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2008年12月28日 (日)

私も来年の政界を予測します

 百年に一度と言われる世界的な経済危機と、こちらもおそらく半世紀に一度と思われる国内の政治危機が同時にやって来ました。しかも今の混乱はまだまだ序の口で、来年はどんな社会の激震が待っているか分からない。本来ならば、こういう時こそ政治の世界に強力なリーダーが現れて、他国に先駆けた大胆な政策を次々に打ち出して欲しいところですが、リーダーシップ不在のなかで日本だけが無為無策のまま迷走している感じです。世界のパワーバランスが大きく変わろうとしているこの大事な時期に、この国が長い政治的空白から抜け出せずにいるということが、あとあと大きなツケとなって巡って来るのではないか。サブプライム問題に端を発した世界恐慌が何年後かに収まったとき、日本は経済的にも政治的にもその地位を著しく落としているのではないかと危惧します。

 内田樹さんが最近のブログ記事のなかで今後の麻生内閣の行く末を予測しています。予測というのは、当たれば自慢出来るし、外れれば自己教育のいい機会になるので、「できるだけばんばん」すべきものだと言っている。なるほどその通りだと思うので、今年最後のこの記事で私も来年の政治について予測しておこうと思います。(どうせ外れるだろうけど、その時には反省の弁を書くために一回分のネタが助かる訳だし。笑) 安倍、福田という二人の首相がそれぞれ一年で辞任したのは、彼らがマスコミのバッシングに対して精神的に耐えられなかったことが主原因だろうと私は考えています。いまの麻生内閣の帰趨もつまるところ「麻生さんの精神がどれだけ保つか」というところで決まるのではないか、これがまず私の予測の前提です。漢字が読めないだとか、モノの値段を知らないだとか、政治家の資質以前のところでミソが付いて、国民からは嫌われるレベルを通り越してバカにさえされている(一国の総理大臣が!)。それでもご本人はあまり精神的にこたえているふうでもありません。これは打たれ強いというよりも、単に鈍感なだけなんだろうと思います。新聞ではさんざん叩かれてるけれど、マンガしか読まない麻生さんは活字で何を書かれてもへっちゃらなんでしょう。

 内田さんは、麻生首相は近いうちにまた舌禍事件を起こして、自民党内部からも「麻生おろし」の声が高まって退陣せざるを得なくなると予測しています。私の予測は、麻生さんは意外にしぶとく総理の座に居座って、おそらく任期いっぱい(9月まで)首相を続けるのではないかということです。前にも書きましたが、麻生さんはたった一度の解散総選挙のチャンスを逸したのです。つまり首相就任と同時に解散に持ち込むという、ドラマチックで潔い展開を演出するチャンスもあったのに、政治的センスが無いのでそれを見逃したということです。今となってはもう麻生さん自身にも解散の決定権は無い、周りがそれを許さないからです。来るべき政界再編の見取り図も出来ていない段階で、解散総選挙となることは自民党の誰も望んでいない筈です(渡辺喜美さんの造反は単なる自己PRに過ぎないと見ます)。もしも麻生さんがノイローゼになって辞めたいと言い出しても、辞任さえさせてもらえません。たとえ入院したって与謝野さんあたりが代理に立って政権を継続して行くだけでしょう。こうしてほとんど機能しなくなった政治体制のまま、国民不在のなかで水面下での派閥の駆け引きだけが活発化する。むろん一番迷惑をこうむるのは、ますます悪化する経済状況のもとで生活苦にあえぐ我々国民です。

 そうこうするうちに、民主党のなかでも変化が起こります。民主党だって小沢党首のもとで一枚岩に結束している訳ではありませんから、自民党の造反組と組んで新党結成の画策を始める人たちも出て来る。但し、それはすぐに表立った動きとしては現れて来ません。彼らは待つのです、自民党と民主党という二つの看板が社会不安という強風にあおられて地に堕ちるのを。もしかしたら小沢さんの健康問題ということも、彼らが予測し期待するファクターに入っているかも知れません。五月になれば評判の悪い裁判員制度が始まります。この頃に国民の政治不信もピークに達するでしょう。麻生さんと小沢さんはすでに入院しているかも知れない。六月になれば衆院選を三ヶ月後に控え、いっせいに新党の旗揚げがマスコミを賑わします。私は政治通ではないので、その布陣がどのようなものになるのか全く予想が出来ません。ただ言えることは、そこで登場して来る新党がどういうものであっても、掲げる公約はみな似たり寄ったりで、はっきりした政策上の対立軸など何も持っていないだろうということです。このご時世で一層の経済自由化や規制緩和などを主張する政治家などいる訳がありません、どこもみな保護主義的で国内回帰的な閉じた政策を掲げるばかりになります。裁判員制度の実施凍結ということをアピールする政党も出て来る筈です。

