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2008年8月31日 (日)

彼女の歌を母国語で聴ける幸せ

 大石吾郎さんがDJをしていたコッキーポップを毎日楽しみにしていた私が、初めて聴いた中島みゆきさんの歌は、デビュー曲の『アザミ嬢のララバイ』だったと思います。年譜を見れば1975年秋の発表ですから、もう33年も前のことになります。一世紀の三分の一にも当たる期間に亘って、中島みゆきさんは常に第一線のアーティストとして活躍して来ました、この息の長さにまず私は感嘆します。例えば演歌といったジャンルなら、彼女より活動期間の長い歌手もたくさんいると思います。しかし、自作の曲を歌うシンガー・ソングライターと呼ばれる人で、これだけ長いあいだ、これだけのクオリティで歌い続けている人は、世界中を見回してもそうはいないのではないだろうか。ビートルズが解散した後の1970年代は、アメリカでもヨーロッパでも日本でも、多くのシンガー・ソングライターが雨後の筍のように輩出した時代でした。その多くは一世を風靡する名曲の1曲か2曲を残してポピュラー音楽の表舞台から姿を消して行きました。それはまさにその時代を彩るBGMのようなものだったと思います。ところが、最初のヒット曲になった『時代』から最近作の『一期一会』に至るまで、彼女は同時代をはるかに超えた場所で独自の世界を作り上げて来た。振り返ってみれば、そこにあるのは今日の社会や世相を映し出す優れた作品という域を超えて、もっとずっと普遍的なものに触れている作品群であるように思えるのです。いまこの時代において、これはほんとうに稀有なことではないだろうか?

 …なんて、中島みゆきさんに捧げるオマージュを書き始めてはみましたが、自分の好きな音楽についてこんな美辞麗句をいくら並び立てても虚しいだけですね。実を言えば、デビューした頃からの中島みゆきファンだったにもかかわらず、この二十年くらいのあいだ、彼女の作品を自分から積極的に聴くことは無かったのです。初期のアルバムはほとんど集めていましたし(まだLPレコードの時代です)、たぶん『寒水魚』(1982年)、『予感』(1983年)の頃まではリアルタイムに彼女の作品を追いかけていたと思います。ところがレコードからCDの時代に変わると、自分のコレクションにみゆきさんの新譜が付け加わることは無くなってしまった。なんとなく、『寒水魚』というアルバムで中島みゆきの作品はピークに達して、もう自分としてはこれ以上いいかなという思いを持ってしまったのです。みゆきさんと同じく1975年の秋にデビューしたシンガー・ソングライターの山崎ハコさんにぞっこん惚れ込んでいたこともあって、どこか人の心の弱さにつけ込むような感じのみゆきさんの歌より、近寄りがたい孤高の道をひとり歩いて行くようなハコさんの歌の方が、当時の自分の趣味に合ったという理由もあります。最近、ふとしたことで、CD時代になってからのみゆきさんの歌をまた聴き始めて、改めてその世界の豊饒であることに驚いているといった次第なのです。最近の作品のなかに初期の傑作を超えるものが無いなんて、まったく根拠の無い思い込みだった。彼女のファンからすれば何をいまさらという話であるに違いありません。

 彼女が天性のメロディ・メーカーであり、また豊かな表現力を持った歌い手であると同時に、優れた詩人でもあることは多くの人が認めているところだと思います。最近、活動中止を宣言したサザンオールスターズの桑田佳祐さんが、ロックンロールに日本語は似合わないと言っていたような記憶があります。で、サザンの初期の曲はほとんど日本語の意味というものを解体してしまって、まるで外国語の曲を聴くような印象を与えるよう工夫されていたのだと思います。おそらく彼はミュージシャンとして、自分が日本語の国に生まれたことを残念に思っていた時期があるのでしょう。中島みゆきさんはまるで反対ですね、彼女ほど日本語の詞を大事に扱い、言葉の美しさを損なわないように苦心している音楽家も少ないのではないだろうか(もうひとり挙げるとすれば小椋佳さんでしょうか)。確かにメロディが素晴らしくても、日本語の詞が陳腐だと、それなら歌詞の意味が分からない外国語で歌ってもらった方がいいと感じる曲もたくさんあります。でも、みゆきさんの曲を聴くと、ああ、やっぱり日本語っていいなと素直に思う。いや、むしろ中島みゆきという表現者に出会えた現代日本語の幸福、なんてことまで考えたりします。彼女の曲は外国のミュージシャンにも多く取り上げられています。その独特なメロディ・ラインには、特にアジア人の心に共通に響く何ものかがあるような気がします。でも、中島みゆき作品の魅力の半分は、そのコトバの凄さにあることを思うと、母国語で彼女の歌が聴けることをしみじみ幸せだと感じるのです。

