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2008年9月21日 (日)

歌うことがすべてという生き方

 前々回は中島みゆきさんの歌について書きました。今回は山崎ハコさんの歌について書きます。このふたりの歌に支えられて、それなりに苦しかった青春時代をなんとか乗り切ったという記憶が私にはあります。若い頃から文学にかぶれていた私は、ニーチェやドストエフスキーや小林秀雄の本ばかりを耽読していた時期がありました。それは確かに強烈なインパクトを自分の心に与えましたが(その影響が今も残っていることは、このブログを読み返してみれば一目瞭然です)、多分にそれは知的な領域での出来事に過ぎなかった。同時代を生きる彼女たちの肉声は、十代から二十代にかけての(今より多少は感受性豊かだった)自分の心のもっと深い部分に浸透して、自我を構成するものの一部になってしまった気がする。当時むさぼるように聴いた歌の多くを、いまでも心のなかで空で暗誦出来るところを見ると、そのことが確認出来るように思うのです。もしも五十歳を過ぎた現在の自分が、たとえこういった存在感を持った歌い手を初めて知ったとしても、ここまで深い出会いは体験出来なかった気がする。そう考えると、こういうものはやはり一期一会なのだとしみじみ感じるのです。

 奇しくも、と言っていいと思いますが、中島みゆきさんと山崎ハコさんは同じ1975年9月にレコード・デビューをしています。鮮烈なデビューを飾ったふたりのシンガー・ソングライターのその後の運命は、しかし、大きく異なったものになりました。ウィキペディアによると、みゆきさんは1970代から2000代まで4つの時代でシングル・チャートの1位を記録した唯一のソロ・シンガーなのだそうです。一方のハコさんは、同じくウィキペディアの記述を見てみれば、「所属事務所が倒産したことで一時期ホームレスにも近い極貧生活をしていたこともある」なんて書かれている。確かにオリジナル・アルバムという意味では、1996年の『唯心』を最後に新譜が出ていませんし、売れるか売れないかということは別にしても、山崎ハコの歌が一番輝いていたのは、やはり十八歳でデビューしてから数年間のことだったように思うのです。詩人という存在にはもともとふたつのタイプがあって、成熟型の詩人と燃焼型の詩人というものに分類出来るのかも知れない。みゆきさんがひとつの場所に留まって自分の世界を深化させて行く成熟型タイプの典型であったのに対し、ハコさんは青春の一瞬のきらめきをその時代にしか歌えない歌のなかに凝縮させた燃焼型タイプの典型だったように思われるのです。青春のきらめきなどと言えば、希望に満ちた若さや明るさを想像する人もいると思いますが、実は青春というものが最高の輝きを放つのは、自己の潜在的な力に対する不遜とも言える自負が、既成の社会に対する激しい嫌悪感や違和感を触媒として起爆した時にこそ現れるものではないかという気がします。これは例えばアルチュール・ランボーの詩や、尾崎豊の歌などを思い起こしてもらえば誰にも理解しやすいことでしょう。

 山崎ハコさんという人は、おそらく専門的な音楽教育を受けたことはないにも関わらず、ソングライターとして非常に早熟な開花をした人であったようです。デビューしたばかりの彼女が、初めてラジオの深夜放送にゲストとして出演したのは、馬場こずえさんの(懐かしい…)パックインミュージック第2部だったと記憶します。この番組でハコさんの歌を初めて聴いた自分は、彼女がゲストで出るというのでエアチェック(死語ですね)の準備をしてその日を待ちました。今でも実家のどこかにその時のカセットテープが転がっている筈です。確かその時の話では、彼女がコンテストで最初に歌った歌がデビューアルバムに収められている『影が見えない』という曲で、15歳の時に作った曲だということでした。これが彼女の処女作だったのか、私は知りません。が、今でもCDで聴けるこの曲を15歳の女の子が作ったという事実だけでも、初めて彼女の歌を聴く人には充分なインパクトがあると思います。そこには明らかな天才の刻印がある。天才というのは、凡人をはるかに抜いた天賦の才能を持った人という意味ではありません、凡人には考えも及ばない〈宿命〉を背負って生まれて来た人という意味です。(こういう言い方が誇張だと思われるなら、『飛・び・ま・す』という彼女のデビューアルバムをぜひ聴いてみてください。) 概してハコさんの歌は、心地よいBGMとして聴くのに適した歌とは言えません、聴く者の心に鋭い刃を突き付けずにはおかないような恐い歌が多い。だから初期の彼女のファンはみな、新譜が出るたびにこれと対決するような気持ちでレコードに針を落とした覚えがある筈です。しかし、実は山崎ハコの歌と一番真剣に対決せざるを得なかったのは、その後の彼女自身でした。

