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2007年9月24日 (月)

ハードプロブレムの先にあるもの

 心脳問題が、専門の研究者にとって入り組んだ多面的な問題であるのと同様(クオリアの起源、バインディング問題、ミラー・ニューロン、コネクショニズムと古典的計算主義、量子脳理論、等々)、我々のような市井の哲学人にとっても、この問題はそれなりに複雑な構造をしています。例えば、自分の心を少し覗いてみれば、すぐに次のような問題の系列が浮かんで来ます。①脳の働きがどのようにして心を生み出しているのか? ②心を生み出すためには脳という物質の働きだけで充分なのか、それともそこには何か別の原理も働いているのか? ③自然が心を生み出す原理が解明されたとして、そうして生まれた心がこの〈私〉であるとはどういうことか? ④40億年に亘る生物進化の果てに、ついにこの〈私〉というものを生み出した自然の意図はどこにあるのか? ⑤最期に自分が死んでしまったあと、この私の心はどうなってしまうのか、それは永遠に消えてしまうだけなのか? 思いつくままを列挙しましたが、きっと誰もが一度は考えたことのある問題ばかりだと思います。この中で、科学が取り扱える問題は①だけです(哲学的な傾向を持った、野心的な研究者なら②の領域にも踏み込むかも知れません)。③はもう科学の範囲を逸脱して、哲学あるいは心理学の問題ということになりましょうし、④や⑤になると、さらにそれを飛び越えて宗教またはスピリチュアリズムの領域になってしまう。でも、正直に認めましょうよ、私たちが心と脳の謎を解きたいと願うとき、これらすべての問題にまるごと答えてくれる解答が欲しいのではありませんか?

 デイヴィッド・チャーマーズという研究者は、心脳問題に関して、「解きやすい問題」(イージープロブレム)と「解きにくい問題」(ハードプロブレム)という二種類を分けています。不思議なことにこの問題は、見る人の立場、と言うか〈感性〉によって、易しくも難しくもなるんですね。例えばチャーマーズさんは、上記で言えば②の領域にまで踏み込んで、現代ふうの洗練された二元論を主張しています。つまり、人間の心には物理学を中心とした従来の科学の枠組では説明し尽くせないものがあるという立場です。超自然的な霊魂などというものを仮定する必要は無いが、心の科学にまともに取り組むためには、これまでの物理的な法則とは別の、新しい「精神物理法則」とでもいうべきものを編み出す必要があるというのです。こういう方向で研究を推し進めた果てに、何かまったく新しい知の領域が拓けて来るのか、私にはよく分かりません。(そもそもこの人の分厚い本自体が、私にとってはHard Problemなんです。笑) ただ、かく言うチャーマーズ氏の方針に従ったとしても、将来的に解ける見通しの立たない問題が、上記に挙げた③以降の問題です。私はこれを、科学のまな板には決して載って来ないが、私たちにとっては切実であることを止めない問題ということで、「私たちの問題」(Our Problem)という第三のカテゴリーに分類したいと思います。

 「私たちの問題」というのは、簡単に言ってしまえば、「自分は一体どこから来たのか?」、「自分は何故ここにいるのか?」、「自分は死んだあとどうなってしまうのか?」といったような問題です。つまりそれは〈心〉の問題というより、〈自分〉というものの存在に関する問題と言った方がいい。冷静に考えれば、こういう問題の立て方は、科学的な検証に馴染まないばかりか、ふつうの意味での知的考察の対象にもならないことは明らかだと思います。自分はどこから来たのかと言えば、母親の胎内から出て来たに決まっているし、自分が何故ここにいるかと言えば、両親の性行為の結果としてここにいる訳だし、自分が死んだあとどうなってしまうかと言えば、ただ単に消えて〈無〉になってしまうに決まっている。そんなふうに考える人は多いだろうと思います。一体どこにそれ以上の難しい問題があるの? 確かに私たちは、ふだんはあまりこうした問題を意識しないようにして生活しています。たまたま病気で余命いくばくもないと宣言された時とか、親しい人に先立たれた時とかに心に浮かんで来ることはあっても、そうした特別な事情が無いのにこの問題に取りつかれているのは、心を病んだ人かあるいは哲学者くらいなものでしょう。実際、もしもあなたが〈霊魂〉も〈死後の世界〉も〈生まれ変わり〉も信じていない合理主義者で、唯物論者でもあるならば、こうした問題を問題として捉えること自体がナンセンスだという結論に同意されると思います。逆に言えば、この問題にとらわれている状態の中では、私たちは多少なりとも霊的なものであるとか、物質を超えたものの存在を、(はっきりそう意識していなくても)可能性として受け入れている訳です。

