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2007年11月11日 (日)

死刑賛成派のあなたへの手紙

 もしもあなたがブログをお持ちなら、ご存知だと思います。どこのプロバイダーでも、ブログの管理者用に「アクセス解析」という機能が提供されていますよね。1日のアクセス件数や訪問者数、どの記事がよく読まれているかといったことが数字やグラフで表示されるのです。私がこのブログを始めてから、二年以上のあいだに書いた百編あまりの記事の中で、実は最もアクセスが多いのが死刑廃止に関するこちらの記事なのです。もっとも、アクセスが多いと言っても、他の記事に比べれば多少は、という程度ですが、それでも毎日ひとりふたりはインターネットのキーワード検索でここを訪れてくれる人がいるようです。最近は死刑廃止論に関心を持つ人がそれだけ増えて来たということなのでしょうか? いや、そう簡単に結論を出すことは出来ませんね。むしろ死刑廃止に関するコトバをインターネットで検索すると、私のブログが上位に来てしまうほど、これは人気の無いレアな話題であるという証拠だと見た方がいいかも知れない。いまの日本では、死刑廃止の問題に関心を持っている人は、それほど少ないという方が正解だと思います。

 私は、まもなく裁判員制度というものが始まろうとしているこの時期に、死刑廃止問題がもっと国民的議論の俎上に載って来てもよいのではないかと思っています。先日のニュースでは、EU(欧州連合)が国連総会に対して、死刑執行停止の決議案を提出したという話が伝えられていました。これを受けて国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルは、決議案の支持を表明しているそうです。EUは過去にも、日本に対して名指しで死刑廃止を求める声明を出したりもしているんですね。あなたはこれを余計なお世話だ、そんなことは内政干渉じゃないかと言われますか? しかし、今日のグローバル化が進んだ社会では、たとえ外国人であっても国内で犯した殺人に対しては、日本の刑法で死刑が適用される可能性がある訳ですし、必ずしも一国の問題として済ませられる問題ではないと思います。死刑廃止が世界の民主主義国家のあいだでのトレンドである以上、この点においては日本は民主主義の潮流から取り残されていると言われても仕方が無い。私たちは戦後ずっとアメリカの方ばかりを向いていたので、気付きにくかったのだと思いますが、現在は先進国のみならず、世界の中で死刑を続けている国の方が少数派になってしまっているのです。お隣りの韓国は、日本と同様にまだ死刑を残している国のひとつですが、その韓国もこの12月には最後の死刑執行から十年が経過して、アムネスティ・インターナショナルの基準で言うところの「事実上の死刑廃止国」の仲間入りをしようとしています。

 私はここで、よく死刑廃止派の人たちが口にするような、日本がいまだに死刑存置国であることは国際的に見て不名誉なことだ、というような議論を持ち出したいのではありません。どう考えても、日本が世界のなかで〈道徳後進国〉である訳がない、そこには何か理由がある筈だという信念を持っているからです。もしも死刑を廃止することが、国としての道徳的な成熟度を示す指標であるならば、日本はすでに平安時代、今から1200年前から約350年間、「事実上の死刑廃止国」だった経歴を持っています。これも死刑廃止派の人たちが、好んで口にする歴史的事実ですが、日本はまごうかたなき世界初の死刑廃止国だったのです。確かにこのことは同時代の他の国々と比較した場合、奇跡のようなことだったのでしょう。一方、現代の日本では、政府のアンケート調査の結果によると、80パーセントを超す国民が死刑制度を支持しており、死刑を廃止すべきだと答えた人はわずか6パーセントに過ぎないのです。私にはこちらの事実も奇跡のようなことだと感じられます。しかし、この事実の〈からくり〉は実は簡単に説明出来ることなのかも知れません。要するに、我が国の場合、一般的に国民の高過ぎる、あるいは厳格過ぎる道徳意識が、死刑の廃止を拒絶しているということです。人を殺した罪に対しては、自らの命をもって償うべし、これは死刑という制度の基本思想ですが、他の国々ではそれを命じるのが国家の権力であるのに対して、日本の場合は民衆の意思がそれを支えているという点が違うのだと思う。だから民主主義の発展がそのまま死刑の廃止につながらないという構図があるのです。

