呼んだことのなかった我が母校。なぜ新保さんを呼んだのかなと素朴な疑問を持ちながら早や30余年が経ちました。

投稿: キャン009 | 2012年11月 2日 (金) 21時45分

始めまして
一緒に「おじむかむぱにー」と言う フォークグループを やっていた 友人から「新保牧代さんの消息について書いてるブログを みつけたよ」と メールを もらい 来てみました
亡くなった と 書いてあって ビックリと がっかりです
彼女との出会いは「おじむかんむぱにー」結成前後 たぶん 80年頃 私が「サウンド・ウイズ・コーク」の審査員で水戸文化会館に行った時で 彼女は 前年度か前々年度のグランプリで デビューしたゲストシンガーとして唄っていた
コンテストの後 話を したら 当時ライヴなどを 手伝ってもらうようになった 千葉のPA屋の竹内君(彼とは ともに福井出身で仲良かったのだが 最近の消息は 分からない)とも 知り合いだと言うこともあって 仲良くさせてもらい 私たちの企画や「おじ・かむ」のライヴにも 何度も 出てもらってました
「おじ・かむ」に一時期参加していた「ちゃんこ」と呼んでいた女の子には「メモリアル」など 何曲か唄っていいと 許可を くれて 姉妹のように仲良く デュエットしたり ライヴに 駆けつけてくれたりと 楽しい思い出が たくさんあります
 ある日 突然 指物師だか 大工さんだったかの彼と結婚します宣言を して 引退しちゃったので 邪魔を しないよう そっとしていましょうね って以来 私の方の事情もあって 音信不通に なってしまていました
娘さんの書き込み 感動しました


LPは 人に貸したまま 帰ってこないので 中古レコード屋を 探し回って 中の辺りで やっと見つけたら 宣伝用の試聴版だったりして 別の意味で感動したりもしましたね
私も けっこう浮き沈みの激しい人生を 送っているので 写真やビデオ 録音テープなど 紛失したりしてますが 当時の 仲間あたれば 何か出てくるんじゃないかな

投稿: コミカル吟遊詩人 | 2012年11月 5日 (月) 03時36分

キャン009さん、コメントありがとうございます。

新保牧代さんでググって、私のブログが上位に来てしまうところが、彼女が伝説のシンガーである所以ですね。1979年は牧代さんのデビューの翌年だったと思いますから、あちこちの文化祭でも引っ張りだこだったんでしょう。きっと熱烈なファンだった生徒さんがいたんじゃないでしょうか。私はラジオの深夜放送で彼女の歌を知ったのですが、ついに生の歌を聴くことは出来ませんでした。自分には青春の思い出というほどのものも無いのですが、彼女の歌はやはり青春のひとコマだったんですね。

*****

コミカル吟遊詩人さん、初めまして。またまた貴重な情報をありがとうございます。

新保牧代さんが音楽活動をしていた期間は、あまり長くはなかったと思うのですが、たくさんの足跡を残されていたので驚きます。音楽を通して彼女と接点のあった方の証言をつなぎ合わせると、なんだかあの時代の息吹が感じられるようです。ちゃんこさんとのデュエット、聴いてみたかったですねえ。コミカル吟遊詩人さんは、ずっと音楽活動を続けていらっしゃるんですね。私も次に生まれて来ることがあれば、巷間の哲学者なんかじゃなくて、吟遊詩人(シンガー・ソングライター)に生まれて来たいものです。(笑)

投稿: Like_an_Arrow | 2012年11月 5日 (月) 23時28分

Like_an_Arrowさん
音楽は 楽しくて 楽しくて やめる気には なれませんね 自分の進路将来を 決める時に どんなに世の中が変わっても なくならないものリストを 作ったら『衣食住』の次が『音楽』と『スポーツ』だったのですよ で その二つを 選択しました 今は 『食』もやってますが(笑)

過去の記憶が少し曖昧になってきているので 年代が少しずれていたのか 牧代さんとの最初の出会いは 78年のサウンドウイズコーク茨城栃木大会だったようです その時は 私は IBSの人に紹介されて 見学に行ってたのですが そこで IBSの方からゲストの牧代さんを 紹介されたのでした
その後 後輩達とや「おじ・かむ」での茨城縦断や横断ライヴを やって 知り合い 牧代さんが出演してくれたライヴを 手伝ってくれた古河のメンバーの中に キャノン009さんの先輩や同級生にあたるんだろう人達がいて 古河一だか古河三だかで 牧代さんの学園祭出演が実現したんだと 記憶してます
古河では リサイタルもやりましたね
あの2,3年は 頻繁に 土浦やつくば 古河に来て ライヴを やっていただきましたね

