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2007年12月24日 (月)

ゲゼル思想研究日誌(6)

 ちょうど昨年のいまごろ、偶然手にした『エンデの遺言』という本で、シルビオ・ゲゼルという思想家のことを知りました。このブログの最近の記事を見渡していただければ、ゲゼル思想への取り組みが今年のひとつの柱になっていたことに気付かれると思います。五十歳にして初めて自分が一個の〈ゲゼリアン〉であることに気が付いた、今年最初の記事で私はそう書きました。その時の感動は、一年経ったいまでも変わっていません。経済学を学んだことのない私の理解が、どの程度正鵠を得たものなのかは分かりませんが、それでも自分の世界観が以前とは大きく変化したことだけは確かなのです。今年は年金問題が社会を大きく揺さぶり、首相交替のドタバタ劇もあって、とにかく混迷を極めた一年だったと思います。新しい年を迎えるに当たっても、あまり明るい希望は見えて来ません。少子高齢化や社会格差の拡大は急速に進んでいるし、年金や医療制度の先行きも不透明ならば、国家財政の破綻もささやかれている。誰もこうした問題に対する根本的な対策を打ち出すことが出来ず、国全体がいわば諦めムードに落ち込んでいるようにさえ感じられます。ところが、われらゲゼリアンにだけは、明るい将来の国の姿が見えているんですね。私たちには、これらの問題に対する究極の解決案があるからです。

 今年の後半は米国発のサブプライム問題で、世界の経済が大混乱に巻き込まれました。日本は金融技術が未成熟だったことが逆に幸いして、欧米に比べれば蒙った影響は少なかったようです。ところで、実はサブプライム問題が発生した最大の原因は日本にあるという意見を、複数の経済評論家の文章で読みました。こういう論法です、今日のようなグローバル規模での金融取引の増加(実体経済の百倍以上)は、その背景に世界的な過剰流動性(つまり金余り)の問題がある、これは日本人が持つ1500兆円という巨額の個人資産が、国内の低金利に嫌気をさし、海外に向かった結果であるというのです。確かに戦後一貫して、日本人はせっせと貯蓄に励んで来ましたし、比較的最近まではそれが主に国内の投資に向けられ、海外に流出する金額は少なかったのだと思います。しかし、個人資産が国内投資に費やされるということは、つまるところ国の借金がそれだけ膨れ上がるということにつながる訳で、日本政府はこれまた世界でも例の無いほどの借金を抱え込むことになった。その結果として、日本の政策金利がゼロになったのが1999年のことです(借金をする側が自由に金利を決められるという点に、国家権力というものの恐ろしさを感じますね)。金利ゼロという異常事態のなかで、外圧による金融自由化が行なわれて、外国株式や外国債券への投資がブームになった。要するに、日本国内で余ったお金が1980年代後半のバブル経済を引き起こしたように、金融自由化によって世界に飛び出した日本のお金が、世界的な金融バブルと土地バブルを引き起こしたというのです。

 これがどこまで信憑性のある説なのかは分かりませんが、話としては面白いでしょう? でも、日本人のひとりとしては、面白がってばかりもいられませんよね。よく日本人は働き過ぎで遊ぶことを知らないと外国から揶揄されていた時代がありました(エコノミック・アニマルなんて呼ばれたりして)。それも仕方の無いことだと私たちは思っていたのです、なんと言っても日本は敗戦国としてゼロから再出発したのだし、もともと資源にも乏しい国だったのだから、一生懸命働くことでしか豊かになる手段が無かったからです。イソップ童話に出て来るアリとキリギリスの話では、みんながアリの方にシンパシーを感じて、事実みんながアリになったのです。財務省のページに、1950年以降の日本の貿易収支が掲載されていました。それによると、日本が戦後初めて貿易黒字を計上したのが1965年、その後は黒字と赤字が交互にやって来て、1981年以降はずっと黒字が続いています。この57年間の累計収支をエクセルで計算してみたら、246兆円ものプラスになっていることが分かりました。これにさらに金利が加わる訳ですから、そりゃあ世界経済に与える影響だって大きいでしょう。お金の使い方が世界一下手な国民が、世界一の金持ちになった。これがグローバル化した世界の金融市場にとって、非常に不確実で不安定な要因を作っていると見られているのです。

 そろそろ私たちは、お金を貯めることは実は不道徳なことなのかも知れないというふうに、発想を転換する必要があるのではないかと感じます。何故かと言えば、お金を貯めるということは、ほんとうに必要としている誰かからそのお金を奪い取っていることだとも考えられるからです。その誰かとは、国内のワーキングプア層の人たちかも知れないし、他の貧しい国々の労働者かも知れないし、まだ生まれていない将来の子供たちかも知れない。とにかくお金というものは、それこそ世の中を駆けめぐってナンボのものなのですから、その流れをせき止めることはそれだけでも罪なことだと言えると思う。もちろん、老後やいざという時の蓄えとして多少の貯金をすることは必要だし、推奨されるべきでしょう。でも、そのトータルがGDPの3年分ということは、いくらなんでもないんじゃないかな? 日本人の個人資産が1500兆円もあるという話を聞くと、私はどうしてもそれを〈世界中のお金が行き着く墓場〉というイメージで想像してしまうのです。

