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2008年1月20日 (日)

地球1個分の生活という思想

 世界中で人間が排出するCO2が1日に7000万トンに達するとか、地球上で毎日2万ヘクタールの森林が失われているといった話を聞くと、なんだか無力感で頭がクラクラして来ます。環境破壊のスケールとスピードがあまりに途方も無いものなので、一部のエコ・コンシャスな人たちを見習って、私たちがいまの生活を改めたとしても、とても大勢に影響があるとは思えない。この無力感って、何かに似てませんか? そう、選挙のときに自分が1票を投じても何も変わらないと感じる、あの虚しさに似ている気がする。でも、自分の1票が無力だからと選挙を棄権するのが誉められることではないように、自分の生活が環境にどのような負荷をかけているか、そのことに無自覚でいることも現代人としてうるわしいことではありません。

 京都議定書でのCO2の削減目標が日本は6%というのも、科学的な根拠に基づいた数字ではなく、国際会議の駆け引きのなかで適当に決められたものだったようです。どうも地球温暖化がこれだけ世間の関心を集めている割りには、まだ〈環境の計数学〉といったものが充分に成熟していないように感じます。個人の生活についても、例えば自動車に乗る回数を減らすことだとか、暖房の温度を低めに設定することだとか、それは確かに環境に良いことであるとは思うけれども、そのインパクトが裏付けのある尺度で計測出来なければ、エコライフと言っても所詮は自己満足に過ぎないような気がする。そんなことを思いながらインターネットを調べていたら、エコロジカル・フットプリントという考え方があることを知りました。これは、国や企業または個人などが、活動のなかでどれだけ環境に負荷をかけているか、それを土地の面積で測ろうという試みだそうです。確かに私たちの生活は、食料にしても資源にしても、すべては〈土地の恵み〉によって支えられている訳ですから、それがどのくらいの面積の土地に相当するのかという尺度で測ることは、理に適った考え方のように思われます。いま世界の人口が60億人だとして、地球の陸地の面積の60億分の1の土地によって自分の生活が賄われているものなら、世界中の人が自分と同じような生活をしても、それを地球は許容してくれるでしょう。この指標を考案したカナダの学者による計算では、地球がひとりの人間に提供出来る有効な土地の広さは1.8ヘクタールほどなのだそうです。それに対して日本人の平均的な土地需要面積、すなわちエコロジカル・フットプリント値は4.3ヘクタールにも上るのだそうです。つまり日本人は、地球2.4個分の生活をしているということになる訳です。

 エコロジカル・フットプリント(以下EFと略)の考え方を普及しようとしているエコロジカル・フットプリント・ジャパンというNPO法人のホームページに行くと、簡単なクイズに答えることで自分が地球何個分の生活をしているのか、概算で算出してくれます。面白半分に試してみたら、私の場合には1.2という結果が出ました。日本人の平均値の半分という低い数字ですが、これは自家用車を所有していないことや、ここ数年来飛行機というものに乗っていないこと、電気製品は壊れるまで使い倒すし、本はなるべく買わずに図書館で借りて読む、風呂にも毎日は入らない、そういうことのトータルな結果のようです。エコというより単なる貧乏と言った方が当たっていますね(笑)。それでも地球1.2個分の生活ですから、改善の余地はあるみたいです。裏にどのような計算式が仕込まれているのか、それも別資料として提供されています。住居の床面積がけっこう大きなウェイトを持っているのが解せませんが(むしろ住んでいる家の耐用年数を聞いた方がいいような気がします)、その他で大きいのは光熱費や自動車の走行距離、飛行機の搭乗距離などで、これは常識的にも納得出来ます。EF値を下げたければ、とにかく消費を抑えればいいので、最もエコな生活というのはホームレスの生活ということになります。そりゃまあそうだ。

 とりあえず今年は自分もエコロジーにテーマを置いてみようかな、そう思っていた矢先に面白い考え方を知りました。ただ、ひとりの生活人としては、もう少し具体的な行動指針につながるようなパラメータが欲しいような気もします。直接的に電力や石油の消費量に換算出来るものは比較的想定がつきやすいのですが、既に製品となったものを購入した場合には、その製造過程や流通過程、また廃棄の過程でどれだけの足跡(EF)を残すものなのか、なかなか想像がつきません。割り箸やスーパー袋のEF値、缶やペットボトルの飲料1本当たりのEF値、カップラーメンのEF値、新聞購読のEF値、まあそのようなものですね。あとは製品をリサイクルした場合やゴミの分別を励行した場合のEF値の改善効果なども知りたいところです。そういう生活のシーン別にEF値の早見表を参照出来れば、エコライフ実践のための指針としてもっと便利でしょう。EFの算出方法は、専門的には複雑で難しいもののようですが、私たちは結果が欲しいだけですからね。

 もうひとつ、EFについて不満があるとすれば、せっかく複雑で精密な計算をした結果なのに、それが土地面積というたったひとつの数字に集計されてしまうという点です。環境負荷とひと言で言っても、そのなかにはCO2を始めとする大気汚染に関するものや、土壌汚染、水質汚染に関するもの、エネルギー資源や鉱物資源の消費に関するもの、生態系への影響に関するものなど、いろいろな区分があると思います。たとえ世界のすべての人が、EF値で1.8ヘクタール以下の生活をしたとしても、それだけで地球環境がサステイナブルになる訳ではありません。CO2の排出は抑えられたけれども、その技術のために石油の消費量が倍になったというのでは、それは地球1個分に収まるものとは言えないでしょう。重要なのは、バランスです。そのバランスがEFの考え方では捉えられないのだと思います。経営学の最近の流行にバランス・スコアカードというものがありますが、例えばこれを応用して「エコロジカル・バランス・スコアカード」といったものは考えられないでしょうか? 仮にこんな領域を考えてみます、①環境汚染(大気、土壌、水質)、②地下資源(エネルギー資源、鉱物資源)、③食料生産(農業、牧畜業、漁業)、④生態系保護(森林、海洋)、これで4領域10項目のEF値がプロット出来る。これをグラフにしてみた時、全項目が地球1個分の枠内に収まって、初めて持続可能な社会と呼べるというアイデアです。

 ひとりの人間やひとつの国が、全部の項目でサステイナブル・ライン以下の生活をすることは難しいでしょう。例えば日本は地下資源が乏しいし、現状では食料の自給率も40%以下なので、とてもいびつな十角形になると思います。ただ、これは世界中の国々がトータルでバランスがとれていればいい訳で、自国の得意分野でサステイナビリティに貢献すればいい(貢献するしかない)のだと思います。日本の場合なら、代替エネルギーの開発とか、淡水化技術とかでしょうか。個人の場合でもきっと同じでしょう。ワン・ナンバーで「お前のEF値は4.3ヘクタールだ」などと詰め寄られると、なんだか生きていること自体が悪いことであるような気がして来ます。むしろ自分の得意な分野や関心のある分野で努力をする方が、気も楽だし実効もあるのではないだろうか。その多様性を認めてこそのエコライフでしょう。ポスト京都では、国ごとにそういった自発的な目標設定が出来ないものだろうか、そんなことも考えたりします。

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