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2007年10月28日 (日)

裁判員制度に白か黒かの判定を!

 久しぶりに裁判員制度のことを記事に取り上げたら、奇しくも今週の水曜日に法務省が重要な発表を行ないました。裁判員を辞退する理由に関する政令案が公開されたのです。実はこの政令案は、2004年に裁判員法が成立して以来、ずっと発表が待たれていたものでした。裁判員法では、国民が裁判員を辞退出来る場合について規定していますが、その中に個人の内面的な理由による辞退を認めるという項目はありません。要するに「私は人を裁きたくない」という理由だけで、裁判員を辞退することは法律上出来ないのです。但し、これに関しては法案成立当初から異論も多く、政府は法を補足する政令を制定して、この点についての基準を明確にして行くという考えを示していました。ようやくその政令案が今週出たのです。内容は、法務省の責任逃れとも思えるほど曖昧模糊とした、不明瞭なものでした。こういう文言です。「裁判員の職務を行い、または裁判員候補者として選任手続きに出頭することにより、自己または第三者に身体上、精神上または経済上の重大な不利益が生ずると認めるに足りる相当の理由がある」場合にのみ辞退を認めるというのです。相変わらずまだ〈出頭〉というデリカシーの無い言葉を使っているんですね。問題はここで言う「重大な不利益が生ずる」かどうかの判断は、面接を行なう裁判官に一任されているという点です。要するに、明確な基準は設けないから、現場でケースバイケースで判断してよ、というのです。

 裁判員制度に対して断固反対する立場の私としては、これを読んでまた怒りがこみ上げて来るのですが、今回はそうした自分自身の想いは胸にしまって、出来るだけ中立な立場で考えてみることにします。この問題は、靖国問題や死刑廃止問題などと同様、どうしても感情的な対立に陥りやすい問題だからです。確かに、なんとかこの制度の実施にこぎつけたい政府としては、これは頭の痛い問題であるに違いありません。はっきり思想信条による辞退を認めてしまえば、辞退者続出で制度自体が成り立たないおそれがありますし、逆に思想信条による辞退を認めないと明言してしまえば、ただでさえ評判の悪いこの制度に対する国民の反撥が、さらに高まる懸念があるからです。でも、ここで少し気持ちを落ち着けて考えてみましょうよ。もしも裁判員制度というものが、新しい日本の司法制度として成功し、定着して行く可能性があるとすれば、それは気の進まない国民を無理矢理引っ張り出して、裁判員席に着かせることによってではないと思います。自ら裁判員としての義務を全うしようという前向きな気持ちを持った国民が集まって、六人の裁判員が三人の裁判官とともに、正しい公平な裁判を行なうというミッションを共有出来た時、初めてこの制度はうまく機能するのではないでしょうか。現代という時代は、憲法によって思想の自由が保証された時代ですから、どんなことにだって反対したがる国民はいるものです(例えばこの私みたいに。笑)。そんな人間の意見にいちいち耳を傾けていては、どんな改革だって実行は出来ない。だとすれば、法務省は根本的に発想を転換すべきです。

 で、私としては次のことを提案したいと思います。まず政府は、この制度を運営して行くために充分な候補者を確保出来るかどうか、きちんとした予備調査を行なってはどうでしょう。すでに政府機関や新聞社などによって、この制度に関するアンケート調査が実施されていますが、それらはすべて匿名の回答者による、つまり無記名のアンケートだったと思います。ここで行なう調査はそういうものではありません。調査対象者の住所氏名があらかじめ記載された回答用紙に、「この制度が始まったら、あなたは裁判員として参加する意思がありますか、ありませんか?」という質問を載せて、二者択一で記入させるのです。しかもこの調査の目的として、平成二十一年にこの制度が実施された時点で、今回の調査結果を参考にして裁判員候補を選ぶ予定です、とはっきり明記しておきます。(むろん参加する意思が無いと回答しても、何も罰則が無いことが大前提です。) 出来れば対象となる国民全員に調査票を送りたいところですが、それが難しいならサンプリング調査でも構わないと思います。調査票を受け取った私たちは、そこで初めて自分自身の問題として真剣にこの制度のことを考えることになります。遅くても一年半後には制度が開始されるという現在、その内容もすでに国民のあいだで周知されている筈ですから、調査を始める時期として早過ぎることはないでしょう。おそらく匿名のアンケート調査とは、かなり違った結果が出るのではないかと予想します。

