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2007年10月14日 (日)

不老不死の夢と現実

 「コモディティ化する自我」というフレーズがふと頭に浮かんで、これがちょっと気に入ったので書き始めたら、脱線して堅苦しい道徳論に落ち込んでしまいました。悪い癖ですね。せっかくいいテーマだったのに、もったいないことをした。前回自分が書いた文章を読み返しながら、少し落ち込んでいます。このところ心身問題についてずっと考えているのですが、とりあえずこれにまつわる道徳問題には関わらない方針で、話をもう一度もとに戻したいと思います。自分が書きたかったのは、そんなことではなかったような気がするからです。この問題についてはもう三十年以上も考え続けているのに、新しい発見も無ければ、解決の糸口も見えて来ない。答えが見付からない問題なら、文章の起承転結など無視して、とにかく書きながら考えて行くしかありません。

 これも思考実験のネタとしては使い古されたものかも知れませんが、今回は〈不老不死〉ということについて考えてみることにします。不老不死と言っても、アンチエイジング技術による生身の身体での不老不死ではなく、人間の脳を人工的な電子脳によって置き換えることによる不老不死のことです。前回採用した身体の物理的コピーというアイデアでは、老化してやがては死んで行く身体と同じものを新しく作り出すだけなので、不老不死の技術としては使えません。あなたの身体のスキャニングデータを保存しておけば、百年後の世界を二十歳のあなたの目で見ることも可能になる。しかし、コピーを繰り返して千年の歴史の目撃者になったにせよ、〈連続した意識体〉としてのあなたが生きた時間のトータルは、要するに百年足らずでしかない訳です。例えば人間が二十歳の時の活動的な脳のままで千年生き続けた場合、どのような叡智に(あるいは絶望に?)到達するかという実験にはなりません。ここはやはり経時的劣化の激しい有機脳にはご退場いただいて、永久保証付きの電子脳に主役を譲っていただきましょう。人間の脳よりもはるかに容量の大きな電子脳に、あなたの脳の全情報をアップロードすることで、あなたはとりあえず〈永遠の生〉への切符を手に入れることが出来る。もちろんICチップのような形状の電子脳だけでは生きて行くのに不便ですから、それは生身の身体に埋め込まれることになります。(ロボットのような人工身体では、美味しいものが食べられないし、セックスも出来ない。やはり人間にとってナマの身体に勝るものはないのです。) 困るのは生身の身体が老化することですが、これはクローン身体やコピー身体といつでも交換出来るので、本質的な問題ではありません。電子脳は、もともとのあなたの脳よりもはるかに高いポテンシャルを持っていますから、アップロードされた時点での知能は現在のあなた並みでも、それからの学習能力や成長力には目をみはるものがある筈です。

 ここで当然湧き起こる反論は、そうして生まれた新しい自分は、あくまで現在の自分のコピーであって、この私自身が不老不死を手に入れた訳ではない、というものでしょう。が、そういう反論をする人には、前回の「眠っているあいだの身体コピー」の思考実験を思い出していただきたいと思います。私たちは生まれてから何十年にも亘って、同じひとつの身体の中に閉じ込められて生きて来たという経験を積んでいるので、〈自我〉というものを何か実体を伴う絶対的なものとして考える習慣が、骨の髄まで身についてしまっています。しかし、そんな思い込みは、身体の物理的コピーという単純な思考実験によっても粉砕されてしまうようなものではないですか。極端な話、我々は毎夜眠るたびに死んで、毎朝新しい肉体になって甦っているのだとしても、何も論理的な不整合は発生しない。今日のあなたが昨日のあなたと同じあなたであることすら証明出来ないくせに、不老不死を保証する電子脳への移行だけは拒否するというのは理屈に合いません。もちろんこの世にふたりのあなたが誕生することは、社会的な混乱を引き起こしますから、古い方のあなたには消えていただく必要があります(それは不老不死時代の当然の倫理コードなのです)。いや、安心してください、電子脳への移行手術のあと、麻酔が切れるのを待つこともなく、古い自我はすみやかに消去することを私が保証します。次に目を覚ます時は、驚くほど爽快な気分で、新しいあなたに生まれ変わっていることを信じてください(経験者の方は皆さんそうおっしゃいます)。もしも、あなたが経済的に裕福な人であるなら、有機脳を持つあなたの方も名前を変えて生き続ける選択肢もあります。でも、それはあまりお勧め出来ません。これまでの経験から、それは決して幸福な結末にならない場合が多いことが分かっているからです。

