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2008年11月30日 (日)

裁判員制度で日本はこう変わる

 この週末、最高裁は裁判員候補に選ばれた全国の約30万人の国民に通知書を発送したのだそうです。このブログで3年前に裁判員制度を批判する記事を書いた時には、まさかこんな愚劣極まりない制度がほんとうに実現する日が来るなんて、夢にも思いませんでした。裁判員制度というものが、あらゆる点でいかに問題を抱えた制度であるか、私はこれまでに何度も繰り返し書いて来ました。(おそらくいくつかの指摘において、世の中の専門家や有識者と言われる人たちよりも先行していたという自負もあります。) 私自身はたとえ自分が選ばれたとしても、断固として裁判員としての出廷を拒否する決心を固めている、そのこともすでに書きました。もちろんそれは個人の信条に関わることですから、正しいとか正しくないといった問題ではありません。自分は裁判員制度に賛成である、選ばれれば喜んで参加する、そういう人がいるのも当然だと思います。ただ、私はこの制度が日本をどのように誤った方向に導いて行くものであるか、そのことに深い憂慮を持っており、多くの人がこの点について楽観的でいられる理由が分からずにいるのです。果たしてこれは杞憂であるか? 裁判員制度によって日本はどう変わってしまうか、私の思い描く悪夢のシナリオとは以下のようなものです。

1.裁判員制度で、この国は「魔女狩り国家」になる

 日本は国連や欧州連合などから死刑廃止あるいは死刑執行停止の強い勧告を受けています。いまや世界的な趨勢を見ても、死刑存置国は少数派であるにもかかわらず、日本人の大多数は死刑制度に賛成しており、ここ十年くらいのあいだに死刑廃止が実現する可能性はほとんどゼロではないかと思われます。裁判員制度が始まれば、死刑の判決が増えるものか減るものか、人によって予測はまちまちであるようです。私は端的に死刑判決は増えるだろうと予測します。当初は裁判員のあいだに躊躇するものがあったとしても、いくつかの判決例が出てレールが敷かれてしまえば、厳罰化の流れは止めることの出来ない勢いとなって進むことでしょう。今日でも国民の声を背景に、死刑の適用範囲は拡大する傾向にあるのです。それでも保守的で慎重な裁判官の判断によって、厳罰化の流れには一定の歯止めがかけられているのだろうと思います。裁判員制度が始まれば、もはやそんな抑制も効かなくなるでしょう。死刑賛成派の人々でさえ不安になるくらい、死刑宣告が急激に増えることもあり得るのではないかと思います。

 陪審員制度の長い歴史を持つ欧米諸国では、国家の権力と対峙するかたちで市民の司法参加というものが進化して来ました。国家は法律をいかようにでも解釈して、市民を拘束し処罰することが出来ます。陪審制はこれに対する盾の役割を果たして来たのです。一方過去に国民が自分たちの同胞を裁くという経験を一切持たなかった我が国では、大岡越前守の昔から「お上」による裁きをそのまま受け入れるメンタリティーを持ち続けて来ました。今日でも凶悪犯罪が起これば、国民の気持ちはほとんど一方的に検察側に寄り添うのです。そしてそういった凶悪な犯罪者を弁護する弁護士を憎悪しさえするのです。こういう国民性を持った国で、いきなり裁判員制度のようなものが実施されることの危険性は、冷静に考えれば誰でも分かるものだと思います。国民の司法参加によって裁判が民主化されるなんてとんでもない、言葉は悪いですが、日本は世界的な常識から見てあり得ないような「魔女狩り国家」に変質してしまうのではないかと私は危惧します。

2.裁判員制度で、理由なき無差別殺人事件が増える

 統計的に見て、昔に比べて犯罪や殺人の件数が増えている訳では決してないのですが、残虐な無差別殺人事件のようなものは今日確かに増えているのかも知れません。その理由の第一に挙げられるものは、現代の社会が抱えている経済格差や雇用の不安定さということが、多くの人を絶望に陥れているということにあると思います。それにプラスして私が考える二番目の理由は、やはり死刑制度というものにあります。劇場型などとも言われる無差別殺人の背景には、犯人の社会に対する強烈な憎悪があります。彼らは世間の注目を浴びたいがために、いや、もっと言えば世間の憎悪を一身に浴びたいがために凶行に走るのです。こういう犯罪者に対しては、死刑はなんら抑止効果を持ちません。それどころか彼らの負のヒロイズムを助長することに一役買っていると言った方がいいかも知れない。衆人監視のなかで大量殺戮を行なう人間は、自分が死刑になることまでを計算に入れて倒錯したヒロイズムに酔っているのです。実際にそれによって彼らは時代の殉教者としての位置に祭り上げられるのです。秋葉原事件にしても、最近の元事務次官襲撃事件にしても、インターネットの世界では犯人を賞揚するような発言が多く寄せられています。

 そういう時代の空気のなかで裁判員制度はスタートする訳です。潜在的な無差別殺人犯にとって、これはなんと甘美な妄想をかきたてるものとなることでしょう。自分がどこの馬の骨とも分からない愚かな大衆によって死刑台に送られる。法廷では奴らに思うさま嘲罵を浴びせてやることだって出来るのだ。これは彼らの「憎悪のヒロイズム」が生み出すシナリオを、ほとんど完成の域に導いてしまうものだと思います。これまでは死刑宣告は職業裁判官によって、すなわち国家権力によって言い渡されて来ました。これからは国民がその役を引き受けることになります。(ちなみにアメリカの陪審制では、市民である陪審員は有罪か無罪かの判定をするだけで、量刑や宣告には関わりませんし、参審制を採るヨーロッパの国々では、市民である参審員が刑の決定にまで関わるものの、これらの国々ではすでに死刑が廃止されています。つまり、裁判員制度実施後、日本は市民が市民に死刑を言い渡す唯一の国となるのです。) これは要するに司法が自らの義務を放棄して、国民同士に殺し合いをさせることに等しいと私は考えます。裁判員制度によって、この国の国民には経済格差だけでなく、道徳格差というものまで広がると言ってもいいでしょう。裁判所の面接を通って裁判員に選ばれるような「道徳的に優れた人々」と、彼らに裁かれることになる「落ちこぼれの道徳劣者」とのあいだの格差です。一方が一方に死刑を宣告すれば、一方は一方に無差別殺人によって報復する。この憎悪の循環は、どこまでエスカレートすれば熄む時が来るでしょう。(ところで裁判員の面接に落ちた人間が犯す犯罪の危険性について、誰か指摘した人はいたでしょうか?)

