« 「ロングテール新党」ってどうでしょう? | トップページ | 公示日を迎えて »

2007年7月 8日 (日)

政治家の失言問題に思う

 防衛大臣の久間章生(きゅうまふみお)氏が、アメリカの原爆投下はしょうがなかったと発言したことがきっかけで辞任に追い込まれました。久間さんは、前にも米軍のイラク侵攻は間違いだったと思うと述べて、防衛相にあるまじき発言だと問題になったことがありましたね。きっとよほど正直な人なのでしょう。イラク侵攻が間違いだったというのは、いまや日本国民のあいだでも常識ですから、この時は安倍首相からのお咎めも無かったようですが、今回の発言は日本国民の逆鱗にふれるものだったために、あっという間に辞職ということになってしまった。私は久間元大臣の肩を持つ訳ではないけれど、この責任の取らされ方にはいささか疑問を感じざるを得ません。だって、「原爆はしょうがなかった」というのは、言ってみれば結党以来の自民党の公式見解じゃないですか。政府はこれまでアメリカに対して、原爆のことで一度でも正式に謝罪要求をしたことがありましたか? 原爆についてだけは赦せないと公式に発言した自民党議員がひとりでもいましたか? いや、政治家だけではない、新聞だって原爆の非道さについては書いても、当時のトルーマン大統領を直接糾弾するような論説は(朝日新聞ですら)書かなかったと思います。最近アメリカ下院が、従軍慰安婦問題について、日本政府に謝罪要求をする決議案を可決しました。中国や韓国の政府がそれをするならともかく、直接の被害国でもないアメリカに、何故いまごろそれを言われなければいけない? 私はちょうどいいタイミングなので、日本政府はこれに対抗して、原爆投下に対する謝罪要求を出せば良かったと思います。でも、そんなことを言い出す議員さんもいませんでしたね(民主党の小沢一郎さんは言ったらしいけど)。「原爆はしょうがなかった」、これはそういう政治家を選んで来た日本人の、戦後一貫した暗黙の了解事項ではなかったですか?

 私は最近の政治家が、〈失言〉によってかなりの頻度で辞任に追い込まれて行くことに、以前から不審な気持ちを抱いていました。少し前には、柳沢厚生大臣が「女性は産む機械」と発言して、大騒動になりました。辞任までは行かなかったものの、この時の身内をかばい立てするような安倍さんの対応も、国民の目からは信頼を失わせるものと映ったと思います。久間発言にしろ柳沢発言にしろ、国民感情を無視した浅薄なものだったのは確かです。が、たったひと言の無思慮な発言によって、その度に大臣の首をすげ替えていたのでは、円滑な国政の運営はおぼつかないとも言えます。まあ、柳沢さんや久間さんが、余人をもって代え難いほどの閣僚だったかどうかは別として、国民感情の尻馬に乗って失言大臣を辞任に追い込むまで追及の手を緩めない野党やマスコミのやり方もどうかと思うのです。仮にこれが二十年くらい昔だったら、今回のような発言はきっと問題にもならなかったのではないでしょうか。だとすれば、この二十年のあいだに何が変わったのでしょう? 政治家の質が落ちた? たぶんスケールは小さくなったかも知れないが、今の政治家の道徳的資質が、二十年前に比べて特段低下したとは私には思えません。むしろ世間の見方が変わったのです。世間が政治家に求める道徳的なクライテリアが、恐ろしいほど高くなったのです。

 このことは政治家に対してだけではありませんよね。次々に明るみに出る企業の不祥事にしても、昔ならそこまで大きな問題にはならなかったようなことが、企業の存続をさえ危うくする大事件に発展する。マスコミと国民が騒ぎ立てるからです。基本的にはこのような変化は、社会が道徳的に進歩して行くための好ましい変化だという認識を私は持っています。ただ必ずしも好ましくないと思うのは、こうした〈正しさ〉を政治家や企業に突き付けて、辞任や倒産(時には自殺)にまで追い込まなければ気が済まない、我々国民やマスコミの気持ちのあり様の方です。仮に発覚した問題が看過出来ないほど由々しいものだったとしましょう。それでもその政治家や企業がこれまでやって来たことは、すべて何の価値も無いことばかりだったのでしょうか? 少なくともその検証くらいは、ネタで稼がせてもらったマスコミが中心になってすべきなのではないでしょうか? そしてもしも得失点差を計算してみて、少しでもプラスが残っているものなら、もう一度チャンスを与えるという選択肢だってあっていいのではないでしょうか。(本人だって、しおらしく反省している様子なんだし…。) 道徳的に他人を責める心は、つまるところ自分自身に向けられた鋭利な刃物でもあります。道徳的なクライテリアを引き上げるに際しては、それにともなって私たち自身の心の寛容さの間口も広げておかなければ、相手に対する不満ばかりが募って行って、結局は世間が住みにくくなるだけだと私は思うのです。

