« 日本には「鎖国」という奥の手がある | トップページ | マナーの悪い国と道徳の廃れた国 »

2008年2月24日 (日)

我が家の子育て十箇条

 部屋はいつもおもちゃで散らかっています。今年四歳になるひとり息子のおもちゃです。短期間によくもこれだけ買い与えたと思うくらいの数がある。ほとんどが乗り物のおもちゃで、ミニカーはトミカとマジョレット、電車はプラレールとトレーンのNゲージ、数えてはいませんが数百個はありそうです。先日新聞で見た記事によれば、小さな男の子を持つ家庭の多くは、だいたい似たようなものなのだそうです。父親である私が幼少期を過ごした昭和三十年代前半には、まだこれらの製品は世の中に出ていませんでしたから、三歳にしてこんなたくさんのおもちゃに囲まれていたという事実は無かった筈です。

 息子も最近は知恵がついて来たので、たまに父親が保育園のお迎えに行くと、必ずおもちゃを買ってとおねだりされます。で、安いものだし、泣かれるのが面倒なのでついつい買い与えてしまうという流れになります。家に帰るとママに、「またミニカー買ったの?」ととがめられる。すると、息子、「パパがかってくれたの。ほんとはいけないんだよね」なんて言いつけてる(笑)。さっきまでの赤ん坊のような駄々のこね方は一体何だったの?と呆れている父親に、「ほら、これかっこいいよ」とご満悦な息子。小さなうちから欲しいものはすぐに買ってもらえて、我慢をするという習慣を持たずにこのまま育ってしまったら、この子は一体どういう大人になってしまうのだろうか、ちょっと心配です。

 このブログの新年最初の記事で、今年は子育てについてライブに綴って行きたいと書きました。一応このブログは、市井の一思索人の哲学的エッセイというコンセプトで店開きをしているので、子育て日記というのはちょっと意に沿わないのですが、最近は仕事が忙しくてネタ探しの余裕が無いこともあり、身近な書きやすいテーマとしてシリーズ化しようかと思ったのです。それに考えてみれば、これって結構面白い試みかも知れません。もしもこのブログをこれから十年、二十年と続けて行けたなら(そうありたいと願っているのですが)、こういう親バカに育てられた子供が、どういう少年になり大人になったか、そこまでをリアルタイムで報告出来るかも知れない。いずれにしても、現代のように「何でもアリ」の時代には、子育てだってひとつの実験でしかありえない訳で、そういう類のブログがたくさん現れれば、これからの時代の育児論に有益なデータを提供出来る可能性もあります。それにまた、私には日記を書くという習慣がありませんので、のちのち子供が小さかった頃の思い出に浸るよすがにもなるでしょうし、息子が高校生くらいになった時に親父のこの文章を読む日が来るかも知れないと思えば、それもひとつの楽しみになります。

 さて、この文章のタイトルに興味を覚えて読み始めた方には、毎度のことながら長い前置きですみません。おもちゃを子供にどう買い与えるべきかを考えていて、ふとこのタイトルを思い付きました。半分はネタですが、半分は実際に我々夫婦が心がけていることです。育児書の一冊も読んだことがない新米のパパとママが、こんな方針で三歳児と向き合っていますというわけで、以下、我が家の子育て十箇条です。

1.「父親と母親の役割分担を決めない」

 ひと昔まえまでは、息子は父親の背中を見て育つとか、厳しい父親とそれをフォローする優しい母親といった、ふた親の役割についての合意された類型があったように思います。我が家ではこれを廃止します。とても自分の背中を見せるだけで息子を導ける自信は無いし、厳しさに徹するには甘過ぎ、優しさに徹するには怒りっぽい自分が、昔の強い父親というロールモデルを引き受けられる訳がないと気付いたからです。これは母親にしても同じです。要するに、家族の中で役割を決めるなんて面倒なことは止めようと決めたのです。当たり前のことだけど、親だって機嫌の悪い時もあれば、気持ちに余裕のない時もある、そのへんは自然でいいじゃないか。こう割り切ってしまうと、父親業、母親業がだいぶ楽になります。

