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2008年10月19日 (日)

音楽を記憶する脳

 歳をとったせいでしょうか、最近はどうも新しいものに対する興味が減った気がします。本を読むのも、このブログのネタを探すために図書館には通っているけれど、小説というものはほとんど読まなくなったし、音楽に関しても昔からのお気に入りのアルバムは毎日聴いているけれど、新譜を探しにCDショップに行くことはほとんど無くなってしまった。特に音楽に関しては、若い頃から注目のアーティストが出す新譜を息をひそめるようにして待ちわびていた自分としては、そうしたワクワクする期待感を持てなくなったことは寂しい限りです。これはひとつには自分の好きなアーティストたちが活動のピークを過ぎて、新作をあまり出さなくなったことがありますし(レナード・コーエンやエンヤの新作が出れば、すぐにでもCD屋さんに飛んで行くのですが)、もうひとつには新作が出てもそれをじっくり聴き込んで、自分の心に刻みつけるという作業が面倒になったということもあるようです。

 映画や小説といったジャンルの作品ならば、初めて接した時の感動がたぶん一番大きいでしょうし、よほど気に入った作品でもなければ繰り返し観たり読んだりはしないのが一般的でしょう。ところが音楽に関してはそうではないような気がします。例えば好きなアーティストのコンサートに行って、初演の新曲が演奏されてもあまり気持ちが乗れないのに、自分の知っている曲が演奏されると一気にテンションが上がる、そういうことは多くの人が経験しているのではないかと思います。私の場合も、一回聴いただけでひとつの曲に惚れ込んでしまうということはほとんど無くて、やはり何度も聴き込んだ結果として、お気に入りの曲やアーティストが決まって来ている。いま自分のiPodに入っている曲は、古いものではもう40年近くも繰り返し聴き込んで、ふるいにかけられて最後に残った曲たちである訳です。これは考えてみれば面白いことだと思います。デジタル化された音楽自体は変わらない訳ですから、何と言うか、自分の脳の方がその音楽を受け入れるように変形する訳ですね。これは比喩的な意味で言っているのではなくて、新しいひとつの曲に馴染むということは、本当にその曲に合わせてニューロンやシナプスの結線が変わるのだと思います。もちろんそれでも馴染める曲とそうでない曲がある訳で、音楽の好みというのは、その曲に自分自身の脳のかたちがしっくり合うかどうかで決まるものと言ってもいいのではないでしょうか。

 いまの時代は人間の精神活動もすべて脳の働きで説明出来るとする考え方が優勢なので、音楽の記憶を含めたすべての記憶も脳の中に物理的な痕跡として残っていると考えるのが現代人の常識であるようです。人間の記憶の世界は、視覚的なものや聴覚的なものから、言語的なものや情緒的なものまで、実に多岐にわたる広大なものですから、その記憶を保存するメカニズムも非常に複雑なものであろうと想像されます。(私の読み齧っただけの知識でも、現代の脳科学は記憶の本質には迫り切れていないようです。) よく脳科学の入門書には、「おばあさんニューロン」なるものが登場します。私たちが自分のおばあさんの顔を見分けられるのは、特定のニューロン(群)におばあさんの特徴が記録されていて、それを記憶の抽斗から取り出すように引っ張り出して来られるからだとする説です。しかし「記憶の抽斗」というこの素朴な仮説は、今日ではあまり支持されないもののようです。むしろ記憶というものは特定のニューロンが個別に担っているものではなくて、脳の広い範囲のニューロンがネットワークを形成して少しずつ分散して記録しているものだとする説の方が有力らしい。(この立場をコネクショニズムと呼びます。) よく私たちは人間の脳をコンピュータに喩えることがありますが、記憶のメカニズムという点では、脳はコンピュータの記憶装置とは異なった仕組みで作動しているもののようです。

 例えば語学を勉強して外国語が話せるようになったとか、子供が補助輪なしで自転車に乗れるようになったとか、そうしたことも脳の特定の部位が進歩した結果というより、脳を構成するネットワークが組み替えられたことの結果として起こることではないだろうか、そう考えた方が常識的にも納得出来るものがあります。試験のために覚えた英単語は、試験が終わればすぐに忘れられてしまうかも知れません。しかし、いったん話せるようになった外国語、乗れるようになった自転車を、脳は簡単には忘れないでしょう。そういう学習は試験勉強とは違って、何かが脳全体として変化したという実感を伴うものではないでしょうか。もっと言えば、それを学ぶ前と後で、自分にとって世界が変わったと感じられるような体験と言ってもいいと思います。これはひとつの音楽を好きになるという体験でも同じだと思うのです。映画や小説と違って、音楽を本当に好きになるためには自分自身を作り変えなければならない。だからそれは結構しんどいことだし、そうやって獲得されたお気に入りの音楽は一生の財産にもなり得る。確かアインシュタインが、「あなたにとって〈死〉とは何ですか?」と訊ねられて、「モーツァルトを聴けなくなること」と答えたというエピソードがあったと思います。アインシュタインの脳の中には、難しい物理学の理論とともにモーツァルトの曲の数々が刻み込まれていたんですね。死によってこの財産を失うのが惜しいという気持ちは、平凡な音楽ファンの私にも実感として分かります。