 さらにこのことは、政治や企業経営といった公の世界に限ったことではありません。私たちのふだんの日常生活、例えば夫婦関係や親子関係の中においても同じだと思います。現代の私たちは、無意識のうちに相手にとても高い要求を突き付けている場合が多いので、たいていいつも相手に不満を持って生活しています。その要求の中には、家事の分担だとか学校での良い成績だとかいった目に見えるものばかりでなく、公衆道徳面での潔癖さといったことも含まれているように思います。(あなたはあなたの夫や妻が、タバコの吸い殻を道端にポイ捨てするのを見て平気でいられますか? 自分の子供がお年寄りに席を譲らずに平然とテレビゲームで遊んでいるのを見過ごせますか?) 特に日本のように、長い年月に亘って平和な時代を過ごし、みんなが真面目に勤勉に働いて来た社会では、こうした目に見えない〈道徳的淘汰圧〉といったものが、非常に高まっているのではないかと想像します。しかし、それにも個人差があります。非常に円満な人生を送って来て、人格的にも欠点が無いように見えるお年寄りが、ある一点についてはどうしようもなく頑迷で、時代錯誤的な考え方を持っているという例はよく見聞きします(例えば、女性蔑視的な見方だとか、部落差別のような偏見だとか)。人は誰でもその生まれて来た時代や環境の影響を受けて、道徳的に成長もすれば欠点も身につける。客観的に見て、100パーセント完璧な人格者なんて存在する訳がありません。問題は、誰もが持っている道徳的な瑕疵ではなく、それを許せないと感じさせる現代人の道徳的潔癖症の方です。

 いや、家族の問題や、うちのおじいちゃんの頑固さについてならそれも分かるけど、いま問題になっているのは政治家の発言についてだよ。政治家、特に大臣ともなれば、それは全国民を代表する立場にいる訳で、そういう人に最高度の道徳性を求めるのは当然のことなんじゃない? きっとそんな意見もあろうかと思います。しかし、それにも私は異見があるのです。どんな職業にも、その職業に要求される倫理性というものは当然ある筈です。が、それといわゆる〈人徳〉というものは分けて考えるべきだと思うのです。政治家ばかりでなく、医者や教育者や企業経営者や裁判官など、通常のレベル以上の高い職業倫理を求められている人たちはたくさんいます。だからと言って、彼らに一点曇りの無い人格的完璧さを求めるのはどうなんでしょう。私としては人柄のよい医者にかかるよりは腕のいい医者にかかりたいし、子供の担任には高い道徳性よりも優れた教育技術を望みたい気がする。政治家だって同じです。人間的にはひどく癖のある、好き嫌いの分かれるタイプだが、偉大な業績を残した大政治家と認められる人たちが、過去には大勢いた訳じゃないですか。現代という時代が、構造的にそういう政治家の登場を許さない仕組みになっているのなら、それはやはりこの国にとって大きな損失なのではないでしょうか。

 戦前、戦後にかけてに活躍した三木武吉という政治家は、「愛人を3人も囲っている」ということを対立候補に暴露された時、「それは誤解だ、愛人は3人ではない、5人だ」と選挙演説の中で答えたのだそうです。この発言によって、国民のあいだでの武吉の人気はいっそう高まったと言います。その豪胆さと率直さに、国民の心を打つものがあったのですね。とても今日では考えられないことですが、考えてみれば愛人がいるかどうかなんてことは、政治家としての適性に何も影響を与えることではない、当時の民衆だって、それが誉められたことではないという認識はあったのでしょうが、それよりも武吉の政治家としての手腕を買った。これは健全なことではないかと思うのです。いや、もしかしたらこんな言い方をすること自体、読者であるあなたの道徳的クライテリアに抵触してしまうことかも知れませんね。特にフェミニズム方面からは、鋭い批判の声が聞こえて来そうです。でも、それならば話は簡単。私はあなたに比べて〈道徳的な開明度〉において遅れた古いタイプの人間なのですから、私より開明しているあなたはもっと寛容になって、発展途上の私のことを大目に見てくれなくちゃいけない、それだけのことだと思います。

|

« 「ロングテール新党」ってどうでしょう? | トップページ | 公示日を迎えて »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138790/15686448

この記事へのトラックバック一覧です: 政治家の失言問題に思う:

» 失言問題 [jalカード]
麻生太郎の失言と年金問題放棄心無い言葉にきっと深く傷つくのではないか。だからこそ、「問題発言」といえる。このような発言が公人である(しかも現職閣僚)である人間から出たことが大問題なのである。 「失言」は誰にでもある... [続きを読む]

受信: 2007年7月31日 (火) 00時31分

» 失言問題 [ブログアフィリエイト]
政治家の失言問題に思う久間さんは、前にも米軍のイラク侵攻は間違いだったと思うと述べて、防衛相にあるまじき発言だと問題になったことがありましたね。きっとよほど正直な人なのでしょう。イラク侵攻が間違いだったというのは、いまや日本国民のあいだでも常識ですから、....... [続きを読む]

受信: 2007年7月31日 (火) 00時39分

« 「ロングテール新党」ってどうでしょう? | トップページ | 公示日を迎えて »