3.裁判員制度で、法治主義の根幹が揺らぐ

 裁判員制度の矛盾を指摘するのは、実は簡単なことです。国民が裁判に参加することが意味のあることであるかどうかは別にして、法治国家の裁判というものは公平でなければならない、これに異を唱える人はいないと思います。同じ重さの犯罪が、ある裁判では死刑になり、別の裁判では有期刑になる、これは正しいこととは言えません。しかし、国民の中から無作為に抽出された6人の裁判員による裁判では、この公平さを保証するものが何も無くなります。職業裁判官であれば、他の裁判官とはひと味違う判決を言い渡して世間の注目を浴びようなどと考える人はひとりもいない筈です。そのために彼らは法律の知識のみならず、過去の判例を出来るだけ多く調べて、量刑の「相場」というものを大きく崩さないよう細心の注意を払っているのです。

 これも私が繰り返し主張していることですが、裁判のなかで被告を裁くものは法律であって、道徳ではありません。私たちが裁判官という職業の人たちに司法権を預けているのは、彼らが道徳的に優れた人格を持った人たちであるからではありません。むろん他の職業よりも高い職業倫理が求められることは確かだとしても、裁判官に求められるのは法の運用に関する知識と技術であって、悪を憎む正義感でもなければ、大岡裁きのような頓知でもないのです。裁判官の黒い法服に象徴されるように、本来冷厳であるべき法廷という場は、裁判員の参加によってべたべたの道徳感情が渦巻く場に変貌してしまうでしょう。それでなくても日本の裁判官は、ひとりが担当しなければならない事件が多く(本で読んだ記憶によれば、10倍も違うのだそうです)、ひとつの事件の調査や審理にかけられる時間が少ないという問題があります。この上さらに、裁判員候補の面接やら、裁判員への指導といった重責が加われば、日本の裁判官自身がパンクしてしまう。ひとつの事件限定で選出され、限られた時間の中で言いたいことを言って日当まで貰える私たち国民はこの制度に慣れることが出来たとしても、裁判官はそうは行かないと思います。日本中の裁判官の中には心を病む人も多く出て来るでしょう。このことが深刻な法治主義の危機となって現れて来るのに、そう時間はかからないだろうと思います。

 結論を言います。裁判員制度によって日本の司法が崩壊して行くことを防ぐためには、国民のひとりひとりが良識を持って裁判員になることを拒否し、この制度を廃止に持って行くしかないと私は主張します。これから戦争が始まろうかという瀬戸際に、もしも自分のところに召集令状が来たとすれば、正しい選択肢はひとつしかありません。それは徴兵を拒否することです。戦場に出てしまえば、たとえ自分が鉄砲を一発も撃たずに敵兵に撃ち殺されることを選択したとしても、やはり戦争という大きな犯罪に加担したことになるのです。何故ならば、そのことであなたは何の罪も無いひとりの敵兵を殺人者にしてしまうのだから。しかし、敵対する国のすべての若者が徴兵に応じなければ、そもそも戦争というものが始まらない訳です。あなたがいくら思慮深い人であったとしても、裁判員として法廷に駆り出されてしまえば、もう出来ることは限られています。法律の運用に関する知識のない私たちは、自分の道徳心だけを頼りに意見を述べるしかない。もしもそれが専門家である裁判官にとっての参考意見になるだけならまだ救われます。ところが裁判員である私たちには、評決のための一票が与えられているのです。素人である国民を集めて、同じ国民を裁かせる、その発想の根本的なおかしさに、私たちはいい加減気付くべきだと思います。

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2008年11月24日 (月)

私の聴いて来た音楽(ポピュラー洋楽編)

 今週はエンヤの3年ぶりの新譜をiPodに入れてずっと聴いていました。やっぱりエンヤはいいなあ。好きなアーティストの、待ち望んだ新作をワクワクした気持ちで聴く、その楽しみは中学生の頃から数えてもう四十年来のものです。最近は年をとったせいか新しい音楽に接する機会がめっきり減ってしまいましたが、それでも時々こうした幸福な音楽との出会いがある。私たちがクラシックの名曲として親しんでいるたくさんの曲にも、それぞれ初演の時があって、同時代の音楽ファンを魅了したり熱狂させたりして来た筈です。二十世紀も半ばを過ぎると、現代音楽というものがすっかり一般の音楽ファンにとって手の届かないものになってしまい、新作を聴く楽しみはもっぱらポピュラー音楽が頼りということになってしまいました。きっと今の若い人も、携帯音楽プレイヤーで好きなアーティストの新譜を、期待と不安の入り混じった気持ちでドキドキしながら聴いているのだと思います。私が音楽を聴き始めた中学生の頃は、もうビートルズの現役時代は終っていました。だから自分の音楽人生は、ポスト・ビートルズの少し小粒なアーティストたちとの出逢いによって始まったと言っていいと思います。

1.サイモンとガーファンクル(Simon and Garfunkel)

 子供の頃から音楽は好きだったし、自分のおこづかいでレコードを買ったのもそれが最初ではなかったのですが、なんと言っても初めて音楽を聴くということの強烈な快楽を経験させてくれたのは彼らでした。すでにデュオを解散していた筈の1971年に、『アメリカ』という曲が日本国内でシングルカットされたことがありました。これが少年だった自分の心をヒットしたのです。いまふうの言い方をするなら、脳内快楽物質の出力スイッチが入ったという感じ。まだ英語を習い始めたばかりの頃で歌詞の意味もよく分からなかったけれど、一生懸命に辞書を引いて詞に隠された深い意味を探ろうとしていたっけ。少ないおこづかいを貯めて、LPレコードも買い始めました。今でも時々彼らの音楽が聴きたくなります。もしもこれからS&Gを聴いてみたいという若い人がいたら、ファースト・アルバムの『水曜の朝、午前3時(Wednesday Morning, 3 A.M.)』から聴くことをおすすめします。後期の洗練された完成度の高い作品群と比べると、いかにも素朴で飾り気のないアルバムですが、まだ商業主義に染まってしまう前の彼らの音楽的原点がここにあります。

2.ドン・マクリーン(Don Mclean)

