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2008年11月30日 (日)

裁判員制度で日本はこう変わる

 この週末、最高裁は裁判員候補に選ばれた全国の約30万人の国民に通知書を発送したのだそうです。このブログで3年前に裁判員制度を批判する記事を書いた時には、まさかこんな愚劣極まりない制度がほんとうに実現する日が来るなんて、夢にも思いませんでした。裁判員制度というものが、あらゆる点でいかに問題を抱えた制度であるか、私はこれまでに何度も繰り返し書いて来ました。(おそらくいくつかの指摘において、世の中の専門家や有識者と言われる人たちよりも先行していたという自負もあります。) 私自身はたとえ自分が選ばれたとしても、断固として裁判員としての出廷を拒否する決心を固めている、そのこともすでに書きました。もちろんそれは個人の信条に関わることですから、正しいとか正しくないといった問題ではありません。自分は裁判員制度に賛成である、選ばれれば喜んで参加する、そういう人がいるのも当然だと思います。ただ、私はこの制度が日本をどのように誤った方向に導いて行くものであるか、そのことに深い憂慮を持っており、多くの人がこの点について楽観的でいられる理由が分からずにいるのです。果たしてこれは杞憂であるか? 裁判員制度によって日本はどう変わってしまうか、私の思い描く悪夢のシナリオとは以下のようなものです。

1.裁判員制度で、この国は「魔女狩り国家」になる

 日本は国連や欧州連合などから死刑廃止あるいは死刑執行停止の強い勧告を受けています。いまや世界的な趨勢を見ても、死刑存置国は少数派であるにもかかわらず、日本人の大多数は死刑制度に賛成しており、ここ十年くらいのあいだに死刑廃止が実現する可能性はほとんどゼロではないかと思われます。裁判員制度が始まれば、死刑の判決が増えるものか減るものか、人によって予測はまちまちであるようです。私は端的に死刑判決は増えるだろうと予測します。当初は裁判員のあいだに躊躇するものがあったとしても、いくつかの判決例が出てレールが敷かれてしまえば、厳罰化の流れは止めることの出来ない勢いとなって進むことでしょう。今日でも国民の声を背景に、死刑の適用範囲は拡大する傾向にあるのです。それでも保守的で慎重な裁判官の判断によって、厳罰化の流れには一定の歯止めがかけられているのだろうと思います。裁判員制度が始まれば、もはやそんな抑制も効かなくなるでしょう。死刑賛成派の人々でさえ不安になるくらい、死刑宣告が急激に増えることもあり得るのではないかと思います。

 陪審員制度の長い歴史を持つ欧米諸国では、国家の権力と対峙するかたちで市民の司法参加というものが進化して来ました。国家は法律をいかようにでも解釈して、市民を拘束し処罰することが出来ます。陪審制はこれに対する盾の役割を果たして来たのです。一方過去に国民が自分たちの同胞を裁くという経験を一切持たなかった我が国では、大岡越前守の昔から「お上」による裁きをそのまま受け入れるメンタリティーを持ち続けて来ました。今日でも凶悪犯罪が起これば、国民の気持ちはほとんど一方的に検察側に寄り添うのです。そしてそういった凶悪な犯罪者を弁護する弁護士を憎悪しさえするのです。こういう国民性を持った国で、いきなり裁判員制度のようなものが実施されることの危険性は、冷静に考えれば誰でも分かるものだと思います。国民の司法参加によって裁判が民主化されるなんてとんでもない、言葉は悪いですが、日本は世界的な常識から見てあり得ないような「魔女狩り国家」に変質してしまうのではないかと私は危惧します。

2.裁判員制度で、理由なき無差別殺人事件が増える

 統計的に見て、昔に比べて犯罪や殺人の件数が増えている訳では決してないのですが、残虐な無差別殺人事件のようなものは今日確かに増えているのかも知れません。その理由の第一に挙げられるものは、現代の社会が抱えている経済格差や雇用の不安定さということが、多くの人を絶望に陥れているということにあると思います。それにプラスして私が考える二番目の理由は、やはり死刑制度というものにあります。劇場型などとも言われる無差別殺人の背景には、犯人の社会に対する強烈な憎悪があります。彼らは世間の注目を浴びたいがために、いや、もっと言えば世間の憎悪を一身に浴びたいがために凶行に走るのです。こういう犯罪者に対しては、死刑はなんら抑止効果を持ちません。それどころか彼らの負のヒロイズムを助長することに一役買っていると言った方がいいかも知れない。衆人監視のなかで大量殺戮を行なう人間は、自分が死刑になることまでを計算に入れて倒錯したヒロイズムに酔っているのです。実際にそれによって彼らは時代の殉教者としての位置に祭り上げられるのです。秋葉原事件にしても、最近の元事務次官襲撃事件にしても、インターネットの世界では犯人を賞揚するような発言が多く寄せられています。