 もしも調査の結果、国民の半数以上に裁判員として参加する意思があることが判明したら、きっとこの制度は成功すると思います。(私自身は残念ながら「参加しない」にマルを付けますけど。) 私の感覚では、そうですね、最初の調査で三割以上の国民に参加の意思があれば、制度としてはまず実施可能だと言えるのではないでしょうか。しかし、それを下回るようであれば、この制度は即刻廃案にすべきだと考えます。それは国民の支持を受けていない訳だし、調査の結果を見てマスコミも黙ってはいないでしょうから。もしも廃止するなら、経済的な損失のことを考えても、早ければ早いほどいい訳です(もうすでに手遅れかも知れませんが)。また逆に実施の方向で決まれば、この予備調査はさらに有益な意味を持ちます。これによって、やる気のない国民を裁判所に〈出頭〉させ、国民と裁判官の双方に無駄な時間の浪費をさせることが避けられるからです。仕事を休んで裁判所に出向き、裁判官にああだこうだと自分が裁判員をやりたくない理由を説明するのも時間の無駄なら、来る人、来る人、みんなああだこうだと理由をつけて辞退しようとするのを、なんとか説得して気持ちを変えさせようと努力するのも時間の無駄。(まったくこんな仕組みを思い付いた人のアタマの中を見てみたい。) そしてさらに、もうひとつこの調査を行なうことの大きなメリットがあります。それは調査の結果によって、この制度が実施されずに廃止されることになったとしても、そのことで誰も責任を取らずに済むということです。例えば参加する意思を持つ国民が三割未満だったら制度の実施は凍結する、そんなふうにあらかじめ決めて公表しておけばいいのです。そうすれば、旗振り役の誰かさんのメンツもつぶさずに、ソフトに廃止に持って行けるんじゃないかな。そしてお決まりの文句、「我が国ではまだ時期尚早だった」などと総括しておけばいいのです。(ちなみに私はこの制度が我が国にとって時期尚早だなんて思っていません。陪審制にしろ裁判員制にしろ、そんな野蛮で前時代的な制度を採用するには、この国の人々は民度が高過ぎる、むしろそう考えています。)

 このブログ上で裁判員制度への反対論を展開して来た自分が言うのもなんですが、そろそろ個人的な賛成、反対の議論は止めにしませんか? 議論をすればするほど感情的な対立は激しさを増し、双方が暗澹たる気持ちになって行くだけですから。その暗澹たる対立感情を引きずったまま、制度実施に突入して行くことほど、まずいパターンは無いと思います。とにかくこの制度は、国民が納得してやる気になってくれなければ始まらないのです。威嚇や罰金をちらつかせて、国民を動員するという発想は根本的に捨てるべきです。そういうやり方で強引にスタートしても、とても長続きなどする訳がない。ここはひとつ国民の声を素直に聞くことから始めませんか。いや、もしかしたら案ずることなどないかも知れませんよ。実際に予備調査をしてみれば、意外に多くの国民が参加表明をしてくれるかも知れません(なにせ民度の高い国民ですから)。結果、五割を超す国民が参加の意思表示をするようなことにでもなれば、反対派の急先鋒である私だって、これまでの意見をすべて撤回しても構いません。むしろ裁判員制度が、世界中で最も優れた裁判制度であることを宣伝するスポークスマンにだって転身しましょう。(でも個人としての私は、やっぱり「参加しない」にマルを付けるけど。笑) これが私の提示出来るぎりぎりの妥協案です。導入推進派のあなたからのご意見をお待ちします。

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