 長いあいだ自分にとってのベスト・シンガーはこの人でした。1971年に発表された『アメリカン・パイ(American Pie)』が有名ですが、私はこの曲がヒットした時にはあまり心を動かされるものが無かった。これに続くシングル盤が、画家のゴッホのことを歌った『ヴィンセント(Vincent)』で、これで心をつかまれてしまったのです。この曲はアメリカのビルボード誌では上位にランクインしなかったものの、イギリスのメロディーメーカー誌では1位になっていた筈です。やっぱりアメリカ人よりイギリス人の方が音楽が理解出来るんだ、そんな生意気なことを考えたのを覚えています。いまでも私はこの曲が入った『American Pie』というアルバムを、ポピュラー音楽史上の金字塔だと思っています。もう1枚推薦盤を挙げるなら、デビューアルバムの『タペストリー(Tapestry)』を。同名のアルバムをキャロル・キングも出していますが、発表はドン・マクリーンの方が先で、しかもこちらの方がずっと傑作(と私は昔から主張している。笑)。ペリー・コモも歌った『And I Love You So』はこのアルバムからの1曲です。

3.キャット・スティーブンス(Cat Stevens)

 ポスト・ビートルズのこの世代には、アメリカでもヨーロッパでも優れたシンガー・ソングライターが次々に登場しました。最近はもう名前を聞くこともなくなってしまいましたが、キャット・スティーブンスもそのなかのひとりでした。ギリシア人の父親とスウェーデン人の母親を持つエキセントリックな風貌と声を持ったシンガー。代表曲は『雨にぬれた朝(Morning Has Broken)』で、多くのミュージシャンにカバーされていると思います。他にも美しいメロディーを持つ佳曲が多くあります。美術の才能も持った人で、初期の頃のアルバム・ジャケットは自筆の絵で飾られていました。おすすめはやはり『雨にぬれた朝』が収録された『Teaser And The Firecat』、これが最高傑作だと思います。発表は1971年。その後、彼の音楽はビートの効いたロック調のものに変わって行き、曲の内容も宗教的なものに傾いて行く。私の守備範囲からははずれて行ってしまいました。インターネットで調べると、その後イスラム教に改宗して、音楽の活動からは遠ざかっていたのですが、2006年には28年ぶり(!)に新譜を出して音楽界に復帰したそうです。

4.ニール・ヤング(Neil Young)

 いまこの原稿を書きながら、久し振りに『After The Gold Rush』を聴いています。とてもいい気分。中学生の頃、クラスの悪ガキどもはみんな自分のお気に入りのアイドルを持っていて、お互いにカセットテープにダビングして自慢し合っていたものでした。ニール・ヤングやドノヴァンやピンク・フロイドに対抗するのに、軟弱なドン・マクリーンやキャット・スティーブンスではいかにも迫力不足で、なんとなく見下されているように感じて口惜しかった記憶があります(笑)。ただニール・ヤングのこのアルバムは、当時から文句なく気に入ってしまい、生涯の愛聴盤の1枚になりました。切々と訴えかけるボーカルは、余人をもって代え難いほどに個性的で、一度耳にすると忘れられないほど。深夜放送ファンでもあった自分にとって、このアルバムの中の『Till The Morning Comes』を聴くと、馬場こずえさんのパックインミュージックが思い出されて、それもほろ苦い青春の思い出となって甦って来ます。

5.レナード・コーエン(Leonard Cohen)

 確かこの人の歌を知ったのは、来日した時に話題になったことがきっかけだったと思います。年譜を調べると1975年ですから、私が高校生の時のことです。その頃にはもういっぱしの文学青年だった自分は、レナード・コーエンという人をミュージシャンというよりひとりの詩人として、自分のお気に入りリストに入れていたような気がします。実際レナード・コーエンはシンガー・ソングライターであると同時に、詩人でもあり作家でもあった人で、当時日本語に翻訳されていた『嘆きの壁』という小説を図書館で借りて読んだ記憶があります(難解で最後まで読み通せませんでしたが)。音楽の方には文句なくのめり込みました。有名な『Bird on the Wire』や、私が最高傑作だと信じる『Famous Blue Raincoat』なんて、いまでも歌詞をそらで暗誦出来るほどです。寡作ではあるけれども、息の長い創作活動を続けている人で、新作を出すごとにファンを驚かせてくれる。2004年に最新作が出ていますし、その後も人のアルバムをプロデュースしたりしています。1934年生まれといいますからちょっとびっくりです。

6.ジョルジュ・ムスタキ(Georges Moustaki)

 フランスを代表するシンガー・ソングライターのひとり。この人も両親がギリシア人だったんですね。レナード・コーエンと同年の生まれであることも、今回ウィキペディアで調べて初めて知りました。この人の歌も(フランス語の歌詞は分からないけれども)文学的な香りを強く感じさせるものだと思います。代表曲のひとつ『私の孤独』では、「私はもうひとりぼっちじゃない、だって私はいま私の孤独と一緒だから」なんて、若い人の心をくすぐる詞で歌いかけます。フランス人じゃなくても、しびれるよね。私が持っているレコードは、ディスコグラフィーで見ると1972年に発表された2枚のアルバムで、特に『内海にて』と『バールベックのバラ』という曲が好きでした。ジョルジュ・ムスタキも70歳を過ぎて、今なお現役で活動しているんですね。自分が好きだったアルバムも含めて、彼の音楽の歴史をたどってみたい気もするけど、ベスト盤ならともかく、オリジナル・アルバムはなかなか手に入れることすら難しいようです。これは愚痴ですが、音楽を聴く手段がレコードからCD、CDからダウンロードと変化するにつれて、音質だけではない何か大事なものが失われてしまったような気がします。

7.ジョン・デンバー(John Denver)

 なんというか、「アメリカの良心」といったイメージの人だったと思います。飛行機事故で亡くなったのでしたね。もしも彼が今も生きていて、イラクやアフガニスタンの戦争をテーマに曲を作ったとしたら、どんな歌になったことだろう。ベトナム戦争の頃、『鷹と鷲(The Eagle And The Hawk)』という反戦歌を書いたジョン・デンバーを、21世紀になる前に失ったことは、アメリカにとって大きな損失だったと思います。(ちなみに2003年にイギリスの歌手ジョージ・マイケルが歌った反戦歌『The Grave』は、ドン・マクリーンの『American Pie』からのカバーです。) 何枚かLPレコードを持っていたなかで、特に好きだったのが『友への誓い(Aerie)』というアルバムでした(『鷹と鷲』もその収録曲の1曲です)。私はアルバムの中の『Casey's Last Ride』という曲が特に気に入っていて、これがクリス・クリストファーソンという人の曲だと知って、この人のアルバムも買ってみました。ところがオリジナルよりジョン・デンバーのカバーの方が(私にとっては)百倍も素晴らしくて、がっかりした経験があります。

8.ハリー・ニルソン(Harry Nilsson)