 選挙も経ない、国民不在のなかでの水面下における政界再編、これが私の来年の予測です。とにかく私たちにとって不幸なことは、十年後、二十年後、半世紀後のこの国の向かうべき方向について、政治家の誰も明確なビジョンを持たず、国民に明るい未来を示せる人がいないということです。未来に希望を持てない国が、経済的にも文化的にも衰退して行くことは理の当然です。いまアメリカは、ほとんど十年間は立ち直れまいと思われるほどの経済破綻のなかにいますが、アメリカ国民は一筋の希望の光に向かって心を結束させています。私はバラク・オバマという人がどれだけのことをやってのけるか、予測も出来ませんし懐疑的な部分もあります。それでも彼がすでに大統領就任前に重要な役割を果たしていることは認めざるを得ません。最新の調査では米国民の86パーセントがオバマ氏を支持しているそうです。どんな経済政策にも増して、このことはこれからのアメリカの再生に向けて最重要なファクターである筈です。日本の政治に欠けているものもそれです。これは予測ではなく私の希望ですが、これからの政界再編のなかで、国民の心をつかんでぐいぐい引っ張って行けるリーダーが現れることを望みます。新しい小泉純一郎を望むのではない、もっとクールでクレバーな新しいタイプの政治的リーダーを望むのです。

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2008年12月23日 (火)

私の聴いて来た音楽(ポピュラー邦楽編)

 すでに中島みゆきさんと山崎ハコさんについては一章を割きましたので、今回は彼女たち以外の国内のアーティストについて書きます。若い頃から実生活では恋愛経験といったものがほとんど無かった自分ですが(そんなに特別なことでもないでしょう?)、いつも心の中には恋する女性がいました。しかも結構浮気者で、同時進行で何人かの女性に心を惹かれていたことも珍しくありませんでした。いつも彼女たちは「歌うたい」の姿に化身して、私の目の前に現れて来たものです。まあ、そんな作文をしてみたくなるほど、好きな女性シンガーが多かったのですね。もしも彼女たちの歌が無かったら、自分の青春はどんなに味気ないものだったことか。彼女たちの多くはもう音楽活動から離れてしまい、その近況も分からない人たちです。新譜を聴くことも出来なければ、昔の音源を手に入れることだって容易ではない。しかし、歴史に埋もれさせてしまうにはあまりに惜しい、まさに不朽の名作と呼ぶにふさわしい作品がたくさんあるのです。CDによる復刻は難しいとしても、せめてオリジナル・アルバムの構成のままデジタル化して、ダウンロード出来るようにならないものでしょうか。私自身は決して鋭敏な耳を持った音楽批評家ではありませんが、こうしたアーティストを音楽史のなかから掬い上げられない現代の批評精神とは一体何なのだろうと不審になることがあります。

1.稲葉喜美子

 ウィキペディアの見出しにもなっているので、いまでも根強いファンのいる人なのだと思います。1982年に発表されたデビューアルバム『願ひごと~公園にて』を初めて聴いた時の、新鮮な感動は今も忘れることが出来ません。子供の頃からラジオのFENでアメリカ音楽に親しみ、ジャニス・ジョプリンに憧れて育ったという稲葉喜美子さんは、酒と煙草が大好きで、大病を患ったこともあると言いますから、ジャニスのように破滅型の生き方を指向していた部分があったのかも知れません。ひりひりするくらい傷つきやすい心を持って、それを歌の世界に写し取ることに成功したという点では、おそらく彼女の右に出るシンガーはいないのではないかと感じます。同じ失恋をテーマにした歌でも、彼女の歌には中島みゆきさんの歌よりももっとずっと生々しい当事者感覚があって、恋愛経験の少ない自分でさえ心を締めつけられるような気持ちを追体験させられたものでした。時代が移り、恋愛をめぐる風景は変わっても、こういう感受性はいまの若い人にも通じるものではないでしょうか。レコード・プレイヤーを持っていないので、いま彼女の歌を聴きなおすことが出来ないのですが、自分の記憶の中から好きな曲を選ぶなら、『雨の音で目がさめた』と『夜汽車』という2曲が特に印象に残っています。

