« ソメイヨシノに寄す | トップページ | 憲法改正問題、本土決戦へ! »

2007年4月 8日 (日)

ゲゼル思想研究日誌(3)

 格差社会の問題がマスコミを賑わせています。確かに小泉政権の時からの規制緩和政策によって、社会の格差は広がっているように見えます。特に問題なのは、「希望格差」といったコトバにも表されているように、経済的に豊かな家庭と貧しい家庭の間には、単に現在の生活レベルの差だけではなく、将来の希望においても大きな格差が生まれているという点です。裕福な家庭は、子供の教育にも充分なお金をかけられるので、必然的に子供は高学歴・高収入の人生を歩みやすい、一方貧しい家庭では、子供に満足な教育も与えてやれないので、代が替わっても貧困を再生産して行くしかない。階層が固定化する傾向は、はっきり統計にも表れているそうです。結果の平等のみならず、機会の平等までもがはげしく損なわれているのです。おそらくいま、国民のおおかたのコンセンサスは、努力をした人や能力がある人が報われる社会は望ましい、但し誰もが同じスタートラインに立てない世の中はおかしい、このあたりだと思います。誰もすべての格差を無くせと言っている訳ではない。しかし、この点を政策によって是正するのは、非常に難しいことだという気がします。何故なら、スタートラインにおける格差の最たるものは、収入の格差以上に資産の格差だからです。誰もが同じスタートラインに立てる世の中を実現するためには、資産の所有と相続を廃止するか制限するかして、世帯間の資産格差を無くさなければならない。

 土地や生産財などの私有を廃止したのは、共産主義の社会でした。私たちはソビエト連邦の崩壊や、共産主義の国々で起こっている官僚の腐敗などについて、この目で見て知っているので、いまさら共産主義に二十一世紀の希望があるなどとはつゆ信じていません。日本でも共産党の凋落ぶりは目をおおうばかりですが、何故こんな時代になっても共産党はその看板を替えないのだろうと思うのは、私だけではないと思います。私は若い頃から、経済成長よりは福祉優先、競争よりは協調を、という〈左寄り〉の思想の持ち主でしたから、弱肉強食のアメリカ型資本主義には強い反感を持っていました。その一方で、全共闘世代よりも後に生まれて来た人間にとっては、マルクス主義という選択肢も最初から無かったのです。で、選挙権を持つ年齢になってみると、自分が投票すべき政党が見当たらないことに気が付いた。ちょうど今日は統一地方選挙の日でしたが、その状況が現在に至るまで続いているのです。まあ、自分のここ三十年間の投票行動を振り返ってみれば、アメリカの傀儡政権のような自民党もイヤ、ソビエトをまだどこかで信奉しているような共産党もイヤというわけで、仕方無くその中間あたりにいるような社会党や、社会党が無くなってしまった後には社民党あたりに一票を投じて来たわけです(もう投票時間は終ったから、具体的な政党名を書いてもいいよね?)。しかし、決してそれは自分として納得出来る一票ではなかった。何故三十年間も待ったのに、自分の思いを託せるたったひとつの政党さえ現れないのだろう? いや、それ以前に、資本主義も嫌い、共産主義も嫌いという自分自身の政治的な理想って、いったい何なのでしょう?

 またつまらない前フリが長くなってしまいました。だから今年の初めにシルビオ・ゲゼルという人のことを知った時には、これこそ自分が三十年間探し求めて来たものかも知れないという啓示のようなものを感じたのです(ちょっと大袈裟かも知れませんが)。ゲゼルの貨幣理論については、すでにこのブログで何度も取り上げていますが、今回考察してみたいのはその土地理論についてです。前回も書いたように、ゲゼルの土地理論は「自由土地」という概念に集約されています。これは主著の『自然的経済秩序』の第2章にまとめて論じられていて、これを通読すれば概要が分かるようになっています。(第2章の冒頭は講演緑で、これはちょっと読みにくいので、興味のある方は第2章第2節の「自由土地ということばの意味」から読み始めることをお勧めします。それにしても、こんな貴重な文献をインターネットに無償で公開してくださっている岩田憲明さんと廣田裕之さんに感謝です。) ひと言で言うならば、自由土地というのは土地の国有化を前提とした理論です。ゲゼルの「自由貨幣(減価する貨幣)」の着想に感動した私は、最初「自由土地」の説明を聞いてもピンと来ませんでした。土地の国有化と言えば、大嫌いなマルクス主義を思い出しますし(笑)、だいたい現代の高度に発展した資本主義社会で、そんなことが可能である筈がない。ところがゲゼルさんの主張をよく読んでみると、これが結構現実的で、あながち夢物語でもないような気がして来るのです。