 ニルソンと言えば、『Without You』が代表曲ですね。シンガー・ソングライターとしてよりも、七色の声を持つボーカリストとして存在感があったのではないかと思います。名曲『Without You』は、いろいろな人がカバーしていますが(と言うか、そもそもニルソンのこの曲自体がカバーでした)、誰も彼のようにこの曲を永遠のスタンダード・ナンバーにまで高めることは出来なかった。ニルソンのアルバムも何枚か持っていましたが、私が一番聴き込んだのは、1973年に発表された『夜のシミュルソン(A Little Touch Of Schmilsson In The Night)』というアルバムでした。これはジャズのスタンダードナンバーをストリングスのアレンジで組曲ふうに編曲したもので、ニルソンのボーカリストとしての本領が遺憾なく発揮された作品です。とにかく選曲も編曲ももちろん歌も、文句なしの完成度で、こんな充実したスタンダード・アルバムは他に聴いたことがない。あまりに聴き込んだものだから、今でも私は全曲を歌詞カードなしで歌えると思います(笑)。最近は新譜が出ないと思っていたら、ニルソンは1994年に若くして亡くなっていたんですね。

9.エンヤ(Enya)

 最初にエンヤの曲を聴いたのは、出世作の『オリノコ・フロウ(Orinoco Flow)』だったと思います。私が彼女の音楽にはまったきっかけは、テレビのドキュメンタリーでも使われた『The Celts』という曲でした。これは同名のファースト・アルバムからの1曲ですね。私がEnyaのベスト曲集を作るとすれば、どうしてもこの曲を冒頭に持って来ずにはいられません。Enyaのアルバムはどれも完成度が高くて安心して聴ける一方で、どの作品も似たような印象で、一種のマンネリズムに陥っているのではないか、そんなふうに思ったこともあります。おそらく彼女は常に新しい境地を拓こうとするタイプの芸術家ではなくて、ひとつところに留まって円熟して行く職人タイプの芸術家なのだと思います。いにしえの仏師が鑿一本で来る日も来る日も同じテーマに挑み続けたように。(シンセサイザーが彼女にとっての鑿なのですね。) エンヤふうの音楽は世間にいくらでもあるけれど、聴けば聴くほど輝きを増すヒーリング・ミュージックなんてそうそうあるものではない。この季節、彼女の新作は素晴らしいクリスマス・プレゼントになりました。

10.エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley)

 といったような音楽趣味の私が、プレスリーというのは意外なチョイスに思われるかも知れません。私が好きなのはロックの帝王としてのプレスリーではなくて、「ゴスペル・シンガー」としてのプレスリーです。彼は生涯に4枚のゴスペル・アルバムを出しています。スキャンダラスなまでに華やかだった彼の音楽人生の、そこにだけは穏やかな静謐さが漂っているような、そんな雰囲気を感じさせるアルバムです。どこでその魅力に取りつかれたのか、いまではもう思い出すことも出来ませんが、ずいぶん長いあいだ私はこの4枚のLPレコードを手に入れるために探し回ったものでした。だから最後の1枚を偶然中古レコード店で見付けた時の嬉しさは、いまでも忘れることが出来ません。なかでもおすすめの1枚を挙げるならば、『How Great Thou Arte』というアルバムを。いや『His Hand In Mine』も捨て難いな。どちらも今ならAmazonでCDが簡単に手に入るようです。

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2008年11月16日 (日)

定額給付金は減価貨幣実験のチャンス

 もしもこれが実現したら、歴史上最大の選挙買収事件とでも呼べそうな愚劣な政策が大真面目に論じられています。国民ひとり当たり1万2千円、高齢者と子供には2万円を一律に配ろうという定額給付金制度のことです。しかも、高額所得者には自発的に辞退してもらうなんていう、ありえないオプション・ルールまで付けて。どうも最近、政治家の質が落ちているのではないかと感じていましたが、いまこの国はホンモノのボケ老人たちによって舵取りをされているらしい。そもそもこんなもので選挙民の歓心を買おうという下心がさもしい。世論調査では60パーセント以上の人が給付金など必要無いと答えているそうです。当然の話です。1929年の世界大恐慌の再来かとも言われているこの時期に、大胆な経済政策が必要なのは確かですが、それをこんな子供だましのようなものでお茶を濁されてはたまらない。麻生さんも、ずいぶん国民を舐めたマネをしてくれるものだと思います。

 一応、名目上は落ち込んだ経済を活性化させるということが、この定額給付制度の目的であるようです。しかし、いま世帯に数万円ずつの給付金を配ったところで、その分の需要が増える訳ではなく、ほとんどが貯蓄に回されてしまうだけであることはあちこちで指摘されています。そう言えば、だいぶ以前に「地域振興券」なるものがお年寄りと子供を対象に配られたことがありましたね。世界一の借金王だと豪語した小渕元首相が、1999年に採った政策です。かつてない規模で国債を発行し続けた小渕内閣は、景気浮揚策のひとつとしてこれを実行したのです。当時独身だった私は、地域振興券なるものの現物を見たこともさわったこともないのですが、ちょっと想像しただけでもこちらの方が、今回の定額給付金よりも需要を喚起するためには良いアイデアであるように思われます。地域振興券は、各自治体が独自にデザインすることを許された商品券のようなものでした。額面は千円単位で、これで買い物をしてもお釣りはもらえない。だから千円以上の買い物をする時でなければ使えないし、さらにこれには半年間という有効期限があって、その間に使ってしまわなければ文字通り紙切れになってしまうというプレッシャーもかかっていた。調査によれば全体の99.6パーセントの地域振興券が使われたのだそうです(残りの0.4パーセントは、コレクターの手に残ったのだろうと思います)。これに比べると、今回の定額給付金は現金支給なので、何か非日常的なワクワクした気持ちを掻き立てられる要素も少ない。いや、それどころか口座振込が原則だそうですから、これはもうそのまま貯金してくださいと言っているようなものです。そうした心理的な効果にまで配慮しないという点でも、いまの自民党の政策チームの品質劣化は明らかだと思います。

