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2007年9月 9日 (日)

心脳問題に関する3冊の本

 ここ半月あまり、〈心脳問題〉に関する本を集中的に読んでいます。集中的にと言っても、図書館で割と気軽に読めそうな本を何冊か借りて来て、その中の3冊ほどをなんとか読み終わったという程度に過ぎないのですが。もともと自分が最も関心を寄せている領域なのに、このテーマの本をあまり読んでいなかったことに我ながら呆れています。今回は、この問題に復帰するウォーミングアップも兼ねて、読んだ本の感想を簡単に書きつけておくことにします。取り上げるのは、『脳内現象』(茂木健一郎著)、『脳のなかの幽霊、ふたたび』(V.S.ラマチャンドラン著)、『心脳問題』(山本貴光・吉川浩満著)という3冊です。最初の1冊はまったくの期待はずれでがっかりし、次の1冊は〈目からウロコ〉の連続でびっくりし、最後の1冊はこれまで漠然と感じていたことがうまく整理されていて、とても納得しました。

『脳内現象』(茂木健一郎著、NHKブックス)

 茂木健一郎さんの本は、これまでにも何回か読もうとし、その都度途中で放り出して来ました。自分が最も関心を持っているテーマについて書かれているにもかかわらず、何か心にしっくり来ないものを感じていたのです。今回は意を決して最後まで読み通しました。そして後悔しました。自分には読む価値の無い本だったと、読んでから気がついたからです。私は基本的に人を批判することはしないというポリシーで、このブログの記事を書いています。が、今回は少し言いたい気がする。茂木さんという方は、脳科学者という肩書きだそうですが、なんだか根本的な勘違いをされているんじゃないかしら、そう思えるのです。

 『現代の脳科学者は、物質である脳からいかに心が生まれるのか、その第一原理を理解していない。かつて錬金術師たちは金の原子核ができる核反応のメカニズムを知らないまま、化学反応によって金をつくろうとした。同様に、現代の私たちは、根本的な理屈を知らないまま意識についてあれこれと憶測しているだけである。現代の脳科学者は、一人残らず錬心術師に過ぎないのである。』(p.27)

 『本書は、脳内現象としての〈私〉がいかに創られるのか、その第一原理を追究する試みである。物質的過程である脳内の活動から、いかにして主観的・唯我論的な意識が生まれてくるのか。唯我論的発想と従来の科学的発想の両方の限界をふまえ、この難問を解くための新理論を探っていく。』(p.13)

 このふたつの文章は、この本の冒頭近くからの引用です。茂木さんは、科学者としては珍しいほど(?)修辞が巧みで、その文章からは強く訴えかけるものがあります。冒頭でこんなふうに宣言されれば、読者の期待はいやがうえにも高まりますよね。よし、それじゃあ、その「第一原理」とやらを聞かせてもらおうじゃないか。ところが、最新の脳科学のトピックを散りばめた長い論証の果てに、読者が連れて行かれるのは、『メタ認知的ホムンクルス』というとても科学的とは思えない曖昧な概念なのです。(メタ認知というのは、認知すること自体を認知するという働き、ホムンクルスというのは脳の中に住んでいるコビトのことです。ですからこのコトバは、〈認知することを認知している脳内のコビト〉という意味になります。) だいたい科学者と呼ばれる人が、こういった思弁的な概念操作で結論を導き出すことが信じられません。本書の結論にあたる最終章には、こんな文章が見当たります。

 『私たちは、意識がメタ認知的ホムンクルスのメカニズムを通して生み出される脳内現象であるというモデルに達した。このモデルは、意識が生み出される第一原理を未だ解決するものではないが、少なくとも、意識が因果的、客観的科学法則とどのような関係にあるかということを説明する。科学は、意識があろうとなかろうとどちらでもかまわないという。ならば、メタ認知的ホムンクルス・モデルとは、すなわち、意識の問題の科学からの独立宣言なのである。』(p.226)

 Webに掲載されている『クオリア・マニフェスト』などを読んでも感じるのですが、茂木さんという人は宣言をすることがお好きなようです。私もブログの中ではしょっちゅう宣言ばかり書いている人間なので、その気分というか、書いたあとのカタルシスについてはとてもよく理解出来ます。しかし、これは科学者としては非常によくない傾向ではないかと思います。上の文章から読み取れることは、①とりあえず本書では〈第一原理〉は見付からなかった、②それでも従来の意識の科学から独立する方向性は見えて来た、という二点です。確かに〈脳と心の科学〉はまだ端緒についたばかりで、まだ方法論が定まっていないところもあるのでしょう。だからと言って、現在の脳科学の方法を否定して、早々と独立宣言をするというのはどうなんでしょう。こんな書き方をされたら、真面目に地道に研究に取り組んでいる、世界中の脳科学者の人たちから反撥を買うだけだと思うのですが…