投稿: コミカル吟遊詩人 | 2012年11月 6日 (火) 01時22分

コミカル吟遊詩人さん、こんばんは。

70年代終わりから80年代にかけて、私も北関東で学生生活を送っていたので、もしかしたら近くでライブをやっていたのかも知れませんね。当時はインターネットもありませんし、地方の学生にとってラジオの深夜放送だけが情報源といった時代でした。

私も自分では演奏は出来ませんが、音楽が無いと1日たりとも生きていけないというくらいのアディクトなんです。でも聴くのは昔の音楽ばっかり。最近の音楽はほんとうにつまらないと思うのですが、それはきっと自分がアンテナを張っていないからかも知れません。

投稿: Like_an_Arrow | 2012年11月 7日 (水) 00時04分

わが母校の名前までご存知の方がいらっしゃり、嬉しいです。
新保牧代さんは、TBSラジオ「くず鉄のヤンヤン大学」のゲスト出演のことを覚えています。
わが母校の学園祭で、生演奏を聴けたのは貴重な体験だったんですね。
私は古河三高という高校を卒業しました。

投稿: キャン009 | 2012年11月 7日 (水) 00時12分

五堂新太郎のアルバム『FADEIN』をプロデュース、ディレクトしたのは私です。当時、アメリカのレコード会社の制作部に在職していた私は、ある日、偶然、彼と彼の作品に出会い、即座にレコード化を決断しました。作品の持つ寂寥感をおびたみずみずしさに驚きながら、アルバム一枚分を選び、編曲家を吟味し、約一年半かけて完成したアルバムです。作業をしながら、このレコードは多くは売れないだろうという思いに駆られるのは、製作者としては虚しさと同棲するようなものですが、あなたのようなaudienceの五官を揺らしていたのなら、本人も、製作者の私も本望というものです。彼は福岡市、博多の出身です。当時は朝まで語り明かしたこともあり、エピソードには事欠きませんが、彼の書く詩にある種の欧米的なsophisticationがあるのはシャンソンからの影響です。在職中、数多くのレコードの制作にかかわりましたが、もっとも印象に残る一枚です。                  栗山 章

PS.現在、私はNYに在住し、ときどき日本語で書いた小説を発表していますが、たまたま帰省中に、このサイトを発見しました。尚、かぜ耕士氏がパチンコ屋で五堂と知り合ったというのは、まったくの誤報です

投稿: くりやましょう | 2012年11月13日 (火) 10時22分

栗山章様、たいへん貴重なコメントをありがとうございます。

まさか『FADEIN』のプロデューサーの方からコメントがいただけるとは思ってもいませんでした。感激です。

なるほどあの傑作アルバムの背景には、五堂新太郎さんの得がたい個性と才能のほかに、製作者の方の並々ならぬ情熱があったのですね。栗山さんの目に止まらなければ、私たちは五堂さんの歌と巡り合う機会も無かった訳です。それを思うと、この場を借りて改めてお礼を申し上げたい気持ちです。

五堂さんの曲は、『FADEIN』以外では、映画「八甲田山」のサントラ盤にボーナストラックとして2曲入っていて、これはCDになっています。これ以外にデジタル化された作品は無かったと思います。『FADEIN』、それに異なるアレンジでシングルカットされた『雪景色』は、まさに珠玉の作品集と呼ぶべきものだと思います。いまの若い人たちに聴いてもらえないのが残念です。

>尚、かぜ耕士氏がパチンコ屋で五堂と知り合ったというのは、まったくの誤報です

そうでしたか。確か「たむたむたいむ」でかぜ耕士さんがそのようなエピソードを話していたように思うのですが、記憶違いだったのかも知れません。古い記憶なので、自分のなかでも半ば伝説化しているのです。