 今回、彼女のアルバムを集中的に聴いてみて、1990年代以降の曲には初期の曲とは違った特徴があるのではないかと感じました。まず全体的に曲の長さが長い。そしてひとつひとつの作品が、何というか演劇的な効果を狙って書かれていると感じさせるものが多い。と書いて気付きました、彼女が『夜会』と題されたコンサートを始めたのが1989年のことなんですね。私はビデオでしか観たことがないのですが、それはクラシックのオペラが総合芸術と呼ばれるのと同じ意味で、音楽と舞台の相乗効果を狙ったポピュラー音楽の総合芸術といったようなものを指向したものなのでしょう。そして自らが俳優でもあり歌手でもあるソングライター中島みゆきは、この舞台のために曲を書いているに違いない。これはクリエーターとしてのモチベーションを高く維持するためにとても有効な方法だし、またそれが多くのソングライターが陥ってしまうマンネリから彼女を救っているのではないかと思います。シェークスピアが不朽の名作を数多く残したのは、彼が書斎の人ではなく、自分の劇団を持つ座長で、実際の舞台のための脚本を書いていたことと大いに関係があります。よし、この場面ではこのセリフで観客を唸らせてやろう、そうたくらんでいた時のシェークスピアの脳の中では大量のドーパミンがドバドバ放出されていたに違いありません。これはクリエーターとしてとても幸福な状況だと言えます。彼女の場合もきっと同じですね。よく中島みゆきの歌は暗いなんて言う人がいますが、とんでもない、日本に1億2000万個ある脳のなかでも、彼女の脳ほどドーパミンをたっぷり浴びている脳はそうはあるまいと私は思っています。

 このところ自分が中島みゆきさんの歌に夢中になっているのは、CDではなくiPodで音楽を聴くことが多くなったためでもあります。(子供が小さいので、家ではじっくり音楽など聴いていられないのです。) 特に90年代以降の彼女のアルバムは、曲調も非常にバラエティーに富んでいて、正直に言って自分の好みではない曲も多い。これがiPodなら、自分の好きな曲だけを集めて、簡単に自分だけの中島みゆきワールドを作ることが出来る。これが楽しい。今回の記事を書いている目的は、この自分が作ったプレイリストを自慢するためでもあるのですが(笑)、確かにこの作業に没頭している時、私の脳味噌のなかでもドーパミンがチョロチョロと出ていた気がする。以前、このブログでテレサ・テンさんの中国語曲のベストを紹介したことがありました。当時は寝ても覚めてもテレサの曲が頭のなかを駆け巡っていて、自分の脳がテレサ脳になってしまった気がしましたが、今はそれがみゆき脳になった感じです。もしも興味のある方がいらっしゃいましたら、こちらの曲目紹介をどうぞ。

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コメント

 という訳で、私の選んだ『中島みゆき 後期ベスト曲集』です。一応1990年以降に発表された作品から選んでみました。取り上げたい曲はたくさんあって、泣く泣く切り捨てた曲も多いです。1枚のCDに収まるという条件で、12曲を選びました。もちろん曲順にも思い入れたっぷり。みゆきさんの曲には別バージョンも多いので、括弧で収録アルバムを指定してあります。それぞれの曲の印象もひと言添えてみました。

『中島みゆきベスト(1990-2007)』 by Like_an_Arrow

1.空と君のあいだに(LOVE OR NOTHING)

 テレビドラマの主題歌にもなった曲だそうですが、私は知りませんでした。純愛とストーカー心理は紙一重みたいな内容の詞です。彼女が「ボク」という一人称で歌う歌には佳曲が多い気がする。とにかくメロディが素晴らしい。シングルではなく、こちらのアルバム・バージョンで。

2.ALONE, PLEASE(パラダイス・カフェ)

 ピアノとウッドベースのシンプルな伴奏にのせて、けだるい感じで歌うみゆきさんのボーカルが素敵。自分が相手のことを想っているほどには、相手は自分のことを想ってくれていない、その切ない気持ちを歌わせたら彼女の右に出るシンガーはいないでしょう。初期のアルバムには見られなかった洒落た大人の曲。