 1999年の地域振興券というものがどういうカラクリのものだったか、これまで関心も持たずにいましたが、今回ひとつ思い付いたことがあって少し調べてみました。これは都道府県単位に発行されるもので、地域内の登録した小売店でのみ使える地域通貨のような性格のものだったようです。そう言えば、当時「地域振興券使えます」というステッカーを街のあちこちで見掛けましたね。代金としてこれを受け取ったお店は、銀行に持ち込んでお金に換えてもらうのですが、その手続きに3週間くらいかかり、個人商店などでは運転資金に窮するところも出たという話です(銀行はさらにそれを日銀に持ち込んで換金していたのだと思います)。受け取った地域振興券を使って商品の仕入れも出来れば問題無かったのでしょうが、それは認められていなかったのですね。あくまで個人消費の場で1回限り使用されて役目を終る仕組みのものだったようです。当時の自治省のページを見ると、地域振興券は交換・譲渡・売買も禁止、一度に大量に使用することも禁止と、けっこう厳しいことが書かれています。ですから金券ショップのようなところに出回ることもなかったのでしょう。お金というものは世の中を駆け巡ってこそ経済を潤して行くものですから、もともと循環しない設計の地域振興券が景気に与えた影響もたかが知れたものだったのではないかと思います。

 こんな想像をしてみます。もしもこの地域振興券がニ次利用の出来るもので、小売店から卸売業者、さらに製造業者へと渡されて行くものだったとしたら、どんなことが起こっていたでしょうか。しかもこれが登録業者だけではなく、国内の事業者すべてに通用するものであったとしたら? (これを受け取り拒否などしたら、法律で罰せられるのです。) 当然これは供給連鎖の上流に集まって行って、最後は原材料などを輸入する輸入業者のところに溜まってしまうことになる(海外への支払いには使えないものなので)。それではもうひとつルールを追加して、企業は一定の枠内でこれを従業員への賃金払いにも使えるようにしてみたらどうだろう。ポイントは、この新しいタイプの金券を社会に循環させることですから、これによってお金の大きな循環ルートが完成することになる。さて、その上でもうひとつ重要なルールを付け加えます。それはこの金券を銀行に持って行っても日本円には換えられないというルールです。もちろん銀行預金だって出来ない。だからこれを受け取った個人や事業者は、とにかく使ってしまうしかない。その上さらに地域振興券と同じように、有効期限が設定されていたとしたらどうなるでしょう? 恐ろしいことが起こります。特に有効期限が迫って来た時期には、日本中で金券が乱れ飛ぶ事態になる。まるで国民総出でトランプのババ抜きをやっているようなものと言ってもいい。その代わり、間違いなく国内の消費はうなぎ登りに増える筈です。

 もしもこのブログの過去の記事を読んだ方なら、これから私が書こうとしていることは、もう察しが付いているものと思います。現在の日本経済の本質的な問題は何かと言えば、サブプライム問題で株価が暴落したことでもなければ、国民のあいだで経済格差が広がっていることでもありません。そうではなくて、日本人が世界一の個人資産を持ちながら、どこまで行っても財布の紐が固くて、需要が一向に伸びないというところにあるのです。年金問題や医療問題で将来に対する不安が広がり、国民はますます財布の紐を固くしている。すると需要も増えず、税収も増えないので、ますます財源が不足して、社会制度を維持する上での不安がさらに大きくなる。この悪循環が日本という国をがんじがらめにしているのです。いまから百年前、こうした貨幣制度の持つ矛盾に気付いたシルビオ・ゲゼルという経済学者は、マイナスの利子が付くお金というものを提唱しました。持っているだけで少しずつ目減りして行ってしまうお金。だからそれを持っている人は出来るだけ早くそれを使おうとします。結果として貨幣の循環速度がとても速くなり、経済をめざましく活性化させる。これが机上の空論ではないことは、1929年の世界恐慌のあとにこのシステムを実験したヨーロッパのふたつの都市で、経済が驚くほど活発になって失業率が激減したという事実によって証明されています。シュヴァーネンキルヘンとヴェルグルの奇跡と呼ばれるものです。

 2兆円もの予算を注ぎ込んで経済振興策を図るなら、定額給付金のような能の無いやり方は止めて、減価貨幣を実験してみたらどうでしょう。歴史上、ひとつの国でこれほど大規模にこの実験を行なった国はありません。また、これは日本のような個人資産が潤沢にあって、国際的に通貨が強い国でなければ出来ない実験でもあります。方法は先の地域振興券が参考になります。額面千円の経済振興券を(今度は全国統一のデザインで)政府が全世帯に配る。これは半年後に有効期限が切れるというようなものではありませんが、毎週一定の比率で目減りして行く性質を持ったものになります。その時の時価は振興券の裏面にでも明示するようにします(4月1日~4月7日=1000円、4月8日~4月14日=956円…というように)。そして1年間でゼロになるように減価率を決める。いや、ゼロまで引っ張ると、最後の頃にいろいろ問題が起こりますから、最低額は100円くらいで止まって、そこまで行き着いたら銀行で換金出来ることにしてもよい。もちろん交換・譲渡・売買もすべてオッケーです。但し、1回の取り引きでの大量使用はやはり問題を起こしそうなので、使用に際しての制限は必要だろうと思います。(私の感覚では、1回の取り引きに使用出来る振興券の最高額は、1万円または取り引き額の20パーセントのどちらか大きい方、ということにする。給与支払いの場合には、総支給額の5パーセントを上限とするということでどうだろう。) 半年後にいきなり使えなくなるという方式に比べれば、心理的プレッシャーはそれほど過酷なものではありません。それでも日本中が常にお金に急き立てられている気分になることは間違いありません。国民全員が参加するババ抜きゲームであることに違いはないのですが、経済が活性化した社会というものは、多かれ少なかれババ抜きの様相を呈して来るものだとも言えます(バブル景気の頃を思い出してください)。であるならば、これを徒らに恐れる必要も無いだろうと思うのです。

 そしてこの政策にはもうひとつ重要なメリットがあります。いま国民の6割以上が定額給付金に反対していますが、それはお金を貰うことが嬉しくないというのではないと思います。そのこと自体は嬉しいに違いないのですが、すでに借金まみれの国の財政を考えれば、これ以上国庫から支出して将来にツケを回すことは政治家の無責任ではないかと思っているのです。ところが、私の提案するこの〈減価する振興券〉では、国庫はまったく痛まないのです。なにしろこれは国が日本円と交換する義務を免れている貨幣なのですから(最後の1割分だけは国庫支出が必要になりますが)。すなわち、国は国だけが持つ通貨発行特権(セイニアーリッジ特権)を行使して、ただ振興券を印刷して発行するだけでいい。一般的に通貨発行特権の発動は、インフレを招く悪い政策のように言われています。しかし、各国の通貨が同時に下落して、日本円だけが独歩高になっている現在のこの状況下において、日本政府自身が日本円の強さを多少でも薄めることは、国際的に許されるだけでなく必要な政策ではないかとさえ思われます。500兆円のGDPに対してわずか2兆円です。実験だと考えればちょうどいい規模ではないでしょうか。そして、これは1年間限定の政策ですから、もしも実験が期待どおりの効果を上げれば、その結果を充分に分析した上で、翌年度からは恒常的な政策として採り入れることも考えて行けばいいのです。定額給付金を実施するなら、政府はぜひこの案も検討していただきたい。これは世界随一の国民資産を持つ我が国にだけ許された、贅沢な政策の選択肢なのですから。