 最初の話題に戻って、最近は新しい音楽を聴くことが少なくなったという話ですが、これはやはり年齢のせいで若い頃よりも脳の柔軟性・可塑性が低下したということがひとつあると思います。今回の記事を書きながら、思い付いたアイデアがあります。自分が中学生の頃のこと、音楽に関してひとつ鮮烈な体験をしたことがありました。試験勉強で夜遅くまで起きていた自分は、疲れて机の上に突っ伏して眠ってしまったのです。その時FMラジオから流れて来た曲に眠っている自分の心が反応して、気が付くと感動で滂沱の涙が流れていた。そんな経験は後にも先にもその時が初めてだったので、驚いたのを覚えています。(その時流れていたのはドン・マクリーンの『ヴィンセント』という曲でした。今でも私の財産目録の大事な1曲です。) つまり、眠っていても音楽を受け入れる脳の部分は機能していたのですね。そういうことであるならば、これを新しい曲を自分の脳に覚え込ませるために応用出来るのではないか。むかし睡眠学習器という怪しげな機械がありましたが、自分にとって新しい音楽を眠っているあいだずっとBGMのように流し続けてみたらどうだろう。1週間くらい毎晩それを続ければ、その音楽が好きになるかどうかは別にして、聴き慣れたものにはなるのではないでしょうか。ということで実験を始めてみることにしました。実験のやり方とその結果については、この記事のコメントでまたご報告したいと思います。

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コメント

「新しい音楽」ということをLike_an_Arrowさんはかなり狭く捉えられているのではないですか。お話の様子ですと少なくとも最新の作品から2~3年以内のものだけで考えておられるようです。しかもかなりメジャー寄りのミュージシャンについて。

音楽体験と言うのは非常にプライベートなもので、それこそ百人百様ということなのでしょうけど、僕は学生時代はほとんど音楽に関心が無く、聴いていたのはその時代の日本のポップスのヒット曲。アルバムまで買うようなミュージシャンはMr.childrenくらいでした。でも20代半ば辺りでふとした機会にアメリカのジャズに触れてどっぷり音楽に浸かるようになりました。それが引き金で全く興味の無かったブルースやファンク、更にはクラシック(もちろんモーツァルトも)に目が行くようになり、最近ではアフリカのミュージシャンに興味があります。

「最近音楽がつまらなくなった」と嘆く人は狭い音楽業界だけのことを言っているように思います。確かにこれは僕もそう感じます。でも目を見開いて(耳を開いて)過去の音楽や日本・アメリカのメジャーシーン以外を聴いてみたらそんな意見は言えなくなると思います。僕にとっては音楽に関して(芸術一般についても)「最新」「メジャー」という言葉には何の価値もありません。過去の音楽を個人が発見(知っている人から見れば何を今更ということなんでしょうけど)すれば、それは「新しい音楽」として僕達の前に現れるのですから。

それとiPodをお持ちでしたらランダム機能で曲順をシャッフルして聴いてみることをお勧めします。聴き慣れた曲が違った表情を見せる不思議な感覚が味わえますよ。

投稿: 法哲 | 2008年10月21日 (火) 17時11分

法哲さん、コメントありがとうございます。

たぶん自分ではあまりメジャーではない音楽ばかり聴いて来たような気がするのですが、やはり日本にいてCDやメディアを通して音楽を聴く以上、ホンモノの音楽に巡り合う機会は少ないのかも知れません。

法哲さんがアフリカのミュージシャンに興味をお持ちだということで、私も自分の好きなワールド・ミュージックについて新しい記事を書いてみました。こちらにもまたご感想をいただけると嬉しいです。

