« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月29日 (日)

アメリカに土下座する韓国市民

 アメリカで起こった銃乱射事件について、韓国人コラムニストの方が書かれたこんな記事を読みました。不思議に心がさわぐ内容の記事だったので、今回はこれについて少し考えてみようと思います。まずは記事の冒頭部分を引用します。

 『米バージニア工科大学での銃乱射事件は、米国はもちろんのことだが、韓国をも震撼させた。
 「犯人は中国系」──。そう見られていた頃までは、乱射事件に関連してジョージ・ブッシュ大統領を皮肉る漫画評論が新聞に掲載されるくらいで、韓国内では“対岸の火事”を眺めるような雰囲気があった。だが、「犯人の国籍は韓国」ということが判明するやいなや、韓国内の空気は凍りつき、韓国人はパニック状態に陥った。
 ノ・ムヒョン大統領は米国に対する謝罪コメントを3回も出した。駐米韓国大使は在米韓国人の集会において、「32日間の断食」に入って悔い改める気持ちを米国民に示そうと提案した。政府は大統領特使や弔問団を送る計画を立てた。ソウル市内の米国大使館前では、市民団体の人々が泣きながら土下座で謝罪した。枢機卿の呼びかけで被害者を弔う集会が各地で開かれた。』(アン・ヨンヒ『銃乱射事件ショックに揺れる韓国』より)

 むろん事件そのものの衝撃は大きかった訳ですが、私がこの文章を読んで胸を衝かれた思いがしたのは、韓国の人々のこのいじらしいまでの心理的反応のなかに、日本人がすでに失ってしまったものの存在を濃厚に感じたからです。仮にこの事件を起こしたのが在米の日本人学生だったとしたら、私たちは赤坂のアメリカ大使館の前に集まって、「泣きながら土下座で謝罪」することまでしただろうか? たぶんしなかったと思います。たとえ犯人が日本人だったとしても、個人の犯罪行為に日本国民全員が連帯責任を負う必然性はない訳だし、それは個人主義が徹底しているアメリカ人から見れば、却って奇異なことであるに違いない。むしろそうした集団ヒステリーは、ひとりひとりが自立した「個」となりえていない未熟な国民性の現れとも言えるのではないだろうか。この点で、今回の事件は、韓国人の未成熟な国民性をはしなくも露呈させた、そんなふうにコメントする評論家の先生もいるかも知れません。が、私はこういったクールな見方は、端的に言って間違いだと思います。

 いくら現代の民主主義を支えているものが、欧米流の個人主義だと言っても、人間は決して個人で生まれて個人で成長して行く訳ではありません。もしも自分の子供がよその子をいじめて怪我をさせたとすれば、親として責任を感じなければいけないし、謝罪もしなくてはいけない。こんなことは当たり前のことで、洋の東西など関係ないと思います。もしも自分の学校の生徒が他校の生徒に集団暴行を加えて、傷害事件にまで至ったとすれば、その学校の校長先生は、公式に謝罪をして事件の原因究明に当たらなければいけない、これも当然のことです。そうやって個人の道徳的意識を拡大して行くことを成熟と捉えるならば、自国の同胞が犯した犯罪に対して責任を感じた韓国の人たちの心根は、決して未熟なものでも古くさいものでもなく、むしろ進化した個人主義の証と言えるかも知れません。ちょっと論理に飛躍がありますか? でも、自分の行動の責任を自分で取ることが個人主義の最低限のルールだとすれば、自分以外の者の行動に対しても責任の一端を負うことは、進化した(拡大した?)個人主義のあり様だと言っても良さそうではないですか。それがさらに拡大すれば、国を超えて全人類としての責任感であるとか罪悪感であるとかにまで行き着ける可能性もあります。「人類としての罪悪感って、いったい誰に対する罪悪のこと?」 もちろんそれは貧しい国で餓死して行く子供たちへの罪悪であり、破壊された地球環境を押し付けられる我々の子孫に対する罪悪のことです。私は西洋流の個人主義もいいけれど、むしろこれからの時代に必要なのは、こういった一種のアジア的な(?)、「汎個人主義」といったものではないかと考えています。これはとても古い価値観であると同時に、今日の我々の目には結構新鮮に映るもののようにも思えるのです。

