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2007年4月 1日 (日)

ソメイヨシノに寄す

 桜が満開です。これも地球温暖化の影響か、東京では例年よりも一週間ほど早い開花なのだそうです。住んでいるアパートの前には見事な桜並木があって、道行く人々の表情もいつもと違って見えます。足どりもいつもよりゆったりしているようです。私は梅の花と桃の花の区別もつかないほど無粋で風流を解しない人間ですが、やはり桜の季節だけは格別なものを感じます。花を見てこんなに心がさわぐなんてことは、一年のうちにこの時期しかありません。桜の花は私たちの心に何かを呼び覚まし、その美しさ、はかなさで私たちの心を浄化してくれる。この桜が咲く一週間ほどのあいだ、きっと日本中で、いじめも夫婦喧嘩も殺人事件も、ふだんより少しは数が減っているような気さえします。不思議ですね。単純に心が浮かれているだけではないのです。たとえば西行法師の有名な、『願はくは花の下にて春死なん』という歌のことを思い出し、自分もあと何回この桜をながめることが出来るのだろうかと考えている。自分が日本人であることを最も痛烈に意識するのがこの季節でもあります。

 私たちが街の中でよく目にする桜は、ソメイヨシノという品種で、これは日本人が古来愛して来た桜とは別ものなんだそうです。最近の新聞記事で、ソメイヨシノの遺伝子解析から、その交配元になった品種がはっきり特定出来たという話を読みました。それは江戸時代末期に日本で作られた園芸品種だったという従来の定説を、裏付けるものであったようです。私は若い頃、小林秀雄という人の文章にとても強い影響を受けたのですが、その小林秀雄がソメイヨシノのことをさんざんこきおろしています。確か誰かとの対談の中で、本居宣長の有名な歌を引き合いに出しながら、「あんな下品な花に朝日がさしても何の風情も無い」というようなことを言っていました。私はいま、愛用のシグマリオンを持ち出して、満開のソメイヨシノの下でこの原稿を書いています。で、思うのです、いったいこの花のどこが下品なんだろう、と。小林秀雄の文章には、恐ろしく深い洞察や心を打つ表現が随所に散りばめられていますが、一方で読者の神経を逆撫でするような言葉も数多く置き去りにされています。若い頃の自分は、それも鋭い批評精神の妥協しない表現なのだろうと思い、自分の心を傷つくに任せていたこともありました(なにしろ耽読していましたから)。しかし、歳をとってわがままになってくると、こういった思いやりの無い文章は自然に読み飛ばせるようになって来ました。おそらくそれは小林秀雄という文学者の、唯一の欠点だったのではないかと今では思っています。だからソメイヨシノが下品な花だなどという言葉も、いまは自分の前を素通りして行くだけなのです。

 現在の日本で、ソメイヨシノが桜の代表的な品種になってしまったのは、何よりもその生育の早さと手入れの容易さに理由があるようです。日本古来の原生種であるヤマザクラやエドヒガンなどは、植えてから花を咲かせるまでに長い年月がかかる上に手間もかかる。とても明治以降の我が国のあわただしいスピードには合わなかったようです。しかも、ソメイヨシノの場合、花を咲かせてから一週間くらいで散ってしまう。この花のいのちの短さも桜の特徴だと思っていたのですが、他の種類の桜ではそんなに開花期間が短い訳でもないようです。軍歌『同期の桜』にもあるような、散りぎわのいさぎよさを愛でる風潮も、ソメイヨシノとともに始まったのですね。その美化されたイメージとともに、多くの若者が戦地に送られ、実際に桜のように散ってしまった。その歴史を過去に持っている私たちは、古代の人たちとはまた違った意味で、深い無常観を桜の花に感じてしまうのかも知れません。

 考えてみれば、子供の頃から自分が見て来た桜は、ほとんどがソメイヨシノでした。つまり、自分にとっては桜と言えばソメイヨシノのことを指すのです。入学や卒業、たくさんの出会いや別れ、そこには様々な個人の思い出がつまっています。それは現代の日本人の多くに共通する思いでしょう。日本の歴史の中では比較的新しいものかも知れないけれど、個人の歴史として見れば、私たちは最初からソメイヨシノの咲く国に生まれて来たのです。たとえ西行や芭蕉や宣長の見た桜が、いま自分の見ている桜とは別ものだったとしても、そして彼らの繊細な感受性が体験したところを、自分が追体験することなどはとても不可能だったとしても、私は信じます、いま自分がソメイヨシノを見ながら感じているこの気持ちの高まり、この胸苦しいまでの感動は、やはり日本人が古代から培って来たものの延長線上にあるのだと。いや、なんだか妙に感傷的なことを書いていますね。これも桜の花の魔法にかかっているのだと思って、大目に見てください。さあ、早いとこ原稿を投稿してしまって、これから家族で花見にでも行くことにしましょう。

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