 デビューアルバムのタイトルにもなった『飛びます』という曲を始めとして、彼女の歌には〈旅立ち〉をテーマにしたものが多いのが特徴です。それも単に旅情を求める旅であるとか、あるいは若者によくある〈自分探しの旅〉といったようなものでは決してありません、いつも旅立つ先は人っ子ひとりいない荒涼とした風景の場所です。「愛も無い、優しさも無い、冷たいだけの海に向かって」(『何度めかのグッバイ』)、繰り返し彼女は旅立とうとする。例えば失恋のつらさや愛する者を失った悲しみといったものなら、その原因は自分というものの外にあるので、誰かの優しい言葉で癒してもらうことも出来るかも知れない。しかし、自分自身のなかから湧き起こって来る渇きや、遠い何ものかに対する憧れは、これは外部からの刺激で満たす訳にはいかない。ここではないどこかに向かって、彼女は常に何かに急き立てられているように見える。「自分自身を乗り越えて行く」というイメージを、彼女ほど一貫して持っているシンガー・ソングライターは他にいないのではないかと思います。青春の起爆力を社会体制への反抗という一点に集中させて燃焼してしまう若者は、やがて燃え尽きてその体制のなかに取り込まれてしまうのが普通でしょう。が、なかには(少数だけれども)その若さのエネルギーを深い自己沈潜という方向に向ける人もいるのです。特に初期の作品に見られる、恐ろしいほどのエネルギーの充溢と、今いる場所に留まることを許さない不安定さの感覚は、他のどんなシンガー・ソングライターの作品にも求めがたいものです。いや、ポピュラー音楽の世界にとどまらず、広く文学の世界を見回してみても、この半世紀のあいだに〈青春文学〉というジャンルで彼女以上の表現を達成したアーティストはひとりもいなかったのではないかと私は思うのです。

 もしも山崎ハコさんの作品を第1期と第2期に分けるとすれば、その分水嶺になるのは『幻想旅行』というアルバムだったと思います。これは文字通り〈旅〉をテーマにした企画アルバムで、実際に彼女が(たぶんコンサート・ツアーで)日本中を旅行して回った時の印象が、その土地の風景を織り込んで歌われた作品集です。1981年にパート1の東日本編が出て、翌年にパート2の西日本編が発表されました。(残念ながら、彼女の多くの初期アルバムと同様、これもCD化されていません。) 最初にこれを聴いた時、これは画期的なアルバムだと感じました。それまでの内向的で、自分の心のなかでだけ繰り返し旅立ちの歌を歌っていたハコさんが、現実の旅に出たのですから。そこには非常に内省的な青年が、初めて社会と触れ合った時に感じるような初々しい感動が満ちていた。これ以降、山崎ハコさんの歌には(深さはともかく)幅が出たように思います。いい意味でポピュラリティのある傑作が次々に生み出された。それと同時に、初期の内省的な山崎ハコの世界にどっぷり浸かっていたファンにとっては、新しい彼女の作品に戸惑いを感じる場面も多くなったのではないかと思います(私自身のことです)。最近のインタビューで、ハコさんは初期の名作『流れ酔い唄』を超える作品を生み出すことが出来ずに悩んだ時期があったと話しています。過去にあれだけの頂点を極めてしまったアーティストの苦しみを、我々ファンは思ってみることが出来なかった。そして山崎ハコもふつうのフォーク歌手になってしまったなどと、分かったような口を利いていた(私自身のことです。苦笑)。何のことはない、自分が大人になりそびれただけだったのに、それをハコの方が変節したなどとこじつけていたんですね。