2.大友裕子

 和製ジャニスと呼ぶなら、大友裕子さんの方がさらに一枚上手かも知れません。もしも今のJポップの世界に、突如彼女のようなシンガーが現れたら、どれほどの事件になることだろうと想像してみます。その存在感のあるハスキーな歌声は、最近のポップスとは異質な世界に属するものだと感じます。いや、彼女がポプコンに優勝してデビューした1978年当時だって、私たちはたいへんな衝撃を受けたのです。宮城出身の東北弁まるだしの女の子の歌が、東京という都会の真ん中で炸裂したという感じ。デビュー曲となった『傷心』をはじめ、彼女の歌も恐ろしいような男と女の関係をテーマにしていて、この人は若いのにどんな過去を持っているんだろうといぶかしく思ったことを覚えています。だから偶然ラジオで聴いた彼女のライブのトークで、「こう見えても私って処女なんだよね」と話しているのを聞いた時は、驚きと同時に一種の親近感を感じたものです(こう見えても当時自分も童貞だったから。笑)。ウィキペディア情報によれば、数年間の音楽活動のあと、結婚されて引退したのだとか。幸せになってくれているといいなあ。いい曲がたくさんあるなかでも、自分が好きだったのは『独枕(ひとりまくら)』という曲。代表曲という意味では『傷心』ともう1曲、『死顔』という曲も恐ろしいほどの傑作です。

3.佐々木好(ささきこのみ)

 稲葉喜美子さんが1957年生まれ、大友裕子さんと佐々木好さんは1959年生まれ。へえ、みんな自分と同年代の人たちだったんだ。私たちの世代は、後世にろくな作品を残せなかった〈不作〉の世代だったと思うのですが、彼女たちだけは別です。北海道小樽出身の佐々木好さんがデビューしたのは1982年、私が彼女の歌を知ったのは翌年に発表されて小さなヒットになった『ストレート』という曲ででした。彼女のアルバムは全部レコードで持っていたし、CDで再版されたものも出来るだけ集めていました。冷たい北国の空気のように透明で、冬の到来を告げる雪虫のようにはかなげな彼女の歌声は、さりげない日常の風景の向こうにある別世界から響いて来るもののように感じられ、一種畏敬の念を感じながら聴いたものです。似たような作風の人なんて誰もいない、実に得がたいアーティストだったと思います。5枚あるアルバムの中では、2枚目の『にんじん』が代表作、名作『ストレート』はそこからのシングルカットです。佳曲揃いのなかでも私は特に『You』という曲が好きだったなあ。後期のアルバムのなかには、『縄文』だとか『雨雪風』といった何か歴史の魂にふれるような不思議な曲が散りばめられていて、これにも心を奪われました。

4.新保牧代(にいほまきよ)

 インターネットで検索しても、新保牧代さんの情報はほとんど得られません。かろうじて分かったのは、彼女のデビューが1978年だったこと、そして彼女の生まれが1958年だったことくらいです(おおっ!)。1枚のアルバムと、2枚のオリジナルのシングル盤だけが遺産でした。CDになったこともないし、再版を求めるファンサイトがある訳でもない。でも、新保牧代さんの『二十歳のエチュード』というアルバムは、私にとっては一生のたからものなのです。『ジルバ』という曲が小さなヒットになったことがありますから、覚えている方もいるのではないかと思います。古風な、と言ってもいいくらい端正な叙情性と、青春の暗さを振りはらうサバサバした明るさを合わせ持った人だったと思います。とても曲作りのうまい人なので、もっと活躍してもらいたかった気がするのですが…。アルバムのすべての曲が素晴らしいなかでも、特に私は『ひとりしずか』や『由比ヶ浜』といった曲が好きでした。レコードにはなっていないのですが、ライブ録音で聴いた『わが心のジプシー』という曲は、自分にとってまぼろしの名曲です。もうカセットテープも無くしてしまった。「♪電車に揺られて車の流れや、人の流れを見てると血が騒ぐ。どうしようもなく遠いところに行っちまいたくなるんだ。」そんな詞を持った歌だったと記憶します。そのメロディーを口ずさむと、私のなかでも血が騒ぐものがあるのです。

5.石黒ケイ

 山崎ハコさんと同じ事務所で、最初はアイドルのような扱いをされた人でしたが、シンガー・ソングライターとしての実力も相当なものだったと思います。彼女も1958年生まれですね。初期のアルバムにはハコさんが書いた曲が含まれている一方で、石黒ケイさんの方もハコさんに曲を提供したりしています。「幻想旅行」に収められていた『サンクチュアリーへ』なんて、実にカッコいい名曲だったよなあ。彼女にとって2枚目になるアルバム『女は女』(1978年)で自分の世界を確立して、4枚目の『アドリブ』(1980年)で作家としての頂点に達したというのが私の評価です。『女は女』は曲の順序を並び換えると、男と女の出会いから別れまでがひとつのストーリーとなって現れて来て、私は自分でそういうオリジナル・テープを作って聴いていました。『アドリブ』の方はアート・ペッパーやトゥーツ・シールマンスと共演した豪華なアルバムでしたね。好きな曲を挙げるなら、シングル盤にもなった『ひとり暮らし』と『サフランのように』を。インターネットで検索したら、彼女のオフィシャル・サイトが出来ていて、最近音楽活動を再開されたのだそうです。もしも機会があれば、いまの彼女のライブを聴いてみたい気がします。