 1891年(明治24年)の5月、日本を訪問中だったロシア皇太子ニコライが、滋賀県の大津で乱心した警察官に斬り付けられるという事件が発生しました(大津事件)。事件の報道は日本中に激震を走らせ、治療中だったニコライのもとには、全国から1万通を超えるお詫びとお見舞いの電報が届いたと言います。そればかりか、事件から9日後には、謝罪の遺書を残して京都府庁の前で自害する若い女性まで現れたのです。日本にもそういう時代があったのですね。自害というのは行き過ぎだとしても、国民のあいだから自然なお詫びの心がほとばしり出て来ることは、とても好ましいことのような気がします。最近はテレビカメラの前で偉い人たちが毎日のように謝罪のお辞儀をしていますが、本当に心からお詫びの気持ちが伝わって来ることなんて皆無ですよね。だから私は今回の記事を読んだあと、なんだかノスタルジックな気分も手伝って、韓国の人たちがとても羨ましく思えたのです。こういう純真さを日本人はいつから無くしてしまったのだろう? いや、それはおそらく現代の日本人の心の中にだって残っているものかも知れません。先日、日本国内でイギリス人の若い女性が殺害された事件がありました。あの事件のニュースを聞いた時、あなたはどういうことを感じましたか? 私も含め、きっと多くの国民は、日本人として殺された女性とそのご両親に対して申し訳なく感じたのではないかと思います。これがふつうの日本人の男女間で起こった事件であれば、我々は別にそんなものを気にも止めません。こんな国際的な時代なのだから、たまたま国籍の違う人同士のあいだで起こった殺人事件だからと言って、心の中でナショナリズムを発動させる必要は無い、理知的な判断は自分にそう言い聞かせます。でもそんなことを言ってみても無駄です。心の中から湧き起こって来るこの自然な道徳的感情を、理屈で押し殺すことは出来ないからです。

 米国を訪問した安倍首相は、従軍慰安婦問題についての謝罪を正式に述べたそうです。それがまた愛国派の人たちの反撥を呼んでいるようですね。私はそのスピーチをテレビで見た訳ではありませんが、どうせ口先だけで、まごころのこもったお詫びの言葉が安倍さんの口から出た訳ではないでしょう(だってこの人は心の中にお詫びをする気持ちなんて、はなから持っていないのだから)。日本は先の戦争で犯した様々な罪悪について、これまでにも何度となく謝罪をし、賠償金も支払って来ました。それなのに何故中国や韓国の人々はいつまでも日本を赦してくれないんだろう? その答えを今回の事件でソウル市民の人たちが身をもって教えてくれた訳です。謝罪をするということは、口先だけで謝ることでもお金を支払うことでもなく、ぼろぼろと涙を流し、額を大地に打ちつけて、心の底から謝ることなのだ。まあ、こんなことを書けば、愛国派の人たちから猛反撥を食らうことは必至ですが(いや、このブログには読者がほとんどいないので、反撥を受けることもないのが寂しいところですが…。苦笑)、これは実は日本人が今後アジアの中で生きて行くために学ばなくてはならない社交技術であるような気がするのです。私たちは、みな長い歴史の中で培われて来た儒教的な道徳観を根っこのところで共有している訳です。それを古い価値として捨て去るのではなく、新しい時代に合わせたものとして練り直して行くこと、それこそが二十一世紀のアジアン・ウェイにつながるのではないでしょうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年4月22日 (日)

戦争を語り継ぐプロジェクト

 他の新聞にも同じような企画があるのかも知れませんが、私の購読している朝日新聞では、毎月1回「語り継ぐ戦争」と題して、読者からの戦争体験談を掲載しています。当然のことながら、投稿者の方の年齢は高く、今週月曜日に掲載された記事の中でも、八編のうち五編が八十代の方からの投稿でした。私は新聞の読者投稿欄の愛読者で、特に戦争体験談が掲載されている日の朝刊は襟を正すような気分で読んでいるのですが、この好企画もあと十年は続けられないのではないかと思います。