 自由土地の考え方が、マルクス主義で言う土地の国有化と異なる点は、大きく言ってふたつあると思います。ひとつ目は、国が管理する土地は自由な入札によって民間に貸し出され、そこで自由な生産活動のために供されるという点です。決して計画経済や統制経済といったものが始まる訳ではなく、市場の自由な競争が保証されるのです。基本的にシルビオ・ゲゼルという人は、健全な市場原理というものを信じていた人で、その点で現代の我々にも理解しやすい思想家だと思います。ふたつ目は、土地を国有化するに当たっては、地主に対してその充分な対価が支払われるという点です。マルクス主義のように、革命や階級闘争によって暴力的に土地が奪取されるという思想とは対極的です。もちろん一時的に国の財政には大きな負担がかかる訳ですが、国有化後は民間からの地代がコンスタントに国庫に入って来る訳で、ゲゼルさんの試算では約20年で土地の接収費は回収出来ると言います。もちろん、二十世紀初頭のドイツと現代の日本では、土地の値段がそもそも違いますし、それでなくても巨額の赤字を抱える日本政府に、そんな費用が捻出出来る訳はない。しかし、土地が毎年5%の利益を上げれば、20年でペイするという計算はいつでも成り立つ訳だし、土地の接収を段階的に進めて行けば、やがては国土全体を国有化出来るという見通しは立つかも知れない。現在でも地主の人たちは、高い固定資産税や相続税によって国からの搾取を受けていて、土地を孫子の代まで安泰に引き継いで行くことは難しい訳ですから、条件によっては国に土地を売却してしまった方が得だという計算も成り立ち得るでしょう。我々のような小作人、じゃなかった借地人にしても、国有化で土地の値段の乱高下が無くなれば、暮らしも安定するし、精神的にも安心して生産活動にいそしめるというものです。1990年代のような、バブル崩壊の悪夢も、二度と見なくて済みますね。

 どんな時代でも、改革というものが難しいのは、既得権益を持つ人たちの抵抗に遭うからだと思います。多くの場合、既得権にしがみつく人というのは、他のもっと有利な選択肢が示されても、それを冷静に比較考量することはしないものです。しかし、今の自民党政権もそうですが、改革を推し進めようとする政治家は、それを丹念にねばり強く説明して説得して行くしかないと思います。私はゲゼル思想の全体を、こうした私たち自身が持つ保身的で狭量な視界を打ち破るものとして受け止めます。もしも自由貨幣が実現すれば、金利生活者の人たちにしてみれば既得権を奪われることになる訳で、抵抗するのは当然です。が、自由貨幣の経済のもとでは市場が驚くほど活性化し、そこで実現される豊かさを最初に享受出来るのは彼らお金持ちの人たちなのです。もしも自由土地を実現しようとすれば、地代で生活している人たちは既得権を奪われる訳で、彼らが抵抗するのは当然です。が、自由土地の国家では財政が驚くほど安定し、もう子や孫への相続のことなどで心配する必要も無くなるし、社会全体として次の世代に明るい未来を遺すことが出来るようにもなる。それは自分の子や孫だけが特権的に幸福であるような世の中よりも、ずっと好ましいものである筈です。こういう前向きな楽天主義が、ゲゼル思想の魅力の本質だと私は考えます。それは暴力的なマルクスの革命理論と違って、なんと自分の心にしっくり来るものだろう。

