« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月24日 (日)

比例区をやめて「専門区」を作ろう!

 参議院選挙の日程が1週間うしろにずれたのだそうです。国政選挙直前の国会会期を延長してまで、法案の駆け込み採決をしようとする安倍首相のやり方には、たまらない嫌悪感を感じます。しかし、天木候補を応援している自分としては、選挙期間が延びることは大歓迎です。この1週間が奇跡を起こすかも知れない、そんなことを大真面目に考えたりします。

 年金問題で政界はてんやわんやの状態ですが、その割に選挙自体は盛り上がっていない印象があります。今回の参院選では、民主党に追い風が吹くのでしょうか。もしも吹いたとしても、それは安倍自民党に対する反対票が、行き場をなくして民主党に吹き溜まっただけのことで、民主党への支持率が上がったのではないことは明らかです。政治にはおおいに関心があるのに、投票したい政党が無いという有権者の不満は、ほとんど爆発寸前にまで来ている。自分も政治に不満を持つ有権者のひとりとして、そんな苛立ちを常に持っています。でも、ものは考えようかも知れません。投票したい政党が見当たらないこんな時代だからこそ、我々有権者はひとりひとりの候補者にもっと注目すべきなのではないでしょうか。たとえ支持する政党がひとつも無かったとしても、信頼するに足る候補者がひとりもいないという訳ではないと思います。

 この観点からすると、いまの参議院選挙の仕組みは、割とよく出来ているように感じます。衆議院選挙の方は、比例代表に党名しか書くことが出来ず、当選者は政党が勝手に決めた名簿順位で決まってしまいます。これは有権者不在のひどい制度です。それに比べると、参院選の比例代表は、候補者個人の名前を書くことが出来、名簿順位も得票数によって決められる。こちらの方がずっと有権者の意思を反映出来るし、結果の納得感もあります。衆院選もぜひこの方式に改めるべきですね。ただひとつ困るのは、何百人もいる候補者全員のプロフィールを、忙しい現代人がすべてチェックすることはとても不可能だということです。最近は自分のホームページやブログを持って、そこで所信表明や活動の報告を書いている議員の方も多くなりました。それだってたくさんあり過ぎて、すべての候補者のページをチェックするなんてことは、よほど暇な人でない限り出来ません。で、充分検討も出来ないまま投票日当日を迎えてしまい、たまたま印象に残っている適当な人に投票してしまう。もしもこれが衆院選だったら、もっと大変なことになりますよね。

 根本的な問題は、現代という時代は政治的な解決を求める問題があまりにたくさんあり過ぎて、とても一個人ではそのすべてに定見を持つことが難しいという点にあります。私は、民主主義が進歩すれば、現在のような国会を中心とした代議制の政治から、国民が直接政策を選択出来る直接民主制に移行すべきだと考えているのですが、その際にも同じ問題があります。毎週行なわれる国民投票に、いくら国民の義務だからといっても、毎回充分検討した上で参加するなんて、物理的に不可能です。で、私は以前の記事で、有権者が自分の意思で投票出来る分野を選択するという方法について書きました(こちらの記事です)。今回の提案は、これを選挙に応用するアイデアです。簡単に言えば、現在の政党ベースの比例代表制を廃止して、政策分野別の「専門代表制」といったものを取り入れてはどうかということです。比例区に代わる、「専門区」の設置と言ってもいいです。

 要するに、これだけ複雑な世の中になってしまったのだから、国会議員にも特定分野に強いスペシャリストになってもらおうという話です。天木さんのブログで、今回の年金問題がこれだけ社会問題化したのは、民主党の長妻昭議員の執拗な追及があったからこそだという話を読みました。これなんかいいお手本だと思います。最近は若い駆け出し議員でも、自分のホームページにマニフェストを掲載して、そこには憲法問題から格差問題、少子化対策まで、全方位で所信表明をしていることがあります。そんなの無理ですよね。まだ実力も人脈も無い若手議員に、そんな大それた公約が守れる訳ないじゃないですか。でも、当選1期目の新人議員でも、あるひとつの分野、あるひとつの問題にこだわって、必死に勉強して誰にも負けない理論を持ち、論陣を張ることなら出来るかも知れない。そうすれば、今回の年金問題のように、そこから何かが変わるかも知れないのです。私はそういう議員を応援したいと思います。特にその人が追及している分野が、自分にも関心のある分野で、しかも自分と近い考え方をしているのならば、私は喜んで自分の一票をこの人に投じます。もしも国会がそういうスペシャリストの集団になったら、日本の政治はどんなにすごいことになるだろう。