2.「質問をはぐらかしても嘘はつかない」

 三歳にもなると物事がだいぶ分かって来るし、子供に嘘をつくのだけは止めようと話し合いました。例えば息子は医者に行くのが大嫌いで、風邪で熱を出している時に小児科に連れて行こうとすると、すぐに察して「おいしゃさんいかない?」と質問して来る。行くと言えば大泣きだし、行かないと言えば嘘になる。こんな時、母親の方は慣れたもので、「そうだねー、お医者さん行きたくないねー、ママも行きたくないなー」なんて言いながら、さっさと抱き抱えて連れてってしまう。「それって単にごまかしてるだけなんじゃない?」、「だって嘘は言ってないでしょう」。なるほど。子育てでは、こういう場面は多いですね。お風呂で頭を洗うのが嫌いな息子とママの会話、「あたまあらわない?」、「そうだねー、洗いたくないねー、どうしようかなー」、ざぶん。父親がやろうとしても、こんなふうにうまくはいきません。

3.「いつかは出来ることをあせらない」

 今どきの三歳児はまだおむつをしているのがふつうだと言うと、私の母親(息子の祖母)などは驚き呆れます。これは紙おむつという偉大な発明のおかげなのですが、それはそれとして我が家の三歳児は、いろいろなことが平均よりもゆっくりなようです。テレビの「おかあさんといっしょ」では、息子より月齢の小さな子が上手にパジャマを着てみせるのに、彼はまだ自分でボタンが止められません。いまでも夜寝る前には哺乳瓶でミルクを飲むことが習慣になっていて、眠くなると、「パパ、チュッチュ」と言って所望する。でも、おむつもミルクもやがては卒業するだろうし、中学生になっても学生服のボタンをママに止めてもらっているとは想像しにくい。そういうことは自然に任せましょう。保育園ではお昼寝の前に決してチュッチュとは言わないそうです。この使い分けの方がしたたかで高度です(ちゃんと成長してるじゃん)。

4.「おかたづけは本人にさせる」

 なんでも自由放任で甘やかせてばかりでもよくないので、出したおもちゃの片付けくらいは本人にさせるか、親はそれを手伝うくらいにしましょう。これは共働きの夫婦にとっては、けっこう覚悟のいることです。いつもたいていおもちゃで散らかった部屋で暮らすことになるからです(厳しく叱れない両親なので)。幸いなことに、私自身はいくら部屋が散らかっていても平気な性分なので、息子が自分で片付ける気になるまでいつまでも待てます(いま奥さんからは文句が来ました。笑)。願わくは息子には、父親とは違って整理整頓のきちんと出来る大人になって欲しいと思います。でも、これは私の直感なのですが、これは小さい頃の躾の問題というよりも、持って生まれた性格の問題であるような気がする。うちの息子はどうもパパの方に似ちゃったんじゃないかな?

5.「言葉づかいはきちんと教える」

 楽器も絵も踊りも何も教えてあげられない父親だけど、日本語の正しい使い方だけは教えましょう。今の二十代、三十代のパパとママにとって、「見れる」「食べれる」は当たり前かも知れませんが、我が家ではそれは許しません。そんな父親の影響か、息子は時々〈考え過ぎた〉コトバを使います。例えば、「ほら、みて、おもいのもてられたよ」、といった具合です。これはまったく問題ありません。「持てられる」は、やがて自然に矯正されて行くに決まっているからです。ところが「見れる」「食べれる」の方は、直さなければ彼の人生で定着してしまう危険性がある。おそらく今の子供たちが、敬語も含めて正しい日本語を習得して行くことは、なかなかの難事ではないかと思います。逆に言えば、子供に正しい日本語を教えることが出来れば、それだけで社会で生きて行くための優位性をひとつ与えることになる。その点はこのパパに任せなさい。

6.「こわいと言っているものを強要しない」

 先日の節分の日には、保育園で鬼のお面を見ただけで泣き出したほどの臆病な息子です。夏は他の園児たちがビニールプールに入っているのを、ひとり座って見ていたのだそうです。家でも電気を消しては寝られないし、お風呂も基本的にはダメ、道を歩いていて強い風が吹いて来ると、「だっこだっこ」になってしまう。「男の子なんだからしっかりしなさい」と言いたいところですが、考えてみればこれもひとつの個性なので、尊重すべきことなのだと思います。三歳児にとって、こわいというのは本当に全身全霊をあげてこわいのだろうし、それは大人の想像を超えたものである筈です。これを克服出来る日が来るとしても、それは内的な変化によるもので、外からの強要によるものではないような気がします。時に大人は面白がって、子供を恐がらせることをしがちですが、我が家ではそれは絶対にしない方針です。