 そういう時代の空気のなかで裁判員制度はスタートする訳です。潜在的な無差別殺人犯にとって、これはなんと甘美な妄想をかきたてるものとなることでしょう。自分がどこの馬の骨とも分からない愚かな大衆によって死刑台に送られる。法廷では奴らに思うさま嘲罵を浴びせてやることだって出来るのだ。これは彼らの「憎悪のヒロイズム」が生み出すシナリオを、ほとんど完成の域に導いてしまうものだと思います。これまでは死刑宣告は職業裁判官によって、すなわち国家権力によって言い渡されて来ました。これからは国民がその役を引き受けることになります。(ちなみにアメリカの陪審制では、市民である陪審員は有罪か無罪かの判定をするだけで、量刑や宣告には関わりませんし、参審制を採るヨーロッパの国々では、市民である参審員が刑の決定にまで関わるものの、これらの国々ではすでに死刑が廃止されています。つまり、裁判員制度実施後、日本は市民が市民に死刑を言い渡す唯一の国となるのです。) これは要するに司法が自らの義務を放棄して、国民同士に殺し合いをさせることに等しいと私は考えます。裁判員制度によって、この国の国民には経済格差だけでなく、道徳格差というものまで広がると言ってもいいでしょう。裁判所の面接を通って裁判員に選ばれるような「道徳的に優れた人々」と、彼らに裁かれることになる「落ちこぼれの道徳劣者」とのあいだの格差です。一方が一方に死刑を宣告すれば、一方は一方に無差別殺人によって報復する。この憎悪の循環は、どこまでエスカレートすれば熄む時が来るでしょう。(ところで裁判員の面接に落ちた人間が犯す犯罪の危険性について、誰か指摘した人はいたでしょうか?)

3.裁判員制度で、法治主義の根幹が揺らぐ

 裁判員制度の矛盾を指摘するのは、実は簡単なことです。国民が裁判に参加することが意味のあることであるかどうかは別にして、法治国家の裁判というものは公平でなければならない、これに異を唱える人はいないと思います。同じ重さの犯罪が、ある裁判では死刑になり、別の裁判では有期刑になる、これは正しいこととは言えません。しかし、国民の中から無作為に抽出された6人の裁判員による裁判では、この公平さを保証するものが何も無くなります。職業裁判官であれば、他の裁判官とはひと味違う判決を言い渡して世間の注目を浴びようなどと考える人はひとりもいない筈です。そのために彼らは法律の知識のみならず、過去の判例を出来るだけ多く調べて、量刑の「相場」というものを大きく崩さないよう細心の注意を払っているのです。

 これも私が繰り返し主張していることですが、裁判のなかで被告を裁くものは法律であって、道徳ではありません。私たちが裁判官という職業の人たちに司法権を預けているのは、彼らが道徳的に優れた人格を持った人たちであるからではありません。むろん他の職業よりも高い職業倫理が求められることは確かだとしても、裁判官に求められるのは法の運用に関する知識と技術であって、悪を憎む正義感でもなければ、大岡裁きのような頓知でもないのです。裁判官の黒い法服に象徴されるように、本来冷厳であるべき法廷という場は、裁判員の参加によってべたべたの道徳感情が渦巻く場に変貌してしまうでしょう。それでなくても日本の裁判官は、ひとりが担当しなければならない事件が多く(本で読んだ記憶によれば、10倍も違うのだそうです)、ひとつの事件の調査や審理にかけられる時間が少ないという問題があります。この上さらに、裁判員候補の面接やら、裁判員への指導といった重責が加われば、日本の裁判官自身がパンクしてしまう。ひとつの事件限定で選出され、限られた時間の中で言いたいことを言って日当まで貰える私たち国民はこの制度に慣れることが出来たとしても、裁判官はそうは行かないと思います。日本中の裁判官の中には心を病む人も多く出て来るでしょう。このことが深刻な法治主義の危機となって現れて来るのに、そう時間はかからないだろうと思います。