6.小川美潮(おがわみしお)

 私が大学生のころ、チャクラという不思議なグループが人気を博したことがありました。とにかくボーカルが印象的で、一度聴くと耳について離れないほど個性的なのです。(『福の種』という曲が頭から離れずに困った経験があります。笑) そのリード・ボーカルが小川美潮さんだったのですね。その後ソロシンガーになって、何枚かの素晴らしいアルバムをリリースされています。彼女の場合は、ソングライターとしてよりもやはりシンガーとしての個性が際立っていたと思います。(いや、もちろん自作曲にも傑作が多いんですよ。) もしも最高傑作を1枚挙げるなら、『4to3』というアルバムを。詞の多くを工藤順子さんが書かれていて、それが素晴らしい楽曲とあいまって、美潮ワールドの魅力全開という感じ。「輪廻転生」がその隠されたテーマだったと私は解釈しています。愛の輪廻をテーマにした1曲目の『デンキ』から、死と再生の物語をつづった終曲の『窓』までをしみじみ聴かせたあと、人を食った大傑作『おかしな午後』でどんでん返しを演じてみせる、まったく心憎いアルバムだと思います。小川美潮さんと言えば、遊佐未森さん、甲田益也子さんとユニットを組んだ、細野晴臣氏プロデュースの『Love,Peace And Trance』というアルバムも素晴らしかったですね。

7.おおたか静流(おおたかしずる)

 今回取り上げたアーティストの中で、一番ポピュラーで安定した活動をしているのが彼女だと思います。おおたか静流の名前を聞いたことがない人でも、彼女の歌声を聴いたことのない人は少ない筈です。なにしろCMソングを数百曲も歌っている歌の職人といったような人ですから。自らボイス・パフォーマーと自称するほど、表現力豊かな七色の声を持った歌い手で、ソングライターとしても実力があるし、また人の曲をカバーする時の選曲も素晴らしい。傑作アルバムが多くて迷うのですが、この1枚を選ぶとするなら1997年発表の『Lovetune』というアルバムを。佳曲揃いのなかでも、あまり知られていない『Joy』という曲を、私はおおたか静流さんの最高傑作に挙げたい気がします。聴きようによってはとてもエロティックな、性と死のたゆたいといったものを感じさせる不思議な曲です。さらに好きな曲を挙げるなら、『Return』(1992年)というアルバムの『冬の花火』や『風の中に』も良かったなあ。昔の歌謡曲をカバーしている『リピート・パフォーマンス』というシリーズの中では、1969年のヒット曲だった『みんな夢のなか』が必聴の1曲です。

8.宝達奈巳(ほうたつなみ)

 宝達奈巳さんも実力あるクリエーターなのに、世間的には相応の評価をされていない人だと思います。1994年に『へび』という曲が話題になって、確かにそれは宝達ワールドの広告という意味では重要な曲だったのかも知れませんが(私もこの曲で彼女を知りました)、彼女の真髄を誤って伝えるものだったようにも思います。私はこの曲の入った『HOTATSU-NAMI』というアルバムを買って、いっぺんでファンになってしまった。インディーズ・レーベルから出ていたデビューアルバムの『たからたち』も手に入れたし、彼女がたぶん自ら転機を求めた『Stranger Than Movie』というミニアルバムも結構聴き込みました。そしてその後、たぶんJポップの評論家にだってほとんど知られていない大傑作『天の庭』がリリースされるのです。1999年のことです。私はこのアルバムを、日本のポピュラー史の十指に入る傑作だと信じています(まあ、ここに書いているアーティスト以外ほとんど聴かない人間の言うことですから、信憑性はありませんが。笑)。曲の良さとライブ感覚あふれるスリリングな演奏があいまって、奇跡のような傑作集になっている。ウソだと思うなら聴いてみてください。いまでも彼女のホームページで申し込めば、彼女自身が郵送してくれる筈です。『夕暮れ道をいく』だとか『Something Remained』だとか、ほんとは誰にも教えたくない私自身の〈たからたち〉です。

9.鴉鷺(あろ)