(追記です。もしも今回の記事に興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、同じアイデアを手を変え品を変えてあちこちで書いておりますので、以下の記事も参考にしてみてください。

 『マイナス金利という思想について』
 『減価する電子マネーが日本を救う?』 
 『地域通貨を起爆するためのシナリオ(1) (2)』
 『日本円が電子マネーに代わる日』

いずれも経済学には素人の人間が書いたものですから、いろいろと思い違いもあるかと思います。皆さまからのご指摘もお待ちしております。)

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2008年11月 9日 (日)

「消えゆく妻の記憶」という番組を観て

 今週の月曜日に放映されたこの番組については、すでに多くのブログでも話題に取り上げられています。私もこの番組を観てとても強い印象を受けました。芸能界きってのおしどり夫婦と言われていた長門裕之さん、南田洋子さんの生活を取材したドキュメンタリーです。最近テレビでも見かけなくなった南田さんは、三年ほど前から認知症を患い、夫である長門さんの献身的な介護を受けていたのです。カメラはそのおふたりの自宅での日常生活を赤裸々に映し出していました。私たちは認知症という病気が比較的ありふれたものであることを知っていますし、テレビでこの病気を患った高齢者が介護を受ける様子なども割と見慣れていると思います。それでも今回の番組にはとても強く胸に迫るものがありました。それは病気と闘う夫婦の姿が感動的だというだけではなく、私たちの知っていたあの知的で美しい南田洋子さんの変わり果ててしまった姿が、あまりにも痛々しく心を刺激するものであったからです。老人ホームで介護を受けるお年寄りの映像を見ても、ここまで心を動かされることは少ない。それはその人の過去の生活史を私たちが知らないからだと思います。認知症の患者を抱える家族にとって、この病気は何よりも残酷な家族史の断絶として現れます。一緒に暮らしていながら、愛する者が自分の手の届かないどこかに連れ去られてしまう。私自身はそうした経験が無かったので、その苦しみは想像の範囲を出ないものでした。この番組は視聴者に認知症の家族を持つことの擬似体験をさせてくれるものだったと思います。

 若い頃から洋子には苦労をかけどおしだった、今はその贖罪の日々だと語る長門裕之さんの南田さんに対するまなざしは、あくまで冷静でしかも揺るぎない愛情をたたえたものでした。おそらく半世紀も苦楽をともにして来た夫婦だからこそ、あそこまで自然体で妻の介護に打ち込めるのだろう、そんなことも考えさせられ、少し羨ましいような気持ちにもなりました。ふつうなら世間から隠しておきたいと思う老いの現実を、テレビカメラの前で公開するという決断の背景には、自身の生きざまをそのまま映像の世界にさらけ出して来た長門さんの役者魂といったものがあったのだろうと思います。しかし、それはまた同じような苦しみを抱えている多くの人たちにも勇気を与えるものでした。いや、勇気を与えるだけではない、そこには認知症の家族を介護する上での重要なヒントも示されていたように思います。それはこの病気を恥ずべきものとして隠すのではなく、むしろ第三者の目にさらしてしまうことで自分の心の負担を軽くするという発想の大切さです。世間では介護に疲れ果てた末の殺人事件といった痛ましいニュースもよく耳にします。夫婦にしろ親子にしろ、閉ざされた家という空間の中でたったひとりで認知症の家族の世話をするきつさは誰にでも想像が出来るものです。行政が提供する介護サービスを利用することも含めて、その苦しみを外に向けて発信することは介護者としての基本的な心得になるのでしょう。このドキュメンタリーによって長門さんは、番組スタッフも、いやテレビの前で固唾を飲む私たち視聴者をも、ご夫婦に声援を送る仲間に引き入れてしまった。彼は私たちに勇気を与えてくれただけでなく、ご自身もそこから勇気を得ているに違いないのです。

 また私はこの番組を観ながら、自分自身が認知症を発症した場合の心得といったものも考えてしまいました。私は専門家ではないので分かりませんが、病気の進行度合いということは別にして、南田さんは認知症患者としてはとても品のいい、ある意味では扱いやすい患者さんなのではないかと感じました。そしてこれはやはり彼女の長年に亘る女優としての自己陶冶がものを言っているのではないか、そんなことを思ったのです。番組のなかでも紹介されていましたが、彼女の女優としての最後の演技は、昨年公開された映画でのものでした。奇しくもそれは認知症を患った老女の役だったのです。番組を観た人は、おそらく現実の彼女自身がすでに病気に冒されていた時期の、この大女優の最後の演技を深く心に刻んだ筈です。番組のなかで南田さんが、仕事に出かける長門さんを元気だった頃のような柔和な表情で見送る場面がありました。私はこれを見て涙をこらえることが出来ませんでした。女優としての輝かしい過去を持つ彼女は、きっと自身に忍び寄る病気をはっきりと自覚していたに違いありません。そしてそれに怯え、苦しみながらも、これに毅然として立ち向かおうと決意したに違いないと思います。(そうでなければ、最後にあんな役どころを引き受ける筈がないでしょう?) この先、しっかりした治療を受けて、彼女が奇跡的に女優として復帰した時のことを私は想像します。その時彼女は、こんな番組を撮ることを企画した夫を許すだろうか? きっと許す訳がないと思います。それは新たな夫婦喧嘩のタネになるに違いない。しかし、私はこの番組が女優南田洋子の経歴を汚すものだなどとは決して思わない、むしろその反対です。そのことは一視聴者の正直な感想として、ここに証言しておきたいと思います。