 結論を言います。裁判員制度によって日本の司法が崩壊して行くことを防ぐためには、国民のひとりひとりが良識を持って裁判員になることを拒否し、この制度を廃止に持って行くしかないと私は主張します。これから戦争が始まろうかという瀬戸際に、もしも自分のところに召集令状が来たとすれば、正しい選択肢はひとつしかありません。それは徴兵を拒否することです。戦場に出てしまえば、たとえ自分が鉄砲を一発も撃たずに敵兵に撃ち殺されることを選択したとしても、やはり戦争という大きな犯罪に加担したことになるのです。何故ならば、そのことであなたは何の罪も無いひとりの敵兵を殺人者にしてしまうのだから。しかし、敵対する国のすべての若者が徴兵に応じなければ、そもそも戦争というものが始まらない訳です。あなたがいくら思慮深い人であったとしても、裁判員として法廷に駆り出されてしまえば、もう出来ることは限られています。法律の運用に関する知識のない私たちは、自分の道徳心だけを頼りに意見を述べるしかない。もしもそれが専門家である裁判官にとっての参考意見になるだけならまだ救われます。ところが裁判員である私たちには、評決のための一票が与えられているのです。素人である国民を集めて、同じ国民を裁かせる、その発想の根本的なおかしさに、私たちはいい加減気付くべきだと思います。

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コメント

>私は端的に死刑判決は増えるだろうと予測します。当初は裁判員のあいだに躊躇するものがあったとしても、いくつかの判決例が出てレールが敷かれてしまえば、厳罰化の流れは止めることの出来ない勢いとなって進むことでしょう。

どうしてそう予測できるのか、Like_an_Arrowさんの根拠は薄弱だと思う。何故なら「日本人の大多数は死刑制度に賛成して」いる事と、実際に裁判に於いて死刑を下す事は違う事だから。Like_an_Arrowさんは死刑が求刑され得るケースでは人々は何の考慮も無く死刑の判断を下すと考えておられるのだろうか。それは幾らなんでも日本の一般市民の思考能力、判断能力を低く見積もり過ぎではないだろうか。制度としては賛成していても、どういう場合に死刑が適用されるべきかはちゃんと考慮するべきだ、というのは死刑賛成論者でも当然考えることだろう。その上で死刑を回避するという選択は十分あり得ることだし。

>裁判員制度で、理由なき無差別殺人事件が増える

というのも僕には文学的妄想を逞しくし過ぎだと思う。
「自分がどこの馬の骨とも分からない愚かな大衆によって死刑台に送られる。法廷では奴らに思うさま嘲罵を浴びせてやることだって出来るのだ。」なんてカミュの「異邦人」の読み過ぎではないですか。あの主人公は逆に人々から罵倒される事を願ったわけですが。「理由なき無差別殺人」について人々は十羽一絡げにしてますけど秋葉原のケースと今回の厚生労働省の事務次官連続襲撃などは随分違うと思います。後者は「飼い犬の恨み」というもので、アキバの犯人とはちょっと異質だと思っています。それにこんな理由の殺人についてはもはやどうすることもできませんね。

こうした殺人を防ぐのに死刑を廃止する、という(イデオロギーがかった)施策を行うというのは万人を納得させません。これはもう何度も問題にしている事だけど、どうして死刑を廃止したらこういう理由無き殺人が少なくなると言えるのか、全く分かりません。「理由が無い」と言っているのにどうして死刑の有無が関係あるというんですか?

職業裁判官がそんなに立派な判断を下しているとも思いません。実際彼らも人間である以上、様々な間違いを犯しているし、無実の人間が裁かれた事もあるでしょう。どうしてLike_an_Arrowさんがそんなに職業裁判官に全幅に信頼を寄せているのか分かりません。

>同じ重さの犯罪が、ある裁判では死刑になり、別の裁判では有期刑になる、これは正しいこととは言えません。しかし、国民の中から無作為に抽出された6人の裁判員による裁判では、この公平さを保証するものが何も無くなります。

とおっしゃいますが、これは今までの職業裁判官達だって、担当する裁判官が違えば違う判断が出て来た筈です。もしそうじゃないなら三審制なんて意味ないし、再審なんてことはあり得ない。(それからこれは多少哲学的問題になりますが、「同じ重さの犯罪」などということがあり得るのでしょうか?個々のケースはあくまで一回限りのケースであって、その都度判断されるべきではないですか?そうでなければ裁判などコンピューターに任せておけばよいのです。)

全体的にLike_an_Arrowさんの見解は余りにヒステリックに悲観的になりすぎていて、いつもの冷静さを失っているように思います。(もちろんそうなるのは理解できるけど。)だからちょっと落ち着いて考えてみてください。特に市井の人々の判断力を不当に低く評価するのは止めてみませんか?実は僕は実際に死刑という事の重みを裁判員は否が応でも理解するわけで、簡単に死刑が増加するとは思っていません。これは人々が今まで見てみないふりをし続けてきた問題を真剣に考える契機になるのではないか、と思っています。もちろんそれは嫌な仕事でしょうが。

追記。指摘どおり、僕はまだ「自死という生き方」を読んでいません。流石にLike_an_Arrowさんの目は誤魔化せませんね。確かに読んでいないのに貶すのはやはりフェアじゃない。読んだ上で散々貶す事にします。(と言っているのが既にフェアじゃない?)