 白鳥英美子さんと言えば、30年前のトワ・エ・モアの時代から今日に至るまで、日本の音楽シーンを代表する女性シンガーのひとりと呼べる人でした。しかし、トワ・エ・モアとソロシンガー白鳥英美子のあいだに、「鴉鷺」というグループでの活動があったことはあまり知られていないのではないかと思います。素晴らしい3枚のアルバムを残したにも関わらず、いまではほとんど忘れられた存在と言ってもいい。1988年に発表された『鴉鷺』というファースト・アルバムを聴いて、ふつうにファンになってしまいました。たぶん非常に人気を博したグループだったとしたら、レコードを買うほどの動機も持てなかったかも知れません。アルバムのなかでは『萩』という曲が出色で、この1曲だけでも鴉鷺の名前は日本のポピュラー音楽史に残る資格があると思います。日本的な叙情がこのような完成度の高いポピュラー音楽となって結実した時代があったのですね。インターネットで調べると、鴉鷺のベスト盤のCDが発売されたことがあったようですが、その中にも『萩』は収録されていなかったようです。マスターテープは無事に保管されているのでしょうか?

10.五堂新太郎(ごどうしんたろう)

 ここまで9人の女性シンガーを紹介して来ましたが、最後はひとりの男性シンガー・ソングライターで締めくくりましょう。決してプロの歌手ではなく、放浪の人生のなかでただ一度だけ偶然の出会いがあって、その結果として1枚のレコードが我々の手元に残った、そんな解説をしたくなる稀有なアーティストです。「たむたむたいむ」という番組のDJだったかぜ耕士さんが、(確か)パチンコ屋で偶然隣り合わせたことが五堂新太郎さんがレコード・デビューをするきっかけだったと記憶します。1977年のことです。どんな経歴の人かも分かりません(一時期、小椋佳さんのバック・ミュージシャンをしていたという話を聞いた覚えがあります)。もしも歌詞の内容が自伝的なものであるなら、こんなプロフィールを想像します。奥さんには死に別れ、ひとり娘はもう嫁いで、わびしいひとり暮らしを続けている中年男。その彼の目に映るよしなしごとを実に叙情的に切々と歌っているのが『FADE IN』というそのアルバムです。かぜ耕士さんの作詞による曲も何曲か入っていた筈です。代表曲はシングル・カットされた『雪景色』ですが、その他にも『飛んでった日曜日』だとか『吊り橋』だとか、実に印象的な曲がたくさん入っていました。もちろんCDになったことなどありませんし、その1枚のレコードを残してご本人は沓としてゆくえをくらましてしまった。あれから30年が過ぎ、私もあのころの五堂さんと同じような歳になりました。いまもどこかで旅を続けていらっしゃるのでしょうか、それだけが気がかりです。

(追記です。今回取り上げたアーティストのことをインターネットで調べていて、気付いたことがありました。YouTubeのような動画サイトに昔の懐かしい曲が多くアップされているということです。しばし原稿を書く手を止めて、聴き惚れてしまいました。さすがにここに取り上げたような人たちは、ライブの録画が残っている訳ではありませんが、名曲のいくつかを聴くことなら出来ます。おすすめの曲にリンクを張っておきますので、もしも今回の記事で興味を持った方がいらっしゃいましたらクリックしてみてください。

稲葉喜美子 『夜汽車』
大友裕子 『傷心』
佐々木好 『ストレート』
小川美潮 『おかしな午後』
チャクラ 『福の種』
おおたか静流 『水の恋唄』
山崎ハコ 『やさしい歌』

 最後の山崎ハコさんのライブは、安田裕美さんとのご夫婦での共演ですね。昔からハコさんはギターが下手で、私たちファンはハラハラしながらライブを聴いていたものですが、さすがギタリストの安田さんとの息の合った演奏は安心して聴いていられます。それに歌っている彼女の表情の明るいこと。これはいいものを見せてもらった。眼福、眼福。)

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2008年12月14日 (日)

田母神論文を読んで考えること

 少し旬を過ぎてしまった話題ですが、航空自衛隊のトップの地位にいた人が書いた論文が世間を騒がせた、この問題を取り上げようと思います。インターネットに当の論文が掲載されていたので、私もダウンロードして読んでみました。別段そんなにひどい内容の文章だとも思いませんでした。ここに書かれているようなことは、すでにどこかで読んだ覚えがあるような気がしますし、懸賞論文の一等賞にふさわしいかどうかは別にして、文章だって特に悪文という訳でもない。問題は、こうした歴史認識を自衛隊の現役トップがあえて確信犯的に発表したということ、さらには彼の部下である現役自衛官の九十数人が、同じような論旨の論文を書いて応募していたということにあるようです。もしも世間に向けてのアピールが目的だったとすれば、この作戦は大成功だったと思います。何故なら、もしも田母神さんが引退後に自分のブログにこの論文を発表したとしても、そんなものに世間の注目は集まる筈がなかったからです。

