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2008年8月24日 (日)

北京オリンピック雑感

 スポーツは観るのもするのも好きじゃないということもあって、オリンピックにはあまり心を惹かれるものがありません。むしろこの開催期間中、世界中のナショナリスティックな感情価がふだんよりワンメーター上がるような気がして、憂鬱な気分になる。特にテレビの実況中継で、アナウンサーがヒステリックなまでに感情をあらわにして叫ぶのがどうにも耐えられません。実況中継のアナウンサーが公然と日本選手を応援することは、今に始まったことではないと思いますが(「前畑がんばれ!」の時代からそれはあった)、今日のような国際化した世界ではそれに違和感を感じる人も多いのではないかと思うのです。そういう意味では、例えば私には高校野球の方がずっと観戦しやすい。高校野球では、アナウンサーや解説者がどちらかのチームに肩入れして中継することは絶対に許されない訳です(たとえそのアナウンサーの母校が出場していたとしても)。ところが、もしもナショナリズムに反感を感じているアナウンサーがいて、オリンピックの中継で日本チームと相手チームを分け隔てなく扱ったとしたら、たぶんそんなアナウンサーは視聴者からのクレームであっという間に番組を降ろされてしまうに違いない。せめてどこかの放送局が(副音声でもいいから)そういうポリシーでの実況中継をしてくれたなら、自分のような人間にもオリンピックが楽しめるのではないかと思うのですが。

 半世紀前ならいざ知らず、最近のオリンピックで主催国自身がこれほど国内のナショナリズムの高揚に熱を入れている例は無かったのではないかと思います。壮麗な開会式は圧巻だったそうですが、後から演出の偽装ということが問題になったことをニュースで知りました。花火がコンピュータ・グラフィックだったというのはまあ許せるとしても、クライマックスで歌った少女の歌が〈口パク〉だったというのは、とてもイヤな感じが残りました。本人が歌った録音に口を合わせさせたというならまだ許容範囲、ところが歌のうまい別の少女の歌に、ルックスのいい別の少女が口を合わせたという事実が明るみに出されてしまっては、これはもう演出という以前の問題だと思う。だってそのふたりの少女は、たぶん一生消えない心の傷を負ってしまった訳でしょう。これは完璧さを求める演出家の問題ではないと思います、〈国威発揚〉のためにはひとりやふたりの少女の心など踏みにじってもいい、そう考える中国政府の問題です。さすがにこの事件には、中国国内でもたいへんな不評が巻き起こり、インターネット上のブログや掲示板では政府を批判するような発言が相次いだそうです。これに対して中国政府が取った行動は、こうした発言を検閲し、片っ端からそれを削除して回るということだったらしい。まったくいつの日かこの国にも普通選挙が行なわれる時代が来て、この〈がさつな〉政府が打倒または浄化されることはあるのだろうか?

 中国国内での世評と言えば、陸上の劉選手という人が捻挫だか何だかで棄権したことに対して、たいへんな批判が起こったのだそうです。日本も女子マラソンで期待の選手が棄権する事態がありました。怪我なら仕方ないよね、というのがふつうの反応だと思うのですが、中国では違うらしい。「逃げ劉」といったあだ名を付けられて、さんざんバッシングを受けているそうです。ナショナリズムという感情が恐ろしいのは、それが簡単に反転して自国の選手に対する攻撃や憎悪に変わってしまう点にあります。これは例えば戦争に向かおうとしている国で、徴兵を拒否した若者が〈非国民〉と呼ばれてバッシングを受けるのと同じ構造だと言っていいと思います。まあ、劉選手の場合は、もともと非常に人気のある有名選手で、コマーシャルへの出演料などで莫大な収入を得ている人だそうなので、それへのやっかみという面もあるのかも知れません。劉選手に限らず、中国ではスター選手の収入はみなすごいらしいですね。どこが共産主義の国なんだろうと思うくらい。今はプロ・スポーツ選手でもオリンピックに参加出来る時代ですし、日本でも人気のある選手はばんばんテレビ・コマーシャルに出ていますから、目くじらを立てるような話ではありません。私が子供の頃には、オリンピックは「アマチュア・スポーツの祭典」と呼ばれていました。やはり東京オリンピックの頃とは隔世の感があります。

 日本選手へのブーイングは、やはり抑えようもなく起こっていたようです。それに耐えて日本選手はけなげに頑張ったとも言えるし、まあ言語の違いがあるので、どんな口汚ない野次も日本選手にはストレートに届かないのが幸いだったとも言える。北京五輪でのブーイング対策については、以前にもこのブログで提言をしました。閉会式の今日まで、観客同士が衝突するといった事件は起こらなかったようですし、なんとか平穏に終ってくれるのではないかと思います。ただ、今回のオリンピックが両国の友好回復のきっかけになるといった期待は、やはり甘い夢だったようです。おそらく多くの日本人選手と日本からの応援団は、あらためて中国人の日本に対する根強い憎しみの感情を体感して帰国することになるのではないでしょうか。これも半分は歴史的な事実に由来するものですが、あとの半分は共産党政府によって政策的に植え付けられたものです。日本では大東亜戦争など遠い過去の歴史だと思っていますが、残念なことに中国はいまだに抗日戦争を戦っているのだとも言えます。これは独裁的な政治体制が、政府に対する国民の不満をそらすために仮想敵国を利用するという今の方針を変えない限り、日本サイドとしてはどうしようもない話です。一見華やかなオリンピックの成功は、この国の政府をいっそう傲慢にし、これまで以上に付き合いにくい国にするだけではないのか、そんな危惧を持つのです。

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コメント

run
  sblogです、只今 巷間哲学者の部屋さんの記事を拝見致しました、有難う御座いました。
頑張って下さい。

投稿: sblog | 2008年8月24日 (日) 09時51分

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