 具体的な選挙のやり方はこうなります。まず国政の討議領域を大きく10個程度の専門分野に分けます。これを「専門区」と呼びます。専門区に立候補する人は、その中のどれかひとつの〈区〉を選び、そこに立候補する訳です。有権者の方は、その区名プラス候補者名を投票用紙に書いて投票します(候補者名だけでもいいのですが、有権者の意識を高めるためには区名も書かせた方がいいでしょう)。実際の投票では、1回の投票で3つの専門区、3人の候補者に投票出来るようにするのがいいと思います(但し、1つの専門区には1人だけです)。何故3人もの候補を選べるかと言えば、誰でも関心のある政治分野はひとつだけではないと思いますし、その時々の世論の動向によって、特定の専門区に票が偏るのを防ぐためでもあります。投票が終れば開票です。各専門区にはそれぞれ定数が決められており、ひとつの区に立候補した人の得票上位者から、定数に達するまでを当選とします。当然、区が異なれば当落ラインが違ってくる筈で、ある区では100万票でも落選なのに、別の区では50万票でも当選ということも起こり得ます。が、これは現在の比例区でも起こり得ることですし、この制度が定着するなかで自然に是正されて行くことだとも予想出来ます。いま私が考えている「専門区」とは、例えば以下のようなものです。(最初の漢字2文字が区名。カッコ内はその区に属する政策課題の例です。)

①財務(税制改革・予算編成・財政再建問題など)
②法律(憲法改正・裁判員制度・死刑廃止問題など)※注
③生活(年金・生活保護・格差問題・少子化対策など)
④福祉(医療制度改革・老人福祉・障害者福祉など)
⑤文化(教育問題・文化財保護・宗教・皇室問題など)
⑥外交(国際関係全般・海外支援・移民問題など)
⑦産業(農業政策・産業振興・企業監査・貿易など)
⑧環境(温暖化対策・排出規制・環境保護など)
⑨防衛(自衛隊予算、集団的自衛権、MD構想など)
⑩公共(公共事業、公務員制度、民営化推進など)

 (※注 個別の法律改正は、個々の専門分野に属します。)

 どうでしょう、これでほぼ国政の全領域をカバーしているのではないかな。例えば、護憲を訴えて立候補する天木さんなら、『法律の天木直人』として、年金問題で名を上げた長妻さんなら、『生活の長妻昭』として立候補する訳です(もちろんどこから立候補するかは、ご本人の自由ですが…)。各専門区の定数配分をどうするかは、議論の余地があります。全区一律で10議席ずつというように決めてもいいし、現在の政策的な重要度に応じて、多少比率を変えてもいい。ただ言えることは、この10個の専門区のどれを取っても国政の重要な課題を抱えた分野であり、それぞれにある程度の数のスペシャリスト議員がいてくれなくては困るということです。この選挙の目的は、国民の人気によって公平に議員を選び出すことよりも、むしろ各専門分野に強い実力ある議員を送り込むという点にあるのです。

 例によって素人の考えそうな奇抜なアイデアで、現実的にはいろいろ問題があることは分かっています。でも、基本的にこのやり方のメリットは非常に大きいと私は考えます。まず、このタイプの選挙に勝って議員になった人は、政治に対する心構えが変わって来ると思います。専門区で当選した議員には、これまで以上に大きな責任と使命が与えられることになるからです。なにせ年金問題について有権者に訴え、「生活」区から立候補して当選した以上、その分野で存在感を示さなければ、次回の選挙で同じ支持を得ることはおぼつかない。もちろん力量のある議員なら、自分が立った専門区以外の分野で活躍してもいいし、次回の選挙では別の専門区に鞍替えしても構いません。ただ、それでも今期間中、自分を国会に送り込んでくれた支持者たちを裏切ることは出来ない筈です。「生活」で当選した人には国民の生活が、「外交」で当選した人にはこの国の外交が、その肩に背負わされているのですから。結局のところ、政治の質を高めるには、議員ひとりひとりの質を高める他はなく、そのためには現代社会の様々な問題に対応出来るような高度な専門性を持った議員を国会に送るしかない、そう私は考えるのです。(一方、特定の専門に偏しないゼネラリストの政治家も必要だということにも私は同意します。現在の「選挙区」が彼ら議員の受け皿になってくれるでしょう。スペシャリストは専門区、ゼネラリストは選挙区という棲み分けになる訳です。)