 犯罪者に対する日本人のこの厳格さは、宗教的な寛容さに欠けているせいだとする意見を目にしたことがありますが、私は違う見方をしています。誰でも非道の殺人者によって罪のない子供が殺されたというニュースを聞けば、はらわたが煮えくり返るような憎しみを感じると思います。それは日本人でなくても、どこの国の人でも同じ筈です。が、私はその憎しみの強度が、おそらく日本人の場合、他の多くの国民よりもワンランク上を行くのではないかと想像しているのです。もちろんそれは客観的に比較出来るようなものではないので、証明することは出来ません。ただ、これも以前の記事で書いたことですが、我々が犯罪者に対して感じる憎しみの感情は、そのおおもとをたどれば〈裏切られた同胞意識〉というものに帰着すると思うのです。私たちは、私たちにとって別世界の存在、例えば動物園から逃げ出した猛獣や、脳に障害を持った精神疾患の患者が人を殺したというニュースに接しても、言い知れぬ怖さを感じることはあっても、殺した相手をうまく憎むことは出来ません。憎しみの感情を抱けるのは、相手が自分と同じ仲間(同胞)である場合に限るのです。(少し危険な議論になるので深くは立ち入りませんが、日本国内で日本人が殺人を犯した場合と、外国人が殺人を犯した場合に感じる私たちの憤りの感じには、おそらく質的に異なったものがあるような気がします。) いまだに日本という国は個人主義が未発達で、同胞意識の強い国ですから、EUが何と言って来ようと、ヨーロッパ流の死刑廃止プログラムではうまく機能しないのではないかと思います。

 このことから、私が日本での死刑廃止は慎重にすべし、と結論しようとしているのかと言えば、逆です。今日の日本では、市民道徳としての個人主義は確立していないのに、生活様式としての個人主義は他の先進国並みに確立しています。このことによって私たちは非常に苦しい立場に立たされているように思うのです。アパートの隣りに住む住人の名前すら知らないのに、テレビから流れて来る凶悪犯罪のニュースには、まるで我が子を殺されたかのようなリアルな感情を呼び覚まされる。昔のように共同体の絆がしっかりしていれば、同胞意識に根ざした裏切り者への憎悪の感情は、(それが道徳的なものであったかどうかは別にして)共同体の中で充分意味を持つものだったでしょう。けれども今日では、私たちは自分の生活に何の関係も無い道徳的感情の高まり(道徳的ニューロンの発火?)を、ただ単に消費するように仕組まれているのです。そして世間を驚かすような凶悪犯罪に対しては、マスコミが煽って犯人を殺せという大合唱が起こる。その結果が、八割の国民の死刑制度賛成につながる訳です。私はこの流れが日本人の道徳心を非常に誤った方向に導いているのではないかと危惧しているのです。

 この悪い流れを断ち切るために、死刑廃止はひとつの処方箋になるだろうと私は思っています。死刑制度を廃止することの思想的な意味や歴史的な意味については、すでに別のところで意見を書きましたから、ここでは繰り返しません。ただ、八割の国民のひとりであるあなたに考えていただきたいことは、もしもこの国から死刑というものが無くなったら、私たちの心のなかにある重しがひとつ取り除かれて、気持ちが少し楽になるのではないかということなのです。もしもあなたが現実に殺人事件で殺された被害者の遺族であるならば、こんな心ない言葉を使わざるを得ないことを謝ります。が、もしもそうでないならば、あなたには冷静に考える心の余裕がある筈です。自分が被害者でもないのに犯人に復讐したいなどと考える気持ちの高ぶりは、自分にとって苦しいだけでなく、なんら生産的なものでもありません。それをもっと前向きな方向に転換することだって出来るのじゃないですか。まったく国内でどれほどの憎悪のエネルギーが無駄に消費されていることか。それは本来なら、被害者家族の心のケアであるとか、犯人の教育や更生のためであるとか、同じような事件の再発防止であるとかに費やされるべきものであったと思います。それだけの道徳的なエネルギーを、この国の国民はまだ持っているのです。国民の八割が死刑制度に賛成している我が国だからこそ、ほんとうに意味のある死刑廃止が成し遂げられるのではないか、私にはそんな気がするのです。

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コメント

死刑という事は、罪を犯す遺伝子を絶つという意味があります。そうしていかなければ人類は未来を閉ざしてしまいます。

性犯罪の再犯率を知っていますか?

