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2007年5月 6日 (日)

金融自由化に関する私の意見

 少し以前の話題になりますが、米国の証券会社大手ゴールドマン・サックス社の昨年末のボーナスは、日本円にして平均7200万円にものぼる金額だったそうです。一部の役員や優秀な成績を上げたトレーダーの話ではありません、日本人1千人を含む全世界のゴールドマン・サックス社の社員2万6千人の平均ボーナスが、です。なにしろ今年入社したばかりの新人にも1千万円を超えるボーナスが出たという話で、これは相当インパクトのあるニュースでした。こういう話を聞いて、「ふーん、証券会社ってそんなに儲かってるんだ、羨ましいな」なんて軽く考える人がいたら、それはちょっと呑気過ぎる気がします。何故って、このバブルマネーが一体どこから出たものなのかを考えれば、単に指をくわえて羨ましがってなどいられない筈だからです。

 金融自由化が極端に進んだ今日では、全世界の1日の金融取引の総額は、全世界の1日の実物取引の総額の100倍以上にもなるのだそうです。まさに世界全体が巨大なひとつのカジノ場と化してしまった訳で、胴元のひとつである証券会社に巨額のテラ銭が転がり込むのも当然と言えば当然です。もしもそれがマネーゲームに興じる人たちの間だけでの勝ち負けなら、どうぞお好きなだけやってくださいとも言えますが、現実はそうではありませんよね。世界中のマネーが実体経済を離れて、利を求めて文字どおり秒速で動き回る状況下では、しばしば経済的基盤の弱い国に通貨危機を引き起こし、一国の経済であってもひとたまりもなく破壊されてしまう、その実例を私たちはたびたび目撃しています。叩きのめされるのは、賭けに負けた金融ディーラーではない、常に貧しい国、貧しい階層の人々なのです。

 結局のところ、今日の経済システムが、誰を富ませ、誰から搾取する仕組みであるのかは、結果を見れば誰にでも分かることです。世界のお金は先進国の富裕層のところに集まり、そこを中継してさらに米国の大金持ちのところに吸い上げられて行く。世界経済が全体として不況に陥ったとしても、この流れは変わりません。現代の進化した金融工学の手法は、あらゆる経済の局面に備えて、リスクを最小限にして利益を最大限にすることをコンピュータを駆使して実現しているからです。1980年代に国家戦略として金融工学を高度に発展させた米国は、まさに世界の経済機構のなかに、自国向けの自動集金システムとも呼べるものを作り上げることに成功したのだと思います。(これを米国によるソフトな経済搾取の仕組みと呼ぶなら、武力と戦争によるハードな経済搾取の仕組みがもう一方にあります。フセイン政権崩壊後、誰が実質的にイラク原油の利権を握ったかを見れば、それは明らかです。) 日本でこの流れに追随したのが、小泉政権による構造改革内閣でした。一連の規制緩和や金融自由化政策によって、この国がどれほど深いところで変質してしまったか、そのことに現在の私たちは気付き始めています。

 そもそもこの世界に何も実体ある生産物やサービスを産み出さない金融取引における利潤追求を、私はインモラルなものだと思うのですが、それは富める者と貧しい者の格差を拡大するからだけでなく、この競争に参加する人たちの勤労へのモラルを著しく損傷するからです。最近は個人でもデイトレーダーと呼ばれる人たちが増え、ふつうに働いていたのでは一生手に出来ないような金額のお金を一瞬で稼いでみせたりしています。現代の社会で人々の勤労意欲を失わせている理由のひとつがこれです。実体経済の百倍のお金がマネーゲームに費やされているということは、つまり国民の真面目な勤労の価値が百分の一に減ったということです。堀江貴文氏や村上世彰氏といった人たちが時代の寵児だった頃、小泉前首相や竹中前大臣は彼らを手放しで賞賛していました。結果はおそまつな茶番劇に終った訳ですが、あの頃に対する反省を不思議と誰もしていませんよね。堀江氏や村上氏が悪人なのは、彼らが法を犯したからではない、むしろ合法的な手段を使って、この国の基盤である経済的モラルを叩き壊すという破壊行為を働いたからだ。何故そうはっきり言ってはいけないのでしょう?

 ここ何年ものあいだ、私たちはひとつの釈然としない思いを抱えて生活して来ました。それは、日本は政府レベルでも民間レベルでも、「お金に関する技術」において途轍もなく遅れていたので、アメリカ(やそれに追随する金融先進国)の「いいカモ」にされて来たのではないかということです。金融政策による攻撃は、軍事政策による攻撃のように誰の目にも明らかなものではないので、気が付いた時には取り返しのつかないほどの深手を負っているということもあると思います。日本もアメリカに負けないくらいの研究費を投じて、高度な金融工学理論とそれを応用した金融政策を実現して、これに対抗するという考え方もあるでしょう。が、私はその方向はリスクが大き過ぎると思う。何故なら、それはこの国の競争力の源泉である、国民の勤勉さや労働に対するモラルの高さを破壊する方向でもあるからです(もう既に手遅れなほど破壊されてしまったかも知れません)。これに対する政策変更は、日本を再生するための最重要な課題のひとつではないかと思います。金融自由化に関しては、日本は(戦略的に)臆病なほど慎重になって、これに歯止めをかけるべきだというのが私の意見です。

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