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2007年8月19日 (日)

ゲゼル思想研究日誌(5)

 ひとつ不思議に思うことがあります。格差社会ということがこれだけ取り沙汰されていながら、マスコミが取り上げる〈格差〉の内容が、ほとんどの場合「収入格差」であって、「資産格差」が論じられることはあまり無いという事実です。年収が百万円しかない家庭でも、数億円の資産を持っているなら、ワーキングプアなどとは呼べませんし、ニートと呼ばれる若者だって、親が資産家なので、ぶらぶら遊んで暮らしているだけなら、別に社会問題化するような話ではないと思います。最近の格差問題に関する議論から、ぽっかり抜け落ちているのがこの観点です。おそらくこれは、誰も国民の資産格差というものの実態を、正確に把握していないという点に一番の理由があるような気がします。国民の総資産が1500兆円を超えているというのは、ある程度正確な情報なのでしょうが、その数字の根拠になっているのは、銀行預金や郵便貯金の残高、国債の発行額、企業の株価総額、土地の評価額などをもとに〈理論的に〉計算しているだけであって、決して各世帯の資産額を調べて合計した結果ではない筈です。年間の国民の総所得(GDP)が約500兆円程度なのに対して、その3倍にも当たる国民の総資産は、行政から見てほぼブラックボックスに等しいと言ってもいい。もしも真に格差社会の是正を目指すなら、この隠された資産格差に目をつぶることは出来ません。

 国が国民から税金を徴収する場合、そのほとんどはストックからではなく、フローからの徴収です。つまり、税金というものは、その大部分をお金の入り口(所得課税)と出口(消費課税)で取られる仕組になっています。もちろん固定資産税や相続税、贈与税のようなストックに対する税金もありますが、その割合は思いのほか小さくて、今年の財務省の予算では、資産課税は税収全体の14パーセントに過ぎません(出典はここ)。所得課税が占める割合は58パーセント、消費課税でも28パーセントですから、そのバランスの悪さは一目瞭然です。このことからも、資産を持つことの優位性は明らかですね。一旦預金として貯め込まれたお金は、所有者が代わらない限り、課税されることもなく将来に持ち越せる、いや、それどころか利子が付いて殖えさえします。だから誰でも貯金はしたいし、今日のような相対的に豊かな社会では、自然な傾向として国民の資産は膨らんで行く一方になる。その結果が1500兆円の個人資産と、国が抱える1千兆円を超す借金という訳です。このことを認識すれば、国が採用出来る財政再建策は実はひとつしかないように思えます。すなわち、1500兆円のストックに対して課税すること。国民の総資産に年率3パーセントの課税をするだけで、45兆円の税収が見込まれますから、一気にプライマリーバランスが黒字化します。個人だけでなく、企業の資産にも課税すれば、それだけで国家予算の全部をカバーすることも可能でしょう。そうなれば、所得税や消費税や法人税を廃止することさえ出来ます。拡大する一方の経済格差を是正するためには、所得税の累進性を高めてもほとんど効果はありません。〈資産課税〉こそが、退蔵される個人資産と増え続ける国の借金という負の連鎖を断ち切る、おそらく唯一の方法ではないかと思うのです。

 シルビオ・ゲゼルの「減価するお金」の思想に魅せられて、いろいろ考えを巡らすうちにたどり着いたのが、以上のような結論です。もちろん資産課税とひと言で言っても、簡単に実行出来ることではありません。銀行預金や国債などの債券、また今後電子化される株券のようなものには比較的容易に課税出来るでしょうが、登記の必要が無い貴金属や美術品のような資産、そして何よりも現金(貨幣)に対しての課税は技術的に難しい話になります。貨幣に対する課税方法には、ゲゼルのスタンプ紙幣というアイデアがありますが、貨幣ですら銀行ATMへの入力媒体として半ば電子化されている現代において、スタンプ紙幣などというものはとても現実的ではありません。いっそのこと、次回の貨幣デザイン変更の際には、日本では紙幣や硬貨をすべて廃止して、電子マネーに統一するかです。(非現実的なアイデアだと思われるでしょうが、このままでは避けられない財政破綻のことを思えば、これは現実的に検討すべき課題であると私には思われます。) また最近人気の外貨預金や外国株式のようなものに対する課税をどうするかというのも難しい問題です。国内の銀行や証券会社が売り出す商品なら課税の対象に出来ますが、直接海外のプライベートバンクに送金されてしまえば、それはもう押さえようがありません(現在でも資産家の多くは、こういった方法で利息や配当に対する課税を逃れていると聞きます)。いずれにしても脱税や節税を完全に封じ込めることが不可能なのは、いつの時代でも同じです。が、例えば将来、国民年金が保険料方式から税方式に変わった時、それまでに納めた資産税の金額を年金額に反映することなどで、納税の意欲を高めることなら出来るかも知れません。

