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2007年5月13日 (日)

憲法改正論議のポートフォリオ

 憲法記念日の朝日新聞朝刊は、紙面8ページを割いて21本もの社説を一挙に掲載するという大胆な企画でした。ふだんあまり社説というものを読まないので、今回の特集が何か新機軸を打ち出したものなのかは分かりません。それでも朝日新聞社が、おそらく社運を賭けて(?)何ものかを高らかに宣言している、そのトーンだけははっきり聞き取ることが出来ました。社説の冒頭には「地球貢献国家」などという、おそらく慎重に言葉を選び過ぎたがゆえに、インパクトが無くなってしまった平凡なキャッチフレーズが掲げられています。が、今回の文章の意図するところを深読みすれば、これは「護憲論的ナショナリズム」の宣言とでも言えるものではないかと感じました。

 これは以前にも書いたことですが、私は〈愛国心〉を唱える右派の人たちが、どうして改憲論一辺倒なのかを理解出来ずにいるのです。いまの日本国憲法を先入観なしに読めば、その前文からして私たち国民の愛国心にビンビン響いて来る文章であるように感じられるからです(前文をおさらいしたい方は、こちらをどうぞ)。でも、それは簡単な理由によるのですね、要するに愛国派の人たちは、その内容云々よりも、この憲法が占領国であるアメリカから押し付けられたという事実が気に食わないのだと思います。それでいて、アメリカとの公平ではない軍事同盟や国内の米軍基地のことには腹が立たないというのも奇妙だと思いますが、まあ、それはさておき。護憲派の自分としては、「愛国心」が改憲派の専売特許になってしまっている点に、大いに危機感を感じていた訳です(いつの時代でも、「お前には愛国心が無いのか!」というのは強烈な脅し文句ですから)。とにかく、「改憲=愛国的、護憲=非愛国的」というレッテルが貼られてしまったら、もう護憲論には勝ち目が無い。で、私自身、このブログの中では(半ば確信犯的に)「愛国的護憲論」を展開して来たのです(興味のある方は、こちらもどうぞ)。そしたら朝日新聞も同じことをやり出した。これはまずいという気がして来ました。一体何がまずいのか?

 試しにインターネットで朝日新聞の社説に対する一般のブログや2チャンネルなどでの反応を確認してみてください(検索ワードは“地球貢献国家”)。けっこうすごいことになってます。朝日新聞社のホームページにはコメント欄や掲示板はありませんが、まさにこの日の社説をめぐって、あちこちで火の手が上がっているって感じです。もちろん最近は〈ネット右翼〉というコトバに象徴されるように、インターネットの世界ではリベラルな言説よりもナショナリスティックな言説の方が優勢なのは周知の事実です。しかし、そこにだって多少は建設的な対立意見というものもある訳です。ところが今回の社説に関しては、これを熱烈に支持して、ここから議論を発展させるというスタンスのページは、ほとんど(というか全然?)見当たらない。そしてまずいことに、私のようなリベラル派で、長年にわたって朝日新聞を購読して来た者から見ても、ネット上で展開されている朝日バッシングの方に共感してしまう点があるのです。一例を挙げればこういうことです、どこかのブロガーの方がいみじくも言っていました、「朝日新聞は環境問題を争点にするなら、大量の紙資源を消費する新聞という形式を止めて、インターネットで情報を発信しろ」。まさに正論だと思います。これに対して朝日の論説委員はどう答えるのでしょう?