 田母神論文の論旨はまったく単純明快で、太平洋戦争は日本の侵略戦争などではなかった、そういう評価は勝った連合国側と中国共産党によって事後的に作られたもので、もしも日本があの戦争を戦わなければ、多くのアジアやアフリカの国々が白人国家の支配から解放されることもなかっただろう、そういう歴史解釈です。こういう主張に有効に反論するのが難しいのは、この考え方が幾分かは正しいからだと思います。日本の戦争は大義名分の立つ解放戦争でもなければ、かと言って一方的な侵略戦争でもなかった。その両面を合わせ持つものだったのだろうと、私は単純に考えています。しかし、今日日本国内でこの問題が論じられる時には、絶対に相手に譲歩しない白か黒かの議論になってしまうのがふつうです。右寄りの人も、左寄りの人も、そういった議論にはもういい加減うんざりしている訳です。だからこうした素朴な主張に対して、真っ正面から議論を受け止める人もほとんどいない。おおむねリベラルな立場に立つ日本のマスコミが、今回の〈事件〉に対して採用した論点は、田母神氏の論文発表は、「文民統制」という点から見て大変な問題があるのではないかということでした。

 私がインターネットで検索した限りでは、この点について最も説得力を持って論を展開しているのは、伊東乾さんという気鋭の論客の方ではないかと思います。伊東さんの文章は、ユニークな視点と説得力のある論理で教えられることが多いのですが、むしろその「論の正しさ」ゆえに、反撥を感じさせられることがあります。もしも田母神さん自身がこの評論を読んだとしても、議論をしたい気持ちにさえならないでしょう。例えばこういう文章があります、「官費で供される武力に預かる、責任ある立場の者が、自らの行動を何によって規制されるのか? 法治により憲法が国権をコントロールするのが普通の一等国であり、軍事力を背景に政府方針と違う「意見」を空砲のように乱発するのは、国のグレードを二等以下に落しかねない不用意な行動です。」 けれども、田母神さんのようなメンタリティの人にとっては、そもそも現行の日本国憲法というもの自体が、戦勝国によって押し付けられた我慢のならないものな訳でしょう? 政府方針とは言うけれど、先の戦争において日本を一方的な侵略国家とする見解には、国民ばかりでなく国会議員の先生方の中にだって異論が多い訳じゃないですか。(そもそも田母神さんが自衛隊に入隊した頃には、まだ村山談話だって出されていなかった訳だし。) こういう現実を見ないふりをして、「文民統制に乱れ」なんて正論で攻めるのは、頭のいい人のスマートな議論の仕方ではあっても、建設的な議論を目指したものではないと感じます。

 『日本は侵略国家であったのか』と題されたくだんの論文を読んで感じるのは、いかに日本の自衛隊というものが、一国の軍隊としての大義を主張しにくいつらい立場の軍隊であるかということです。そりゃそうですよね、有事の時の交戦権も持たなければ、国民からの尊敬も得られていない、その存在自体が憲法違反かも知れないなどと言われて来た軍隊なんだから。(いや、そもそも「軍隊」ですらないんだっけ?) そんななかで、田母神氏のような美化された過去に大義を求めようとする心理が生まれて来るのは、まったく当然のことではないかという気がします。…なんて冷静ぶって批評するのは良くないね、私が田母神さんに言いたかったのはこういうことです、よしんば日本が過去に行なった戦争に「良い点」があったとしても、それは二十一世紀の私たちにとってみれば、未来に何も約束しない類の「良さ」でしかないのではないかということです。自衛隊が田母神幕僚長を中心に決起し、ふがいない文民政党を打倒して軍事政権を打ち立てたとして、その後あなたたちは何に対して挑もうとするのであるか。今日でも白人国家中心の帝国主義は世界中で覇を競っていると思いますが、それは主に金融資本主義による支配であって、軍事力によって解放出来るようなものではない。あるいは武力で他国に侵攻する帝国主義国家を打倒するなら、日本はもう一度アメリカに宣戦布告をしなければならないことになる。