 そしてもうひとつの大きなメリットは、有権者側の政治に対する見方も変わって来るだろうということです。これまでの比例代表では、なんとなく印象の良さそうな人を漫然と選んでいたのが(私の場合です)、これからはきちんと自分の関心のある分野について、どの候補がどういう考えを持っており、またこれまでどういう政治活動をして来たのか、調べてから投票しようという気になると思います(それでもならない人はならないだろうけど)。そしてまた、もしも自分の投票した候補が当選すれば、これからの任期期間中、その人がどういう活躍をするか、注意を持って見守って行くことになると思います。その時の評価が、また次の選挙の投票行動につながる訳です。こうして政治というものが、我々有権者にとってひとつの物語になるのですね。どうでしょう、直接民主制への第一歩として、こういう選挙制度改革案というのは?

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年6月10日 (日)

『千言萬語』

 去る6月4日は、天安門事件が起きてから18年目の記念日だったそうです。まだ18年というのが意外な気がします。私にはもっとはるか遠い過去の出来事だったような印象があるからです。この間に中国はずいぶん大きく変わったのですね。市場経済が急速に発展して、日本をも凌ぐような経済大国に成長した。もはや共産主義の国とは言えないような変化です。しかし、いくら中国経済が驚くような成長を遂げても、政治的に見ればまだこの国が共産党の独裁国家であることに変わりありません。四千年の歴史を誇りながら、いまだ一度たりとも国民による選挙を経験していない国。半世紀以上も昔に起こった民族の対立をいまだに引きずったまま、台湾海峡にミサイルを向けている国。結局、天安門事件の頃と本質的には何も変わっていないのだと思います。

 先週の土曜日に放映されたテレビドラマ、『私の家は山の向こう』は、歌手のテレサ・テンさんの物語でした。彼女が亡くなってからでも、すでに13年が経つのですね。実を言うと、この数年来、テレサ・テンは私の最もお気に入りの歌手でした。CDも30枚くらいは持っていると思います。もうだいぶ昔のことになりますが、友人が1枚のCDを薦めてくれました。テレサ・テンの最高傑作と言われる『淡淡幽情』というアルバムです。中国宋代の古い詞に、現代の台湾や香港の作曲家が曲をつけた企画アルバムなのですが、これを聴いていっぺんでファンになってしまったのです。それから日本ではあまり知られていない彼女の中国語で歌ったアルバムを集め始めました。こんなに好きになるんだったら、彼女が生きているあいだに好きになっておけば良かった。コンサートにも行けば良かった。今でも私がiPodに入れて毎日聴いているのは、自分で作った彼女のベスト・アルバムです。タイトルにした『千言萬語』というのは、その1曲目に置いた曲で、自分の中ではテレサ・テンのテーマソングのように思っている名曲です。千言、万語を尽くしても語り切れない、切ない女性の気持ちを歌った恋の歌です。

 テレサ・テン(私にとっては中国名の鄧麗君(テンリーチュン)の方が親しみが湧くのですが)は、1953年1月29日、台湾西部の雲林県で生まれました。両親は大陸から渡って来た中国人でした。長く続いた日中戦争が、日本の敗戦でようやく幕を引いたあと、中国国内は毛沢東率いる共産党軍と蒋介石率いる国民党軍の内戦状態に陥ります。鄧麗君の父親、鄧枢為はこの国民党軍の軍人だったのです。1949年、毛沢東に敗れた蒋介石は、自らの軍とその家族、合わせて二百万人もの人々を率いて台湾に渡り、そこで中華民国政府を樹立します。この時に台湾に渡った家族の中に、鄧一家もいました。テレサ・テンのこの生い立ちは、彼女の生涯を振り返る時にとても重要な意味を持つと思います。生まれた時から彼女は、政治によって分断された民族の宿命を背負っていたのです。

