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2008年1月27日 (日)

ポスト・オイル時代を待ち望む

 地球1個分の生活という考え方はとても魅力的ですが、地球が産出することの出来る資源の量と、人間が消費する資源の量とが、どうしたってバランスしないものもあります。CO2の排出や森林の伐採については、各国の努力や将来の技術革新でサステイナブル・ラインにまで改善される可能性が無いとは言えません。また鉱物資源、最近話題になっているレアメタルのようなものだって、廃棄物から効率よく回収する技術が確立すれば、持続可能な資源の循環が成立しないとも限らない。ただ、どう工夫しても循環サイクルが形成出来ないのが、石油を始めとする化石燃料です。考えてみればとても恐ろしいことのように思えるのですが、生物の進化が40億年もかけて蓄えた貴重な資源を、人間はニ百年かそこらで使い果たそうとしているのですね。もしも仮に人類が今世紀のうちにも絶滅してしまい、その何千万年後かにポスト・ヒューマンと呼ばれる知的生物が地球を支配することになったとしても、彼らにはもはや文明を築き上げるための化石燃料は残されていない。そう考えると、人間がこの地球に対して働いた過酷な搾取は、本当に取り返しのつかないものだったのだと感じられます。それは足跡(フットプリント)と呼ぶよりも、永久に消えない「爪跡」と呼ぶべきものです。

 地球温暖化という話題の陰に隠れて、あまり目につかなくなりましたが、「ピーク・オイル」というのも社会の持続可能性を考える上での重要なキーワードのひとつです。石油の埋蔵量には限りがあり、その発掘量は近いうちにピークを迎え、その後は石油の供給量が次第に減少して行くという考え方です。石油がすっかり枯渇するというのではなく、品質が良くて採掘コストの安い石油が少なくなって、値段が他の代替エネルギーよりも割高になった時、経済原理として石油に依存した社会は終わりを告げるだろう、そういう理屈のようです。インターネットで調べてみると、これにもいろいろ対立する意見があるのですね。ある人はもう今年にも世界の産油量はピークを迎えるだろうと言っているし、ある人はあと140年は今のペースで採掘しても大丈夫だと主張している。実のところ全世界の埋蔵量がどのくらいあるのかよく分からないのだという説があるかと思えば、欧米の調査機関は採掘可能な石油の量を正確に把握しているが、それを国家機密として公開しないだけなのだという説もある。これでは私たち生活人はいったい何を信じていいのか分かりません。

 それでも断片的な情報をつなぎ合わせることで推測出来ることもあります。1960年代くらいまでは世界中で新たな油田の発見が相次ぎましたが、それ以後は油田発見の件数が急激に減っている、世界一の石油消費国であるアメリカは、かつては石油の輸出国だった時代もあったのに、今では国内消費の6割以上を輸入に頼るようになっている、また世界最大の埋蔵量と言われるサウジアラビアの油田でさえ、すでにピークの前兆である原油成分の劣化が現れ始めているという報告もあるそうです。これに中国やインドを始めとする途上国の経済発展によって、世界の石油需要が急速に伸びていることも考え合わせると、楽観論よりも悲観論に照準を合わせて準備をしておいた方が良いというのが常識的な判断だろうと思います。昨年から今年にかけて原油価格が高騰して、ついに1バレル100ドルを超えました。これは世界の投機マネーが実体以上に価格を吊り上げているためだとも言われますが、石油の将来に漠然とした不安がなければ投機マネーだってそうは集まらない筈でしょう。

 もしも地球温暖化や環境保護の観点から考えるなら、早くピーク・オイルの時代が到来して、社会がいやでも代替エネルギーに移行しなければならなくなった方が、結果として人類の未来のためにはいいのかも知れない、そんなことを考えたりもします。もちろんその代替エネルギーは、CO2や放射能などを撒き散らさないクリーンなものであることが前提です。そうした技術は、すでに理論的には出揃っていて、実用化の可能性も見えて来ているのですね。おそらくその一番の本命は「核融合技術」なのだと思います。私たちがすでにその恩恵を受けている原子力発電は、ウランのような重い物質が核分裂を起こす際に発生するエネルギーを利用したものですが、核融合の方は水素のような軽い物質を高温・高密度のプラズマ状態に置き、そこで起こる核融合反応で発生するエネルギーを取り出すものです(と、書いてる本人がよく理解している訳ではありませんが。笑)。注目すべき点は、核融合は核分裂と違って危険な放射能を少量しか発生させないこと、事故によって原子炉が暴走したり爆発したりする危険性も少ないこと、温暖化ガスであるCO2をほとんど排出しないこと(これはウラン型原子力でも同じ)、そして使われる燃料が海水中にほとんど無尽蔵に存在する重水素であるといったことです。なんだ、いいことずくめじゃないですか。ただ、それを実現するための技術的なハードルが高いのですね。その研究は、とても一国だけの予算では賄い切れるものではないので、先進国の共同プロジェクトとして進められているのだそうです。2005年に日本とフランスが実験炉の誘致に名乗りを上げ、日本はフランスに敗れてしまいました。現在、2016年の試験運転開始を目標に、フランスのカダラッシュというところにイーター(実験炉)が建設されつつあります。

