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2007年12月16日 (日)

ボツになったアフォリズム集

  1. 戦争に関する理論や技術はすぐに古びてしまうが、平和に関する我々の観念は古びない。平和を築く技術は数千年来変化していない。
  2. 戦争責任の非対称性。加害国の第二世代に罪の意識は受け継がれないが、被害国の第二世代には被害の後遺症が受け継がれる。
  3. いくらあの戦争を正当化しようとしても無駄なことだ。この国は明らかに義の無い戦争を戦ったのである。戦勝国の占領軍がやって来たとき、多くの民衆が歓呼をもって迎えたという事実が、その何よりの証拠ではないか。この愚かな戦争の結果として、今日のこの国はあるのだ。
  4. 現代の左翼と右翼。自虐と自慰というらしい。我々はまだまだ前世紀に起こった戦争を、経験として消化出来ていないのである。
  5. もしもギネスブックに、最も短い時間で最も多くの人間を殺した記録という項目があったなら…。どんなにすさまじい地震あるいは津波のようなものであっても、わずか数秒間のあいだに数万人の生命を奪うなんて芸当は出来っこない。そのありえないことが広島と長崎では起こったのだ。
  6. 我々は犯罪者を前にして怒りを抑えられない、が、本当に我々が感じている感情は、怒りではなく戸惑いなのである。無差別殺人犯に対して我々が感じる怒りと、我が子を殺された親が感じる犯人に対する憎しみは、本質的に異なるものだ。そのことだけは忘れないようにしよう。
  7. 悪を憎む心は、単にそれが憎しみに留まるものであるならば、何ら道徳的なものではない。例えば神の名のもとに異教徒を抹殺しようとする戦士の心の中には、崇高とも言える敵対者への憎悪があるだろう。我々が犯罪者を憎む心理も、これとほとんど変わるところはない。
  8. 被害者の側の心構えを論じる人は少ない。しかし、犯罪の被害者になるということは、一種の試練であり、自分を試されていることであるというのは、人権を無視した不当な言い方だろうか?
  9. 我々が真に憎むべきは、権力を持った者の悪、国家的犯罪による巨悪に対してである。
  10. 国民の八割が死刑制度に賛成しているような国で、裁判員制度を導入することの危険性については、改めて指摘するまでもないだろう。
  11. もしもこの国の裁判官の多くに問題があり、市民の司法参加によってその是正が必要だと言うならば、当の裁判官自身が市民を面接して、裁判員としての採用・非採用を判定すること自体が理屈に合わない。
  12. もしも本当に死刑の犯罪抑止効果を言うなら、処刑方法にも差をつけるべきである。例えば、2人を殺した殺人犯には薬物による安楽死、3人なら絞首刑、4人なら銃殺、5人なら磔刑、6人なら火あぶり、7人ならば四つ裂きの刑・・・といったように。これなら殺人犯が犯行時に心に抱く、「2人殺すのも3人殺すのも同じ」というやけくそな衝動を抑える効果だってあるかも知れない。
  13. 人生の目標と同じように、社会の目標も少し手の届きにくい、高い位置に設定した方がいいというのが、私の持論である。その意味で、死刑廃止というのは、まさに手頃な目標のひとつだと思うのだ。
  14. いまある手持ち材料で、先進諸国の人たちの生活レベルを大きく落とすことなく、途上国の人たちの生活を底上げしながら、しかも環境悪化やエネルギー問題にも解決策を見出し、持続可能な世界を築くことは理論的に可能なのだろうか?
  15. そもそも生物として人間は、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出しながら生きている訳で、CO2の排出規制というのは、いわば〈死の発想〉である。
  16. もしも宇宙のどこかに知的生命体の住む惑星があったとすれば、きっとその惑星でも文明は似たような発展の過程をたどっていることだろう。つまり、最初は生命進化の中で蓄えられた化石燃料を利用した、短期間での爆発的な技術進歩があり、やがてすぐに化石燃料の枯渇に直面する。そこで持続可能な代替エネルギーにシフト出来るかどうかが、その文明が存続出来るかどうかの分かれ目になるということだ。
  17. ベルクソンは、家族愛、民族愛、祖国愛といったものから、人類愛への道は質的な転換であり、それは閉じられた道徳から開かれた道徳への飛躍なのだと説いた。しかし、私はこれには疑問を感ずる。例えば、もし人類が他の惑星の知的生命体と遭遇したら、我々は人類愛を振りかざして新たな敵と戦わないだろうか?
  18. 人間が、自分たちが属する人類という共通の種を認識して、少なくともその中での博愛主義という思想を獲得したのが、地球という惑星を征服しつくし、既に辺境というものが無くなった時代においてであったことは皮肉なことだ。
  19. 空想的な理想主義者として、私の好きなイメージがある。いまこの瞬間にも、人類は連帯して悪徳や差別や貧困と闘っているというイメージだ。闘いなのだから、局地戦では負けることもあるだろう、兵站が断ち切られ後退を余儀なくされることもあるだろう、しかし、全体とすれば戦況は刻々と好転しつつあるというものだ。
  20. 時期尚早という言い方は止めにしようではないか。少なくとも道徳的問題については、時期尚早などということはありえないのだから。
  21. すべての人間は、やがて死ななければならないという点において決定的に平等である。
  22. 現代人の陽気さや無関心は、死んだら無になるということを暗黙の前提として受け容れているところから来る。
  23. 現代のような人間の心が浅薄になってしまった時代でも、病気による死を宣告された人の物語にだけは深い心の動きが残されているように感じる、それが不治の病が小説やドラマのテーマとして好まれる理由である。
  24. どのような新しい発見や理論によって人工知能が実現するかは分からないが、ひとつだけ言えることは、図面が先に完成して、その通りに作ったら人工知能が完成するという形ではなく、いろいろな試行錯誤を繰り返すうちに、それは偶然「出来ちゃった」という形で我々の前に現れるだろうということだ。
  25. スピリチュアリズム。自己の存在ということに対する根本的な畏敬の念が無いから、これを霊魂の問題だと勘違いしてしまうのだと思う。
  26. 国内の自殺者を減らす手っ取り早い方法として、自殺者には生命保険の保険金が下りないよう法律で規制したらどうだろう? 自殺者の遺族に保険金を出すということは、自殺者の遺族を連坐させて罰するのと同じくらい不道徳なことだ。
  27. 新しく生命保険に入ったんだってね。で、〈自殺特約〉は付けたの?
  28. 構造改革を標榜する今の政府は、国民に「改革の痛みに耐える」ことを強要し、実際に痛みを伴う政策を実行している。このところ年間三万人の自殺者がコンスタントに出ているところをみれば、改革は順調に進んでいるようだ。
  29. 安逸さに慣れてしまっている現代の私たちは、肉体的なものにせよ、精神的なものにせよ、人間がどれほど激しい苦痛に苛まれることが出来るか、そのことに対する想像力が乏しいように感じる。
  30. ニーチェは言った、人間は克服されなければならないあるものなのだ、と。自分ならむしろこう言うだろう、人間とは慰められなければならないあるものなのだ、と。

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