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2008年1月13日 (日)

京都議定書、日本の採るべき道

 昨年末から今年の始めにかけて、地球温暖化の話題を取り上げた記事や番組が目につきました。少し前までは、人間社会の排出するCO2と気候の温暖化については、因果関係が証明されている訳ではないなどと平気でうそぶいている人たちもいましたが、さすがにここに来てそんな声も聞こえなくなったような気がします。確かに昨年は、国内でもまた海外でも、異常気象に伴う災害や被害の多発した一年でした。いや、ここ数年、その傾向はどんどん顕著になって来ているとも感じられます。地球に何か取り返しのつかないことが起こり始めている、そういう危機感が私たちのような一般の生活人にも浸透して来たのが2007年という年だったと思います。

 1月3日の朝日新聞に、日本はCO2の排出権取引において、欧米の企業から「カモにされる」可能性があるという記事が載っていました。1997年に採択された京都議定書では、先進国はそれぞれCO2を始めとする温室効果ガス削減の目標枠を定められています。1990年の排出量を基準として、2008年から2012年までの5年間に、EU諸国は8%、アメリカは7%、日本は6%の削減を行なうというものです。一見、日本は優遇されているように見えますが、実は日本は早くから環境対策では世界の先端を行っていましたから、1990年を基準とされると非常に厳しいのですね。削減のための〈ノリシロ〉がほとんど無いからです。事実、2006年の実績では、削減どころか1990年比で6.4%の増加になっています。国内の電力消費量や自動車の台数が増えたからです。これでは2012年までに自力での6%削減など、どう考えても不可能です。アメリカなどは、目標達成が難しいと見るや、早々に京都議定書から離脱してしまいました。日本は議定書作成の議長国ですから、簡単に離脱も出来なければ、目標達成を諦めることも出来ないという苦しい立場に置かれているのです。

 京都議定書は、これに参加する先進各国にそれぞれ削減目標を課すものですが、その達成を自国だけの地道な努力によって進める以外の選択肢についても定めています。そのひとつが問題の「CO2排出権取引」なのです。もしも2012年までに目標達成が難しいようなら、目標をクリアしてさらに余裕のある参加国から、その余剰分をCO2排出権として買い取り、自国の排出枠をその分だけ拡大しても良いというのです。新聞記事では、すでに排出権の買い取り競争が始まっており、価格の高騰を招いていることが伝えられています。日本の商社が排出権を買い付けようとしても、欧米の企業に出し抜かれてしまい、買った欧米企業はその値段をさらにつり上げて日本に売り付けようとして来る、そんなことが実際に起こっているのだそうです。これを聞いただけでも、最初から日本は狙い撃ちされたに違いないと思ってしまいますね。もしかしたら1997年の京都会議の時点から、日本は(EUが仕組んだ)国際的な罠にはめられていたんじゃないだろうか。現在、日本はイギリスに次ぐ世界第二位の排出権購入国なのだそうですが、そのイギリスにしても、おそらく日本に転売するために排出権をキープしているだけなのでしょう。

 相も変わらぬ日本の国際戦略のまずさはともかくとして、こういった京都議定書の枠組みでは、世界全体のCO2排出削減などとても覚束ないと感じます。一部の国や企業が排出削減に向けた努力をしたとしても、そこでの削減分が商品となって別の国や企業の排出増加に対する免罪符になるというのでは、地球全体としてのCO2削減には何の効果も無いと考えられるからです。日本だって、そんなふうに買い集めた排出権によって、なんとか6%の削減目標を名目上達成したとしても、そんなことは環境先進国の名にも値しないし、むしろ国際的な恥さらしになるだけでしょう。(また日本は自分の手を汚さずに、カネだけで解決する国だと言われる訳です。) だとすれば、日本政府や日本の企業は、やはり戦略を大きく転換すべきでしょうね。まずは世界中で排出権を買い漁るようなさもしいことは止めて、もっと実質的で価値のあるCO2削減策に取り組むべきだと思います。どこで取り組むか? すでに国内のCO2削減では技術的な限界に近付いている訳ですから、もっと簡単に投資効果が現れるところで取り組むのです。いまそれに最適な場所は地球上にひとつしかありません。つまりお隣りの中国です。

 まだ1997年には、中国は先進国として認知されていなかったためなのでしょうか、京都議定書の批准を行なってはいても、中国政府には温室効果ガスの削減目標は課されてはいません。その後、中国は急速な発展を遂げ、米国に次ぐ世界第二位のCO2排出国になったことは誰もが知るところです。実は京都議定書のルールの中には、排出枠の設定を受けた先進国同士での排出権の取引の他に、先進国が排出枠を持たない途上国と共同でCO2削減のプロジェクトを行ない、途上国での削減実績を自国の排出枠にプラスしてもいいという規定があります。これを「クリーン開発メカニズム」(CDM)と呼ぶのだそうです。日本が中国で買い付けようとしているのが、このCDMによる排出枠なのですね。しかし、ここでも日本は後手に回っていて、新聞記事の例では、既に実績を上げている出来合いのCDMを事後的に買い付けようとしているだけのようです。

 これは中国にとっては美味しいビジネスかも知れませんが、日本にとっては不名誉な話です。むしろここは、日本の環境技術を積極的に供与して、本来の意味での共同クリーン開発を進めるのが筋でしょう。なにしろ中国では、昔の日本のように環境汚染がひどくて、それで国民の健康が害されているという事実があるのです。京都議定書の目標などという以前に、隣りの国が公害問題で苦しんでいて、こちらがそれを解決する技術を持っているなら、それを提供するのは先進国として当然の義務だと思います。もちろん、中国の工場が排出する汚染源を、日本のコスト負担ですべてクリーンにすることなどは出来ません。が、日本企業が持っている環境対策に関する特許技術を、政府が買い上げて無償で提供したり、またはそのノウハウを持った技術者を政府費用で派遣したりすることなら出来る筈です。そんな費用をどこから捻出するのかですって? そんなの決まってるじゃないですか、新聞記事によれば、現在のままでは2兆円から5兆円にも達するというCO2排出枠の購入費用を、そちらに振り向ければいいのです。そうすれば京都議定書の6%枠など自然にクリア出来ると思いますし、たとえ出来なくても地球全体のCO2排出抑制に実効的な貢献が出来ることになる。それは結果として、京都会議議長国としての日本の名誉にもなることですし、これからの日中の経済関係を考えた上でも、とても意味のある先行投資であるような気がします。

 従来から京都議定書というものの名前くらいは知っていましたが、その具体的な内容は知らずにいました。今回の記事を読んだのがきっかけで、私も初めてその中身を少し勉強してみました。人類が初めて共通の数値目標を定めて、地球温暖化の問題に取り組もうとしている、その記念すべき試みに「キョウト」の名が冠されていることに、多くの日本人は誇りを感じたのではないかと思います。その誇りを、慾得まみれの排出権争奪戦などで踏みにじってはいけない。これからの時代、世界の中で日本がプレゼンスを発揮出来る分野はどんどん少なくなって行くと予想されます。環境対策や温暖化対策は、その数少ない分野のなかでも有望なもののひとつでしょう。これに対して、政府は予算を惜しんではならないというのが今回の私の主張です。なにしろ我が国一国だけの問題ではない、それは世界と人類を救うための予算でもある訳ですから。今年は私もこのテーマについて、いろいろと考えて行きたいと思っています。

(付記です。この文章を書いたあと、CO2が地球温暖化の元凶だという説に筆者は疑いを持つようになりました。この記事には続編があります。こちらもご参照いただけると助かります。)

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