 こういう話を聞くと、いまだ科学技術による明るい未来を信じている自分としては、心がワクワクするのを抑えられません。(いまどき珍しいタイプですね。笑) 核融合エネルギーが実用化されて、三百年以上も続いた化石燃料時代に終止符を打つ、その可能性が現実のものとなって我々の視界に入って来たのです。ポスト・オイル時代の視点で振り返れば、人類が石炭や石油に依存して、地球環境の破壊と引き換えに繁栄を手に入れていた時代は、なんと野蛮なものだったと見えることでしょう。未来の科学者なら、こんな記述をするかも知れません。生命の進化が人類のこの繁栄にまで到達するためには、奇跡とも呼べる3つの条件が必要だった。ひとつめは生命自身がこの星の大気を自らの生存に適した組成に作り直したこと、ふたつめは生命自体の循環すなわち豊かな生態系による食物連鎖が実現されたこと、そして三つめは地中に化石燃料を蓄積してそれを利用する知恵を持った生物に文明をプレゼントしたことである。それらはすべて30億年ほど前にこの星に誕生した〈葉緑体〉が作り出した奇跡だった。つまりすべては太陽の恵みだったのである。そしてこの星で初めて化石燃料を利用して文明を築き上げた人類は、二十一世紀の半ば、ついに地上の太陽(核融合)を手に入れた。それは人類が太陽エネルギーの恩恵に頼らず、初めて自分の足でこの地上に立った瞬間だったとも言える。それはまた、人類がこの地球から借りた莫大な借金の返済が始まる時代とも重なっていたのである。

 代替エネルギーについて書こうと思っても、私にはネタも何も無いので、まあそんなレトリックでお茶を濁すしかないのですが、やはり核融合技術というのは、全宇宙的規模で見ても画期的なものなのだと思います。宇宙のどこかに地球と同じような知的生物が存在する(した)として、彼らの文明が持続可能なものになるためには、この技術を手に入れるかどうかがひとつの試金石になるのではないかという気がする。ただ、現象面から見れば、核融合エネルギーと言っても、それは要するに非常に安全で、しかも安価に運用出来る原子力発電所を人類が手に入れるという、それだけのことに過ぎません。その実現に、日本が、フランスが、アメリカがどれだけ貢献したかなどというのはまあどうでもいい話で、クリーンで使い減りのしないエネルギーを使って、どう持続可能な社会を作って行くかが次の課題になります。いくら核融合エネルギーが当たり前のものになっても、まさか自動車や航空機に核融合エンジンが搭載される訳ではないので、課題はとにかく「エネルギーのポータビリティ」をどう実現するかにかかって来るでしょう。この分野では、燃料電池や水素エネルギー技術が有力視されていますが、日本はイーターの誘致に失敗したのをむしろ幸いとして、これらポスト・オイル時代の個別技術の研究開発に思い切って予算と人を投入すべきだと考えます。資源の乏しいこの国にとって、地下の化石燃料という資産格差が無くなる時代は、何世紀に一度というチャンスかも知れないからです。

 京都議定書の記事に触発されて、3回シリーズで環境とサステイナビリティの問題について考えて来ました。素人が偉そうに書くような話題ではなかったと反省しています。子供を持つひとりの父親として思うことは、やはり将来に亘って持続出来る社会の見取り図というものを心のなかに持っていなければ、結局私たちの生活は刹那的で虚無的なものに陥って行くしかないということです。未来はどちらに転ぶか分からない。しかし、最近はマスコミも世論も暗い方向にばかり目を向けているように思えます。楽天的と言われようが太平楽と言われようが、この問題に関しては明るい話題やニュースを選択的に取り上げて、自分(と周りの人)を励まして行くしかないように感じています。個人的には、そのへんがまあ今回の結論ということになるのでしょうか。

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