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2007年11月 4日 (日)

死刑のある国の裁判員制度

 今回ももう一度、裁判員制度について書きます。前々回の記事では、日本の裁判員制度をアメリカの陪審制と比較して、その問題点を指摘しました。が、これは少し〈あざとい〉論法でしたね。一般的に市民が裁判に参加する制度としては、陪審制と並んで参審制というものがあって、裁判員制度はどちらかと言えば参審制に分類されるものだからです。もしも比較するなら、ヨーロッパで多く採用されている参審制と比較しなければ意味が無かった。調べてみれば、同じ市民の司法参加と言っても、このふたつの制度はまるで異なる理念を持つもののようです。以前書いた記事の訂正と補足を兼ねて、今回はこのふたつの制度の比較考察から始めたいと思います。

 簡単におさらいをしましょう。陪審制というのは、市民から抽選で選ばれた(通常)12人の陪審員が、プロの裁判官抜きで評議を行ない、有罪か無罪かの評決を行なう制度です。評決は陪審員の全員一致が原則で、全員の意見が揃うまで審議を行なうことが義務付けられます。(どうしても意見が一致しない場合には、12人全員を入れ替えて公判をやり直すこともあるそうです。) 扱う事件は、ふつう被告人が起訴事実を否認している事件に限られていて、自白している事件は対象になりません。また、被告人には陪審員による裁判を希望するかどうかの選択権があるのが一般的です。裁判官は陪審員の評議には加わりませんが、もしも有罪判決が出されれば、それに対して量刑を行なうことになります。(無罪ならばその場で釈放です。) 陪審裁判での判決に対しては、検察側も被告側も上訴出来ないか(アメリカ)、上訴出来るとしても条件がある(イギリス)のがふつうのようです。

 どんな刑事事件においても、被告人が起訴事実を認めている場合は割と話が簡単ですが、難しいのは否認している場合です。特に被告人が無実を主張している場合、それが重大な殺人事件であれば、判決は無罪か極刑かでその中間は無い訳ですから、誰が判決を下すかというのは非常に重要なポイントになります。陪審制度というのは、このような難しい局面における判断を、プロの裁判官にではなく、12人の市民に任せようという制度と言えます。その方がより真実に迫れるからとか、誤審が少なくなるからといった理由ではなく、つまりそれが民主主義というものだからです。もしかしたら、有能な裁判官に任せた方が正しい判断が下せるのかも知れない、でも、ほんとうの真実は被告人自身と神様しか知らない訳だから、ここでは民主主義の原則の方を優先させよう、それが陪審制度の底に流れる理念なのだと思います。だから、民主主義の原則に従って、被告人には陪審裁判そのものを拒否する権利も与えるし、陪審員は一部のエリートではなく、市民の中から無作為の抽選で選ばれることになるのです。こう捉えれば、なるほど陪審制度というものは、民主主義のひとつの〈精華〉だと言えるような気もします。

 これに対して、参審制の方はだいぶ趣が違います。こちらは市民から選出された参審員が、裁判官と合議して評決を行なう制度です。参審員はまさに市民としての良識を評議の場に持ち込むことを期待されており、職業裁判官がえてして陥りがちな社会常識からの逸脱に対してバランスを取るための機能を担っているのです。日本でも時折、なんだかびっくりするような常識はずれの判決が出されることがありますが、これを市民の参加によって是正しようという仕組みなんですね。ですから、適用される事件も否認事件に限らず、自白事件も対象にしますし、被告人に参審裁判を拒否する権利もありません。参審員は裁判官の補佐役として、それなりの見識やバランス感覚を持った人が望ましい訳で、その選出方法にも国によって工夫が見られます。陪審員と同じように抽選による場合もありますが(フランス)、政党や地域の推薦によって一次候補を選出する方法や(ドイツ)、また自薦によって熱意ある人を選任するルートを設けている場合(イタリア)などもあります。また、参審員は一般に数ヶ月から数年の任期を持っており(ドイツでは4年)、ひとつの事件のためだけに集められるのではない点も特徴的です(ここにも例外はあります)。評議は事実の認定だけでなく、量刑まで含まれ、判決は裁判官、参審員の多数決によって決まります。検察、被告とも上訴することが出来ます。上訴審にも参審員を参加させる仕組みを採用している国も多くあります。(陪審制と参審制、それに日本の裁判員制を簡単に比較する表をこの稿の最後に掲載しましたので、参考にしてみてください。)

