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2007年4月22日 (日)

戦争を語り継ぐプロジェクト

 他の新聞にも同じような企画があるのかも知れませんが、私の購読している朝日新聞では、毎月1回「語り継ぐ戦争」と題して、読者からの戦争体験談を掲載しています。当然のことながら、投稿者の方の年齢は高く、今週月曜日に掲載された記事の中でも、八編のうち五編が八十代の方からの投稿でした。私は新聞の読者投稿欄の愛読者で、特に戦争体験談が掲載されている日の朝刊は襟を正すような気分で読んでいるのですが、この好企画もあと十年は続けられないのではないかと思います。

 どんな歴史上の大事件でも、時が経てばそれを実際に体験した人は死んで行ってしまい、事件の記憶が薄れて行くことは仕方の無いことです。関ヶ原の戦いは誰もが知る歴史上の大事件で、これに関する小説や研究論文も多いと思いますが、当然のことながらそれを実体験として語り継ぐ人は現在どこにもいない。早晩、第二次世界大戦に関しても同じことが起こるでしょう。あれだけの大事件でも、やがては歴史の中に埋もれて行ってしまう。戦争を語り継がなければならないと言っても、それはせいぜい子や孫の世代くらいまでのことで、そこから先は歴史教科書で知るだけの事実に落ち着いてしまうのです。いや、すでに記憶が風化して来ているからこそ、戦後生まれの若い政治家たちは、憲法改正だとか日本の核武装だとか、勇ましいことばかり言っているのでしょう。

 しかし、私はまた、第二次世界大戦(正確には日中戦争および太平洋戦争のことですが)は、過去に日本が関わったいずれの戦争とも明らかに異なる、特別な戦争だったような気がするのです。それはこの戦争ほど、膨大な記録が残され、たくさんの体験談や証言が語られて来た戦争は無かったという点においてです。もしも邪馬台国の時代から第一次世界大戦に至るまでのすべての戦乱や戦争の記録をテキストファイルにまとめたとしても、ファイルのサイズとしては、第二次大戦に関する膨大なテキストデータの1パーセントにも満たないものであるに違いありません(計算した訳ではないですけど)。その多くは活字にもなっています。試みにいまインターネット書店のアマゾンで、「戦争体験」というキーワードで検索をかけてみると1619件のヒットがありました。むろんそのほとんどが第二次大戦での戦争体験記です。そしてその多くが今では絶版になっています。(もともと戦争体験記をまとめたような本は、小さな出版社が発行した小部数のものが多いのです。) これに加えて新聞・雑誌の投稿記事のような、単行本にならなかった記録はもっと多いでしょうし、一度も活字になったことすらない個人の日記や手紙などはさらにたくさんあるに違いない。私はこれを将来のために残しておくことは、とても大事なことではないかと思うのです。例えば、関ヶ原の戦いに参戦した西軍の足軽、なんのたれべえの自筆の参戦記がどこかの旧家から発見されたとすれば、それは結構重要な歴史資料になりそうじゃないですか。たまたま数が多くて、ありふれているからと言って、兵隊に行ったおじいちゃんの戦時中の日記が軽んじられていいということはありますまい?

