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2008年7月27日 (日)

ベーシックインカムについて考える(3)

 前々回はベーシックインカムというものの経済的な側面について、前回はその道徳的な側面について考えて来ました。BIを考えるシリーズ最終回の今回は、その理想的な側面について考えてみたいと思います。将来BIが実現した時代にタイムスリップしたつもりで、人が生きるための労働から解放された社会の夢を語ってみたいのです。むろん夢想家のたわごとに過ぎませんが、将来に明るい希望を持つことが難しい現代のような時代に、たとえ机上の理論だとしてもそういう考えがあることを知るのは、それだけでも意味のあることのように思えるからです。我々のような旧世代の人間にはもう無理だと思いますが、固定観念にとらわれない今の若い人たちの中からは、それを実行に移すプログラムを考え出す人が現れるかも知れない。

 すべての国民が等しく月に8万円のBIを受給する社会を考えてみましょう。別に8万円という金額に深い意味がある訳ではありません、これは現在の日本でまったく収入を持たない高齢の単身者が受け取る生活保護の金額をベースに考えています。つまり行政府が認めている、人が最低限の「健康で文化的な」生活を営むための金額、言い換えれば現政権が設定する〈生存権の評価額〉という訳です。(むしろ人間が最低限餓死しない程度の金額と言った方が正確であるように思われますね。) 実際には、BIが制度として確立した社会では、今とは税の体系が全く変わっている筈ですから、その時代にも8万円という金額が国民の生存権に見合うものであるかどうかは分かりません。現在の貨幣価値に換算して、その程度の基礎給付を誰もが受け取れる社会という意味に取ってください。(もしも消費税率が60パーセントになるなら、単純計算で、8万円×160÷105=12万2千円程度の給付額となる、そんなイメージです。)

 BIが生活保護とは大きく異なる点は、受給者の単位が世帯ではなく個人だという点にあります。このことは意外に重要なことだと思います。単身者の生活保護世帯が月に8万円を受給していると言っても、では夫婦世帯なら16万円が受給出来るかというと、そういう訳ではありません。インターネットで調べてみれば、収入の無い2人世帯では月に12万円程度の受給額が標準であるようです。これは常識的にも納得出来ることで、昔から「ひとり口は食えなくても、ふたり口は食える」と言われたように、世帯構成員が増えるほど、ひとり当たりに必要な生活費は逓減すると考えられるからです。BIの場合、受給額は明確に個人に属するものですから、共同生活は明らかに有利になります。これが何を意味するかは、すぐに想像がつきます。現在の非婚化、晩婚化の傾向に歯止めがかかるだろうということです。それだけではない、少子化の問題だって一挙に解決の方向に向かう。いや、解決どころか、極端な多子化へと反転することさえ予想されます。子供ひとり当たり8万円のBIが毎月親の口座に振り込まれるとすれば、子供を持つことの経済的な利点は小さくありません。夫婦と子供5人で、毎月の不労所得が56万円! そんなことになれば、それがこの国の平均的な家族構成ということになってしまうかも知れない。(笑)

 しかし、このへんは制度設計の匙加減でどうにでもなることです。例えば、子供が18歳になるまでは、成人の半額の4万円が養育者に支払われるというのではどうでしょう。この金額をうまく設定すれば、安定した一定の出生率(2.1くらい?)が実現することになるし、またそこを狙って未成年へのBI支給額は設定されるべきでしょう。国民の側から見れば、それは安心して子供を産み育てられる社会の実現という意味を持ちます。そもそも子供を産み育てることは、他のどんな経済活動よりも根底的な国家経済への貢献である筈ですから、それに携わる人(多くは親でしょう)に対して報酬があることは自然なことなのです。(いまの少子化問題の根本原因は簡単なことで、社会に新しい構成員を送り出すというこの最重要な仕事が、経済的にはまったく評価されていないという点に尽きます。) 私も小さな子供を持つひとりの親として、子供を育てることの喜びはまったく無償でも充分報われるものだと思っています。しかし、それは今の自分がそれなりに安定した収入を得ているからであって、これが明日の食費、今月の家賃にも事欠く身の上であってみれば、子供を慈しむような気持ちの余裕だって失せてしまうに違いない。最近よくニュースになる、実の親による子供の虐待といった問題の裏には、国民の生活の不安定さや経済格差の拡大といった社会問題が隠れているに違いないと思います。