 同じ市民の司法参加と言っても、このふたつの制度は、その仕組みだけでなく目指すところが全く違う制度であることがこれで分かりましたね。それでは、日本で採用しようとしている裁判員制度というのはどうなのでしょう? 裁判員が職業裁判官と一緒に評議し、量刑まで行なうという点で、本質的にこれは参審制の一種だと言えると思います。が、一方で裁判員の選任方法が無作為抽出である点や、裁判員が任期制ではなくひとつの事件に限定される点、上訴審での裁判員参加が仕組みとして組み込まれていない点など、参審制のモデルケースからははずれていて、むしろ陪審制に近い部分も多いのです。もしもこれが両方の仕組みの良いところを組み合わせて、さらに高い理念を目指した結果であるというなら納得もいきます。しかし、実態はそんなものではないのですね。もともと日本の司法制度改革派は、陪審制の採用を目指していたので、最初から参審制を導入しようと考えていた学者や法曹関係者はほとんどいなかったのだそうです。裁判員制度成立の経緯を書いた本を読めば、要するにこの制度が、陪審制度導入派と現行制度維持派のあいだの妥協の産物に過ぎなかったということがよく分かります。一見、西欧ふうの参審制にかたちは似ていますが、そこには理念も無ければ思想も無い、単に折衷案を採ったらこんな制度になってしまったというだけなのです。もしも市民の良識と裁判官の専門性を協調させて、より質の高い裁判を目指すというなら、裁判員を選出する方法に工夫があってもいいし、質の高い裁判員を育てるために任期制も検討すべきだと思います。あるいは思い切って、昭和初期に実施されていたような、被告人に拒否権のある正統な陪審制に戻すかです。

 そしてもうひとつ、これは私の以前からの論点ですが、死刑制度との関連という問題があります。これまでの説明でも分かっていただけたと思いますが、陪審制では市民が有罪・無罪を決めると言っても、量刑は裁判官が行なう訳ですから、市民が直接死刑の判決を下すことはありえない訳です。(もちろん凶悪な殺人犯であれば、有罪イコール死刑であるかも知れませんが、それでも刑を決定するのは裁判官です。) 一方、裁判員制を含む参審制では、市民が量刑まで行なう訳ですから、死刑判決の責任の一端は市民が負うことになります。私たちが裁判員制度のことを考える時、気が重くなる理由のひとつはそれがあるからだと思います。それも民主主義の国に住む市民としては、引き受けざるをえない心理的負担なのでしょうか? ところが、いいですか、参審制を採用している国のほとんどは、すでに死刑を廃止した国なんですよ。少なくとも先進国においては、参審制採用国は、すべて死刑廃止国なのです。ということは、裁判員制導入後、日本は先進国中で唯一、市民が市民に死刑を言い渡す国になる訳です。ヨーロッパを中心とした参審制の国々も、かつてはその多くが陪審制を採用していたし、死刑も行なっていました。陪審制から参審制への切り替えと、死刑廃止とが歴史的な事実としてどうリンクしていたのか、私にはよく分かりません。が、このふたつがとにかく並行して実現されて来たのは事実です。そういう歴史的な背景を無視して、いきなり死刑存置国である我が国に〈参審制もどき〉が導入されようとしているのです。抽選で裁判員に選ばれ、思想信条による辞退も認められず、周りからの圧力で死刑判決への同意を強制される、こんな理不尽な事態も、この極東の野蛮国だからこそ起こりうることなのでしょう。

裁判制度 陪審制 参審制 裁判員制
代表的な国 アメリカ、イギリス ドイツ、フランス 日本
市民の選出方法 無作為抽出 一般に推薦 無作為抽出
選任者の任期 1事件のみ 一般に任期制 1事件のみ
被告人の拒否権 拒否出来る 拒否出来ない 拒否出来ない
評決の方法 全員一致 多数決 多数決
評決の範囲 事実認定まで 量刑まで 量刑まで
控訴の可否 不可または制限あり 可能 可能
上審での市民参加 なし 一部にあり なし
死刑制度 存置または廃止 廃止 存置

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コメント

逆に言うと、裁判員の死刑を下すことへの強烈な拒否感によって、死刑判決が下されなくなる可能性がありますね。人を殺すということは、周りの圧力程度で帳消しになる程度の拒否感ではないでしょう。

投稿: とおりすがり | 2008年6月26日 (木) 10時31分

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