投稿: Like_an_Arrow | 2008年10月26日 (日) 19時44分

 ということで、今週は夜寝ているあいだに、これまで聴いたことのない音楽をBGMで流してみるという実験をしてみました。実験に使ったのは、カルロ・ジェズアルドという作曲家のマドリガル集。むかし買って封も開けていなかったCDがあったので、それを使ってみることにしたのです。バロック以前の音楽に興味があった時期があって、その頃に手に入れたCDなのですが、別にジェズアルドという作曲家が好きだった訳でもないので、たぶん知っている曲は1曲も無い筈です。実験は、全16曲のアルバムのうち5曲をランダムに選び、それをiPodに入れてリピートモードで枕元のスピーカーから繰り返し流すことで行ないました。入眠前に聴いて記憶してしまわないよう、スピーカーの電源を就寝1時間後に入れるようキッチンタイマーで制御しました(そこまでやるか。笑)。で、今日初めてCDを全曲通して聴き、どの曲が聴き覚えがあるか、聴き覚えがないまでも何となく懐かしい旋律はないか、チェックをしてみたのです。なにしろ、この中の5曲だけは、自分の脳がそれぞれ100回以上聴いている筈の曲なのです。結果はどうだったと思います? 16曲のうち5曲にチェックを付けて、あとで答え合わせをしてみたら、2曲だけが当たっていた。それも偶然当たったというだけで、どの曲も全然聴き覚えなんて無いし、懐かしさも感じなかったのです。ただ今週はなんとなく夜熟睡出来なくて、疲れがたまっただけでした(笑)。という訳で、音楽に関しては睡眠学習というのは効果が無さそうだというのが結論になります。m(_ _)m

投稿: Like_an_Arrow | 2008年10月26日 (日) 19時46分

あらららら、Like_an_Arrowさん、物凄く渋い所を聴いていますね。或る意味で僕よりその辺りは詳しい・・・・。これじゃ僕のコメントがまるで馬鹿みたいじゃないですか。どうも失礼致しました。(でも、まだまだ知らない良い音楽が山ほど眠ってると思うんだけどなあ・・・。聴き疲れということなのかなあ。)

もしかすると癒し系のサウンドが好みでしょうか。まさかラヴィ・シャンカールの名前が出てくるとは思いませんでした。ジョン・コルトレーンが死の直前に師事しようとインドに渡る計画まで立てた人です。今ではノラ・ジョーンズの父親と言った方が普通の人には分かりやすいでしょうね。ノラなんかはどうですか?父親とは全く違う方向性ですが。歌声がいいんですよね。

僕の場合、ワールドミュージックと言ってもかなり(音楽ビジネス的に)大衆寄りのパンチの効いた音楽が好みで、アフリカでは何と言ってもナイジェリアのフェラ・クティにとどめを差します。(えーと、もちろん下ネタではありません、念の為。)これは多分Like_an_Arrowさんの好みではないでしょうが。知ってらっしゃるかどうか分かりませんが、サリフ・ケイタなんかはどうでしょうか。ライヴで聴いた時には凄く感動しました。パンフレットには「黄金の声の持ち主」なんて惹句がありましたが、全くそのとおりでした。

ブラジルのイヴァン・リンスとかはどうですか。良い意味でポップな分かりやすい美メロで、これは飽きません。

多分みんな「もうとっくに知ってるよ」くらいの有名なミュージシャンしか挙げられず恥ずかしいですが、もし万が一知らなかったらどこかでチェックしてもらいたいです。

ちなみに今聴いて気に入っているのはBlind Willie Mctell。戦前に活躍した盲目のブルースマンです。エレキではありません。アコギのブルースです。昔は「ブルースなんてしみったれたサウンド」、なんて思っていたのですが、年を取ったということでしょうか。やたら身に沁みます。

投稿: 法哲 | 2008年10月27日 (月) 02時38分

法哲さん、コメントをありがとうございます。例によってコメントバックが遅くなってすみません。やはり死刑の話よりも、こういった話題の方が書いていても楽しいですね。(笑)

ご指摘のとおり私の音楽の趣味は、どちらかと言うと〈癒し系〉のものに偏っているようです。リズムよりメロディ、アップテンポなものよりスローテンポなもの、西洋楽器より民族楽器が好みといった感じです。だからジャンルにはこだわらずに音楽を聴くのですが、これまでにハードロックとジャズはほとんど守備範囲外でした。メロディの美しいジャズのスタンダードナンバーは好きですけど。

ノラ・ジョーンズもフェラ・クティもサリフ・ケイタもイヴァン・リンスも、たぶんこれまでに聴いたことが無かったと思います。音楽をダウンロードして聴く習慣は無いのですが、今度聴いてみようと思います。おすすめのアルバムや曲があったら教えていただけますか? 私の持っているアフリカ音楽のCDで、比較的パッショネートなもので気に入っているのはフクウェ・ザウォーセという人です。これも「親指ピアノ」系の演奏家で、大型のイリンバという楽器の響きがすごい。もう故人ですが、親日家で日本にもたびたび来たことのある人のようです。ヒロシマをテーマにした曲もあります。

