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2008年6月29日 (日)

自動翻訳は世界平和に貢献するか?

 訪れる人もまれな、ワールドワイドウェブ上の孤島のようなこの私のページに、それでもたまに立ち寄ってくれるお客さまがいるのは、インターネット検索というサービスのおかげです。ブログの管理者用メニューには、訪問者がどのようなコトバで検索したのかを表示する機能もあって、それを見ていると面白いことに気付きます。最近は「死刑廃止」だとか「裁判員制度」といった検索語が多いのは分かるとして、もうひとつ別の興味深い発見がありました。それはこのブログを外国語で検索している方がいるということです。もう少し正確に言うと、日本語のページを中国語に翻訳しながら検索している中国語圏の方がいるらしい、ということなのです。で、その検索URLをたどってみると、なるほどグーグルの新しい機能に「複数言語で検索」というものがある。これは入力した検索語を検索対象の言語に翻訳した上で検索をかけて、さらに検索したページの言語をこちらの言語に翻訳した上で表示してくれるというものです。もちろん日本語と中国語だけではありません、世界の二十四もの言語のあいだで相互に翻訳可能なのです。これはすごいですね。何がすごいって、まだ自動翻訳というものの品質が実用化にはほど遠いのに、それを無償サービスに組み込んでしまうグーグル社の発想とそれを実現してしまう資金力がすごい。で、私もこの機能を使っていろいろ遊んでみました。

 グーグルのトップ画面から「言語ツール」を選び、中国語のページを対象に検索をかけてみます。どういう検索語を入れてみようかな? 北京オリンピックやチベット問題について調べても、あんまり面白くはない、もっと刺激的なキーワードと言えば…。試しに「反日」と入れてみたら、278万件のヒットがありました(わおっ!)。「靖国神社」だったら297万件、「A級戦犯」では114万件、「南京大虐殺」だと259万件…。(日本語のページを対象にしたって、これほどのヒット件数はありません。さすが13億の民を擁する大国です。) このグーグルの機能が心憎いのは、翻訳されたページのリンクをたどって別のページに行っても、翻訳モードが解除されずに、すべて日本語に翻訳して表示してくれるところです。例えば「反日」で検索すると、「おすすめ反日サイト」みたいなリンク集がいくつも見付かりますが、そこから気になるタイトルをクリックすると、その先のページも日本語で読むことが出来るのです。その日本語というのが、ほとんど何を言っているのか分からないほどひどい翻訳なのですが、それでも内容が内容ですから、しっかりと「反日の感情」だけはこちらに伝わって来る(笑)。なかには目をそむけずにはいられないような酷い戦時中の写真が掲載されているページもあります。渦巻く憎悪のなかをあちこちさまよい歩いていると、思考力も麻痺してしまって、頭がクラクラして来そう。見てはいけないものを覗き見てしまったような気分にもなります。

 不幸な戦争から六十年以上を経て、いまだに中国や韓国とのあいだに感情的なしこりが消えずに残っている原因のひとつとして、私は言語の違いによるコミュニケーション・ギャップというものが大きいのではないかと思っていました。インターネットの時代になって、情報は国境を越えて瞬時に行き来するようになったと言っても、やはり言葉の壁だけはどうしようもない訳で、この壁を打ち壊すためには外国語学習の機会を充実させるよりも、コンピュータによる自動翻訳の技術を進歩させることの方がずっと手っ取り早い、そんなふうに私は考えて来ました。しかし、グーグルでそのベータ版のようなものを見せられてしまうと、そんな自分の考えは甘かったのではないかと思えて来ます。むしろ戦後六十年を経て、日中、日韓関係がそれなりの慇懃さをもって互いを尊重するような大人の態度を見せている裏には、それぞれの国の民衆が言葉の壁によって遮断されているという安全弁が働いているとは考えられないだろうか。これがもしもテキストの自動翻訳や、さらに進んで音声の自動翻訳技術などというものが実用化されて、言葉の壁という堰が破れてしまったら、互いの根強い憎悪の念や嫌悪の情がどっと流れ込んで来る状況が現れる訳で、それがこれら近くて遠い国同士の友好関係にプラスに働くとはとても思えないのです。むろんそんななかにあっても、そうした感情的対立を乗り越えて、未来を切り拓いて行こうとするたくましい言葉もたくさん現れることでしょう。が、残念ながらそうした言葉は衆寡敵せずで、民衆の大きな感情の流れに飲み込まれて行ってしまうに違いない。そのことは現今の国内のインターネット空間を眺めてみれば、容易に想像が出来ることです。

 インターネットというものが普及して、誰もが自由に自分の意見を述べ、議論を戦わせることも出来るようになった訳ですが、それで何か建設的なものが生まれたかと言うと、私は懐疑的です。むしろ意見の対立は次第に溝を深くしていくばかりで、インターネットが生まれる前と比較しても、国民のあいだで何か難しい問題に合意または妥協が生まれる機会は少なくなっているのではないかと思います。はっきり言えることは、例えば憲法改正問題にしても、死刑廃止問題にしても、あるいは生命倫理の問題にしても、どっちつかずの曖昧な態度の人が少なくなり、誰もが旗幟鮮明になったということではないでしょうか。いや、自分の意見をはっきり持つことは悪いことではありませんが、相手の言葉に耳を傾け、それを自分の中で咀嚼した上で理路を尽して反論するという、議論の基本というものがほとんど成り立っていないように感じるのです(これは自戒もこめて言ってます)。国内のインターネット空間でさえそういった状況なのですから、これが敵対感情を持つニ国間であれば、どうなるかは推して知るべしです。グーグルの自動翻訳機能には、自分が書き込んだテキストを指定した外国語に翻訳する機能も備わっています。つまり2チャンネルのような掲示板に、どこの国の人でも自由に書き込みが出来る環境が実現している訳です。(翻訳の精度が低くて、いまのところ実用に耐えないというだけで。) おそらく世界最高のエリート技術者を集めたグーグル社は、そこに美しい理想の未来を見ているのだろうと思います。彼らに欠けているものは現実的な想像力です。彼らの技術で実際に実現されてしまうものが、あからさまな憎悪に満ちた悪夢のような世界であるかも知れないということへのイマジネーションです。

 自動翻訳によって言葉の壁が取り払われてしまった未来から振り返ってみれば、国内で右翼(ナショナリスト)と左翼(リベラリスト)がいじいじとした論戦を繰り広げていた頃のことを、なんて平和な時代だったのだろうと思い出すかも知れません。インターネットは、その匿名性の故に攻撃的で悪意に満ちたコトバの跋扈する空間のように言われますが、その見方は本質を突いたものではないように思います。例えば〈炎上〉したブログなどを見ると、たいていは「こんな書き方をすれば、そりゃ炎上するよな」と了解出来る場合がほとんどで、コトバは過激でもそこには平均的な日本人ならそれなりに共感可能なコメントの応酬があるに過ぎない。逆に言えば、そうした平均的な日本人の感性からはずれたコトバがバッシングに遭うので、国内のインターネット空間はそういう他者からの補正を受けて、実は非常に均一な意見だけが生き残る場になっているような気がします。何かにつけ悪者にされる2チャンネルだって、よくよく見れば仲間内の〈お作法〉が作り上げた一種の予定調和の世界でしょう。そこでは滅多に本質的な意見の対立というものは見られない。所詮ナショナリズムとリベラリズムの対立なんて、同じ国内の多少は〈現実家肌の人〉と多少は〈理想家肌の人〉の対立に過ぎない訳で、それを深刻な対立と捉えること自体が甘っちょろいことかも知れません。世界の情勢を見れば分かるとおり、本当に恐ろしいのは国家間あるいは民族間にあるナショナリズム同士の対立です。私自身は理想家肌の人間なので、言葉の壁が取り払われることで排他的なナショナリズムが克服されていくことを願うものですが、現実を見ればことはそう簡単ではあるまいとも思うのです。

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コメント

この記事とは、関係ありませんが、
その後、減価する貨幣についての考察はどうなりました?
2chにあなたの記事へのリンクが貼ってあり、
飛んできました。
ご考察に進展があれば、
再度よろしくお願いいたします。

投稿: | 2008年7月 6日 (日) 11時56分

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