投稿: Like_an_Arrow | 2012年11月14日 (水) 00時05分

 映画『八甲田山』のサントラ盤と五堂氏の2曲も私が担当しました。在職中、映画音楽の制作にかかわることがありました。以下のような見解は、純粋な音楽愛好者のnaiveな言葉が飛び交うあなたのサイトには不適切かもしれませんが、忌憚のない考えとして書き残します。
 ご家庭で外国の映画(おもにアメリカ映画)をご覧になるとき、music superviserという役目の人がクレディットされることに気づかれると思います。監督の意向を汲んで、ここというシーンに流す印象的な音楽を決める仕事をします。日本映画では作曲をする人が音楽監督という名前で、書き上げた音楽がほとんど無条件に採用されます。日本の映画や舞台音楽にヒット曲がうまれない理由の一つがここにあります。『八甲田山』の音楽監督は芥川也寸志氏でしたが、そばで見ていて、彼の書き上げた音楽には監督も口を出せないという奇妙な現実がありました。よい映画(アメリカの場合は興行成績の上がる映画)を完成させるには、大家の書いたもの(権威)でも緩衝地帯を設けて出来栄えを吟味するという方法が常態化しています。ベット・ミドラーが歌った『ローズ』という後世に歌い継がれる佳曲を書いたのは、アマンダ・マクブルームという作家ですが、この曲を映画のあのシーンに使ったのは、監督とsuperviserです。五堂氏の2曲があの壮大な映画の本編に流れなかったのは私の実力不足です。
 かぜ耕士氏の詩に曲をつけることを五堂氏に勧めたのも私ですが、才能のある作家に刺激的な仕事の場を提供するのもプロデューサーの仕事の一つと考えてのことです。
 五堂氏はなみのマネージャーでは制御しきれないある個性の持ち主でした。そんな彼にのびのびした音楽活動の場を提供できずに終わったことは、心残りがないわけではありませんが、この種の不条理に向き合うこともプロデューサーの仕事の一つかもしれません。彼はよそからもう一枚アルバムを出しているようですが、完成度は『FADEIN』のほうがずっと上です。
 ひとつの企画を踏み切るとき、私は、どこかにこの感動を共有できる人がいるはずだという確信、願望を支えにします。あなたは今頃になってようやく巡り会えた上質のlistenerです。五堂が持っていた音楽的な感性には、ニッポンのフォーソングに固有の銭湯のにおいがする情念から遠い、近代のsolitudeがあったように思います。
 ご自愛ください。        
                   栗山 章 拝


投稿: くりやましょう | 2012年11月14日 (水) 15時37分

『八甲田山』のサントラ盤はいつも持ち歩いているiPodに入っています。ときどき無性に五堂さんの歌を聴きたくなって、くだんの2曲だけを繰り返し何度も聴くことがあります。その詞の内容の深さ、歌の包容力の大きさに、時を経ても変わらない感動を味わいます。

五堂さんが「なみのマネージャーでは制御しきれないある個性の持ち主」だったというのは、あのジャケット写真の強面ぶりを思い浮かべると、なんだかとても納得出来てしまい、可笑しかったです。その五堂さんをかぜ耕士さんに引き逢わせたのも栗山さんだったのですね。

栗山さんの文章からは、日本の音楽がまだ商業主義に染まっていなかった時代の息吹が感じられます。あの時代を第一線で駆け抜けた人でなければ証言出来ない「泡立つ日々」があったのがよく分かります。その時代にひとりのaudienceとしてでも立ち会えたのは、幸運なことだったと思っています。

映画音楽として五堂さんの歌がふさわしいものだったかどうか、私には分かりません。あまりに強烈な個性なので、使いこなせなかったというのが実のところだったのではないでしょうか? 少なくとも私にとっては、芥川也寸志さんの壮大なオーケストレーションよりも、掌編小説のような五堂新太郎さんの歌の方が、はるかに心に響くのです。