最近CDショップが元気がありませんね。たまに覗いてみても、とにかく品揃えが悪くなった。音楽ファンがCDからダウンロードにシフトしているせいだと思いますが、それではダウンロード・サイトに行けば自分の探している音楽があるかと言えば、やはりほとんど見付からないのです。ロングテールなんてどこの世界の話かと思うくらい。これは本の世界も同じですね。なんだか寂しい限りです。

投稿: Like_an_Arrow | 2008年11月 3日 (月) 11時25分

>ご指摘のとおり私の音楽の趣味は、どちらかと言うと〈癒し系〉のものに偏っているようです。

ああ、やっぱり。疲れているときは肩の凝らない音楽はいいですよね。僕はハードロックも60年代のスリリングなジャズも大好きですが、やっぱり長時間聴いていると体も精神もクタクタになりますから。やっぱり年を食ったと言うことでしょうね。でもまさかこれまで見向きもしなかった1920~30年代の古典ブルースに目覚めるとは思いもしませんでしたが。

ノラ・ジョーンズはスモ-キーな歌声とジャズ・カントリー的なサウンドが好みに合えば全アルバムOKでしょう。

フェラ・クティは絶対ダメです。(笑)死人も飛び起きそうなほどの強烈なリズムのファンキーサウンドですから。

サリフ・ケイタはマリの王族出身だそうです。周囲の大反対を押し切ってミュージシャンになったとか。アルバムによってはエレクトリックを取り入れているのでアコーステックなサウンドでやってるものがいいですが、この人は本当は生で聴いた方がいいんだろうなあ。僕は青山のブルーノート東京で何年か前に聴きました。まあ、ボーカルが気に入るかどうかが問題です。

イヴァン・リンスは一番安心してお勧めできますね。爽やかで分かりやすいメロディ。でも決して所謂「イージーリスニング」ではありません。ブラジル人らしい「陽」が押し付けがましくなく音楽を彩っていて、さらさらと聴けてしまいます。リズミックだけどうるさく感じないのです。柔らかい印象のポルトガル語が良いんでしょうか。70年代のスタジオ録音のアルバム諸作はどれも名曲ぞろいで僕は「Modo Livre」を押します。すぐに覚えられるくらい印象的なメロディがたくさんあります。ライヴ盤は「Cantando Historias」と「Saudades de Casa」が素晴らしい。前者は力強いライヴ感、後者は優しいバラッド中心の編集になっています。でもこの人のボーカルは力強いと言ってもどこまでも爽やかで聴き疲れしないところがよい。まだこの人を聴いたことが無いというのは幸せです。大プッシュしますよ。この人は現役バリバリですし、日本にも度々来ています。

ジャズは守備範囲外ですか。50年代のジャズは気持ちをほっこりさせてくれるものが結構ありますよ。試しにマイルス・デイヴィスの「Relaxin’」、「Kind of Blue」ベタ中のベタですがお勧めします。(ジャズ=夜のイメージを持っている場合、ドンピシャはこれもマイルスの「Round Midnight」でしょう。)

投稿: 法哲 | 2008年11月 3日 (月) 15時48分

・・・と書いた所で この前Like_an_Arrowさんが挙げていたミュージシャンの音をちょっと試聴してみました。

・・・・・ふむふむ、どうやら Like_an_Arrowさんは余計な塩コショウを入れずに素材そのものの味を楽しむ方のようですね。となると僕が挙げた人たちはアコースティックのサリフ・ケイタを含めてもう既にかなり濃い味付けになってしまっているかも。(ノラはゆったりした楽曲がほとんどなので大丈夫だと思うけど)

しかし逆にこれだけ「ど」がつく民族音楽が好みなら、ジョー・ザヴィヌルの「My Peaple」とかひょっとして気に入るかも知れません。ザヴィヌルはウェザー・リポートという有名なジャズ・フュージョングループのリーダーだった人で、このグループを解散した後、特に晩年にアフリカ、中東辺りのワールドミュージックに傾倒していたのでおもしろいかもしれません。ただやっぱりこの人は元ジャズミュージシャンなので単なる「ヒーリング」はやりませんからやはり好みからは外れるでしょうねえ。「My Peaple」はちょっとだけチェックしてみて下さい。ちとパワーがありすぎますが、もろにワールドミュージックしています。

投稿: 法哲 | 2008年11月 3日 (月) 17時11分

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