 先日のニュースで、沖縄戦での住民の集団自決について、教科書から「軍に強制された」という表現が削除されたことが問題にされていました。従軍慰安婦問題についても、安倍首相が同じような発言をして世界中から非難を浴びたばかりです。こういう話を聞くと、私は心底がっかりするのですが、それではこういう問題について自分自身がはっきりした定見を持っているかというと、決してそうとは言えません。集団自決や従軍慰安婦の問題については、知識としては知っていても、それを実際に体験した人の記録を読んだことがないからです。集団自決の問題に関心を持った人が、最も手に入れやすく最初に読むであろう文献は、例えば大江健三郎さんの本や曽野綾子さんの本だと思います。従軍慰安婦の問題であれば、吉見義明氏の本や泰郁彦氏の本ということになるのでしょうか(amazonがそれをリコメンドしていますから)。しかし、最初にこれらの本を読むということは、著者の強烈なイデオロギーの世界に連れて行かれることでもある訳で、特に若い人への読書のガイドラインとしては好ましいものではないような気がします。むしろ歴史を学ぶ人は、初めは事件の渦中にいた人の生の声になるべく多く接し、それを自分なりに咀嚼した上で歴史解釈の文献に進んだ方がいいと思う。ところが、こんな情報化時代にあっても、この「生の声」を探し当てるのがなかなか大変なんですね。先ほども書いたように、それらは多く読み捨てられ、情報として散逸してしまっているからです。日本の著作権法では、著者の死後五十年で著作権が切れることになっています。もう戦争が終って六十年以上が経ったのだから、戦争に関する第一次史料は無償で公開する方向で各出版社や新聞社は検討してみたらどうでしょう。版権の問題はあるかも知れませんが、もともと出版してもそんなに売れる見込みの無い本でしょう? 従軍慰安婦は軍が連行したのか、集団自決は軍の強制によるものだったのか、南京大虐殺というのはどこまでが真実なのか、こういう問題について論じている文章を読むと、筆者はほぼ例外なく右翼か左翼かのどちらかです。とにかくイデオロギーが先にある。これは虚しいことだと感じます。そういった先入観無しに、もっと手軽に戦争の体験記録や証言集が読めるようにならないものだろうか。せっかくこれだけインターネットが普及したのに、本当に必要な情報へのアクセシビリティが不足していると感じます。

 もしもあの戦争の全記録が、テーマや年代別に整理されて、インターネット上で自由に閲覧出来るようになったとしたら、それはこれからの若い世代の人たちにとってどれほど価値ある贈り物になることでしょう。この企画を実現するには、今がラストチャンスのような気がします。いまこそ戦争記録を網羅的に収集して編纂する国家的なプロジェクトを立ち上げるべき時ではないでしょうか。きっと今日も戦争体験者のご老人がどこかで亡くなり、貴重な日記や手紙が無残にも廃棄されてしまっているに違いない。たとえ日本の歴史がこの先何千年続こうが、あれだけの体験はもう二度と出来ないのですから、これ以上貴重な証言や記録が磨滅しないうちに、デジタルデータとして保存しておくべきだと思います。もしも日本政府がやらないなら、どこかのNGO団体がやるしかない。私はこの事業を、今年から定年退職の時期を迎える団塊の世代の人たちに担って欲しい気がします。団塊の世代が何故〈団塊〉なのかと言えば、敗戦後の日本を復興させるために、戦争で生き残った人たちが産めよ殖やせよと子供をたくさん作ったからです。つまり団塊の世代というのは、戦後復興の担い手としての使命を最初から背負わされて生まれて来た世代だったのです。そして確かに彼らの奮闘もあって、日本は世界中が目をみはるほどの見事な復興を遂げました。あともうひとつ団塊の世代に託された使命があるとすれば、あの戦争を経験しなかった最初の世代として、それを客観的な目で評価し、記録として後世に残して行くことだと思います。戦後まもなく生まれた彼らには、戦争を生きのびた復員兵を父親に持つ人たちも多い筈です。まずはご両親の話を聞く(または遺稿を読む)ことから始めませんか。思えばこの六十年、あなたがたはあまりに忙し過ぎて過去を振り返るゆとりさえなかった。でも、これからはゆとりが出来るのじゃないですか。確かに大変な労力であるには違いありませんが、誰かがやらなければならない事業です。あとに続く我々世代も、順次これに合流して行きますから、どなたかこの世代を超えた一大プロジェクトに着手しようという方はいらっしゃいませんか?

(追記です。インターネットを検索していて、戦争体験の文章を集めたリンクページを見付けました。リンク集ですから、情報の評価や整理を自ら行なっている訳ではありませんが、今回私が感じたような情報不足に対する不満をある程度解消してくれるだけの充実した内容のページです。更新も頻繁に行なわれているようです。おすすめのページとしてご紹介しておきたいと思います。)

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