 この3週間ほど、山崎ハコさんの音楽を集中的に聴き込んでいます。CDを買ってたぶん一度しか聴かなかったアルバムもありました。今年新しく出たシングル盤(『BEETLE』)も含めて、自分の持っているデジタル音源をすべてiPodに放り込んで、シャッフルモードで聴いていると、これが実にいいのです。デビューアルバムの曲と最近のシングル曲が続けて流れても全然違和感が無い。「自分にとって歌がすべて」と言っていた十代の頃の彼女の言葉は、掛け値なしに真実だったのだと実感しました。変わってしまったのは彼女ではなく、自分の方だったのです。山崎ハコという人は、デビュー当時から現在に至るまで、「ネクラ」の代名詞のように言われ続けて来ましたが(まったくイヤなコトバですね)、インタビュー記事を読むと、彼女自身がそのことで深く傷ついていたことが分かります。軽薄短小なんて呼ばれる時代の趨勢のなかで、彼女ほどアーティストとしても生活人としてもつらい孤独な道を歩いて来た人はそうはいないのではないか。それを思うと、青春時代にあれほど多くのものを貰っておきながら、ずっと彼女のファンであり続けられなかった自分がいまさら恥ずかしくなるのです。このさき彼女がどのように変わっていこうとも、自分はもう彼女の歌から離れてはいけない。彼女にとって歌が人生のすべてであるように、自分にとっては山崎ハコの歌が青春のすべてだったのだから…

 と、ちょっと感傷的にハコさんに捧げるオマージュを締めくくってみたところで、恒例の私が選んだベスト曲集です(笑)。ハコさんのような古い自分を振り捨てていくタイプの歌い手では、いろいろな時期の曲を集めて統一感あるベストアルバムを作るのは難しいと感じます。が、その統一感の無さというか、多様性こそがハコさんの本領であることを考えれば、これもまた味わいなのだと思い直すことにしました。自分が思い入れのある曲を集めると、どうしても初期の曲に選曲が偏ってしまうので、なるべくたくさんのアルバムから幅広く採るように心がけてみました。ということで、気になる曲目紹介はこちらをどうぞ。

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コメント

 ハコさんのベスト曲集を作ろうとして悩ましいのが、優れた作品なのに一度もCDになっていないものが多いということです。昔からのファンとしては、そうした隠れた名曲も入れて自慢したいところですが、私自身いま手持ちのレコードからiPodに移す手立てが無いので、今回は諦めることにしました。括弧内は収録アルバムのタイトルです。2つ併記しているものは、先の方がCD化されていないオリジナル・アルバムで、後の方がCD化されたベスト盤になります。今はもう絶版になっているものもあると思いますが、インターネット・オークションなどでは比較的手に入れやすいものばかりではないかと思います。

『山崎ハコ All Time Best』 by Like_an_Arrow

1.夢 【歩いて(1980)、Dear My Songs(2001)】

 ハコさんのベスト曲集を作る時には、いつも「1曲目はこれ」とカセットテープの時代から決めていました。私がひそかに山崎ハコのテーマソングと決めている曲です。彼女の胸に燃えているもののかたちが、この曲の詞からはっきり伝わって来るような気がします。奥が深いけれども、とても幸福な印象を残す1曲です。

2.歌いたいの 【綱渡り(1976)】

 初期の名曲の中でも、やはりこの曲ははずせません。繊細で印象的なギターのイントロが響くと、それだけでもう胸がキュンとしてしまいます。デビューしたばかりの頃の歌には、聴き手の男性に向かって一対一で語りかけるような詞が多くて、それで我々はみんなへなへなとハコさんに恋してしまったのでした。

3.旅の人 【風の色(1983)、Dear My Songs(2001)】

 舞台はどこか地方の街のカウンターだけの小さなバー。店には年配のマスターと旅の途中とおぼしき中年の客のふたりだけ。そんなありふれた情景が、彼女の詞と曲で詩情あふれる一幅の絵となって定着しました。まるで古い映画のワンシーンのよう。後藤次利さんのアレンジが曲を素晴らしく引き立てています。

4.織江の唄 【シングル盤(1981)、Dear My Songs(2001)】

 映画『青春の門』の挿入歌にもなった曲で、作詞は五木寛之さん。大分出身のハコさんには、九州弁で歌われる曲もたくさんあって、その土着的なと言うか、土地に根ざした情念には、都会っ子の歌手には真似の出来ないリアリティがある。こんな曲はハコさんじゃなきゃ書けないし、歌えないでしょう。名曲です。

5.わたぼうし 【硝子の景色(1982)、Dear My Songs(2001)】

 『幻想旅行』から帰って来て、ハコさんが新境地を開拓したアルバムからの1曲。ここでは激しい情念や深い情緒といったものは影をひそめ、放心したような淡い詩情が漂っています。こういう曲はそれまでのハコさんのレパートリーには無かったものです。そう言えば、中也の詩にもそういったタイプの作品があったっけ。