投稿: Like_an_Arrow | 2012年11月15日 (木) 00時51分

wine大友裕子さん最高

https://youtu.be/iff14uO6-Eo

投稿: 独枕(ピアノ弾語り) | 2015年9月17日 (木) 02時22分

ご本人の弾き語りなのでしょうか。
とてもいいライブ音源ですね。懐かしさに心が苦しくなりました。
貴重な情報をどうもありがとうございました。

投稿: Like_an_Arrow | 2015年9月18日 (金) 00時27分

はじめまして。
ブランコレーベルという再発専門のインディーレーベルを運営している者です。
上記コメントにもある、新保さんも歌われた「純白」の作曲者、鈴木一記さんのLPの再発CDなどもリリースしたレーベルです。
実は本日、新保牧代さんのご親族(上記コメントの「ありがとうございます。」さん)にお会いして新保さんのアマチュア時代の音源のCD化についてご相談をしてきました。その際にこちらのブログのこともお聞きし、今読ませていただきました。
ビクターからのLPは版権の問題がありますが、アマチュア時代の音源でしたら自分のインディーズレーベルからリリースできます。なので、当時のご友人が保存していた音源をCDにしようと、今動いております。
こちらのブログにコメントを寄せている何人かの当時のお知り合いの方々は、新保さんの未発表の音源をお持ちの様子ですね。 今、自分の手元にある音源はまだ7曲分でしてCDにするにはちょっと短いです。もしよろしければ、CD化のために音源のコピーを提供していただけましたら幸いです。
新保さんの素晴らしい音楽を世にあらためて残すことができたら素晴らしいと思います。
このようなコメントを書かせていただき、場違いでしたらスイマセン。もしよろしければこの呼びかけにご協力いただけましたら幸いです。
もしご協力していただける方は、リンク先のURLから当レーベルのメアドにご連絡くださいませ。

投稿: ブランコレーベル | 2016年1月30日 (土) 16時33分

こんにちは。
私は新保牧代の娘のYO-KOと申します。
母は3人の娘を産み、その三女が私です。(姉が2人います。)
以前から母の残した音楽を、しっかりとしたカタチにしていつか残せたらいいなぁと思っていたのですが、
最近、母がファンだった鈴木一記さんのレコードをCDにして再販してくださっているNさんと知り合い、連絡を取るようになり、姉とNさんと私とで会い、話をし、
新保牧代、母の音楽もCDやレコードにして残せたらいいね
という話になりました。
Nさんは積極的に当時の母の知り合いに直接会って情報収集や音源収集をしてくださったのですが、
当時の音源がなかなか集まりません。
(すでにレコードに入っている曲は著作権などの関係で音源にすることができないこともあり、未発表などのデモ音源などを探しています。)
もしどなたか心当たりがあれば
Nさんの活動をしていますブランコレーベルの連絡先の
branco_label@yahoo.co.jp
までご連絡をお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

投稿: YO-KO | 2016年1月30日 (土) 17時16分

ブランコレーベルさん、YO-KOさん、コメントありがとうございます。

新保牧代さんの未発表曲を含めたCD、実現すれば素晴らしいですね。私のブログはとてもアクセス数の少ないマイナーブログなので、新保さん情報の結節点としての役割は果たせそうもありませんが、微力ながら応援させてください。
それにしても昔のLPの音源が、著作権のために使えないというのはおかしな話ですね。このへんはレコード会社またはJASRACの問題なのでしょうか。私としては、新保牧代さんの未発表音源も気になりますが、「二十歳のエチュード」は歴史的名盤だと思うので、ぜひ復刻して欲しいと思っています。なんとかならないものでしょうか…

投稿: Like_an_Arrow | 2016年1月31日 (日) 13時23分

2012年9月26日に投稿させていただいたyuxです。
久しぶりにこのサイトにおじゃまして、ブランコレーベルさんやお嬢様のYO-KOさんの投稿を拝見しました。4年前の投稿後、物置にしまってあった昔のカセットテープを探したところ新保牧代さんのライブ音源を発見しました。1978年頃だと思いますが5/16「無垢の旅人 新保牧代フォークコンサートVol.10 浅草木馬亭」と「MUSIC WAVE Vol.2 日仏会館」との2本です。昔の小型モノラルレコーダで録音したもので音質はよくありませんが、未発表の「わが心のジプシー」「純白」が録音されています。音源として利用可能なのであればいつでもご協力させていただきます・・というか、もともとライブ録音は違法なので、協力などと言うのはおこがましいのですが。ブランコレーベルさんにもご連絡差し上げます。

