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2007年10月21日 (日)

「良心的出頭拒否」という選択肢

 私がこのブログに裁判員制度反対の意見を載せたのは、一昨年の12月のことでした。記事を書いたのはそれよりもさらに以前に遡ります。当時はまだこの新しい制度を正面から批判した本は出ていなかったように思います。書店で見かけて手にしたのは、この新しい制度をPRしている小冊子だったり、裁判員制より陪審制の方が優れていると説く専門家の意見だったり、そんなものばかりでした。ところが最近は状況が変わって来たようですね。最近出版された『裁判員制度の正体』という新書本を読んで、そう感じました。著者は西野喜一さんという、判事の経験もある大学の先生です。法律の専門家で大学教授という肩書きにふさわしく、あくまで中立な立場からこの制度の良い面も悪い面も論じている、と、そんな本じゃ全然ないんですこれが。もう裁判員制度を一から十まで完全否定。それは目次のタイトルを見ただけでも分かります、裁判員制度は、「無用な」、「違法な」、「粗雑な」、「不安な」、「過酷な」、「迷惑な」制度で、しかもこれは徴兵制復活への布石でもあり、裁判所からの呼出状は「現代の赤紙」であるとまで言い切っている。私も裁判員制度については完全否定論者ですので、著者の意見には心から賛同出来る点が多かったです。いや、それどころか、本を読みながらあらためてこれが言語道断な制度であることを思い知り、怒りがふつふつと湧き起こって来たほどなのです。

 国民の多くがこの制度に反対しているのに、また政治に対する不信がこれほど高まっている時代なのに、これに関しては国会でも大きく取り上げられないし、廃止や見直しの方向で検討しようという動きも見られない。そうこうしているうちに、施行期限まで一年半になってしまいました。これこそ民主党あたりが廃止法案提出に動けば、ほとんど反対の声もなく、国民の支持を得られるのではないかと思うのですが、調べてみると、なんのことはない民主党もこの制度の成立には党を挙げて賛成していたんですね。(うかつなことに社民党や共産党でさえ賛成して、この法案は全会一致で可決されているのです。信じらんない。) 要するによく考えもせずに法案に賛成してしまった手前、誰もこの制度に疑問を投げかけることが出来なくなってしまっているというのが現実なのでしょう。こうして誰も前言撤回する勇気を持たず、法案が成立して既成事実になってしまったという理由だけで、あとは官僚が準備したオートメーション機構に乗ってずるずると実施にまで至ってしまうのかも知れない。そう思うと、いても立ってもいられない気持ちになるのです。この制度に関しては、ブログ記事を書くために少しだけ勉強したことがあったのですが、この本を読んで初めて教えられたことも多かったので、久し振りにこのテーマを取り上げることにしました。盗人にも三分の理という言葉があるけれど、ほんとうに一分の理さえもない制度なんですよ、裁判員制度って。

 私たち一般の国民にとって、裁判員制度というものがどれほど心にしっくり来ないものだったとしても、欧米では市民参加の裁判制度がすっかり定着しており、日本もいずれはこうした方向に転換することは仕方ないのではないか? そう単純に考えている人がいるとすれば、それは全くの誤りです。それは欧米で行なわれている陪審制や参審制と、裁判員制度の仕組みを比較してみれば分かります。例えば、アメリカの陪審制は映画などでもおなじみですが、この国でもすべての刑事事件が陪審裁判によって審理されているのではありません。日本と同様、プロの裁判官だけで審理される事案も多く、むしろそちらの方が一般的なのです。陪審裁判が採用されるのは、①被告人が起訴事実を否認している「否認事件」で、②しかも被告人が自ら陪審裁判を希望した場合に限られるのです。(へえ、そうだったんだ。私は知りませんでした。) 翻って日本の裁判員制度の方は、一定以上の重大な刑事事件であれば、被告人が起訴事実を否認していようが認めていようが、また本人が素人に裁かれるのはごめんだと訴えたところで、裁判員による裁判は実施されるのです。このため、日本では国民が裁判員として駆り出される事案が非常に多くなる、その分国民の負担も大きなものになると懸念されるのです。日本でも大正から昭和にかけての一時期、陪審制裁判が実施されたことがありましたが、被告人が陪審による裁判を拒否する権利を認めたため、実際に陪審裁判が行なわれた件数は非常に少ないものでした。これは制度設計が悪かった訳ではなく、もともと陪審制というものはそういうものなのです。それに比較すれば、なにがなんでも一般の国民をかき集めて裁かせようとする今回の裁判員制度の方が、むしろ異常な制度だと言えるのです。