あなたは身内を性犯罪・殺人でなくした事がありますか?

あって記事を書いているのであればあなたは立派です。
ないのであれば「このような意見記事」を世間に発表しないで頂きたい。迷惑以外の何者でもない。

投稿: 死刑賛成 | 2007年12月 9日 (日) 00時32分

死刑制度賛成
あなたは綺麗事を並べすぎます、死刑判決を受ける様な
犯罪を犯した者が真に更生できると思いますか?
被害者の受けた 恐怖 無念 を考えた事がありますか?
被害者の家族でなくても犯罪者を憎む事は人として当然な
感情だと思いますが?
私の意見としては被害者が受けた殺され方と同じ方法で
死刑をと思います、刑が決まったら早く執行する事
国民の血税で重犯罪者を養いたくない。

投稿: 高橋憲一 | 2008年2月 5日 (火) 19時07分

 死刑制度賛成。貴殿が指摘するとおり、平安時代、嵯峨天皇の時代(818年)から後白河天皇の時代(1156年)まで、日本は300年以上、少なくとも朝敵に対する死刑を廃止したわけですが、その結果どうなったでしょうか。
 これは余り指摘する人がいないのですが、私は刑法の本からこの死刑廃止の事実を学んだとき以来、武士階級がまさに死刑廃止の時代に台頭してきたという事実に思いを至らせられました。
 どうして死刑廃止と武士階級の台頭が結びつくのかと言えば、私は歴史家ではないので詳しい実証はできません。多分、嵯峨天皇が仏教をベースとしたヒューマニズムの理想に基づき死刑制度を廃止したものでしょうが、その結果、荘園制度の解体(ひいては国家秩序の解体)などの事情と相まって日本の治安は次第に悪化していったと思われるのです。
 国家の治安が悪くなり、国家が犯罪より人民を保護してくれなければどうなるかと言えば、結局、自力救済により、自分たちの生命、財産を、守らざるを得なくなったわけです。そのような状態の中で武士が自然発生的に各地で台頭していったと思われるのです。
 武士が台頭した結果、血で血を争うような状況が生まれましたが、保元の乱(1156年)で勝った方の側が負けた方の側を死刑としたことにより300年以上続いた死刑制度が廃止された訳です。
 私は刑事事件も手がける弁護士ですが、刑事弁護をしていて、いつも罪(犯罪)と罰(刑罰)の関係が一筋縄で行かないことをいつも思い知らされています。一つの理想ばかり追うと凡そ考えも付かないような副作用が起きると思うのです。
 

投稿: よしべん | 2008年6月21日 (土) 18時59分

よしべんさん、コメントありがとうございます。

私も歴史にはうとい人間ですが、「死刑廃止→治安悪化→武士の台頭」という仮説は初めて伺いました。面白いと思いますが、私にはまったく評価することが出来ません。どうもすみません。

裁判員制度が始まろうとしているこの時期、法曹関係の方々のご苦労は大変なものであろうと思います。私はくだんの制度には大反対の人間ですが、いろいろな混乱を経たあとで、日本の司法制度が結果的に良い方向に向かってくれることを心から願っています。

投稿: Like_an_Arrow | 2008年6月22日 (日) 22時43分

死刑賛成派は殺すことによって感情を回復するという点で殺人犯となんら変わりない。
私は凶悪殺人犯の近くにはいたくないが、死刑賛成派にも近寄りたくない。

殺されるかもしれないからな。

投稿: 死刑は野蛮で猿以下 | 2009年12月14日 (月) 15時39分

「苛められる側にも苛めの原因がある」
「死刑には凶悪犯罪の抑止力がある」
「他人の発言を聞いて不愉快になったらその原因は発言者にある」

今更何を当たり前のことを、と思われるかも知れません
しかし本当は3つとも「ない」のです
以下はその論拠です。是非、ご一読ください


虐めに関するよくある勘違い
http://sky.geocities.jp/dwhsg178/ijimekan.htm

死刑制度に関するよくある勘違い
http://sky.geocities.jp/dwhsg178/sikeikan.htm

感情自己責任論
hhttp://sky.geocities.jp/dwhsg178/kanjo.htm

投稿: 釈迦に説法 | 2010年12月 4日 (土) 16時24分

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