« 心脳問題に関する3冊の本 | トップページ | ハードプロブレムの先にあるもの »

2007年9月17日 (月)

心身問題という迷宮からの出口

 で、一体どこにこの問題のほんとうの核心があるのか、という話です。前回ご紹介した茂木さんの本に書いてあったように、「物質である脳からいかに心が生まれるのか」、その〈第一原理〉を見出すことが、この問題を解決することなのでしょうか? おそらく、ふつうはそう考えるのだろうと思います。それを解明することだって、とてつもなく難しそうだということは、最近の脳研究の本をちょっと覗いてみるだけでも分かります。ところが、ここでひとつ素人っぽい疑問が湧くのです。仮にどこかの国の天才的な科学者が、この〈第一原理〉を発見したとして、それが科学的に正しい仮説であるかどうかを、私たちはどうやって確認することが出来るのかという疑問です。これは私の想像ですが、それがいくら理論として完璧な整合性を持った仮説だったとしても、それだけで我々がそれを求められている〈第一原理〉として受け入れることは難しいのではないかという気がします。何故なら、そこには証拠が無いからです。科学の仮説というものが、すべからく実験や観察によって実証されるべきものだとすれば、その仮説を裏付ける事実とセットでなければ、それは正しい仮説として認められない。科学である以上、それは当然なことです。

 と言うことは(これも素人の想像ですが)、もしも仮にこの分野で万人が認める〈第一原理〉なるものが確立される日が来るとすれば、それはこの原理に従って、〈心を持った人工頭脳〉というものを実際に作り出すことに成功した日がそれであるに違いないと考えられます。だってそうなれば、論より証拠、物質が心を生み出す現場を我々は目撃したことになる訳で、これまでの二千数百年に亘る心身問題をめぐる議論にも、たぶんいっぺんでケリがつくことになります。もちろん、こうして生み出された〈心を持った人工頭脳〉が、人間の脳とまったく同じ原理で心を生み出しているのかどうかは分かりません。実は物質に〈心的な機能〉を持たせるためには、いろいろな方法があって、たまたまそのうちのひとつが運良く実現されただけという可能性もあります(贅沢な話ですが)。また、〈心を持った人工頭脳〉の誕生に当たっては、もうひとつ難しい問題があります。その人工頭脳が何かしらの知的な能力を持っていることは確かだったとしても、それが人間のような自我を中心にした内的な意識(いわゆるクオリア)を持っているかどうか、それを科学的な方法で証明する手段は原理的にありえないという問題です(哲学で「他我問題」と呼ばれているものです)。ただ、これに関しては、人工頭脳による〈自己申告〉を取りあえず信じることを前提に、その時に人工頭脳の内部で起こっている物理的または化学的反応の分析、さらにそれを人間の脳の働きに関するデータと比較することによって、充分確からしい科学の原理にまで練り上げることは出来そうな気がします。少なくとも、その時から心身問題に対する新しいパースペクティブが開けることは間違いないと思います。

 もしもこの考え方が正しいならば、現代における〈心脳問題〉の研究者は、非常に苦しい立場に立たされているのではないかと想像されます。何故なら、心を持つ人工頭脳というものが実現するという見通しは、ここ半世紀くらいのスパンではありそうもないことですし、その間この分野で考えられたこと、議論されたことはすべて仮説にとどまるしかないからです(もしかしたら永久に仮説のままかも知れません)。人間の心の働きと脳の関係についての研究には、いろいろな機器によって詳しく調べられるようになった脳機能の分析と、それをシミュレーションさせるためのコンピュータの進化があるので、研究者は当面のあいだ手詰まりにはならないでしょう。が、いくらこの分野で精密な理論が構築され、深い専門的な議論が戦わされようとも、それは審判のいないサッカーゲームのようなもので、最終判定を下すことの出来ない、決着のつかない試合と似たものになります。アインシュタインの相対性理論が、原子力の可能性を予見させ、事実それが原爆となって華々しい成功を世界に見せつけた、そんな幸運はこのジャンルに限っては無いような気がします。私たちのような、専門の研究者ではないけれどもこの問題に深い関心を持っている(持たざるを得ない)一般の思索家にとっても、これはとてももどかしい状況だと言えます。

