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2008年10月12日 (日)

政権交代に期待します

 麻生首相はタイミングを逸したと思います。首相就任後、間髪を入れずに解散に持ち込めば、今よりずっと有利な条件で衆院選を戦えたでしょう。美味しくはないが鮮度だけは良い果物を売ろうとするなら、買い手に考えるいとまを与えずに叩き売るのが商売のコツというものです。麻生政権への支持率を見ても明らかなとおり、状況は刻一刻と厳しさを増している。麻生さんの国会での答弁を聞いていると、この人のもとではもう二度と自民党にチャンスは巡って来まいと思えてしまいます。野党の質問を真っ向から受け止めない皮肉な口調の答弁、感情がすぐに表情に出てしまう余裕の無さ、そうしたものが一国の首相としてふさわしいかどうか。安倍さんも福田さんも、一国の首長としての器量は持たなかったかも知れませんが、少なくとも安倍さんには誠実な人柄というものがあったし、福田さんには(首相就任当初は)中庸を取るバランス感覚があった。ところが麻生さんには一体何があるというのでしょう? 国民はいまじっくりと品定めをしているところだと思いますが、私にはこの人が国民に人気があるという前評判がどうしても信じられないのです。少し前に二世議員を廃止しようという記事をこのブログに書きました。出て来る人、出て来る人、すべて世襲議員で、しかもどんどん小粒になって行く。まあ、一刻も早く自民党に政権を下りて欲しい自分としては、文句のつけようがない展開とも言えますが。

 小沢一郎さんという政治家は嫌いだし、もともと民主党を支持している訳でもありませんが、今回だけはぜひとも民主党に政権を取っていただきたい、そう本気で思います。追い詰められた自民党は、いまだに「民主党には政権担当能力が無い」なんてことを馬鹿のひとつ覚えのように言っています。しかし、ここ2年間の政治的空白を見ても、当の自民党自身がとっくに政権担当能力を失ってしまっていることは明らかではないですか。いまの自民党政権で次々に噴出して来る問題、年金記録改竄の問題も、霞ヶ関埋蔵金という問題も、また天下りや官製談合といった問題も、その根っこにあるのは政治思想の正統性というようなことではなく、あまりに長い年月に亘って一党独裁が続いたことに必然的に伴う政治組織と官僚組織の腐敗ということに他ならないと思います。だから次の選挙ではどちらの党の政策がより現実的であるとか、成長と福祉のどちらを優先するかといったことが争点なのでは全然なくて、とにかく政権を一回ひっくり返してみること、そのこと自体が重要なのだと思う。もともと民主党というのは、自民党の派閥抗争によって分離独立した政党であって、自民党と政策理念上の本質的な対立がある訳ではありません。これがアメリカの共和党と民主党という話なら、宗教的、倫理的なバックボーンがまるで異なっているので、政策においても互いに相容れない深刻な対立があります。が、自民党と民主党とでは、自分のようなリベラル派にとって政策や理念を比べてどちらかを選択することには意味が無い。それでも今回私が民主党を応援したいのは、政権交代の既成事実を作って、これまで既得権の上にあぐらをかいて、この国を腐敗させて来た層に揺さぶりをかけたいという理由以外にはありません。きっと多くの有権者は、同じように感じているに違いないと思います。

 日本でもこれから本格的な二大政党の時代が来るのかも知れない、そう予測する人は多いと思います。しかし、それは欧米諸国でよく見られる二大政党制というのとはちょっと違います。背景にある政治思想や当面の政策においてもあまり目立った違いの無いふたつの政党が、政権を争うことに何の意味があるのか、もしかしたら外国からはそういった目で見られる場合もあるかも知れません。しかし、私はここにこの国の国民が政治的に成熟して来た証を見ることも出来るように思うのです。古くから日本人のメンタリティのなかには、「判官びいき」というものがあると言われて来ました。判官というのは九郎判官義経のことですね。日本人は源義経のように正義感があって、しかも勢力関係では弱い立場にある人をどうしても応援せずにはいられない。これさえあれば、政治思想がどうこうなんて関係無く、健全な二大政党制を維持して行くためには充分であるような気がします。つまり、どの政党に〈義〉があるかを感じ取るアンテナを鋭くして、あとはその時点で劣勢にある方の政党に投票するという行動パターンが一般化すれば、常に政権交代の可能性のある二大政党制が自然に実現してしまう。日本の有権者には無党派層が多いと言われます。これも悪く取れば日本人の政治的な定見の無さということになるのでしょうが、前向きに捉えれば特定の政治思想にとらわれない融通無碍な立場を保っていると言えないこともない。とにかくこういう国民を抱えた国の政権与党は大変です。政権にいるというだけで次の選挙では不利になる訳だし、ひとりの大臣の失言だけで大量の浮動票が逃げて行ってしまうことにもなる。このことは政治の世界に良い意味での緊張感をもたらさずにはいません。