 どんな歴史上の大事件でも、時が経てばそれを実際に体験した人は死んで行ってしまい、事件の記憶が薄れて行くことは仕方の無いことです。関ヶ原の戦いは誰もが知る歴史上の大事件で、これに関する小説や研究論文も多いと思いますが、当然のことながらそれを実体験として語り継ぐ人は現在どこにもいない。早晩、第二次世界大戦に関しても同じことが起こるでしょう。あれだけの大事件でも、やがては歴史の中に埋もれて行ってしまう。戦争を語り継がなければならないと言っても、それはせいぜい子や孫の世代くらいまでのことで、そこから先は歴史教科書で知るだけの事実に落ち着いてしまうのです。いや、すでに記憶が風化して来ているからこそ、戦後生まれの若い政治家たちは、憲法改正だとか日本の核武装だとか、勇ましいことばかり言っているのでしょう。

 しかし、私はまた、第二次世界大戦(正確には日中戦争および太平洋戦争のことですが)は、過去に日本が関わったいずれの戦争とも明らかに異なる、特別な戦争だったような気がするのです。それはこの戦争ほど、膨大な記録が残され、たくさんの体験談や証言が語られて来た戦争は無かったという点においてです。もしも邪馬台国の時代から第一次世界大戦に至るまでのすべての戦乱や戦争の記録をテキストファイルにまとめたとしても、ファイルのサイズとしては、第二次大戦に関する膨大なテキストデータの1パーセントにも満たないものであるに違いありません(計算した訳ではないですけど)。その多くは活字にもなっています。試みにいまインターネット書店のアマゾンで、「戦争体験」というキーワードで検索をかけてみると1619件のヒットがありました。むろんそのほとんどが第二次大戦での戦争体験記です。そしてその多くが今では絶版になっています。(もともと戦争体験記をまとめたような本は、小さな出版社が発行した小部数のものが多いのです。) これに加えて新聞・雑誌の投稿記事のような、単行本にならなかった記録はもっと多いでしょうし、一度も活字になったことすらない個人の日記や手紙などはさらにたくさんあるに違いない。私はこれを将来のために残しておくことは、とても大事なことではないかと思うのです。例えば、関ヶ原の戦いに参戦した西軍の足軽、なんのたれべえの自筆の参戦記がどこかの旧家から発見されたとすれば、それは結構重要な歴史資料になりそうじゃないですか。たまたま数が多くて、ありふれているからと言って、兵隊に行ったおじいちゃんの戦時中の日記が軽んじられていいということはありますまい?

 先日のニュースで、沖縄戦での住民の集団自決について、教科書から「軍に強制された」という表現が削除されたことが問題にされていました。従軍慰安婦問題についても、安倍首相が同じような発言をして世界中から非難を浴びたばかりです。こういう話を聞くと、私は心底がっかりするのですが、それではこういう問題について自分自身がはっきりした定見を持っているかというと、決してそうとは言えません。集団自決や従軍慰安婦の問題については、知識としては知っていても、それを実際に体験した人の記録を読んだことがないからです。集団自決の問題に関心を持った人が、最も手に入れやすく最初に読むであろう文献は、例えば大江健三郎さんの本や曽野綾子さんの本だと思います。従軍慰安婦の問題であれば、吉見義明氏の本や泰郁彦氏の本ということになるのでしょうか(amazonがそれをリコメンドしていますから)。しかし、最初にこれらの本を読むということは、著者の強烈なイデオロギーの世界に連れて行かれることでもある訳で、特に若い人への読書のガイドラインとしては好ましいものではないような気がします。むしろ歴史を学ぶ人は、初めは事件の渦中にいた人の生の声になるべく多く接し、それを自分なりに咀嚼した上で歴史解釈の文献に進んだ方がいいと思う。ところが、こんな情報化時代にあっても、この「生の声」を探し当てるのがなかなか大変なんですね。先ほども書いたように、それらは多く読み捨てられ、情報として散逸してしまっているからです。日本の著作権法では、著者の死後五十年で著作権が切れることになっています。もう戦争が終って六十年以上が経ったのだから、戦争に関する第一次史料は無償で公開する方向で各出版社や新聞社は検討してみたらどうでしょう。版権の問題はあるかも知れませんが、もともと出版してもそんなに売れる見込みの無い本でしょう? 従軍慰安婦は軍が連行したのか、集団自決は軍の強制によるものだったのか、南京大虐殺というのはどこまでが真実なのか、こういう問題について論じている文章を読むと、筆者はほぼ例外なく右翼か左翼かのどちらかです。とにかくイデオロギーが先にある。これは虚しいことだと感じます。そういった先入観無しに、もっと手軽に戦争の体験記録や証言集が読めるようにならないものだろうか。せっかくこれだけインターネットが普及したのに、本当に必要な情報へのアクセシビリティが不足していると感じます。