 資産課税が当たり前の制度になると、現在私たちが暮らしているような〈非ゲゼル社会〉での常識が大きく変わることは間違いないと思います。日本人がこれほどまでに貯蓄好きである理由は、ひとつには勤勉で真面目な国民性によるところもあるのかも知れませんが、もっと本質的な理由は、私たち国民が現在の国の財政状態や年金制度の将来に関して強い不安を持っていて、自分の老後は自分で守るしかないという悲愴な覚悟を決めているという点にあります。その思い込みがあるからこそ、余裕のない生活の中でも出費を抑えて、みんな貯蓄に励んでいる訳です。そうやって作ったなけなしの資産に対して、さらに課税をするなんて非情なことだと思いますか? しかし、そのことによって国の財政が将来に亘って安定したものになり、社会福祉や年金制度も国民の期待に応えるものに生まれ変わるとしたら? その安心感があれば、平均して年収の3倍もの金額を個人資産として積み上げる必要も無くなるのではありませんか? 日本に北欧諸国にも負けないような充実した社会福祉制度が確立し、しかも預金や現金(電子マネー)が銀行利息を上回る速度で減価して行ってしまうとすれば、お金は貯めるよりも使うものだという気分が国民のあいだに芽生えるでしょう。いかに節税し、有利な金融商品に投資するかを毎日考えているよりも、稼いだお金を何に使おうかと日々悩んでいる方が、楽しい充実した人生と言えそうじゃないですか。これによってお金の流通速度が一気に上がり、国内が驚くほどの好景気に沸くことになる。しかもそれは決して一時のバブル景気ではなく、この国の実力に合った自然な好景気なのです。これが私の想像する、理想的な〈ゲゼル社会〉の風景です。

 太古の昔から、お金には預ければ利子が付くという不思議な性質があって、そのことによって人間の持つあらゆる財の中でも、お金には特権的な地位が与えられて来ました。本来、お金というものは交易の道具であって、人々のあいだを流通することがその役目であった筈です。ところが、利子というものが存在するために、お金は蓄財の道具となってしまい、世の中を駆け巡ることをやめてしまいました。これは経済の停滞を意味します。現代の日本がまさにその状態に陥ってしまっている訳ですね。お金を社会の血液に例えるならば、1500兆円にも膨れ上がった個人資産は、言ってみれば日本経済における循環器系の病気、その鬱血した患部です。この症状に対してシルビオ・ゲゼルの出した処方箋は、お金にマイナスの利子を付けてやることでした。〈マイナスの利子〉とは、言い換えれば〈資産課税〉のことに他なりません。これを財政政策として実施しようとすれば、資産を持つ層からの反撥は必至でしょう。が、このまま日本が財政破綻にまで至れば、すさまじいインフレによって資産価値が急激に下落することが予想出来る訳で、それに比較すれば年率3パーセント程度の資産課税は、充分受け入れられるものだとも考えられます。いや、むしろ国民としては、それを積極的に政府に提言して行くくらいの気持ちを持ってもいいとさえ思う。なにしろこんな贅沢な政策を選択出来るのも、この国ならではのことだからです。国家も赤字、国民も借金漬けというアメリカのような国では、こういう政策自体が意味を成さない訳ですから。まったくシルビオ・ゲゼルの自由経済思想というのは、現代日本のためにあつらえたような思想だと思います。

 最初、マイナス利子の考え方を知った時は、理想的ではあっても現実味の無いアイデアだと感じました。例えば利息がマイナスだとすれば、誰も銀行になどお金を預けなくなるだろうし、そうなれば銀行はすべて倒産してしまうだろうと想像したのです。でも、違うんですね。マイナスの利子というのは、あくまで国が国内の現金や預金、有価証券などに一定の課税をするということに過ぎない訳です。だからその税率が年に3パーセントだとすれば、年利5パーセントの定期預金に預けておくことで、差し引き2パーセントの利回りを受け取れるかも知れない。そう考えれば、銀行というものの存在は、いま以上に重要なものとなるかも知れません。『自然的経済秩序』というゲゼルさんの主著には、自由貨幣(マイナス利子のお金)が導入されることで、いろいろな職業の人たちがどういう影響をこうむるかについて、その本人たちの証言という形で未来予測が提示されています。もちろんそれぞれの立場で生活の変化はありますが、最終的にはみんなが自由貨幣を受け入れるというシナリオになっています。ゲゼルさんが生きていた時代と現代とでは、職業の種類も経済の環境も違うので、資産課税が社会にどのような影響を及ぼすものか、経済学者ではない私には想像もつきません。ただ、基本的な考え方がヒューマニスティックで理にかなったものである以上、誰かを犠牲にして成り立つような、冷酷な改革ではないという確信だけは持っています。

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