 現代において、多少でも理想主義的なものの考え方は、十羽ひとからげに「左翼的」というレッテルを貼られ、共産主義の暗いイメージを押し付けられて、論難されるよりもむしろ嘲笑される傾向にあると思います。これが理想主義の元気を奪っているのです。だとすれば、やはりマルクス主義というものの罪は重かったと思わざるを得ない。私はマルクス思想の最大の誤りは、人間の社会が本質的に持っている矛盾を、資本家対労働者、地主対小作人、あるいは特定の階級同士の対立として、外部的にのみ捉えたところにあるのではないかと思っています。二十一世紀の私たちは常識として知っている訳です、迫害された側が権力を握れば、今度は自らが迫害者に変身するし、プロレタリアート独裁が成就すれば、今度はその中から特権階級が生まれて来ることを。むしろ対立は、私たちひとりひとりの心の中にこそあると捉えた方が、現代の常識には適っていると思います。どんな人だって程度の差こそあれ、何かの既得権益は持っている訳だし、それがすべて悪いとは言わないけれど、その裏で誰に負担を押し付けているかを想像することは出来る。小泉前首相は、構造改革の痛みに国民みんなが耐えて欲しいと訴えました。私たちはそれを覚悟して受け入れたと思います。ところが現実には、痛みはみんなに平等にはやって来なかった。一部の人たちが規制緩和の波に乗って、この世の春を謳歌している裏では、ワーキングプアと呼ばれる層の人たちが増加し、毎年三万人の人たちが自殺に追い込まれている。私は小泉さんの言葉にウソがあったというよりも、方法論に間違いがあったのではないかと思うのです。すなわち、ひとりひとりが小さな痛みに耐えることで社会の問題を解決して行けるなら(もちろんあんまり大きな痛みは嫌だけど)、日本人はきっとそれに耐えるでしょう。しかし、そういう〈仕掛け〉を政府は提供して来ませんでした。そしてこの観点から「自由貨幣」と「自由土地」の思想(合わせて「自由経済」と総称されます)を捉え直してみると、今の日本にとって非常に有望な思想ではないかと思えて来るのです。

|

« ソメイヨシノに寄す | トップページ | 憲法改正問題、本土決戦へ! »

コメント

おおっ、きましたね自由土地!

段階的に導入を進めるという考えに私も賛成です。
土地は自由入札制であった方が良いという点は、地方自治体ほど賛成するのではないかと思います。空店舗だらけになった駅前アーケード街などを見れば、その利点は明らかでしょう。

検討しなければならないのは、一度自由入札で決定した地代をどのように見直すのか、という点かと思います。自由競争という点では毎年入札を行い、最高額を入札した者が「代わりに入居」ということになるかと思いますが、当然それでは怖くて建物も建てられません。借主の権利を保護する必要がありますが、あまり保護機関を長くしても自由競争の恩恵を受けにくくなりますし、短くするとやはり安定さを欠きます。

しかし、それでも尚、様々な恩恵が考えられます。
今、財政難で自治体保有の土地を売却するような例がうちの地元でも見られるのですが、法律を変えさせてでも(現在は「土地評価額の4%」のように固定で決められている)、地代を自由入札で決定させる方式を取り入れ、利用を活性化させるべきだと思っています。

ゲゼルに話を戻すと、私は土地の地代を原資とした「母親年金」というゲゼルの考え方に大いに共感しています。これこそまさに今、教育問題や少子化問題、ワーキング・プア問題等に対して有効な政策だと思っています。

本当に、今、ゲゼルの考え方を標榜する政党が存在しない事に疑問を感じます。

投稿: chikura | 2007年4月 8日 (日) 21時40分

chikuraさん、コメントありがとうございます。

日曜日の選挙の結果はがっかりでしたね。もう少し有権者の意識も向上しているのではないかと思っていたのですが、なんだか時代が半世紀くらい逆戻りしてしまったのではないかという気分です。ドイツには、ゲゼルの考え方を支持する緑の党という政党があるそうですが、日本でこういった思想が多くの人に理解を得られるのは、いつのことになるのでしょう。

『自然的経済秩序』を読むと、ゲゼルが考えていた国による土地の貸し出しというのは、1年から終身までという範囲を持ったもののようで、賃借人が希望すれば子供や未亡人にも優先的に権利が引き継がれるもののようです。日本の借地権にも同じような性格があると思いますが、借り主に有利な仕組みのようですね。ゲゼルが主に考えていたのは農業や鉱業などに向いた土地ですから、現代の都市部での商用地などでこの仕組みを取り入れる場合のことは、私たちが別途考えなければならないテーマだと思います。

http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo2-3-jp.html

そう、「母親年金」の思想は私もとても魅力的だと思います。chikuraさんのおっしゃるとおり、少子化問題や母子家庭の問題へのひとつの解答になるかも知れませんね。これも次に考察すべきテーマだと思います。まあ、今の政治や経済の状況を真面目に考えると気が滅入るばかりですから、五十年先に焦点を当ててゲゼル主義の可能性をもう少し考えてみることにしましょう。ぜひまたご意見をお聞かせください。(スパム・コメントばかり多いので、chikuraさんのコメントに気付くのが遅くなってしまいました。)

投稿: Like_an_Arrow | 2007年4月10日 (火) 06時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138790/14605839

この記事へのトラックバック一覧です: ゲゼル思想研究日誌(3):

« ソメイヨシノに寄す | トップページ | 憲法改正問題、本土決戦へ! »