 最近読んだオランダの安楽死に関する本の中で、認知症になることの屈辱に耐えられずに安楽死を選ぶ人の話が出ていました。本人によるその決断を私は100パーセント尊重したいと思う者ですが、またもうひとつ突き抜けた境地に立ってみれば、幸福で美しい認知症への向かい方というのも一方にはあるのではないかという気がするのです。いま私は太田正博さんという人の書かれた本を読んでいます。太田さんは若年性アルツハイマー病と闘いながら、「認知症を明るく生きる」というコンセプトで活動を続けている方です。以前確かテレビでも太田さんの話を聴いたことがあるような気がします。彼もまたこの病気に苦しむ多くの人たちに勇気を与えながら、自らもそのことで勇気をもらっている、そういう生き方のコツをつかんだ人なのだと思います。本の表紙を飾る太田さんの笑顔は、本当に明るくて屈託のないものです。歌うことが好きで、児童福祉の世界で長く働いて来られた太田さんは、もともと明るい楽天的な方だったのではないかと想像します。自分のような根が暗くて怒りっぽい人間は、認知症になったらきっと意地の悪い、扱いにくい老人になってしまうに違いない、そう考えると不安になる部分もあります。だから、もしも自分がこの病気にかかるなら、他のことはすべて忘れてしまっても構わないから、とにかく明るくて可愛いボケ老人になろう、その一点だけを紙にも書いて記銘するようにしよう。そしてそれ以外の哲学的な悩みなんか全部捨ててしまえ。そのくらいのことなら、もしかしたら自分にも出来るかも知れない(甘いかも知れないけど)。そんなふうに考えれば、認知症だって怖れるに足らずです。どうです、あなたもそんな気がして来ませんか?

(追記です。私はこれまでこのブログで「認知症」という言葉を使わず、「痴呆症」という言葉で統一して来ました。痴呆症という呼称につきまとう侮蔑的なニュアンスが気にならないではありませんでしたが、一方で認知症という造語が字義として不的確であることに耐えられなかったからです。「認知障害」とか「認知不全症」とでも言うならともかく、「認知症」ってどうなんだろう。今回あえてこの言葉を使ったのは、南田洋子さんのご様子を拝見していて、とても痴呆症という病名は使えなかったということだけで他意はありません。この病気については、相応しい呼び名が出来るまでは、これからも両方の言葉を使い分けて行きたいと思います。)

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2008年11月 3日 (月)

再び安楽死問題について考える

 先日新聞の片隅に載った小さな記事です。千葉県の亀田総合病院というところに入院している筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんが、病院側に安楽死を求める訴えを起こしました。これに対して病院の倫理委員会が審議を行なった結果、患者の訴えを聞くかどうかは病院だけの判断では決定出来ないとの結論を下したのだそうです。いや、結論を下したというより、世論に対して問題提起をしたという意味合いだったのだろうと思います。終末医療における安楽死の問題は、これまでも折りにふれて社会問題化して来たにもかかわらず、私たちの社会が充分に議論を尽さず、ずっと棚上げしたままで来てしまった問題のひとつです。誰もが関わる可能性のある切実な問題であるのに、これについて政治的な議論の場で取り上げられることがあまりに少ない。私もだいぶ前の記事でこの問題を一度取り上げたことがありますが、その時にもこれを宿題として積み残したままにしていました。実を言えば私自身の考え方は初めから決まっていたのです。若い頃から自殺というものに対して比較的寛容な考えを持っていた自分は、終末医療における安楽死というものについても容認したい気持ちを持っていたからです。ただ、そういう自分の気持ちを明確な言葉で表現出来るところまで考えを突き詰めていなかった。今回は自分にとって荷の重いこの問題について考えてみます。書きながら論点を明らかにして行きたい、そういう気持ちもあります。

 安楽死の問題について鋭い発言を続けている立岩真也さんという社会学者の方がいます。この人の本にALSの患者さんの手記を一冊にまとめたものがあります。安楽死の問題を考える時に、しばしばALSという病気が引き合いに出されることには理由があります。これは身体中の筋肉を動かす神経が冒され、最終的には四肢はもちろん眼球さえ自分の意思で動かせなくなるという病気で、現代の医学でもその原因はおろか治療法さえまったく見付かっていない、難病中の難病と言われている病気です。恐ろしいのは、身体の自由が利かなくなる一方で、思考や記憶などの知的な部分はまったく無傷で残されていることで、これによってALSの患者さんは、いわば外界から遮断されて自らの身体の中に閉じ込められてしまうという状況に陥るのです。(このことからこのような病気をロックトイン症候群と呼ぶこともあるそうです。) 現在ほど医学が発達していない時代であれば、ALSを発症しても完全にロックトインされる状態になる前に生命が費えてしまっていたものが、今では人工呼吸器や人工的な栄養の補給によって生きられる(生かされる)ことになった、このことによってこの病気を患う人は非常に過酷な運命を担わされることになった、そんな言い方も出来るのではないかと思います。亀田総合病院で安楽死を求めている患者さんも、今はわずかに動く右頬の動きでなんとか意思表示が出来るけれども(それを可能にする装置が開発されているのだと思います)、それさえも出来なくなってしまったらもう生きて行く意味が無い、そうなる前に安楽死をさせて欲しいと訴えているようです。

 以前に安楽死の問題を考えた時にも、立岩真也さんの文章は心に引っ掛かるものがありました。ALSの患者さんに取材した本を書く一方で、安楽死に対しては否定的な考えを一貫して表明している、その根拠はいったい何なのだろうと疑問に思ったのです。で、今回少し注意深く立岩さんの本を読んでみました。が、私にはこの人の心を駆動しているものが何なのか、どうしても分からなかったのです。一般論として、医療現場での安易な安楽死を認めることに反対する論拠というものがあります。例えば心身に障害がある人の立場を代表する団体が安楽死の合法化に反対するのは、この立法によって、社会的に弱い立場にある障害者の人たちが合法的に安楽死に導かれる(ナチスドイツのように)ことを防止するという意味があるのだと思います。人の生命の重さに軽重などない、とにかく生きていることだけで貴いのだ、そういう考え方は生活人として多くの人が共有している、いわば時代の通念となっているものです。しかし、だからと言って、社会学者という立場の人がこの素朴な時代の通念から、安楽死という微妙な問題を論ずるのはどうなんだろう。立岩さんの文章は、学者の文章というよりも悩める思想家の文章といった趣があって私は嫌いではないのですが、いつも結論として向かうところが「隔てなき生命の貴さ」という点に収斂されてしまう、そのことに違和感を持つのです。というのも、切実に安楽死を求めているALS患者の訴えと、安楽死が合法化されるのは困るという障害者の訴えがあるとして、このふたつは決して矛盾するものではなく、調停出来るものだろうと思うからです。