7.「食の安全にこだわり過ぎない」

 中国産餃子の問題は特別として、現代では多少なりとも農薬や化学物質の入った食品をすべて避けることは不可能です。無農薬野菜や天然ものの魚だけを食べるためには、それなりの経済的負担も伴います。それにこれからの時代、世界的な環境汚染や人口増加によって、安全を保証された食品がますます手に入らなくなることが予想されますから、二十一世紀の子供たちには、むしろそうした環境への(生物としての)適応力が求められるのかも知れません。最近の子供たちは、あまりに清潔な環境にいるために、却ってアレルギーが増えているとも聞きます。ことさら安くて危険な食品を選ぶ必要はありませんが、あまり食の安全に神経質になり過ぎないのも、親としてのひとつの見識だと思います。(母親がいなくて面倒な時は、子供にコンビニおにぎりを与えて済ませてしまうこともある、その言い訳ですね。笑)

8.「子供と遊ぶ時は大人のエゴを捨てる」

 これは自分への戒めです。平日は仕事で帰りが遅くなることの多い自分は、子供の世話も奥さんに任せきりになってしまいがちです。その代わり、週末に子供を連れて公園や児童館に遊びに行くのはパパの役目です。週末と言えば、私にはブログを書くというもうひとつの仕事があるので、子供と遊んでいても、早く眠くなってお昼寝してくれないかなと考えていることが多い。これでは子供と遊んでいても楽しくないですね。これはやはり改めなくてはいけません。ブログは書きたい記事があればいつでも書けるけれど、成長の速い子供と過ごす今日という日は、他にかけがえのないものなのですから。(こちらはブログをサボることへの言い訳かな?)

9.「おでかけの時には心を開いて」

 子供を連れておでかけするようになった頃、驚いたことのひとつは、「街にはこんなにたくさんのベビーカーがあふれていたんだ」ということでした。自分がベビーカーを押す身になって、初めてそのことに気が付いたのです。これまでだって、目には入っていた筈なのに、子供のいない自分はあまり気にも止めなかったんだと思います。子供が出来てからは、街なかで小さな子供を連れたお母さんやお父さんを見掛けると、湧き起こるシンパシーに浸りながら、この子はいくつくらいだろうと我が子と比べながら考えている。通勤の時は、iPodで外界の音を遮断し、半径30センチ以内に侵入して来るやつはみんな敵、みたいなメンタリティで武装しているので、その落差は大きいです。最近は子供との散歩もルーティン化して来て、そうした感動は少なくなってしまった気がします。これは良くないですね。初めて息子を連れて公園に散歩に行った時の、あの気持ちを忘れないようにしなくては。

10.「パパのおもちゃ箱を用意する」

 で、おもちゃをどう買い与えるかという問題です。これは今回の記事を書きながら思い付いたことです。最近は息子がミニカーを選んでいると、待つ身の気分で、「どれ買うか決まった?」なんてせかすことがふつうになってしまいました。これも良くないですね。いくら家には何百個のおもちゃがあるとは言え、息子にとっては新しいおもちゃとの一期一会の出会いの場なのです(時々間違えて家にあるのと同じものを買おうとするけど)。ここはやはり父親もその感動に付き合ってあげなくては。で、思い付いたのが、パパ専用の小さなおもちゃ箱を作って、父親も子供と同じ目線でおもちゃを選んでみるということです。毎回ではなくても、たまには息子のと一緒にパパのミニカーも買ってみる。「こっちはパパのだからね」と言って小さなおもちゃ箱にしまう。興味があるようなら、「かして」と言えば貸してあげる。でもしまうのはこちらのおもちゃ箱。うん、これはいいかも知れない。子供にモノの所有ということを教えるきっかけにもなるし。

 というわけで、さっそく昨日、100円ショップで小さなプラスチック・ケースを買って来ました。そして今日、息子と一緒にミニカーを買いに行きました。パパのミニカーもひとつ買いました。「こっちはパパのだからね」ときちんと説明しました。家に帰って、パパのおもちゃ箱に入れてみました。小さな透明のケースが、息子はとても気になるようでした。五分後には、そのケースに自分のお気に入りのミニカーを入れて、嬉しそうにママに見せびらかしている息子がいました。嗚呼。

|

« 日本には「鎖国」という奥の手がある | トップページ | マナーの悪い国と道徳の廃れた国 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138790/40251018

この記事へのトラックバック一覧です: 我が家の子育て十箇条:

« 日本には「鎖国」という奥の手がある | トップページ | マナーの悪い国と道徳の廃れた国 »