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2008年7月13日 (日)

ベーシックインカムについて考える(1)

 ゲゼル研究会のメーリングリストで「ベーシックインカム」という言葉を初めて知りました。日本ではまだ聞き慣れない言葉ですが、ここ十年くらいのあいだに欧米を中心に広まって来た考え方で、これを研究する本もたくさん出版されているそうです。考え方自体はとても単純なことで、基本的な生活を支えるために必要な収入(ベーシックインカム)を、国がすべての国民に一律に支給するというものです。現在の生活保護制度は、受給資格を得るために非常に厳しい審査がありますが、ベーシックインカムにはそうした審査はありません。すべての人が年齢や収入などに関係無く、一律の金額を支給されるというものだからです。人が最低限の生活を支えるに足る金額であるというのが、「ベーシック」と名付けられた所以だろうと思います。もしもこれが実現されれば、現行の生活保護や失業保険のような制度もすべてそこに統合出来るし、公的年金制度だって、(過渡的な措置は必要になると思いますが)最終的には廃止出来る。消えた年金記録の問題なんて、もう大した問題では無くなるのです。何よりも、この制度を導入することの意義は、憲法25条に記された『すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』という条文が、名だけではなく実をともなって実現されるという点にあるかも知れません。

 シルビオ・ゲゼルが考案した「減価する貨幣」というコンセプトから、私はずいぶんインスピレーションを受けて、このブログ上でいろいろなアイデアや意見を書いて来ました。ネタとしてはこの「ベーシックインカム」も面白そうですね。その言葉の響きからだけでも、いろいろな考えが頭に浮かんで来る。自分のような経済にうとい素人にも分かりやすい考え方だし、それが実現した社会を考えることは楽しい想像ですから、とにかくこれを肯定的に捉えてみるという視点で考察してみたい気がします。それにこれは自分が子供の頃からずっと夢見て来たものでもあるんですね。つまり「働かなくても生きて行ける社会」というものです(笑)。以前にも書いたことですが、技術の進歩や生産性の向上によって、需要に比べて供給が慢性的に過剰になってしまった社会では、「働かざるもの食うべからず」という昔ながらの道徳律さえ常識ではなくなってしまう可能性があります。そんなふうに明るい(?)未来というものを空想している自分にとって、ベーシックインカムはむしろ歴史の流れの当然の帰結だとさえ言える気がするのです。また今日の日本のような、全体的に過去のどんな時代よりも豊かになったにもかかわらず、一方で安定した職に就けないワーキングプアという階層が大量に産み出され、経済の循環が目詰まりを起こしているような社会では、国が政策によって国民の購買力を下支えするというのは、とても理に適ったことであるように思えます。少なくとも公共事業などに予算をバラまくよりは、ずっと経済を健全化することにつながるのではないだろうか。

 ベーシックインカム(以下BIと略します)には、素人が考えても重大な問題がふたつあります。ひとつはそれを実現するための財源をどうするかということです。もうひとつはそれが実現した場合に、日本の社会は怠け者のパラダイスになってしまうのではないかということです。つまり経済的な問題と道徳的な問題と言い換えてもいいでしょう。インターネットで、BIに反対する人の意見を拾ってみると、だいたいがこのふたつの問題を根拠にしているように見えます。逆に言えば、このふたつがクリア出来れば、BIには政策としての実現性が見えて来るということでもありますね。今回はとりあえず、このふたつのうち経済的な問題の方を考えてみたいと思います。当然、国が実施する政策ですから、財源は税金ということになる訳ですが、BIを提唱する論者の中にも、財源を所得税に求めようとする人、法人税に求めようとする人、消費税に求めようとする人といったふうに立場が分かれているようです。現在の日本で生活保護の金額がだいたい月に8万円程度、もしもこれを1億2千万人の国民全員に支給するとなると、年間に必要な予算は115兆円にもなってしまいます。これは国の税収の2倍から3倍の金額です。もうこれだけでもとても現実的な話ではないという気分になって来ます。しかし、BIの議論が面白いのは、この一見無理そうなことを思考実験でシミュレーションしてみると、いろいろと思いがけない変革の可能性が見えて来るところにあります。今ふうの言葉で言えば、〈パラダイム・シフト〉とでもいうのでしょうか。

 仮に個人の所得税にBIの財源を求めた場合を考えてみましょう。試算によれば、個人の総所得額の約50パーセントを所得税に回せば、BIのための115兆円の財源がカバー出来るのだそうです。この場合、年金や失業保険などの控除は無くなるとしても、地方税はやはり引かれますし、健康保険や介護保険もそのまま残るでしょうから、私たちサラリーマンの手取り給与は本当に少なくなる。その代り、4人家族なら月に32万円のBIが国から支給される訳です。安月給の自分にとってはおいしい話ですが、これだと仕事を辞める人が大量発生しそうですね(私も真っ先に辞める側のひとりです)。結局、国内の就労人口が大幅に減るので国の税収も激減し、BIの財源どころではなくなる。国内の産業もガタガタに崩壊するでしょう。とても現実的な方策だとは言えない気がします。では法人税をBIの財源とするアイデアはどうでしょう。昨年度の国の税収のうち、法人税が占めるのは15兆円程度ですが、これに115兆円を積み増すとすると、やはり日本の産業は壊滅ですね。ただ、企業の側から見ると、国民には国からBIが支給されているのだから、社員への給与水準をうんと低くすることで財務のバランスをとるという逃げ道はあるかも知れません(実際こういう観点からBIに賛同する産業界の意見もあるようです)。この場合にも、おそらく多くの企業では退職者続出で、事業の継続が困難になるのではないか(なにせ安月給で働かなくても、BIがあるのだから)。こう考えると、やはりBIというのは夢物語に過ぎないように思えて来ます。