 ということが、理屈の上では納得出来たとしても、私たちがいまの生活を変えて、景気のいい消費生活に移行するのもなかなか難しいことです。残業が多くて長期の休暇がとりにくいという会社の事情ばかりではありません、消費税のアップはもう既定の事実になっているようだし、老後を託していた筈の年金もまったく当てに出来ない状況だし、福祉や医療への予算は容赦なくカットされるばかりだし、とても貯金を取り崩して消費に回すなんてことは恐くて出来ない。これが私も含め、まあ平均的な日本人のいまの心境ではないかと思います。これもイソップ童話じゃありませんが、いくら厚いコートを脱ぎたいと思っても、これだけ北風がびゅうびゅう吹いている状況では、自分だけが薄着になる訳にはいかないのです。で、ますます国民の財布のヒモは堅くなり、国内消費は伸びず、景気も停滞、税収も増えずに国の借金も膨らむばかり、という悪循環がいつまでも続くことになる。どうしようもない金縛りのような状態に、国全体が陥っているような感じです。どうしたらこの金縛りが解けると思いますか? その解答こそが、シルビオ・ゲゼルの提起した〈減価するお金〉の仕組みなのです。(やっとそこにたどり着きました。)

 その具体的な内容については、これまでに何度も書いて来たので繰り返しません、要するに現金や株式や債券といった流動性のある資産に対して、年に5パーセントくらいの課税をするというアイデアです。今年1千万円の宝くじが当たったとしても、使わずに預金しておけば、来年の今ごろには950万円に目減りしている。いや、タンス預金ですら、この税金を免れることは出来ないのです。これが決して国民の財産をむしり取る悪税ではなく、いかに人間の本来の性質に適ったものであるかは、ゲゼルさんの本を少しでも読んだ人なら知っている筈です。想像してみてください、もしも保有している預金や証券が年に5パーセントの割合で目減りして行ってしまうものなら、あなたは稼いだお金をどうやって利殖しようかと考えるより、どうやって有効に使おうかと考えるようになるのではありませんか。今日の経済的な仕組みの中では、稼いだお金には高い所得税が課されるし、それを使う時にも消費税を取られる。一方、いったん貯め込まれた預金の元本には課税がされないという特権があります。これではお金は使われるよりも、蓄えられることになるのが自然の理です。もしも国民の資産に課税出来るものなら、消費税などはすべて廃止出来るだろうし、所得税や法人税の税率だってうんと低く出来る。それがまた消費を促進するという好循環につながるのです。税収だって安定するので、持続可能な社会保障制度も確立する。そうなれば将来への不安から、無理に貯蓄をしようとするアリの生き方も変わって来るでしょう。ほんとにすべてが好転するような気がします。それは政治家にとって望ましいだけでなく、我々市民から見てもとても幸福そうな社会のイメージではありませんか?

 よく落語などを聴いていると、「江戸っ子は宵越しの銭を持たねえ」というセリフが出て来ますよね。一説によれば、これは貨幣を退蔵させずに流通させるための、時の幕府による巧妙なキャッチフレーズだったのだそうです。ことの真偽はともかく、私の想像の中にある江戸時代の社会は、今と比べればずっと貧しかったけれども、お互いに助け合ってそれなりに幸福に暮らしていた人々のイメージです。現代のアメリカでは、裕福な人々が城壁で囲った町を造って、その中にたてこもるように暮らしているところもあるのだそうです。必要以上に大きな資産は、人の心にバリアを張り、孤立させる機能があるようです。せっかく文明が進歩して、多くの国民がゆとりを持って暮らせる時代がやって来たのに、なんてもったいないことだろうと思います。シルビオ・ゲゼルの自由経済思想は、この江戸っ子の文化とも相通じるような、人間性の本質に立ち還ったとても自然なものだと感じます。現代の洗練された経済学の観点からすれば、シルビオ・ゲゼルの唱えた自由経済の理想など、単なるユートピアンの夢だと一蹴されてしまうのでしょう。しかし、とんでもないことです。豊かさの中で窒息しかけている先進国にとっても、貧しさから抜け出そうともがいている途上国にとっても、いま一番参考にすべきは、この人の思想なのだと私は信じています。

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コメント

タンスの中味をどうやって覗くおつもりなのか・・・
「具体的な内容」とお書きになるなら、もう少し実現性のある文章にすべきでしょうね。

あるいはblogではなく、チラシの裏側に書くとか。

投稿: ひとさまの | 2007年12月29日 (土) 08時30分

タンス預金に課税する!

一見、非現実的なアイデアですが、1930年代にヨーロッパのシュヴァーネンキルヘンとヴェルグルという町で実施された実績があります。

もしも興味がおありのようでしたら、これを現代に甦らせる方法についても検討しておりますので、ご一読ください。

■減価する電子マネーが日本を救う?
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_fc55.html

■日本円が電子マネーに代わる日
http://philosopher.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_dbb6.html

投稿: Like_an_Arrow | 2007年12月29日 (土) 12時50分

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