 結局、茂木さんの著作は、そのコトバの熱っぽさに内容がついて来ていないというのが読後の正直な感想です。予告編だけで本編が無い映画、あるいは実行に移されることのない政党マニフェストのようなものと言ったら、言い過ぎでしょうか。そもそも、〈クオリア〉という概念を研究の中心に据えること自体が、何やらあやしいことのような気がします。これに関しては、まだクオリア論の本家であるデイヴィッド・チャーマーズの著作を読んでいないので、明確なことは言えません。機会があれば、改めて考えてみたいと思います。

『脳のなかの幽霊、ふたたび』(V.S.ラマチャンドラン著、角川書店)

 という訳で、せっかく盛り上がって来た読書欲がちょっと萎えてしまったところに読んだのがこの本でした。そしたらあんまり面白くて、翌日の仕事のことも忘れて一気に読み耽ってしまった。同じ著者の代表作である『脳のなかの幽霊』の続編という位置付けですが、こちらの方がページ数も少ないし、一般人向けの講演をもとに書かれた著作であるだけに、とても読みやすくなっています。現在の脳科学研究の最前線でどのようなことが行なわれているかを知るためにも、格好の一冊だと思います。(茂木さんの本でも取り上げられていた事例や仮説の多くは、ラマチャンドラン本がその元ネタだったんですね。) この本に出て来る「幻肢」、「共感覚」、「盲視」、「クロス活性化」などという話題は、きっと最近の脳科学の入門書を読めば、みんな書いてあることなんでしょう。それでもこの本が格別に面白いのは(って、類書を読んでいないので想像だけど)、この著者が自ら観察し、発見し、仮説を立て、検証した事実をもとに書かれているからだと思います。世界的な名声を誇る第一線の研究者が、非凡な文才とユーモアを兼ね備えた著作家でもあったというのは、私たち読書人にとってなんと幸運なことだったのでしょう。

 脳科学などというものが、ほんとうに科学たりうるのだろうかと疑っていた自分にとって、著者の研究スタイルは実に納得の行くものでした。〈クオリア〉だとか〈ホムンクルス〉などというテーマの周りを巡っていては、結局、議論は思弁的な抽象論に陥って行くしかないと思います。しかし、自らが脳神経科の医師でもある著者が取り上げるテーマは、脳の機能障害による症例研究を中心としたもので、これは科学者の方法としてまったく正統なものだという気がします。昔から知られていた、一般的には不可解としか思えなかったような症例から、構想力豊かに新たな仮説を次々と立てて行く手腕は、まさに著者が天才であることの証でしょう。が、これは多くの研究者が協同して検証を行ない、またそこから新たな仮説を導き出して行く、すなわち〈科学の営み〉に道を拓くものです。なるほど、こういう人たちがこういう研究をしているのであれば、我々もこの分野から目が離せませんね。

 『自己の「統一」感についても、触れておく必要があります。なぜあなたは、さまざまな感覚印象や思考や情動の流れにたえずひたっているにもかかわらず、自分は「一つ」だと感じるのでしょうか? これは要注意の問いで、結局は擬似問題だったと判明する可能性もあります。ひょっとすると自己は本質的に、単一体としてしか感じられないものなのかもしれません。実際、二つの自己を感じるというのは論理的に不可能です。だれが、あるいは何が、その二つの自己を感じているのかという疑問が出てくるからです。』(p.153‐154)

 この文章は、クオリア問題に関する考察の中に出て来る一節ですが、本物の科学者がいかに〈ホムンクルス〉といった観念を慎重に扱うかがよく現れています。「擬似問題である可能性」というのはソフトな言い方ですが、要するにクオリア問題をハード・プロブレムだと捉える見方は、科学的な態度ではないと言っているのです。それでいて筆者の扱うテーマは、実際に検証可能な症例研究の領域にとどまらず、芸術の成り立ちから人類の文化が伝播して来た仕組みに至るまで、実に広い範囲に亘っています。つまりクオリアなんていう擬似問題に足をすくわれなければ、脳科学という研究分野には限りなく豊かな沃野が広がっている、そのことをこの小さな本は垣間見させてくれているのだと思います。

『心脳問題』(山本貴光・吉川浩満著、朝日出版社)