 私は日米軍事同盟は解消して、自衛隊も規模を大幅に縮小して専守防衛に徹するべしという立場の人間ですが、それにしても今の自衛隊は気の毒で仕方がありません。世界有数の軍備を持ちながら、戦うべき敵もいなければ遂行すべきミッションも持たない、宙ぶらりんな巨大組織。これはまったくの私見ですが、この組織に存在意義を与える方法はたったひとつしか無いと思います。すなわち、自衛隊の主務を国防から国際人道支援にシフトすること、これです。それもインドネシアの津波や四川地震のような災害救助だけでなく、戦闘地域にも果敢に乗り込んで行って、そこで虐げられている人民を救出する任務を他国の軍隊に先駆けて行なう、そういったミッションを持った軍隊という意味です。(災害救助だけなら軍が出動する必要もない訳だから。) イラクに派遣された時、自衛隊は最も治安のよい地域を選んで、しかもオランダやオーストラリアの軍隊に守られて人道支援活動に当たりました。これは一国の軍隊として耐えがたい屈辱ではないか。仮にも軍隊である以上、その活動が危険と隣り合わせであることは当然のことです。むろん自衛官の中からは殉職者も出ることでしょう。しかし、それは日本国内だけではなく、世界中の人々からも真に尊敬される軍隊として覚悟しなければならないリスクとも言えます。これはこの平和な国、平和な時代の軍人にとって、望み得る最高の栄誉とは言えないでしょうか?

 日本が過去に行なった戦争に対して、認めるべき点は認め、反省すべき点は反省する、そのために欠けているのは歴史に対する充分な認識でもなければ議論でもないと思います。そんなことはすでにさんざんやって来た筈です。むしろ今の日本に欠けているのは、国際社会の中で自国が果たして行く使命についてのはっきりした自覚であり、それを遂行することで得られる他国からの尊敬のまなざしです。それがあって初めて、過去の歴史に対しても正面から向き合えるようになるのだと思う。四川地震では、自衛隊は瓦礫の下敷きになった人々を救出することは出来ませんでしたが、犠牲になった人たちの遺体を前にして、自然な気持ちとして黙祷を捧げたのだそうです。それが現地ではとても好ましいこととして受け止められたという話を聞きました。想像してみてください、もしも我が自衛隊が、国際人道支援部隊としての確固たる地位とブランドを確立することに成功したら、それは日本という国のステータスをどれだけ高めることに貢献するか。その時が来れば、もうくだらない歴史解釈に淫する必要も無くなるのです。

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2008年12月 7日 (日)

裁判員候補に選ばれたあなたに

 今回もまた裁判員制度に反対する意見を書きます。この問題については、すでに私は書き過ぎるくらい書いて来ました。この上さらに何を書くことがあるのかと自問するところもあるのですが、インターネットで検索すれば、私と同じように多くのブロガーの方たちがこの制度への疑問や反対意見を書かれている。いまの日本では、大きな反政府デモだとか政治闘争のようなものがある訳ではありません。それでも国民はただおとなしく従順に為政者の命ずるところに従っている訳ではない。もしもインターネット世論というものに社会を変えて行く力があるものなら、自分も微力ながらその一翼を担いたいという気持ちがこの記事を書かせるのです。

 国民の中から30万人の裁判員候補者が選ばれたことで、とりあえず裁判員制度の問題は国民すべての問題ではなくなりました。と言うのも、この30万人というのは、来年1年間に需要が見込まれる裁判員の総数をカバーする目的で決められた数字で、今回の選から漏れた私たちは、少なくとも向こう1年間は裁判員になるという義務を免れたことになるからです(もしかしたら一部に追加の選出があるかも知れませんが)。1年間制度を試してみて、国民の不満があまりに大きければ、すぐに廃止ということも充分あり得ると思います。だとすれば、今回選ばれた30万人の人たちがこの制度とどう向き合って行くかが、裁判員制度の存廃を決めると言ってもいい訳です。もしも自分のところに通知書が来たら、私はこのブログで裁判員拒否の闘争記を(もちろん匿名で)書くつもりだった。残念ながらそのチャンスは巡って来ませんでした。で、せめて私は選ばれた30万人の人たちに向けて檄を飛ばしたいと思うのです。

 あなたが最高裁からの通知書を受け取ってから1週間が経ちましたね。おそらく最初の動揺が収まって、あなたの心のなかには裁判員になることへの自覚や決意が生まれているのかも知れません。ただ水を差すようで悪いのですが、あなたが裁判員になるまでには、まだまだ高いハードルが待ち受けていることを覚えておかなければなりません。と言うのも、あなたが裁判員として法廷に立つまでには、あなたが住んでいる地域の地方裁判所で裁判官の面接を受け、そこで合格しなければならないからです。なんでもひとつの事件に対して50人くらいの候補が選ばれ、そこから選考が行なわれるらしい。裁判員になるのはその中の6人ですから、単純に計算しても8倍以上の倍率です。これってずいぶん国民をバカにした話じゃありませんか? 辞退する人を計算に入れたとしても、裁判員に相応しい人間は国民のうちの二割くらいだろうという前提で制度設計がされている訳ですから。