 と、またSFチックな空想力が暴走していますが(笑)、私がこうした素人っぽい(素人なんだから、素人っぽくてもいいの)思考実験で目指しているのは、もしも人間の心が脳という物質にすべて還元出来るものであるなら、自分というものの存在に関する我々の常識はどこまでくつがえるものか、その最終地点を確認したいということなのです。こうした思考実験をさらに推し進めてみれば、これまでの自我に関する常識が大きく変わることは間違いありません。例えば、現代の脳科学者の人たちは、クオリアというものが決して他人と共有出来ない〈私秘的〉なものであるということを強調して、そこに科学では解けない大きな謎を見ようとしています。いつかは科学的な方法でこの謎が解けるかも知れないが、それには脳科学におけるアインシュタインのような天才の登場が必要になるだろう、そんなことを言う人さえいます。でも、(思考実験派の)私たちから見れば、クオリアが私秘的であるという前提がそもそも確実なものとは言えない気がする。確かに生身の人間である私には、あなたの主観を通して景色を見たり、食べ物を味わったりは出来ない。が、もしも電子脳に移植された私の人格に、あなたの記憶情報だけを追加コピーすることが出来たとしたら? さらには記憶だけでなく、あなたのすべての脳情報をもそこにマージすることが出来たとしたら? ひとつの脳の中でふたつの人格が並立している状態は、決して望ましいことではないと思いますが(それは生身の人間でも同じです)、統一した人格を作り出すメカニズムは現在の我々の脳の中にもある訳で、電子脳を作り出すほどの科学技術を持った時代なら、当然そのメカニズムだって解明し尽くされているに決まっています。であるならば、文字通りあなたの心と私の心が合わさった、新しい自我というものだって可能であるかも知れない。電子脳の容量を拡張することは容易ですから、地球上のすべての人の脳情報を集めて、〈汎人類的な統一意識〉を作ることさえ理論的には可能でしょう。たまたま現在の私たちは、生物学的な限界に閉じ込められているので、何故クオリアは私秘的なものであるかとか、何故哲学的ゾンビが不可能だと言えるかといった、思弁的な擬似問題を真の問題であるかのように取り違えていますが、そんな思考は易々と乗り越えられてしまう時代が来ないとも限らない。もしもこの問題に、本当の意味でのブレークスルーがあるとすれば、そういった方向が最有力な可能性として考えられると思うのです。(そうそう、このことを書きたかったの。「自我のコモディティ化」と「クオリアの共有化」、これを私の予言ということにしておきましょう。)

 話の収拾がつかなくなりました。何の話でしたっけ? ああ、そうだ、不老不死の話でした。いずれにしても我々が生きているあいだには、そんな技術が実現することはあり得ないと思いますので(たとえあなたが14歳の中学生だったとしてもです)、真剣に悩むほどの問題ではありません。え? むしろあなたは、自分が生きているあいだに不老不死技術が実用化されないことの方に悩んでいるのですか? ええ、むろん私にだってその気持ちは分かります。やがては人類がそれを実現する日が来るかも知れない、それは可能性としてはゼロではないのですから。その時代に生まれ合わせることは、ひとつの僥倖と言えるでしょう。おそらく不老不死が当たり前になれば、人間は子供を作ることもほとんどしなくなります。自分が永遠に生きられるのであれば、子供を持つ必要性もあまり感じなくなりますし、限られた地球上に、人間の数ばかり増やすことも出来ないからです。つまり、その時代に生まれ合わせるためには、生まれるタイミングはそれより前であっても後であってもいけないということなのです。こうして地球は、ほとんど同世代の人間たちばかりで構成された会員制クラブのようなところになります。それは個人主義が究極にまで達した、エゴイストたちの世界です。いくら彼らが抜群に頭の良い人たちであっても(なにせ頭の中は電子頭脳なんだから。インテル、入ってる?)、そこが他人への思いやりに満ちた住みやすい世界になることは難しそうな気がします。そう考えると、人間には寿命というものがあり、誰もが次の世代に強制的に席を譲らなければならない今の仕組みも、それなりによく考えられたいい仕組みだと言えるのではないでしょうか。新しく生まれて来る子供たちに地球の未来を託すことは、電子頭脳を持った自分の分身にそれを託すこと以上に、希望と安心の持てることなのですから。(って、やっぱり最後はオチをつけないと気が済みませんでしたね。笑)

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