 共同生活をすることの経済的な利点ということを考えるなら、BIは結婚や子育てを促進するばかりでなく、もっと多様な共同生活の形にも可能性を与えるのではないかという気がします。私は以前の記事で、生活保護家庭のための共同住宅を作ってはどうかという提案をしました。これは行政主導での政策として考えたものでしたが、もっと望ましいのは民間の自発的な取り組みとして、そうした試みがなされることだと思います。私は不思議に思うのですが、何故いま都会で暮らす生活保護世帯の人たちは、お互いの乏しい収入を持ち寄って、共同生活をするという可能性を探求してみないのだろう。そうすれば住居費だって食費だってもっと効率的に使えて、今よりずっと余裕のある暮らしが出来るだろうに。それを阻んでいる理由は明らかだと思います。現行の生活保護世帯は、行政の厳しい監視下に置かれています。まるで仮出所中の犯罪者のようなものです。彼らは監視を受けることで、不断に〈後ろめたさ〉の感情を植え付けられ、世間からひっそり隠れるように暮らしている。当然、生活保護世帯同士の横の連携なども持ちようが無いし、また仮に連携して共同生活などを始めようものなら、行政から厳しい罰を受けることになるでしょう(生活保護費の減額または停止という形で)。これは暗い陰湿な制度です。彼らは幸福になる権利をまるごと奪われているのです。しかし、これがBIになれば、それは万民の基本的権利ですから、後ろめたさの感情などとは無縁だし、BIだけで暮らす貧しい人たちが連帯することはむしろ当然のことになるだろうと思います。つまり、社会の中に新しい共同体が誕生するのです。

 BIに反対する人たちの中には、BIによって基本的な生活が保障されれば、労働条件の悪い仕事には誰も就かなくなってしまい、社会の多くの機能が麻痺してしまうだろうと言う人がいます。これも制度設計の際に、具体的なケースを挙げながら、対策を練って行くべきことがらです。(そうした仕事は機械によって自動化を進める、あるいは行政の補助により高賃金を保障するといった対策が考えられます。) ただ、私がここで指摘したいことは、BIを導入することによって、高収入が保障されない仕事にも、人が積極的に取り組める基盤が出来るだろうという点です。高齢化が進むいまの日本で、慢性的に不足しているのは高齢者介護を始めとする福祉に携わる人たちの労働力です。どこかで聞いたことがあるのですが、福祉関係の仕事は、若い人たちのあいだでも人気のある職種のひとつで、そのための勉強をして資格を取る学生さんも多い。ところが実際に社会に出て、福祉施設で働いてみると、そのあまりの激務と低賃金で仕事が続けられず、職場を去って行く人が多いというのです。それが激務であるのは、低賃金で人が集まらず、少ない職員数で決められた仕事をこなさなければならないからという事情があるのでしょう。そうした悪循環が福祉の現場にはある訳です。特に人と触れあう仕事(介護士さん、看護士さん、保育士さんなど)は、むろん人によって向き不向きはあるにせよ、仕事の中でほんとうの充実感を得られる職業の代表格だと思います。そういう仕事が好きで、やり甲斐も感じているのに、あまりの低賃金と激務で泣く泣く職場を去らなければならない人たちがいる。社会にとってこれほどの損失があり得るでしょうか? もしもこれがBIによって生活のベースを保障された社会なら、そういう人たちを福祉の現場に呼び戻すことが出来るのです。

 またBIのある社会は、行政サービスにかかるコストが大幅に削減出来る社会でもあります。いまの年金問題にしても、それを国民が納得するところまでリカバリーするために、この先どれほどの税金が費やされるものか考えてみてください。また今後ますます増えるであろう生活保護世帯に対しては、その審査や支給のための事務、また継続的な監視といった仕事にもどれほどの行政コストが必要になることか(しかもそれは行政側の職員と国民の双方に多大な心理的ストレスを与えるものでもあります)。児童手当、奨学金、障害年金、介護保険、どれをとっても同じです。これら〈選別主義〉に基づく社会福祉政策は、公平さを追求すればするほど高い行政コストとなって跳ね返って来るようなものばかりです。それらをすべてBIに統合出来るとは言いませんが、すでにあまりに複雑になってしまった行政サービスの諸制度については、それらを整理統合して、なるべく選別や審査を行なわなくても済むような仕組みに持って行くべきだと思います。それにはBIというものが最良のお手本になるのではないでしょうか。社会がこの方向に進めば、当然行政はスリム化されることになります。これによって公務員の数は減らされ、職を失う人が増えるかも知れない。でも大丈夫、そのためにBIというものが用意されているのだから。