 もともと私は政党政治というものに不信感を持っていました。特に今日のような複雑な社会では、すべての領域で政治的な価値観が一致するなんてことはある筈がありませんから、政党に所属する議員や候補者は自分の信念を曲げざるを得ない場面も多いに違いありません。例えば私は護憲派の人間なので、所属政党はどうあれ憲法を守ってくれる人を選びたい。しかし、小沢さんがどうしても改憲にこだわって党議拘束をかけて来るようなことがあればどうしようもない。私はこれからの政治政党(特に民主党)に注文したいのですが、これからの政党はなるべく緩やかな政策の集合体であって欲しい、そして可能な限り党議拘束という手段に訴えないで欲しいと思います。例えばこのご時勢に憲法問題ではっきりした方針を打ち出すことは、自民党も民主党も恐くて出来ない筈です。それは党を分裂させてしまうからです。でも、考えようによっては、憲法問題といったものは、これはどちらかと言えば宗教問題に近いもので、議論をしても神学論争に陥ってしまうだけの問題です。むしろ日本は信仰の自由を保障している国なのだから、同じ党に護憲派と改憲派が同居していても一向構わないと考えればいい。社民党や共産党のようなマイナー政党が、護憲というコアな部分で勝負するのは全然構いませんが、政権を担う意思のある大政党が護憲または改憲で党議拘束をかけるなんてことは愚かだと思います。これは憲法問題に限りません、靖国問題や教科書問題や皇室典範問題でも同じ、要するにナショナリスティックな感情に訴える部分の問題は、党の綱領からはずしてしまえばいいだけの話です。

 そうは言っても、政党としてのアイデンティティはやはり必要でしょう。いまの民主党が自民党に対抗する軸をひとつ持つとすれば、それは社会格差の是正や経済政策をどうするかといった問題に対する考え方の違いということよりも、もっとずっと根本的な問題、すなわちこれからの時代にアメリカへの距離の取り方をどうするかという点だと思います。私は自民党という政党を、戦後50年以上に亘って続いて来たアメリカの傀儡政権だと捉えていますから、ここで政権が替わることの意味はまさにそこにあると考える訳です。もしも60年安保、70年安保の時に政権が替わっていたら、おそらく日本は恐ろしい政治的経済的混乱の中に投げ込まれていたでしょうし、今日の繁栄も無かったかも知れない。しかし、あの頃に比べて社会も政治も成熟した今なら、もっと穏やかで現実的なやり方で、「アメリカの属国」という立場からの脱皮が可能になるのではないか。それは具体的には日米安保条約をどう見直すかということであり、また経済的には米ドル一辺倒の外貨準備政策をどう変えて行くかということです。今はちょうど、金融崩壊でアメリカの国力が急降下している時ですから、ここで自民党の一党支配が終わるというのはまさにグッドタイミングだと言えます。この大きな変革から見れば、小泉前首相(ちょっと恥ずかしい引退劇を演じましたね)が主導した構造改革なんて、まったくのまやかしでしかなかったことが明らかになるでしょう。なにしろそれは、崩壊したアメリカ金融主義への迎合でしかなかった訳ですから。

 蛇足をひとつ。これも今回有権者の多くが感じたことだと思いますが、民主党の冒頭質問に立った長妻昭さんは実に頼もしいと感じました。この人が追及しなければ、年金問題だってここまで大きな問題にはならなかった訳でしょう。もしも年金改革が成功すれば(それは絶対に成功させなければなりませんが)、これからの高齢化社会を救ったのはまさに長妻さんだったことになる。この人はとにかくコトバが理路整然としていて、分かりやすいところがいい。「日本は強くあらねばなりません」などと時代錯誤のセリフを吐いて自己陶酔している首相とは好対照です。長妻さんはもちろん二世議員などではありません、もともとは新聞記者から政治の世界に入った人だったそうです。以前読んで感心した長妻さんへのインタビュー記事があるのでリンクを張っておきます。コネも地盤も無く政治の世界に飛び込むのはよほど勇気が要ると思いますが、それを決断させたのは同じ立場の先輩である菅直人さんの次の言葉だったそうです。「いや、コネがない人ほどいい政治家になれる。コネがない、親戚も何も関係なければ、しがらみがないから、本当に政治のことが考えられる」。いいよねえ。麻生さんだって別に悪い人間じゃないと思うけど、やっぱり次の日本のリーダーにはこういう人たちになって欲しいよね。

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コメント

はじめまして。

少し前に死刑関連の検索でこのブログにたどり着き、流麗な文章と明晰な思考に魅せられて、以来たびたび訪問させていただいています。記事の中では特に中原中也とカフカを扱ったものに感銘を受けました。

じつはわたしも以前ブログを書いていて、この度また始めました。
http://p-penelope.cocolog-nifty.com/
なぜ再開したのかわからないなんて書いていますが、巷間哲学者さんのこのブログに刺激されたというのも理由としては挙げられそうです。いつかご訪問して下さると嬉しく思います。では。

投稿: Y. | 2008年10月14日 (火) 02時12分

Y.さん、はじめまして。コメントありがとうございます。

「流麗な文章と明晰な思考」なんてちょっとありえない褒めコトバですが、中也やカフカについて書いた文章を気に入っていただけたというのはとても嬉しいです。

お知らせいただいたブログ、拝見しました。ぜひ再開前のオリジナル『花のワルツ』のアドレスもお教えいただけますか。今後ともどうぞよろしくお願いします。

投稿: Like_an_Arrow | 2008年10月14日 (火) 02時47分

>ぜひ再開前のオリジナル『花のワルツ』のアドレスもお教えいただけますか。

すみません。削除してしまったのでウェブ上にはもう存在していないのです。わたしの自己紹介を少ししますと、年齢はたぶんLike_an_Arrowさんよりはだいぶ若くて、同じく思想とか文学とかいうものに興味を持ってしまったというタイプの人間です。これから気楽にお付き合いいただけたら嬉しく思います。では!

投稿: Y. | 2008年10月14日 (火) 23時03分

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