投稿: yux | 2016年9月 7日 (水) 03時27分

yuxさん、コメントありがとうございます。

最近、安いレコードプレイヤーを手に入れて、新保牧代さんの「二十歳のエチュード」や3枚のシングル盤は聴けるようになったのですが、ライブでしか歌われなかった曲は聴く機会がありません。
「我が心のジプシー」、もう一度聴いてみたいなあ。せめてネット動画でも・・・という訳にはいかないかな。ブランコレーベルさんの方の企画がうまく進むといいですね。

投稿: Like_an_Arrow | 2016年9月 9日 (金) 00時00分

あらためてテープを聴いたところ、浅草木馬亭のほうは、会場が小さかったので、モノラルながら、なんとか使えそうなレベルでした。日仏会館のほうは会場も広く、周囲のノイズが入っていて、あまりよい音源ではありませんでしたので、木馬亭の音源を、専門サービスを利用してデジタル化しようと思います。ブランコレーベルさんにはまだ連絡していませんが、いずれにせよ動画サイトにUPしようと思います。

久しぶりに聴いて・・やはり素晴らしいと思いました。

投稿: yux | 2016年9月 9日 (金) 00時56分

もしも動画をUPされたら、ぜひお知らせください。
私も家のどこかに古いカセットテープが無いか、探してみるつもりです。

投稿: Like_an_Arrow | 2016年9月10日 (土) 08時03分

浅草木馬亭でのライブ音源「わが心のジプシー」をYoutubeにアップロードしました。
https://www.youtube.com/watch?v=1HO_zBv7qpQ

20代の頃、何回も聴いたこの曲ですが、40年近く経て、あらためて聴きますと、新保牧代さんの際立った才能を感じずにはいられません。また、先日ブランコレーベルさんともお会いする機会がありました。CD化には伴奏者の著作権の課題があるとのことですが、なんとかハードルを乗り越えて彼女の遺した素晴らしい楽曲を、CD化したいものです。

投稿: yux | 2016年9月23日 (金) 02時10分

yuxさん、ご連絡をどうもありがとうございます。

「わが心のジプシー」本当に久し振りに聴かせていただきました。名曲だし、名演と言ってもいいと思います。もう一生聴けないかと思っていた幻の名曲を聴くことができて、とても幸せです。どうもありがとうございました。

投稿: Like_an_Arrow | 2016年9月24日 (土) 00時24分

検索で偶然にこちらにたどり着きました。新保牧代さんがお亡くなりになっていると知り、ただただ驚いています。ご冥福をお祈りします。

私は彼女と同じ中学の同級でした。クラスが違いましたので、特に話をしたことはありませんでしたが、近所の船橋市東部公民館で開かれた小さなコンサートに出かけたところ、そこで歌っていた一人がなんと彼女でした。そして、強烈な歌声に圧倒されました。

私は、同じコンサートに出ていた友人のバンドの曲が好きだったので、確か彼らの了解を得て、最前列で傍らにソニーのステレオデッキを置いて、演奏を録音させてもらいました。その時に、たまたま彼女の演奏も同時に録音させてもらっていました。先日、テープ整理をしていたら、そのときのテープが出てきたので、それをデジタル化して現在PCに保存してあります。

まだ彼女がプロデビューする前のもので、もともと当日にそんな録音をしていたのは私だけだったようですので、おそらく、どなたも耳にされたことはないと思います。

単に自分の昔の思い出として残しておいたのですが、YO-KOさんの投稿を拝見して、彼女の10代の声が入っているこのデータは、是非お届すべきではないかと考え、投稿させていただきました。

個人のデッキで録音したものですので、音質はいいとは言えません。たぶん商用には堪えないと思いますが、YO-KOさんのお役に立てればと思います。また、「二十歳のエチュード」「寂光土」「空白」などがライブ録音されていますので、ご了解がいただければYou-Tubeに載せたいと思っています。

こちらのサイトに記載されています「ブランコレーベル」さんの方にご連絡させていただくことにいたします。 

投稿: ヤージ | 2016年10月30日 (日) 12時34分

ヤージさん、貴重な情報をありがとうございます。

まだ新保牧代さんがデビューする前の音源というのは貴重ですね。それにしても、彼女の歌がいまも多くの人の心に残っていて、こんなマイナーなブログのコメント欄でつながっていることに改めて驚いています。

機会があれば、ぜひ新保牧代さんの十代のころの歌声を聴いてみたい気がします。

投稿: Like_an_Arrow | 2016年10月31日 (月) 01時07分

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