 またBIのある社会は、芸術や文化の面でも新しい才能がこれまで以上に開花する社会だろうと考えられます。私も若い頃は文学を志していた時期がありましたが、結局稼がなければならないという理由でサラリーマンになってしまった。別にサラリーマンが悪いと言うつもりはありませんが、もしも自分が食うに困らない境遇にあって、若い頃の夢を持ち続けていたら、今ごろはどうなっていただろうかなどと考えることはあります。持って生まれた才能というのはどうしようもないもので、才能の無い人間がいくら努力しても一流になることは難しいだろうと思いますが、逆に潜在的な才能を持った人間が、生活のための仕事に追われて一生その才能を開花させずに終ってしまう例は世間にいくらでもあるだろうと思います。BIで最低限の生活が保障される時代が来れば、世間には自称文学者だとか、自称音楽家だとか、自称哲学者なんて人が溢れるようになるかも知れない。それが好ましいことかどうかは別として、裾野が広くなるということは、山頂が高くなるということにつながるのは確かです。ヨーロッパでは中世ルネッサンスの時代に、多くの天才たちが活躍しましたが、彼らを支える富を持った階級が登場したからこそ、あの時代の隆盛はあったのだろうと思います。今の時代、莫大な富を持っている投資家や資産家は、過去の芸術品を買い集めることには熱心でも、新しい時代の芸術的才能を育てる事業には熱心ではありません。BIはこうした時代の中で、若い才能を応援する役割を果たすことになるのです。

 またBIのある社会は、当然のことながら(と言っていいと思います)犯罪の少ない社会でしょう。最近は一見して動機の分からない不気味な犯罪が増えていますが、そんな犯罪の中にもおそらく共通していることは、犯人が何らかの意味で貧困問題を抱えていることではないかと思います。現在の貧しさだけが問題ではありません、将来に亘って経済的な基盤が不安定なことが問題なのです。日雇い派遣といった生き方が、どれほど不安とストレスに満ちたものであるか、誰だって想像出来るものではありませんか。人を凶行に向かわせる心理の背景には、社会から見捨てられ、自分自身をも見限ってしまった自暴自棄な人間の衝動がある、そんなことは心理学者でなくても想像がつきます。将来に亘る経済的な保障が、人間の心の平安にどれだけ役立つものか、それには個人差もあることでしょう。それでも、就職に失敗したり、事業に失敗したりしても、最後の命綱だけはしっかりと自分の手の届くところにあること、これは誰にとっても心強いことであるに違いない。むろん個人的な憎悪からの殺人や愉快犯のようなものを押し止めることは出来ないとしても、追い詰められての無差別殺人のようなものには、かなり有効な安全弁になるという気がする。死刑を廃止したり、逆に刑を厳罰化することが犯罪防止にどれだけ効果があるか、それはほとんど水掛け論の領域ですが、BIにはもっと現実的で確実な犯罪抑止効果があると私には思えるのです。

 こんなふうに考えを巡らして来ると、ベーシックインカムによる無条件の社会保障ということには、現代に特徴的な様々な問題に対する〈万能薬〉となる可能性が秘められているように感じられます。それほど素晴らしいアイデアだというよりも、むしろ豊かさを実現した社会が向かうべき当たり前の方向ということなのではないだろうか、どうもそんな気がしてなりません。なんだか難しいパズルの解答が見付かった時のような、すっきりした気分になる。そこまで言ったら、ちょっと思い入れが強過ぎることになるでしょうか? BIについては、今後も継続的に考えて行きたいと思います。ぜひあなたのお考えもお聞かせください。

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コメント

私もBIは生活困窮層を救済するのではないかと思い賛成なのですが、豊かな階級にとってはBIは不利に働き、既得権利・著作権・土地・不動産を持っている人たちからの猛烈な反対が起こるのではないでしょうか?それはある意味、戦前の既得権益を持っていた華族制度が敗戦によって崩壊したように、BIも戦争か何かのきっかけがないと成立しないのではないでしょうか。

投稿: | 2009年7月20日 (月) 00時33分

改革が既得権を侵すのは、基本的に限られたパイの取り合いになる場合です。むしろパイの拡大を狙った改革というものを工夫しなければならない。この点から、私はBIと「減価マネー」を組み合わせることを推奨しています。これに関しては次の連載記事を参照してみてください。

社会信用論と自由経済思想(1)
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-9879.html

投稿: Like_an_Arrow | 2009年7月20日 (月) 07時00分

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