 医療現場における安楽死の選択が、事件として明るみに出ることは日本ではごく稀です。しかし、誰にでも想像がつくことですが、安楽死をめぐる苦渋の選択は日本中の病院で日々行なわれていることであるに違いありません。問題は、法的な整備という面でも、また国民の意識という点でも、この問題に対する社会の共通合意というものが全く無く、個々の現場に判断が任されていることではないかと思います。1991年に神奈川県の東海大付属病院で、医師が末期癌の患者を安楽死させる事件が起きた時、起訴を受けた医師に下った判決は執行猶予付きの殺人罪でした。この時の判決文では、医師による安楽死の処置が是認されるための四つの条件が提示されました。①患者に耐え難い肉体的苦痛がある。②死が避けられず、死期が迫っている。③他に苦痛を緩和、除去するための方法が無い。④患者本人に安楽死を望む明確な意思表示がある。以上の四項目です。このガイドラインが医療の現場で今も有効であるのか私は知りません。しかし、たとえこれが不文律として定着していたとしても、先のALSの患者さんには適用出来ないことも明らかです。彼の苦しみは主に肉体的なものではなく精神的なものだし、医療機器の助けを借りてはいますが死期が迫っている訳ではないからです。この点、安楽死における先進国と言われるオランダの基準はもっとドラスティックです。オランダでは本人が耐え難い苦痛を感じていれば、それが肉体的なものであろうと精神的なものであろうと、安楽死のための要件になり得るからです。例えば身体の自由が利かなくなって、他人に排泄の世話まで受けるのは精神的に耐え難い、そうした理由で安楽死が認められる場合もあるそうです。また苦痛からの回復の見込みが無ければ、必ずしも死期が迫っている必要も無いようです。

 この問題を解く一番のポイントは、「本人の意思」ということだろうと考えます。自殺というものを法律で禁止出来ないことは、誰が考えても明らかなことです。死んだ本人に刑罰を科すことは不可能ですし、また自殺防止のために遺族に何らかの罰を与える(例えば財産を没収するなどして)ことも現代の常識としてあり得ない選択だからです。日本は毎年三万人以上の自殺者を出していて、先進国中随一の自殺大国という不名誉な称号を得ていますが、そのうちの半数近くが病気を苦にした自殺なのだそうです。例えばオランダで安楽死法が施行された前と後とで、病気を苦にした自殺がどのくらい減ったかという統計があれば知りたい気がします。オランダでは安楽死を法律で認める代わりに、それが許可される条件を厳密に規定しています。またそれが行なわれたことを当局に届け出る義務も明確に示しています。これは机上の思索家の楽観的過ぎる見方かも知れませんが、私は日本でも医療行為としての安楽死が認められれば、病気を苦に自殺する一万五千人のうち、相当数の人を救えるのではないかと考えているのです。とにかく安楽死というものに対する社会の態度を曖昧にして、これを闇の中に閉じ込めておくという態度が一番よくない。そして、いくら法律で禁止したところで、医師や家族による患者の苦痛を見兼ねての安楽死というものは根絶出来ないものである以上、どこかで社会的な合意点を見付けて、この国における安楽死法というものを定めて行かなければならないことは、時代の流れとしても避けられない趨勢であろうと思うのです。

 本人の意思を重視するということは、安楽死というものにも自己責任の原則を持ち込むことに他なりません。これによって医師や家族が責任を問われることは少なくなるにしても、そこにはまた別の難しい問題が現れて来る可能性があります。そのひとつは、自己責任による安楽死を合法化することによって、障害者や高齢者などの社会的弱者に対して、いわば「自発的に選び取る安楽死」という無言の圧力がかかることになるのではないかということです。この点が安楽死問題に対する私たちの最大の懸念ではないかと思います。ただ、そこには経済的なものも含めて現実的な個々の事情というものもあります。病気で寝たきりになって回復の見込みが無い人が、このまま入院を続ければ貯金が医療費にすべて消えて、家族に遺せる財産も無くなってしまうと悩んでいる。もちろんそんなことで悩まないで済むように、医療福祉の制度を充実させなければならないという議論の方が正論です。でも、それは理想論としてはあり得ても、いま現実に悩んでいる人に対しては何も解決にならない。他人に排泄の世話をされてまで生きるのは耐え難いという人がいるように、人にはそれぞれこれ以上生き続けたくないという個別の理由というものがある。それも含めての自己選択ではないかと私は考える訳です。「すべての生は隔てなく貴い」、しかしまた「すべての生には隔てなく死が訪れる」という事実も一方にある訳で、とにかくその時代の技術を駆使して可能な限り延命させることだけが選択肢として正しい訳ではないと思う。もちろん本人が望めばどんな場合にでも医療的な安楽死を認めるべきだなどと主張しているのではありません。そこにはその時代、その社会で合意することの出来る安楽死のための適切なガイドラインのようなものがなければならないと思います。大括りの是非論ではなく、そうした個別具体的な議論こそがこれからは求められるのではないかと考えるのです。

 もうひとつ安楽死に自己決定原理を持ち込むことによって、はっきりと認識されることになる問題は、自分自身でそれを選び取ることの出来ない人たちの問題です。例えばそれはまだ幼い子供であったり、痴呆症に陥ってしまった老人であったり、知的な障害を持っている人であったりします。回復する見込みのない重い病の床につき、苦痛にあえぎつつも、「死にたい」というそのひと言さえ発することの出来ない人たちがいる。この場合こそ私たちの社会は、私たち自身の責任として安楽死という選択肢を引き受けなくてはならないのだろうか? これは正解のない難しい問題です。現実に苦しみ悶えている人を前にして、「生命の貴さ」なんてお題目を唱えることは出来ない。もしも自分で選び取る安楽死のことを「尊厳死」という名前で呼び、第三者の決定に委ねられる「安楽死」と区別するならば、尊厳死に関するルールを作ることは人間の領域の問題だけれども、安楽死に関するルールを定めることは神様の領域の問題ではないかとさえ思われます。が、この難しい問題を宗教に委ねる訳には行かないし、私たちはその判断を現場の医師や家族に押し付ける訳にも行かないと思う。この問題に対する解決案が私にある訳ではありませんが、ひとつだけ言えることがあります。それは第三者の決定による安楽死に何かしらのルールがあり得るとするならば、それは生き残る人間の気持ちの問題では決してなく、安楽死させられる本人の主観的な苦しみや喜びの問題である他はあるまいということです。それを私たちは素朴な思い込みによって外見から判断出来ると考えてはいけない。病気が進行したALS患者のように、想像を絶する激烈な内面的苦痛を抱えていても、それを表情にすら出せない人もいるのです。今日、緩和医療によって終末期の肉体的苦痛はかなり有効に軽減出来るようになりました。一方、現代の医学でも患者の精神的な苦痛を測る術はほとんど進歩していない。私は現代の脳科学や神経科学の一分野として、「苦痛の生理学」といったものが早急に確立されなければならないというようなことを考えています。

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