 おそらく現在の脳科学研究が、〈心を持った人工頭脳〉の開発に向かう道筋さえ見出せていない最大の理由は、その研究の対象から、〈生命の相〉がぽっかり欠落しているからではないかと私は推測しています。例えば、人間が持つ認知機能であるとか、記憶と想起のメカニズムといったものなら、コンピュータによってそれに近いものをシミュレートすることも出来るかも知れない。しかし、私たちの常識では、人間の心の本質はそんなところにあるのではありません。それはもっとダイナミックな感情の動き、例えば空腹時に感じる食物への強い執着であるとか、時として心を占領してしまう生殖への欲求であるとか、身の安全を脅かされた時の恐怖心であるとか、身体を傷つけられた時の堪え難い痛みであるとか、そうしたものを指していると思われます。これらはすべて、自分の身を守り、将来に向けて自分の子孫を残して行くことを命令として刷り込まれた、生物としての特性です。私は以前の文章で、生物の心を〈快と苦の受容器〉に例えました。この問題を考えると、どうしてもその固定観念に舞い戻ってしまうのですが、人間の心の中核には、どんな生物でも持っている(持たされている)、快を求め苦を避けようとするこの基本的性質があるように思えてならない。私たちは、それをどうやって人工頭脳に持たせられるかという、最も根本的な原理が分からないのです。

 しかし、このことから、すぐに「生命の神秘」といった立て看板を出して、不可知論に引きこもる必要も無いと私は考えます。人工頭脳の場合と同じ論法で言えば、もしも〈人工生命〉というものを実験室で作り出すことに成功すれば、ここにも事態打開の希望はあります。最近の生命科学は、非常に単純な人工ウイルスを作ることに成功しているそうです。もっとも、ウイルスは生命進化の副産物として現れて来たものであるにせよ、それ自体が生命と呼べるものではない訳で、ホンモノの〈人工生命〉誕生までには、まだまだ長い研究が必要かも知れません(あるいはそれも永久に不可能かも)。ただ、それが実現した時のイメージを持つことなら、私たちにも出来ます。神経回路も何も持たない、比較的単純な構造物であるにもかかわらず、周囲の環境に好悪の反応を示し、自らの生存に有利だと思われる行動を示す有機体。要するにそれは自然界にいくらでも存在する単細胞生物のようなものです。(長い研究の歴史があるにもかかわらず、何故そんなありふれた簡単なモノを人間は作り出せないのだろう?) もしもそれが完成すれば、物質によって人工的な心を作り出す研究において、大きな前進になるような気がします。すなわち、そこにこそ〈物質が心を生み出す第一原理〉のヒントが隠されているように思うのです。進化したコンピュータがやがて心を持つようになるということは、常識的にありえないことのように感じるのですが、たとえ人工的に作られたものであっても、それが生命体と呼べるものであるならば、そこには心的なものの萌芽が見られる筈だというのが私の考えです。

 脳と心の問題の根底には、生命とは何かというより本質的な問題が横たわっているように思います。逆にそこが科学によって解明される日が来れば(つまり人工生命が完成したあかつきには)、いかに物質的な働きが心を生み出すかという問題にも、おのずから答えが見付かるのではないでしょうか。私たちが〈感情〉と呼ぶものに似た、ある種の反応を返すモジュールが物質界に見付かり、それを中核として人間の脳を模したニューロネットワークで結んでやれば、かなり高度な(人間以上の?)知性と感情を持った人工頭脳の出来上がり、ということになるかも知れない。もちろんそこに至る前に、どこかで不可知論に足場を見付けて、そこを安住の地とするという選択肢もあります。しかし、科学というものは、科学的に解明出来ないものがあると認めた瞬間に負けが決まってしまう知的ゲームのようなものですから、当然行けるところまで行こうとするでしょう。それはまったく出口の見えない無謀な挑戦という訳でもありません。少なくとも〈心脳問題〉に関しては、いま私が素描したような解答サンプルを想像してみることは出来ます。そこまで行けば、とりあえず科学者にとっては、目的地にたどり着いたことになるのだと思います。(人工生命と人工知能を実験室で作り出すことに成功したとすれば、それ以上の何を科学者は求められるのでしょう?) ところが困ったことに、私たちのような科学者ならぬ巷間の思索人にとって、本当の問題は実はその先にあるかも知れないということなのですが、それはまた次回の話題にしたいと思います。

(今回は心身問題に関して、何か新機軸を打ち出したいと思って書き始めたのですが、結局以前書いたことの焼き直しになってしまいましたね。なんだか虚しいです。この問題は、いくら考えても同じ場所での堂々めぐりになってしまう。茂木さんではありませんが、どこかに「アハ!」っというようなブレークスルーは無いものでしょうか?)

|

« 心脳問題に関する3冊の本 | トップページ | ハードプロブレムの先にあるもの »

コメント

勝手ながら、一風変わった脳内構造のホームページに、リンクを張らせていたできました。

投稿: ノース | 2007年10月14日 (日) 23時51分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138790/16474944

この記事へのトラックバック一覧です: 心身問題という迷宮からの出口:

« 心脳問題に関する3冊の本 | トップページ | ハードプロブレムの先にあるもの »