 私は今回の野心的な社説21連発には、基本的な戦略の間違いがあったのではないかという気がします。それはリベラルな護憲派が踏み込んではいけない論戦の領域に、自ら踏み込んでしまったという間違いです。現在、護憲派と改憲派が対立しているのは、単純に左翼と右翼の対立というようなことではなくて、もう少し複雑な構図になっていると思います。これを分かりやすく説明するために、世の中に出回っている憲法論議というものを少し整理してみましょう。私が思い付いた護憲論と改憲論の代表的な言説を、簡単なポートフォリオにまとめてみたのが下の図です(このブログに図が登場するなんて初めてですね。笑)。縦軸は議論の抽象性と具体性を表します。上が抽象的な理想論で下が具体的な現実論。横軸はナショナリズムへの傾倒を表していて、右側が強いナショナリズムの言説、左側はナショナリズムの色をあまり感じさせない言説という区分けです。まあ、私が感覚的に配置してみただけなので、信憑性のある図ではありませんが、これだけの整理でも何かしら気付くことはあります。図をクリックすれば拡大しますので、まずは眺めてみてください。

Portfolio_3

 私見によれば、今回の朝日新聞の社説特集は、最近の特に若い人たちのナショナリズムへの傾斜を、護憲論側に引き寄せる意図をもって書かれたものだと思われます。つまり、安倍内閣や多くの保守派の論客が論陣を張る「観念的な強いナショナリズム」の領域(この図の右上の部分)に、殴り込みをかけた格好です。「地球貢献国家」と言い、「国際公益の世話役」と言い、この領域に引き寄せられる人たちに向けて撒かれたビラに書かれた宣伝文句のようなものでしょう。しかしてその効果はどうだったかと言えば、インターネットの反応にも見られるとおり、効果が無いどころか逆効果だったとさえ言えると思う。これは考えてみれば当たり前の話で、いまどきこんなベタな宣伝文句に乗せられる人はそう多くはないからです。むしろ反撥を招きます。私が推奨してやまない内田樹さんに代表されるような、最近の洗練された護憲論者の人たちが、どんなに細心の工夫を凝らして、こういうストレートな恥ずかしいコトバを避けているか、朝日新聞社の論説委員の方々は、その点をよく考えてみるべきだと思います。私はかねがね、護憲派の最大の敵は護憲派内部にいると思っているのですが、大きな影響力を持つ大手マスコミが、こういう方向にまっしぐらに突き進むこと、それこそが世間が護憲論に愛想をつかす一番の要因ではないかという気さえするのです。

 理念と理念がぶつかり合うこの右上の領域は、要するに神学論争の領域です。私たちは60年も憲法論議を続けて来て、もういい加減に神学論争には飽き飽きしている訳です。だから安倍さんや中曽根さんのような、それこそベタベタなアナクロニズムの言説は、むしろそれを孤立させて、さらしものにしておけばいいじゃないか、私なんかそう思ってしまう。せいぜいそれを中立な立場からクールに茶化してみせるか(左上の領域)、現実的な立場からその矛盾を指摘してみせるか(右下の領域)、その程度で止めておくべきです。決して同じ土俵で言い争うのは得策ではない気がする。むしろこれからの憲法論議を意味あるものにして行くためには、政治的なイデオロギーとは無縁で、誰にでも分かりやすい現実論(左下の領域)に議論の軸足を移して行くことだと思います。今週も、安倍内閣が進めようとしているMD(ミサイル・ディフェンス)構想に関する、おそろしくお粗末なニュースが報じられていました(なんでも迎撃ミサイルの基地の近くに高層マンションが建つ予定があって、ミサイルを有効な角度で打ち上げられない懸念があるのだそうです。この計画って、もうそんな具体的なところまで進んでいましたっけ?)。こういう現実的な話題こそ、社説で取り上げるべきではないですか。MD構想が本当に国民の税金を費やす価値のあるものなのか、そういう論点をこそマスコミは追求して行くべきだと思います。地球貢献国家などと寝言を言っている場合ではない。

 と、ちょっとコトバが激してしまいましたが、私個人としては、今回の朝日の社説にはおおむね共感するところが多いことも最後に告白しておきます。というか、自分も同じようなことを書いて来たし、今後も書きそうな気がするので、今回の新聞特集を読んだ時の一種気恥ずかしい感じを、他山の石としてよく肝に銘じておこうと思って、今回の記事を書いておくことにしました。まだまだ国民投票までは時間があるのだし、われら護憲派はもっとクールに行かなくちゃ。

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