 前回の考察では、科学が人間の心や、さらに生命というものの根本原理を解き明かすことに成功した場合のイメージを素描してみましたが、今回は逆に〈不可知論〉の側が、生命や心の領域には科学では決して解き明かすことの出来ない何かがあることを証明して見せる、その場合のイメージを想像してみましょう。こちらもそう難しいことではありません。それは世の中にたくさん出回っている、あやしげな神秘主義やスピリチュアリズムのやり方を参考にすれば、簡単に思い描くことが出来ます。例えば、科学では決して説明されないようなテレパシーや予知能力、心霊現象のようなものが、実験で充分な信憑性をもって再現出来た場合や、あるいは催眠療法のようなもので、被験者の前世というものが数多く記述され、それが他の方法では知ることの出来ない歴史的事実と符合した場合など、要するに現代の科学では扱うことの出来ない超自然的な現象が、トリック無しで現れて来た場合を想像してみればいいのです。不可知論の陣営は、何故そのような不思議な現象が起こるのかを説明する必要はありません(合理的に説明出来れば、それは科学になってしまいますから)、ただそういう事実があることを証明するだけで、科学では捉え切れない何かがこの世界には存在することの有力な証拠を示したことになるだろうというのです。もちろんこういった超自然的な現象が、すなわち生命や心の成り立ちに直接関与しているかどうかは分かりません。それは生命という巨大なシステムから派生した副次的な現象に過ぎず、なんらその本質に関わることではないかも知れないからです。が、それでもそうした事実の発見は、現代の科学万能主義に対する強烈なカウンターパンチになることは間違いありません。

 こんなことを真面目に論じていると、私自身がオカルティズムの信者と思われてしまいそうで気が引けるのですが、実のところまだこのふたつの対立する考え方(唯物論的科学主義と不可知論的超自然主義)は、互いに相手に対して有効なパンチさえ繰り出せていない状況ではないかと私は思っています。つまり現代科学はまだ心を持った人工知能や人工生命を生み出すどころか、その基本原理を仮説としてさえ持っていませんし、不可知論の方も万人が認めざるをえない(安定した)超常現象の発見には至っていない。こういう状況のもとでは、心と脳、精神と物質の関係という問題については何も確定的なことは言えないというのが、合理的な判断というものではないでしょうか。この問題は、チャーマーズ氏が言うように科学的な方法論の問題でもなければ、ラマチャンドラン氏の言うように擬似問題でもなく、まさに〈霊魂〉や〈死後の世界〉といったものがほんとうに存在するかどうかの問題だと私は考えます。いや、〈霊魂〉だとか〈死後の世界〉だとか言えば、もう理性的には拒絶したくなるような概念ですが、この世界には従来の科学的理性だけでは理解出来ないものもあるという程度の言い方にすれば、それは自分の中でも強い反撥を受けるものではないような気がします。重要なことは、これまで物理学を中心に進歩して来た科学的世界観の中では、心身問題は自らの守備範囲外のものとして関心を払わずに通り過ぎることも出来たのが、脳科学という領域になると、そうは行かなくなる可能性があるということです。最近のこの分野での研究のスピードからすると、もしかしたら脳科学の分野から新たな不可知論への接近という事態も見られるかも知れない、個人的にはそんな予感も持っています。

 最近の脳科学ブームやスピリチュアリズムに対する関心の高さは、二十一世紀の今日になってもなお、この問題への解決の糸口が見出せないことに対する人々の苛立ちの現れかも知れません。ここで多くの人が関心を持っている問題というのは、はっきり簡単に言えば、唯物論と非唯物論のどちらが正解なのかということです。もしも唯物論が正しいことが証明されたなら、心身問題のうちの〈自我に関する問題〉は解消され(解決ではなく)、残る問題はただ脳の働きと心の動きの対応表作成、それにクオリアの起源に関する理論の構築といったくらいのことになると思います。(その時には人間と同じような心を持つ人工知能が実現していることを思い出してください。) 一方、いろいろな状況的証拠から非唯物論の方が優勢になったとすれば、そこから問題はさらに複雑なものになります。万能だと思われていた科学的理性の有効範囲が後退し、巨大な謎が人々の目の前に現れて来る。私たちは、この地球上に生命を生み出した超越者の意図であるとか、自分の死後のことや来世のことでも思い悩まなければならなくなるかも知れない。その時こそ「私たちの問題」が、ふたたび重大な深刻さをもって我々に迫って来ることになるのです。

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コメント

 心とは何か?
 私の心とは何か?
 死んだら、私の心はどうなるのか?

 「自分は一体どこから来たのか?」、「自分は何故ここにいるのか?」、「自分は死んだあとどうなってしまうのか?」
 このような問題に、いわゆる創造主である神の存在を、私が体験した「絶対的な無意識の存在の創造主である神の意識化」という悟りの原理を説明し、自然科学的に証明して、この世界の成り立ちと仕組みを説明して、答えようとしています。
 http://blog.goo.ne.jp/i-will-get-you/
 いわゆる神の存在証明がもたらす意味について
 創造主である神の存在証明をして、神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みについて説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。
 一般法則論者
 

投稿: 一般法則論者 | 2007年10月 6日 (土) 01時36分

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