 テレビドラマの原作になった有田芳生さんの本を読むと、まさにテレサ・テンが〈歌の神様〉の祝福を受けたような早熟の天才だったことがよく分かります。十歳の時に初めて歌のコンテストで優勝し、十三歳で台湾のテレビ局の専属歌手になり、十七歳で香港のステージにデビューし、その後もマネージャー役だった母親と一緒にベトナム、シンガポール、マレーシア、インドネシア、タイなどをツアーで回るようになります。二十歳の時、香港のライブハウスで歌っていたところを日本人プロデューサーに見出され、日本でデビューしてから後の活躍については私たちもよく知っているところです。ただ、日本では作られた演歌歌手といった役どころを演じていた彼女が、中国語圏ではまさに国境を超えた民族歌手とでも呼ぶべき存在であったことについては、私たちはあまり知らなかったと思います。1976年に毛沢東が死に、鄧小平のもとで開放政策に転換した中国では、海外の文化の受け入れにも寛容になって行きます。そんな中でテレサの歌は、まさに燎原の火のように民衆の中に広がって行ったのです。当時の中国では、「この国は昼は大鄧(鄧小平)が支配し、夜は小鄧(鄧麗君)が支配する」なんてジョークも語られていたそうです。

 不幸だったのは、テレサ・テンの歌は、その人気の高さゆえに常に政治の道具として使われて来たことです。台湾政府は、中国本土の民衆への思想的プロパガンダのために、テレサ・テンの写真や音楽テープを風船にくくりつけ、大陸に向けて飛ばしてみたり、中国向けのラジオ放送でしきりに彼女の歌を流したりしています。これに対して中国政府は、行き過ぎた西側文化の流入を牽制するために、「精神汚染」防止キャンペーンを張り、テレサのカセットテープを集めてブルドーザーで踏みつぶすといったデモンストレーションを行なったりしている。今日の目から見れば、まったく馬鹿々々しいような話ですが、こういった現実がひとりの歌い手の内面に与えた影響を考えると、とても笑い話で済まされるようなことではないと感じます。彼女自身は、生まれ故郷の台湾を心から愛していたし、両親の故郷である中国に対する思い入れも強かった。叶うならば、自分の歌が両国の和解のための架け橋になることを願っていました。1980年代に入り、国際的な歌手に成長したテレサ・テンを、中国に呼ぼうという動きが中国国内で起こります。彼女自身も、首都北京で一番多く人を収容出来る天安門広場で、百万人を集めて無料のコンサートを開こう、そんな夢を胸に抱くようになりました。ところが、その天安門広場を舞台に次に起こったのは、民族統一のきっかけになる筈だった平和コンサートとは全く別の、あの歴史的事件だったのです。

 民主化運動を進める中国の学生デモを支援するコンサートが、香港島のハッピーバレー競馬場で開かれたのは、1989年5月の末、天安門事件の1週間前のことでした。テレビドラマを見た方は、テレサ・テンが飛び入りでこのコンサートの舞台に上がり、彼女が子供の頃にお父さんから教わった『我的家在山的那一辺(私の家は山の向こう)』を歌うのを、この時のライブ録音で聴いた筈です。中国共産党を暗に批判する内容の歌詞を持つこの歌の、最後のクライマックスに向けた彼女の歌唱には、鬼気迫るものを感じない訳にはいきません。それは間近に迫った悲劇を予感しているかのようでさえあります。実際、天安門事件では軍の発砲を受け、数百人(あるいはそれ以上という説もあります)の学生が殺されるのですが、その学生たちを死に追いやったことには、遠い安全な場所から支援のメッセージを送った自分にも責任があると、後々まで彼女は気に病むことになるのです。日本で有名な彼女のヒット曲しか知らなかった自分は、同時代を生きた人間であるのに、そんなドラマがあったことさえも知らなかった、いまはそのことを深く悔いています。

 有田芳生さんの『私の家は山の向こう』は、出版された直後に買って読み、とても感銘を受けたのですが、今回テレビドラマを見たのをきっかけに、もう一度読み直して感動を新たにしました。丁寧に書かれた、とてもいい伝記だと思います。今回のテレビ放映を機会に、この本が多くの人に読まれ、これまであまり紹介されていなかったテレサ・テンさんの素顔が、日本の音楽ファンの人たちにも広く知られるようになることを期待したい気がします。合わせて、これまで日本ではあまり聴く機会の無かった彼女の(中国語の)歌が、多くの人に聴かれるようになることを、ファンのひとりとして願ってやみません(だってほんとうに魅力的な曲がたくさんあるんですもの)。そしてこれはまったくの蛇足ですが、今回この記事を書くに当たって、数年来彼女の歌を聴き続けて来た自分が選んだ「精選曲集」のリストを作りましたので、掲載しておこうと思います。個人的趣味と言われればそれまでですが、これから鄧麗君の歌を聴いてみようという方の参考になればとても嬉しいです。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »