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2008年4月13日 (日)

「義務なら参加せざるを得ない」は本当か?

 とうとう来るべきものが来ました。法務省が今週、裁判員制度を来年の5月21日からスタートさせることを発表したのです。こんな誰の得にもならない馬鹿げた制度、放っておいても廃止の方向で決まるだろうと高を括っていたのですが、どうもこの予想は外れる見通しの方が強いようです。それにしても、この国の将来を揺るがす大問題であるにも関わらず、マスコミ各社がこの制度に対して採っている〈消極的是認〉の方針が気になります。どこの新聞社もテレビ局も、この制度への国民の理解が充分ではないといったことは指摘しますが、この制度自体が大きな問題をはらんでいて、制度の内容とそれが決められた経緯について、もう一度原点に帰って見直すべきだといった論点を提起するところが無い。この国では、マスコミが取り上げない意見は、要するに存在しないも同然ですから、何か新しい政策を通したければ、政府はまずマスコミを味方につけることが第一の条件になります。このところ、裁判員制度の宣伝をするために、どれほどの広告費がマスコミに流れているか考えてみてください。

 以前から裁判員制度に対しては断固反対の立場を表明していた私にとって、このニュース以上にショックだったのが、エイプリルフールの日に発表された最高裁のアンケート結果でした。今年に入ってから、最高裁は全国の1万人余りの国民に対して、裁判員制度に関する認知度や参加意向を問うアンケートを実施したのだそうです。その結果、裁判員制度のことを知っている国民は94.5パーセント、参加の意向については、「参加したい」「参加してもよい」という回答が15.5パーセント、「あまり参加したくないが義務なら参加せざるを得ない」が44.8パーセント、「義務でも参加したくない」が37.6パーセントという数字だったそうです。どうしてショックを受けたかと言うと、もしもこのままこの制度がスタートしたとすれば、国民の6割以上の人が(嫌々ながらも)裁判員として参加する見込みだと分かったからです。私は以前の記事で、もしもこの制度に対する国民の支持が5割以上あるなら、きっとこの制度はうまく行くだろう、そうなったら自分もこの制度の支持に回ってもいい、そんな書き方をしたことがありました。今回のアンケートで、この制度が国民の6割に支持されているという結果が判明した訳ではありません、むしろ支持率は15.5パーセントに過ぎないと見るべきでしょう。しかし、「義務なら参加せざるを得ない」という層がこれほど多いとは思わなかった。日本人の国民性を考えれば、「義務でも参加したくない」と答えた人の中にも、実際に裁判所からの出頭命令を受け取れば断れない人が多いに違いありません。たいへん残念な予測ですが、この制度は来年5月に平穏無事にスタートすることになるのだろうと思います。

 今日、国内で徴兵制を敷いている国の中で、「良心的徴兵拒否」の権利を認めていない国はほとんどありません。民主主義の進歩とともに、こういう権利は当然認められて然るべきだと思います。もしも第二次世界大戦が始まる前、参戦国の多くの若者がこの権利を行使していたなら、あの戦争はそもそも起こらなかったか、少なくともあれほど悲惨なものにはならなかった筈です。裁判員としての出頭命令は、しばしば〈現代の赤紙〉に喩えられます。私は「義務なら参加せざるを得ない」と考えている方たちに言いたいのです、もしもいま日本がどこかの外国との開戦前夜にあったとして、軍の召集に対して「義務なら参加せざるを得ない」と考えることは、要するにこれから起こる戦争を是認していることと同じではありませんか? 国や政府がやっていることのデタラメぶりが、これほど誰の目にも明らかになった時代なのに、国が決めたことだから、国民の義務だから仕方が無いと考えることは、民主主義国家の国民としてあまりに主体性の無い態度ではありませんか? 私は裁判員制度に対する国民の正しい態度は、「良心的出頭拒否」でしかありえないと思っているのです。

 そりゃあ戦争だとか軍隊だとかいうことになれば、良心的徴兵拒否ということにもそれなりの大義はあるだろうけど、裁判員制度をそれと一緒にすることには無理があるんじゃない? だってこの制度の目的のひとつは、日本の裁判を民主化することであって、それは民主主義の発展のためにもいいことなんだから。もしかしたら「義務なら参加せざるを得ない」派の人からは、そんな反論が返って来るかも知れません。が、ここが私にとって譲れないポイントなのですが、裁判員制度というのは日本の司法を民主化するものなどでは断じてないのです。欧米諸国に比べて、国民の司法参加ということに対する伝統がまったく無い日本は、また国民が犯罪に対して非常に厳しい厳罰主義を抱いている国でもあります。日本が世界中でも珍しいほど犯罪や殺人の少ない国であるということは、多くの人が知っている紛れもない事実です。それは何故だと思いますか? まあ、いろいろな理由が考えられるでしょうが、私は単純に「日本人ほど犯罪を憎む国民はいない」からだと思っています。一般的に日本人は、自分が犯罪を犯すことへの抑制心も強い代わりに、他人が犯した犯罪を赦さない厳格さにおいても他国民の追随を許さない。これは凶悪な犯罪が起こると、マスコミと国民とが一体となって憎悪のうねりを増幅させる、昨今の状況を見ても想像がつくことです。そんな国民を法廷に招じ入れて、被告を裁かせる。考えてみれば、こんなそら恐ろしいことが他にあるだろうか?

 政府が裁判員制度を導入しようとしている背景には、国際的な流れに反して、犯罪に対する厳罰主義を堅持したい思惑があるのだと私は見ています。犯罪大国であるアメリカを除いて、日本は先進国のなかでも例外的に死刑制度を存続させて、それを有効に活用している国です。(鳩山法相は今週また4人の死刑囚に死刑を執行しました。) いま欧州連合やアムネスティ・インターナショナルから、日本は死刑廃止に向かうよう勧告を受けています。一方、日本国内では実に8割以上の国民が死刑存続を支持している。政府が国際世論をかわすために、裁判員制度のようなものを導入すること以上に効果的な政策は考えられません。制度導入後、日本の刑事裁判が厳罰化に向かい、死刑の確定数がぐんと増えたとしても、それが国民の総意であると抗弁すれば、国際人権団体だってそうそう強くは抗議出来ません。この政府の思惑は、おそらくうまく図に当たるのだろうと思います。これは大きな声では言えないことですが、死刑制度に反対だったり、刑事罰の厳罰化に反対するような人ほど、裁判員の召集に対しては「良心的出頭拒否」を貫こうとする傾向があるでしょうし、逆に法廷で悪人を懲らしめてやりたいと思うような人ほど、裁判員になることに前向きな傾向があると予想出来るからです。もしかしたら、初めからこの政策にはそこまでの深慮遠謀が織り込み済みだったのかも知れません。

 最高裁のアンケート結果では、この制度の中身をよく知った人ほど、裁判員になることへの抵抗感が減る傾向にあるとも報告されています。冗談ばかり言ってます。私は以前の記事で、西野喜一さんという元判事の方が書かれた『裁判員制度の正体』という本を紹介しました。こういった本を読んで、この制度の内実を知れば知るほど、誰も怖くて裁判員になどなりたくないと思うのは必至です。法務省が作った裁判員制度PR用のポスターには、「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」なんてコピーが付けられている。(あんたの視点、あんたの感覚なんかで裁かれたくない、というポスターを私ならその隣りに貼ってみたい。) こういった国民をバカにしたイメージ広報はもうたくさんです。裁判員制度の施行まで1年余りと迫った今、マスコミ各社はもっと具体的な制度の実態について国民に知らしめて行くべきです。それと同時に、この「天下の大悪法」(@高野善通さん)に歯止めをかけるラストチャンスとして、民主党がこの制度の白紙撤回(撤回が無理なら、とりあえず延期か見直し)を打ち出して、総選挙を戦ってくれることに期待するばかりです。

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コメント

 一日1回「裁判員」をキーワードにしてブログを検索しているのですが,ここまで考え抜いている人がいるのは驚きました。
 他の記事も読んでみましたが,何かしら私のものの考え方と共通した基盤があるように思えました。

投稿: Barl-Karth | 2008年4月13日 (日) 22時17分

Barl-Karthさん、コメントありがとうございます。

日本人の犯罪に対する憎しみの強さには、ちょっと恐ろしいほどのものがあると感じます。しかも、私の見るところ、その傾向はここ十年くらいの間にますます顕著になって来たという気がする。最近は凶悪犯罪が増えていると、よくマスコミは言うでしょう? 正直、我々もそういう実感を持っていると思います。しかし、統計を調べてみれば、全然そんなことはないのですね。このところ我が子を虐待して殺してしまうといった事件が世間を騒がすことが多いですが、実は嬰児殺しの件数が30年前には現在の5倍もあったことをマスコミは言いません。変わったのはむしろ犯罪に対する私たちの感受性の方なんです。これは一面では道徳性の進化とも言えますが、また一面では無反省で凶暴な道徳意識が野放しにされている状態だとも言える。一種の集団ヒステリーのような状況のなかで、国民の司法参加がスタートする訳で、私にはこれが悪夢のように映るのです。

裁判員制度に反対する文章を、私は2年以上前から断続的にこのブログに書き続けています。読み返してみれば、最初に書いた文章で言いたいことはほとんど言ってしまっているのです。浅学非才を省みず、英米の陪審員制度に対しても「前時代の遺物」だなんて批判を浴びせています(笑)。でも、いまもその考えに変わりはないのです。もしもよろしければ、こちらのエントリーも参考にしていただけると助かります。

http://philosopher.cocolog-nifty.com/essay/2005/12/post_cd05.html

投稿: Like_an_Arrow | 2008年4月15日 (火) 04時15分

死刑制度反対であり、これに抵触する裁判員制度には、断固として与しない。

投稿: | 2008年11月16日 (日) 11時40分

死刑制度反対であり、これに抵触する裁判員制度には、断固として与しない。

投稿: | 2008年11月16日 (日) 11時41分

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