 もうひとつの比較は、控訴に関する規定です。これもアメリカの陪審制との比較になりますが、陪審裁判では原則として被告も原告も一審判決に対して控訴出来ないルールになっているのだそうです。つまり陪審員の下した決定は、それだけ重い意味を持つ訳です。それに比べて我が裁判員制度では、一審の裁判員判決が有罪か無罪かに関わらず、被告・原告ともに控訴することが可能なので、裁判員が多少ヘンな判決を下しても二審で審議しなおせばいい、裁判員制による誤審の可能性は限定的なものにとどまるだろう、そんなうがった見方もあるそうです。(裁判員の参加は地裁での裁判のみで、高裁・最高裁での裁判は従来どおりプロの裁判官だけで行なわれるからです。) 少しだけ肩の荷が軽くなったような気もしますが、では何故わざわざ裁判員制度などというものを導入する必要があるのかという、より根本的な疑問が頭をもたげます。国民の健全な判断を裁判に活かすという導入推進派の言い分がタテマエでないならば、控訴権を限定するか、高裁や最高裁にも裁判員を送り込む制度でなければ理屈が通りません。要するに推進派は、国民が形式的にだけであっても裁判に参加したという事実が欲しいだけで、本当に国民の判断力を当てにしている訳では決してないのです。一部の政治家や法曹関係者が、何故それを望むのかは推測の域を出ませんが、そんな形だけのセレモニーに付き合わされるのは、国民としてたまったものではない。一部の人間の隠された利害のために、日本の司法制度は実質上、三審制からニ審制に変わってしまう、そんな見方も出来ると思います。

 裁判員制度の骨子を作った「司法制度改革審議会」という組織が、いかにデタラメな内容の組織だったかも、この本に詳しく書かれています。政府の設置する最近の審議会がみなそうであるように、最初から結論ありきで設置されたものだったのですね。そのために、法案がまとまってからも、周囲からの様々な批判にさらされ、それをかわすために小手先の手直しを重ねて、世界にも例を見ない珍無類の裁判法が出来上がった、それが現在の裁判員法だったというわけ。その実態がこの本を読むとよく分かります。問題は日本の司法制度そのものにあるのではなく、どうも立法府の能力の低さにあるようです。この制度の個々の問題点に関する検討は、専門家の方に任せるとしても、著者が指摘するように裁判員制度が我が国の憲法に違反している可能性があるという点については、私たち国民としてもよく見極める必要があると思います。西野教授は、この制度を「違憲のデパート」と呼び、その根拠をひとつひとつ挙げておられます。個々の論点はともかく、確かに日本国憲法第三十七条には、『すべての刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する』とあり、これが裁判員制度のようなものを容認していないことは明らかであるからです。法律については何も知らず、様々な思想・信条を抱いて集まって来る裁判員に、どうやって「公平な裁判」を期待することが出来のか、私にはまったく理解することが出来ません。

 この本の最後には、2009年に実際にこの制度が実施されたと仮定して、私たち国民がいかにこの「現代の赤紙」(召喚状、出頭命令)から逃れるか、その具体的な方法についても教示されています。まったく大学の先生が書いたとは思えないような実戦的なハウツーなのですが、私みたいに「死んでも裁判員になどなるものか」と思っている人間にとっては、非常に有益なアドバイスで、この部分だけでもこの本は買う価値ありです。私も将来自分のところに裁判所からの呼び出しが来た場合、どのようにそれを拒否するか、いろいろ考えたことがありました。とにかく自分は信条として人を裁くことが出来ないのだから、それを切々と訴える文章を持って裁判所の面接に出掛けようか。しかし、この本にはもっと手間のかからない簡単な方法が示されています。まずは最初の呼出状を受け取らない、読まずに捨ててしまう、あとで裁判所から問われたら「犬が食べてしまった」と言う。書留で送られて来た場合には受け取り拒否をする。あるいは単に面接当日、風邪を理由に欠席してしまう。一番面白かったのは、裁判員として欠格になることを目的に、朝から酒をたくさん飲んで、酔っ払って裁判所に出向くというものです(これなら私にも出来そう。西野先生、ナイスです。笑)。いや、ふざけている場合ではありません。大政党の中でこれに反対しているところが無く、選挙でこの制度にノーを言うルートが閉ざされている以上、私たち国民は事実上のボイコットでこの制度を実施不能にして行くしかない。裁判員になるのは気が進まないけれど、国民の義務である以上仕方がない、そんなふうに考えている真面目な人にこそ、この本はお勧めしたい気がします。

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