 裁判員制度に反対する人は、裁判員が殺人事件の現場写真や凶器などを見せられて、心に傷を負う可能性があるということを主張します。が、私はそれ以前に、面接を受けて落とされた人がこうむる心の傷を心配します。考えてみてください、もしもこれが戦時中の徴兵制度であったなら、身体が弱いとか病気があるということで不合格になっても、それはその人の人間性が問われた訳ではありません。ところが、裁判員制度ではそうはいかない。やる気まんまんで裁判所に出掛けたのに、面接で振り落とされるってどういうことよ。自分には何か道徳的な欠陥があると見られたのでしょうか? それとも思想信条に著しい偏りがあるとでも? まさか知的な判断能力に問題ありと言うんじゃないだろうね? いずれにしても、そこでは何かしら人格に関わる評価が下されたことは間違いありません。私たちが今という時代を割りと気に入っているのは、経済格差や能力格差といったもので人が差別されることはあっても、まさか「人格格差」なんてもので人が差別されることは少なくとも公式にはほとんど無い、その程度の節度が今の時代にはあるからだと思います。小泉政権は格差社会を助長したと言われます。思い出してみれば、裁判員制度って小泉さんの時に法律が出来た制度でしたよね。おそるべし、構造改革。改革は深刻な格差社会を生み、格差社会はついに「人格格差」にまで行き着くか。

 裁判員制度に関する質問を受け付けるコールセンターには、連日電話がじゃんじゃんかかっているのだそうです。質問の大半は裁判員辞退に関することです。裁判員法では、思想信条による裁判員辞退を認めていません。「私はどうしても他人を裁きたくない」、そういった理由で候補者が辞退することを認めていないのです。でも、これって変じゃありませんか? 私は裁判所からの呼び出しを現代の赤紙のように感じているので、ついついこういう連想をしてしまいます。召集令状によって戦場に送り出される若者は、平和主義者だろうが臆病者だろうが銃を取って戦わざるを得ない。殺さなければ殺される、そういう状況に投げ込まれれば、誰でも闘争本能剥き出しの勇猛な兵士になるのです。これが戦争というものの基本的なメカニズムです。一方、裁判員になりたくないという者を無理矢理法廷に引っ張り出して、「さあ、裁け!」と言って尻を叩いたって、彼らに裁判員としての自覚など生まれる筈がない。いくら法律で「思想信条による辞退を認めない」と規程したって、そんなものは実行不可能な空文に過ぎません。現代の赤紙は、昔の赤紙と同じように非人道的であるばかりでなく、最初から制度としても破綻しているのです。

 この結果、もしも来年の5月21日に裁判員制度が始まるようなことになれば、裁判員のための6つの席には相当はっきりした傾向性を持った人たちが居並ぶことになると思います。今週の新聞の読者投書欄に、今回の通知書を受け取った81歳の男性からの投書が載っていました。タイトルは、『裁判員の通知、胸が躍る思い』というものです。その一節はこんな文章です、「81歳だが、断るつもりはない。悪いことをすれば罰を受けるのは当たり前だ。私なりの正義感で善悪を判断したい」。私はこの方の立派な人柄を疑うつもりはありません。ただ、もしも自分が裁判員になったとしても、このおじいさんとはあまり議論をしたくないというだけです。さらに自分が被告だったとしたら、この老人には絶対に裁かれたくないというだけだ。裁判員制度に疑問を感じている人は総じて辞退する方向で動き、裁判員になることに「胸躍る」人たちばかりが裁判員として残る。結果として日本の刑事裁判は今よりいっそう厳罰化が進むだろうと私は予測しています。むしろ突然こんな制度が作られた背景には、日本の厳罰主義が国際的な非難を浴びているなかで、その責任を国民に転嫁した上でさらに厳罰化を推し進めようとする政治的な意図があるのではないかと私は推測している。私はあなたにその片棒を担いで欲しくないのです。

 裁判員候補に選ばれた人のなかには、何故自分が人を裁かなければならないのか、そのことに疑問を感じて悩んでいる人も多いだろうと思います。この悩みこそ真っ当です。本来、人を裁くことに道徳的な悩みは必要無いのです。そのために法律というものがあり、私たちは法治国家に住んでおり、この国には専門の司法官がいるのだから。「私なりの正義感で善悪を判断したい」などと言う「モンスター裁判員」に、この国の司法を乗っ取らせてはいけない。いま私たちがなすべきことは、はっきりした自覚を持ってこの制度にノーを突きつけ、「良心的出頭拒否」を貫くことだけだと信じます。

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