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2007年12月31日 (月)

詩人の生誕百年に寄せて

 「一番好きな詩人は?」と聞かれたら、中原中也と答えます。たぶん十代のころに聞かれても、同じように答えたでしょうから、もう三十年以上も中也ファンを続けていることになります。高校生のころに小林秀雄を読み始めて、その感化力の強い文章にすっかりやられてしまった自分にとって、中原中也はそれを中和する解毒剤のようなものでした。最近では小林秀雄を読み返すこともほとんどなくなりましたが、いまでも中也の詩集は折りにふれてひもどくことがあります。今年は詩人の生誕百周年の年だったんですね。それを記念した出版やイベントなども数多くあったようです。この機会に自分も中也について何か書きたいと思いつつ、気が付けば今日はもう大晦日です。

 中也について何か書くことが難しいのは、日本語を母国語とする私たちにとって、その魅力があまりにも身近過ぎるせいではないかという気がします。一部の文学青年ばかりでなく、いまどきの日本人なら誰もが十代のころに中也の詩に出会い(国語の教科書の中で)、たいていの日本人にとってはそれが最初の鮮烈な詩体験になっているのではないでしょうか。たまたま中原中也という個性的な詩人を知るというのではなくて、それが現代詩というものの原型なのだという強い刷り込みを受けると言ってもいいと思います。人は自分だけが思い入れのあるマイナーな趣味については雄弁に語れるけれども、誰もが一様に認めるデファクト・スタンダードであるものについては、多くを語る言葉を持ちません。少なくとも私自身は、そんなふうに中原中也を語ることの難しさを感じています。詩を読んで与えられる感動が、自分でも驚くほど深刻であるのに比べて、その感動を口にする自分の言葉が、嫌になるほど凡庸であることに気付かざるをえないからです。

 今年出版された本の中で、福島泰樹さんという方の書かれた『誰も語らなかった中原中也』というのを読みました。中也と交友のあった人から直接話を聴いて、これまであまり知られていなかった晩年の詩人の実生活について、深い愛情と洞察をもって考証された評伝です。一読してとても心を打たれるものがありました。そして、実生活において中也という人が、いかに付き合いにくく困った人だったかということについても、認識を新たにしました。詩人の口を衝いて出た、「俺は淋しさの塊のようなものだ」という言葉が伝えられていますが、ほんとうに中也という人は、淋しさが昂じて狂気にまで至ってしまった人だったんですね。小林秀雄や大岡昇平にも、中原中也との交流を語った文章がたくさんあります。しかし、そこに感じられる〈優しい侮蔑〉とでも呼びたいような気分に私はどうしても馴染めない。その理由がこの本を読んで分かった気がしました。小林や大岡というのは、早い話が実生活での中原を見捨てた人たちだったのです。この本に綴られているのは、最後まで中原を見捨てなかった、いや、むしろ見捨てられなかった人たちとの鬼気迫る魂の交感の物語です。

 もしも中原中也の詩の本質を、ひと言で表現するとしたら、どういった言葉が最も相応しいでしょう? 「傷ついた孤独な魂の叫び」だとか、「求道の調べを持った道化歌」だとか、まあ、いろいろな言葉が考えられると思いますが、私はそれを、「手なずけられた狂気」という言葉で表現したい気がするのです。自分のような感受性の劣化した中年男でも、中也の詩を読んでいると、「この方向は危険だな、このまま進むと帰れない地点まで行ってしまうかも知れないぞ」、そんな怖さを感じることがあります。そのぎりぎりの地点で踏み止まっているバランス感覚が、中原中也という詩人の一番の魅力だと言えば、少し不謹慎な言い方でしょうか。中也節とでも呼びたいような七五調を巧みに使った独特な語法も、いまある私たちの世界を侵食して来る、もうひとつの世界と接していることによって生命を吹き込まれているような気がする。中也の場合、そのもうひとつの世界というのは、おそらく彼にとっては身近なものだった〈死者の世界〉だったのだと思います。中也は『詩的履歴書』という文章の中で、七、八歳の頃に幼くして亡くなった弟を歌ったのが詩作の始めだと書いています。中原中也という詩人の生涯のテーマは、そんな早い時点ですでに決まってしまっていたのかも知れません。

 中也には自選の詩を編集した二冊の詩集があります。一冊は生前刊行された唯一の詩集『山羊の歌』、もう一冊は三十歳で夭折した詩人の死後に刊行された『在りし日の歌』。前途に新しい詩作の希望を持っていた若い詩人が、自著を『在りし日の歌』と命名するところからして不気味ですが、それよりも不思議に思うことは、この二冊の詩集に採用されなかった未刊の詩のなかにこそ、中也がその本領を発揮したと思える詩が多いという点です。いや、これは私だけの感じ方かも知れません。しかし、私にはこの精神を病んだ詩人が、自らの詩を取捨選択するに当たって、何か重大な封印を施したような気がしてならないのです。もしも中原中也の詩のなかで、最も好きな一篇を選べと言われたら、私はこの未刊の詩のひとつにある『秋岸清涼居士』という作品を選ぶと思います。これもやはり十九歳で死んだ弟のことを歌った詩で、何か不吉なものの影を色濃く感じさせる気味の悪い作品です。例えばこれを有名な『春日狂想』と比べてみれば、後者は狂気というものを希釈して、それを一般向けに整形したものであるという印象があるのです。どちらがより傑作だという話ではありません。冥界との生々しい交信記録とも見えるような一連の詩群を、作者自身が封印したということ、そのことの意味を私は想っています。

 さあ、今日はこれ以上深く文学鑑賞の領域に立ち入るのは止めましょう(その時間もありませんから)。中也は遺作となる二冊目の詩集の後記の中で、十三年に亘る東京での生活に終止符を打ち、故郷に帰って『いよいよ詩生活に沈潜しようと思つてゐる』と書いています。この後記を書いた二週間後に脳腫瘍を発病し、その二週間後には死んでしまうのですが、私は中也が自分の死に対する強い予感を持っていたとする説には、気持ちとしてあまり賛成したくありません。自らの詩業を冷静な目で見渡し、刊行用の作品とそうでない作品とを弁別していた時点で、詩人には確かに次のステップに進む準備が出来ていたのだろうと考えるからです。中也のお母さんのフクさんは、百歳近くまで長生きした人でした。いま仮に中也が百歳のおじいさんとして生きていたとしても、若い頃の作品の価値に何の影響がある訳でもありません。中也を読む時には、「夭折した詩人」という作られた類型に、余計なノスタルジーを感じ過ぎないよう気を付けなければならないと思います。

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