 私が哲学科の学生だった30年前には、「心身問題」という言葉はあっても、「心脳問題」なんていう言い方は無かったように思います。「心身問題」からは、いかにも伝統的な哲学のテーマが連想されますが(観念論や唯物論、または物心二元論といったような)、これが「心脳問題」になると、もはやそうした古き良き(?)哲学の香りはほとんど感じられません。それはこの言葉の字義からして唯物論を前提としているからです。つまり、人間の心は脳という物質の作用であることは間違いないのだけれども、その間を結ぶ原理であるとか法則であるとかが、ほとんど今のところ未知であるというのが「心脳問題」の核心なのです。事実、茂木教授にしてもラマチャンドラン博士にしても、科学者としての正当な態度として、物質を超えたものの存在などはなから認めてはいません。

 『心脳問題』と題されたこの本では、こうした現代の〈脳神話〉のよって立つ根拠を、もっと広い視点から捉え直そうとしています。まえがきの中で著者は、この本を「脳情報のリテラシー」を養うためのガイドブックと位置付けています。これはいい着眼点ですね。現代はまさに〈脳の時代〉と呼ばれるほど、脳に関するさまざまな情報が行き交っている時代だからです。その中には、あやしげな情報や危険な情報もたくさん混じっています(権威ある科学者でさえ、そういう情報の発信者になりうるのです)。で、ニンテンドーDSでちょっと脳でも鍛えてみるかと思う前に、まずはこういう本を読んで、脳情報のリテラシーを高めておくのが有用だというわけ。この本は、充分にその役目を果たすだけの内容を持った本だと思います。

 最近の〈脳関連本〉にしては、珍しいほど哲学の領域に比重をかけた本です。特に重く扱われているのが、自分も昔よく読んだ大森荘蔵氏だったりベルクソンだったりするところが、個人としては嬉しいところです。と言っても、決してこの本は哲学の復権などということを目指している訳ではなく、あまりに「唯脳論」(©養老孟司)に傾き過ぎた時代の風潮に、釘を差しているだけなのだと思います。本の中でも指摘されているように、この分野での研究は、人間を直接コントロールする技術の発展という、非常に危険な方向に進む可能性があります。脳科学の内部からは、これに対して抑制をかけることは出来ません。バイオエシックスなどの分野でも同じですが、どうしてもそこには広い意味での哲学が要請されるのです。心と脳を研究するに当たっても、一般性や同一性の観点でしか捉えられない科学の方法に対して、ベルクソンの〈持続〉の概念を対置した上で、著者はこう書きます。

 『すでに検討したように、持続なき科学的な記述か科学的な記述なき持続かといった二者択一が問題なのではありません。世界が権利上持続でしかありえないにもかかわらず、事実上同一性により記述され利用される次第を、政治的な観点を欠くことなく考え抜くこと。それがいまほど必要な時代はないのです。』

 この本のふたりの著者は、まだ三十代の若い方で、脳科学の専門家でもなければ哲学の研究者でもないそうです。たまたまインターネット上に「哲学の劇場」というサイトを主催していたところ、編集者の目にとまり、このような書物となって結実したんだそうです。もしかしたら、そういう背景があったからこそ、こういう目配りの利いたバランスのいいガイドブックが出来上がったのかも知れませんね。なんだか面白い時代になったものだと思います。

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コメント

 はて…「ホムンクルス」の定義が間違っていると思われます。
簡単に言うと、現在の脳科学の「ホムンクルス」とは脳の働く部位をを体の部位と照らし合わせたら、「小人」のような「頭でっかち、手足でっかちな割合というか形」になった。と言った事だと思いますが・・・。
しかも、まだ充分検証しつくされていません。その辺に関してはまだまだ未確定要素が多いので、それを根拠に話を進めている物に関しては、特別に反応する必要はないと思いますよ?

 さて、自分の意見は貴方への反論ばかりのように見えますが、そうではありません。共感できる部分が沢山あります。ブログ全てを見切っているわけではありませんが多数有りました。その辺に関しては、また次回、拝見させていただいた時に。ではまた。

投稿: つてぃー | 2007年9月29日 (土) 05時34分

つてぃーさん、コメントありがとうございます。

つてぃーさんのおっしゃるのは、ペンフィールドのホムンクルスと呼ばれるものですね。よく本で見かける脳に貼り付いた不思議な人間の図です。ここではそうした「体性感覚の地図」という意味ではなく、例えば網膜に映る映像を見ている頭の中のもうひとりの自分、といった意味で使っています。感覚主体の自分というものを考えると、なにか頭の中に小人のような自分の本体があるような気がしてくるんですね。茂木氏の本でも、ホムンクルスはそのような意味で使っていたと思います。

投稿: Like_an_Arrow | 2007年9月30日 (日) 23時37分

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しかし痛いときは痛い。嫌なものです。自分の体内で起きる一種の物質現象が、苦しか [続きを読む]

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