投稿: 法哲 | 2008年12月 1日 (月) 17時54分

法哲さん、コメントありがとうございます。

おっしゃることはすべて理解出来ますし、反論する気持ちも特にありません。ただ自分の立場を明らかにしておくために、いくつかコメントさせていただきます。

>Like_an_Arrowさんは死刑が求刑され得るケースでは人々は何の考慮も無く死刑の判断を下すと考えておられるのだろうか。それは幾らなんでも日本の一般市民の思考能力、判断能力を低く見積もり過ぎではないだろうか。

そうであってくれたらいいと思います。もちろん多くの場合、市民の良識(と裁判官の誘導)に従って、妥当な相場感の判決が言い渡されるものと思います。日本では年間に千件以上の殺人事件が起きている。それに対して死刑の確定数は十数件しかないのが現実です。私だってまさか裁判員制の導入で一審での死刑判決が数百件になるなんて考えてはいません。しかし、1年目には30件、2年目には50件…といったくらいの増加なら十分考えられると思う。私の懸念はそういうレベルの話です。

>「裁判員制度で、理由なき無差別殺人事件が増える」というのも僕には文学的妄想を逞しくし過ぎだと思う。

ええ、きっとそうだと思います。カミュの「異邦人」の読み過ぎではないかというご指摘もまさにその通り。日本中でこんな妄想に共感する人なんて、一万人に一人くらいのものかも知れません。でも、一億人のうちの一万人に一人が共感すれば、その総数は一万人になるんですよね。潜在的な脅威としては十分ではないかと私には思われるのです。

>どうしてLike_an_Arrowさんがそんなに職業裁判官に全幅に信頼を寄せているのか分かりません。

これは比較の問題です。くじ引きで選ばれた6人の市民よりはずっと信頼が置けるだろうと思っているだけです。昨日テレビで裁判員制度の特集をやっていましたが、その中で法曹界の人が裁判官と検察官の間には馴れ合いがあって、裁判員のような外部の視点が入ることだけでも意味があると発言していました。もしも現行の裁判官や裁判制度に問題があるとしても、内部改革が出来ないことの解決を裁判員制度のようなものに求めるのは本末転倒だと思います。

>今までの職業裁判官達だって、担当する裁判官が違えば違う判断が出て来た筈です。もしそうじゃないなら三審制なんて意味ないし、再審なんてことはあり得ない。

これも比較の問題ですね。ある架空の殺人事件に対して、職業裁判官と一般市民に量刑させてみたところ、職業裁判官は全員が懲役10年程度と答えたのに対し、市民の方は死刑から執行猶予まで意見が分かれたのだそうです。

>「同じ重さの犯罪」などということがあり得るのでしょうか?個々のケースはあくまで一回限りのケースであって、その都度判断されるべきではないですか?そうでなければ裁判などコンピューターに任せておけばよいのです。

とても良いご指摘です。私はまさに理想の裁判というものは、人間の恣意を極力排除したコンピュータ化された裁判だと考えているからです。このことは過去の記事に書きました。ご興味がありましたら、下記のページをご覧ください。

『裁判員制度、再考』
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_2b5c.html

>全体的にLike_an_Arrowさんの見解は余りにヒステリックに悲観的になりすぎていて、いつもの冷静さを失っているように思います。

実はそうでもないのですよ。今回の記事は過去に書いた内容の焼き直しですし、初めて私のページを覗いてくれる人を対象に、少し過激にレトリックを工夫しただけのものです。ブログを3年も続けていると、どういうテーマとタイトルで書くとアクセス数が増えるか、多少コツが分かって来ます。いまこの時期、インターネット検索では、「裁判員、死刑、拒否」といったキーワードが飛び交っている筈です。事実この1週間、こんなマイナーブログでも、いつもより多少はアクセス数が増えているのですね。で、今週もまた懲りずに同じテーマで書いてしまいました。(笑)

投稿: Like_an_Arrow | 2008年12月 8日 (月) 00時03分

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