6.影が見えない 【飛・び・ま・す(1975)】

 山崎ハコ15歳の時の作品。まわりの普通の女の子は〈影〉に守られているのに、私にだけはその〈影〉が見えない。こういう作品は、もう通常の意味での傑作といった域を超えてしまっています。この曲を始めとして、彼女のデビュー・アルバムは、早熟な才能の開花なんてものではなく、ほとんど奇跡の産物だという気がします。

7.ララバイ横須賀 【シングル盤(1979)、Dear My Songs(2001)】

 港、夕日、カモメ、そして立ち去って行く男。まったく陳腐な書き割りですが、それがハコさんの手にかかるとこんな魅力的な作品に仕上がってしまいます。情感を感じとるレベルが、常人とは三目盛くらい違っているんだね。アルバム・バージョンではなく、アレンジの素晴らしいシングル・バージョンで。

8.きょうだい心中 【人間まがい(1979)、Dear My Songs(2001)】

 キワモノのように扱われて可哀想だったアルバムからの1曲。でも、アルバムもこの曲も大傑作なのは間違いありません。とにかく曲の完成度がすごい。作者不詳の難しい詞を、こんな形で現代に甦らせたのは彼女のお手柄です。『蟹工船』がベストセラーになるなら、今年この曲が大ブレイクしたって不思議じゃないと思う。

9.やさしい歌 【マキシシングル(2002)】

 1996年以降、彼女の新曲は時折出るシングル盤でしか聴けなくなってしまった。その中からも1曲選びたいと思って選んだのがこの曲。2002年と言えば、彼女がデビューの頃から音楽の同志として付き合って来た安田裕美さんと結婚された翌年ですね。そのせいでしょうか、タイトルどおり本当にやさしい佳曲です。

10.一人の旅 【光る夢(1985)、ゴールデン☆ベスト(2006)】

 同じ旅の歌でも、初期の頃の狂おしい出立の歌に比べると、穏やかな情感をたたえた歌だと感じます。ストーリーがよく分かりませんが、一人旅の歌ではなくて、思いを寄せる男性のもとを離れて行く少女の気持ちを綴った歌のようです。とにかくしみじみしたメロディの良さで選びました。

11.ヨコハマ 【流れ酔い唄(1978)、Dear My Songs(2001)】

 これも初期の傑作。ハコさんは15歳の時にふるさとの九州を離れ、横浜に移ってそこを第二のふるさとと思い定めた人です。そんな彼女が歌うヨコハマの曲には傑作が多い。なかでもこの曲はご当地ソングの最高傑作じゃないかと思う。横浜市民でも知らない人の方が多いだろうなあ。もったいない。

12.ロードレース 【時は流れて(1985)、ゴールデン☆ベスト(2006)】

 1985年は2枚のアルバムを出した多産な年だったのですね。これもやはり旅の歌だけれど、こちらは二人旅の歌。ただ、ハコさんの場合は恋人と行く旅行ではなくて、ともに歩んで行く同志との旅という意味合いの方が強いようです。と、そんな講釈はともかく、曲の魅力は歌詞の意味など詮索しなくても聴けば分かります。

13.今日からは 【流れ酔い唄(1978)、Dear My Songs(2001)】

 おそらくファンの男性ならみな涙を流しながら聴いたことがあるという傑作。むろん私もそのひとりでした。今でもこの曲が一番好きだというハコファンは多いのではないかな。でも、単純にこの曲から勇気をもらうというのはどうなんだろう。同じアルバムの中には『流れ酔い唄』なんて、男にとってはとても恐ろしい歌も入っている訳で…

14.歩道橋 【私が生まれた日(1995)】

 これは自分としては今回発見した曲。アルバムの最後に置かれた曲ですが、それに相応しい美しいメロディを持ったバラードです。どうしても自分の好みで選んでしまうので、90年代に入ってからのハコさんの音楽的冒険にまでは踏み込めませんでした。でもこれは本当にいい曲だから許してください。

15.サヨナラの鐘 【飛・び・ま・す(1975)】

 最後はやはりデビューアルバムのこの曲で。曲も詞も歌唱もアレンジも、すべてが最高傑作と呼ぶに相応しい出来栄えです。若き日の竹中尚人(Char)さんのギターソロも、曲の後半を盛り上げるコーラスとストリングスも、すべてが相俟って完璧な世界を作り出している。十八歳のハコさんが、スタジオに音楽の神様を招来したかと思うほどです。

投稿: Like_an_Arrow | 2008年9月21日 (日) 21時03分

わが意を得たり。
山崎ハコに対する思いも経験も私と全く同じです。

投稿: Harry | 2009年10月25日 (日) 10時33分

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