3.おだやかな時代(歌でしか言えない)

 7分を超す長い曲なのに、それを感じさせないのは、彼女のメロディの多彩さが聴く人を飽きさせないということがあるのだと思います。よくサビの部分だけが印象的な曲というのがありますが、みゆきさんの場合、1曲の中に惜しげもなく魅力的な旋律が詰め込まれています。ゴスペル調のバックコーラスもカッコいい。

4.昔から雨が降ってくる(I Love You,答えてくれ)

 昨年発表されたアルバムからの1曲。雨にけぶる自然の景色を前にして、自分が自分として生まれて来る前のはるかな前世を思い出すという内容の歌。失恋の曲なら他の歌手のカバーでも聴けるけど、こういう曲はみゆきさんじゃなきゃ歌えないような気がするなあ。何かとても無垢な感じがして、大好きです。

5.二隻の舟(EAST ASIA)

 8分を超す大曲。きっとこれは『夜会』のために書き下ろされた曲なんだろうと思います。魅力的な旋律が複雑に絡み合って、クライマックスに向かって盛り上げていく。なんでこんな曲が書けるのだろう、もしも自分が作曲家だったら、たぶんすごい嫉妬を感じるに違いない、そんなことを思ってしまいます。詞の内容も深いです。

6.惜しみなく愛の言葉を(I Love You,答えてくれ)

 切ない切ない片想いの歌。例えば初期の名曲『化粧』に見られたような片恋の情念は、ついに純化されてこういう曲にまでたどり着いたのですね。失恋をテーマにしながら、恨みや口惜しさのような感情を濾過していったら、最後に人類普遍の哀しみだけが残ったというような歌です。みゆきさんのボーカルがまた哀しい。

7.ミラージュ・ホテル(転生)

 同じ曲が『恋文』というアルバムにも入っていて、これはその別テイク。ロック調だった元曲をここではバラードにして歌っているのですが、そのアレンジが素晴らしい。初めて聴いた時、「♪ミラージュ・ホテル」というサビの部分が女声コーラスに切り替わるところでゾクっとするような感動を味わいました。大傑作です。

8.阿檀の木の下で(パラダイス・カフェ)

 「阿檀」というのは、沖縄などに自生するパイナップル科の木だそうです。戦争で日本の盾にさせられ、戦後はアメリカ領として差し出された沖縄を歌った曲だそうです。戦争をテーマにしながら、なんて哀しく優しい曲なのでしょう。曲の最初と最後に聞こえる三線の響きも印象的です。

9.You Don't Know(わたしの子供になりなさい)

 これも切ない恋の歌。楽曲としての完成度が高い上に、みゆきさんのボーカリストとしての実力をまざまざと感じさせられる1曲です。自分のような中年男ではもうダメですが、いままさにつらい恋のさなかにある若い女性が聴いたなら、どんなに身につまされることでしょう。

10.月夜同舟(恋文)

 今回、中島みゆきさんの最近のアルバムを聴いていて、一番驚いたのがこの曲です。こんな曲はホンモノの天才じゃなければ書けないよね。この歌の背景はいつの時代のことなのでしょう? なんだか時空を超えて、日本文化のたおやかさの真髄を垣間見るような気がする。紫式部や松尾芭蕉や中原中也にこの曲を聴かせたかったね。

11.永久欠番(歌でしか言えない)

 すべての人はいつか死ななければならない、その単純だけれども厳然とした事実を、彼女は真っ正面から見据えて歌います。こんな重いテーマを、こんなに感動的に歌い上げられる人も、中島みゆきさんを措いて他にはいないでしょう。「百億の人々が忘れても見捨てても、宇宙(そら)の掌のなか人は永久欠番」。心に突き刺さります。

12.たかが愛(パラダイス・カフェ)

 最後は伸びやかなボーカルが心地良いこの曲で締めくくりましょう。哀しみや孤独が深い分だけ、それをスコーンと突き抜けた時のカタルシスは大きい。最後にこの曲にたどり着くと、心の中で彼女と一緒に歌っている自分に気が付きます。いや、声を出しては歌いませんよ、iPodを聴きながら通勤電車の中で歌ってたら変態ですからね。(笑)

投稿: Like_an_Arrow | 2008年8月31日 (日) 21時01分

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