 それでは消費税をBIの財源に当てるプランならどうでしょう。現在の消費税率が5パーセントで、消費税の税収が約10兆円ですから、1パーセントにつき2兆円。つまり消費税を60パーセント(!)にまで引き上げれば、BIの財源が確保出来る計算になります。消費税率のアップは、企業や個人の生産活動に与える影響も比較的小さいと考えられますので(ほんとうか?)、先のふたつのプランよりは実現性がありそうな気がします。BIで基礎的な生活が保障されると言っても、消費税60パーセントでは、別の収入を持っていなければ生活はかなり苦しい。ですからBI導入による離職の傾向に歯止めをかけるという意味でも、バランスのいい方法かも知れません。ただ、こちらの場合には、例えば現在単身者で生活保護を受けているような人が犠牲になるおそれがあります。月の収入は8万円で変わらず、消費税だけが60パーセントになれば、生活が成り立たなくなるからです。こういった貧困層には、だからBIとは別に生活保護のようなものが必要になるでしょう(何のためのBIか、という批判が出ますね)。それでも、そのために必要となる予算は、現行の生活保護予算よりも(たぶん)はるかに少ないものだと予想されますから、制度自体にとって致命的なものではないでしょう。おそらくBIの実現ということを本気で考えるなら、財源は消費税に求めるのが正解だと思います。

 結局、この政策の本質がどこにあるかと言えば、富裕層から貧困層への富の移転ということに尽きます。これはBIに賛成するにせよ、反対するにせよ、認識しておくべきことがらです。もしもひとり当たり月に8万円のBIが支給されたとしても、5億円の豪邸を3億円の消費税を払って買わなければならない富裕層にとっては、何の足しにもならないからです。おそらく一定以上の高額な消費財(高級住宅や高級車など)の市場は、相当落ち込むだろうと予想されます。私の個人的な見解としては、消費税をBIの財源に当てるのであれば、消費税率に逆進性を持たせることを検討すべきだという気がします。まあ、このへんはよくよく考えた結果ではないので、いろいろな方のご意見を伺いたいところです。BIというコンセプトの根本は、社会格差の是正だとか、貧困層の救済だとかいう点にではなく、あくまで生産性が向上した社会で生まれた供給過剰のギャップを、社会の構成員に公平に還元するというところにあるという点を押さえておく必要があります。これもこれから考えるべきテーマですが、現代のような時代では、その国の生産性のレベルや産業構造などによって、最適な「ベーシックインカム率」のようなものを計算する式があり得るのではないかという気がします。世界の多くの国では、まだBI率はマイナスでしょうが、日本や西欧諸国などでは、すでにプラスに振れているかも知れない(すなわち産業が効率化されたが故に失業率が上がっているような国々では)。BIを論じるに当たっては、最初からに国民全員に8万円ずつを配るなどという乱暴な議論ではなく、理論的に導かれたBI率で計算された金額をベースに、財源やその分配方法も充分検討しながら、具体的な政策論として議論をして行くことが必要だろうというのが今回の私の結論です。ということで、BIの経済的な側面に対する考察はこのへんにして、次回はもっと楽しい、BIの道徳的側面についての考察に移りたいと思います。(笑)


(2009年6月14日の追記です。この記事の中ではBIの財源として消費税を考えていますが、それよりもずっと現実的でスマートなアイデアを見付けました。これについては、『社会信用論と自由経済思想(1)(2) 』を参照してみてください。)

(2010年3月28日の追記です。ベーシックインカムの財源問題について、さらに進化したアイデアを思い付きました。ここでは政府通貨にも減価貨幣にも、もはや頼る必要はありません。詳しくは、『ベーシックインカムの財源問題について』、『ベーシックインカムは企業からの人頭税で』をご覧ください。)

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コメント

「中央銀行に国家の全住民分の口座を作ってそこに直接入金」すれば良いのではないでしょうか。
もちろんそれだけでは市中銀行が軒並み倒産するので、その口座に入金出来るのは中央銀行のみにし、ついでに利子もゼロ%にすればすぐに引き出して市中銀行に預けると思うので、市中銀行に関する問題は一応無いと言えるのではないでしょうか。
尚、その口座は「預金」ではないので、「予め」の「お金」という事で、「予金口座」と名付けてみました。
「予金」であって「預金」ではないので、利子をゼロにしても法的に大丈夫だと思うのですが。
この場合、「基本所得」というより「全民投資」になりますが。

投稿: ヒルネスキー | 2008年7月19日 (土) 18時15分

はじめまして。
ベーシック・インカムへの反対の意見として、
・働く動機が少なくなり、生産が減り、BIが成り立たなくなる。
というものがあります。
このことについて、どう思われますか?

投稿: melody | 2009年7月 3日 (金) 18時53分

ベーシックインカムが勤労意欲を減退させるのは、それが日本円で支給される場合です。もしも日本円よりも価値の低い第二通貨でBIを実施すれば、この問題はある程度回避出来るのではないかと考えます。これに関しては次の連載記事を参照してみてください。

社会信用論と自由経済思想(1)
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-9879.html

投稿: Like_an_Arrow | 2009年7月20日 (月) 07時38分

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