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2007年11月18日 (日)

マイナーブロガーとしての心得

 このところずっと重たいテーマが続きました。少し息切れがして来ましたので、今回はちょっと軽い話題を。久し振りに内田樹さんのブログを覗いてみたら、面白い記事が掲載されていました。相変わらず切れ味の鋭い語法で、読者の〈間合い〉にすっと入って来るような文章なのですが、これが自分のような弱小ブロガーにとってはなかなか恐ろしい内容を含んでいるのです。以下、『詩人のコピーライトについて』という文章からの引用です。

『自分のブログに「コピー禁止」とか「リンクを張る場合には必ず許可を求めること」とか書いている人が多々おられるが、私のブログは「コピーフリー」「盗用・剽窃フリー」である。
私はべつに私の「オリジナリティ」を誇示するためにこのようなところに駄文を記しているのではないからである。
私と「意見」を共にする人を一人でも多く増やしたいがために、このようなものを毎日せっせと書いているのである。
私の望みはできるだけ多くの人に「そんなこと当たり前じゃないか、私だって前からずっとそう思っていたよ」と言わせることであって、「そんなことを考えるのはお前だけだ」と言われるためではない。
「こういう考え方」をする人間は今のところ少数だから、それはさしあたり「ユニークな考え方」と言えるかもしれない。
だが、その「ユニークな考え方」が「ユニーク」なままで終わることを私は少しも望んでいない。
「ついに一人のフォロワーも得ることのなかったユニークさ」には何の価値もない。
「多くのフォロワーを獲得したためにいつのまにか少しもユニークなものでなくなってしまったユニークさ」だけに価値があると私は思っている。
だから、「オリジナリティ」に値札をつける習慣にどうしてもなじむことができないのである。』(引用ここまで)

 長々と引用してしまいましたが、ご本人が「盗用・剽窃フリー」と言ってるんだから、まあいいでしょ。内田さんのブログの文章は、おそらく商用に書く文章のための〈アイデア出し〉という隠された目的があるので、ひとつのテーマについて充分考え抜いた結果を書いているというより、思いつきのままを書いているという面が強いのだろうと思います。だからあまり批判的に読んでも仕方が無いような気もするのですが、この文章はロジックに少し混乱がありますね。前半でオリジナリティというものに何の価値も認めないと言っておきながら、後半ではユニークさは多くのフォロワーを獲得したときに初めて価値を持つと言っている。むろん筆者のホンネは後半の部分にあるので、自分の書く文章は世間一般に受け入れられるところではないが、それは時代の一歩先を行く真理を先取りしているからであって、やがて多くのフォロワーがそれを追認すれば、世間一般の常識の方が私に近付いて来るだろう、そういう意を言外に含んでいるように感じられます。

 私はこれを思想家あるいは文筆家の志として正統なものあると肯定します。過去の歴史を振り返っても、最初は異端的な考え方と捉えられていた思想が、やがて社会の通念として受け入れられて来たという例はたくさんあるのですから。でも、だったら書き方がよくないよね。もしもこの文章を書いたのが、どこかのまったく無名のブロガーだったと想像してみてください(例えば私のような)。その場合にはこれは単なる〈ひがみ〉か〈強がり〉にしか聞こえないし、読者の共感を得られるような文章にはまったくならないと思います。有名な内田センセイが書いた文章だからこそ、そこはかとない奥の深さと有難みを感じる仕掛けになっているので、そこに気付いてしまえばこれは実に嫌味な文章にも見えて来る。その点については筆者はおそろしく無頓着だという気がします。ある程度の権威を確立した人が、意図的に自分を〈非主流〉の側に置いて、こういう自己韜晦的な文章で自身の正当性を補強しようとするのは、小林秀雄以来この国の文筆界にはびこる悪弊ではないかという気さえします。

 おっと、話題が逸れてしまいました。今回は別に日本の文筆界のことを論じようというのではなかった。この文章が自分のような、読者のほとんどいないマイナーブロガーにとって恐ろしいのは、『「ついに一人のフォロワーも得ることのなかったユニークさ」には何の価値もない。』という一文です。この命題の真偽はともかく、これは自分がブログを続けて行くに当たって、いかにしてモチベーションを保ち続けるかと悩むひとりのブロガーにとって、死刑宣告に近い文言であるということは分かっていただけると思います。(まったく売れっ子作家でアルファブロガーでもある内田さんが、よくもこういう冷酷な文章を平気で書くよなあ、と私などは思ってしまう。笑)。というのも、一人のフォロワーどころか一人の読者さえも持たない私たちマイナーブロガーにとって(いつの間にか複数形になってるし)、ブログを続けて行くための意味を問われることほど切実な問題はないからです。

 長くブログを続けている方の中には、どうやってモチベーションを保ち続けるかについて、自分なりの工夫をしている方もいらっしゃるのではないかと思います。今回は、私自身がどのような工夫をしているか、それを初公開してしまおうと思います。実は私には、たったひとりだけですが理想的な読者(フォロワー)がいるのです。ただし、その人はまだこの世にはいません。私も一応思索系のブロガーのひとりとして、自分が考えて来たところ、探究して来たところを文章として残しておきたいと思っています。私は人間の〈生まれ変わり〉ということを1パーセントくらい信じているので(99パーセントは信じていませんよ。生まれ変わりについての私の考え方はこちら)、次に生まれて来た時に、同じ悩みをもう一度最初から悩み直すのは効率が悪い、それなら次回生まれて来る自分に向けたメッセージとしてこのブログを残しておこうと考えたのです。どうです、これこそがコトバのほんとうの意味での〈フォロワー〉でしょ? ひょっとしたら自分が死んだあとに、自分の文章が世間から注目を集めることもあるかも知れない、などという虫のいい考え方に比べると、こちらの方がずっとストイックでしかも価値ある考え方のように思えます。これなら批評精神旺盛な私の趣味にも合うというわけなのです。

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