 もしもあの戦争の全記録が、テーマや年代別に整理されて、インターネット上で自由に閲覧出来るようになったとしたら、それはこれからの若い世代の人たちにとってどれほど価値ある贈り物になることでしょう。この企画を実現するには、今がラストチャンスのような気がします。いまこそ戦争記録を網羅的に収集して編纂する国家的なプロジェクトを立ち上げるべき時ではないでしょうか。きっと今日も戦争体験者のご老人がどこかで亡くなり、貴重な日記や手紙が無残にも廃棄されてしまっているに違いない。たとえ日本の歴史がこの先何千年続こうが、あれだけの体験はもう二度と出来ないのですから、これ以上貴重な証言や記録が磨滅しないうちに、デジタルデータとして保存しておくべきだと思います。もしも日本政府がやらないなら、どこかのNGO団体がやるしかない。私はこの事業を、今年から定年退職の時期を迎える団塊の世代の人たちに担って欲しい気がします。団塊の世代が何故〈団塊〉なのかと言えば、敗戦後の日本を復興させるために、戦争で生き残った人たちが産めよ殖やせよと子供をたくさん作ったからです。つまり団塊の世代というのは、戦後復興の担い手としての使命を最初から背負わされて生まれて来た世代だったのです。そして確かに彼らの奮闘もあって、日本は世界中が目をみはるほどの見事な復興を遂げました。あともうひとつ団塊の世代に託された使命があるとすれば、あの戦争を経験しなかった最初の世代として、それを客観的な目で評価し、記録として後世に残して行くことだと思います。戦後まもなく生まれた彼らには、戦争を生きのびた復員兵を父親に持つ人たちも多い筈です。まずはご両親の話を聞く(または遺稿を読む)ことから始めませんか。思えばこの六十年、あなたがたはあまりに忙し過ぎて過去を振り返るゆとりさえなかった。でも、これからはゆとりが出来るのじゃないですか。確かに大変な労力であるには違いありませんが、誰かがやらなければならない事業です。あとに続く我々世代も、順次これに合流して行きますから、どなたかこの世代を超えた一大プロジェクトに着手しようという方はいらっしゃいませんか?

(追記です。インターネットを検索していて、戦争体験の文章を集めたリンクページを見付けました。リンク集ですから、情報の評価や整理を自ら行なっている訳ではありませんが、今回私が感じたような情報不足に対する不満をある程度解消してくれるだけの充実した内容のページです。更新も頻繁に行なわれているようです。おすすめのページとしてご紹介しておきたいと思います。)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月15日 (日)

改憲こそが売国行為と言えまいか?

 というわけで、具体的な憲法改正への反対論に移るのですが、どうしても私に分からないのは、最近のナショナリズムの盛り上がりが、何故憲法改正という一点に短絡的に結び付いてしまうのかという点です。現在の日本国憲法は、敗戦後の占領時代にアメリカによって押し付けられたものであり、日本国民が自主的に制定したものではない、これは事実だと思います。戦後六十年以上が経過した今でも、日本が事実上アメリカの属国であるという認識は、特に愛国派の人たちにとっては耐えられないものでしょう(私だって耐えられません)。しかし、日本を事実上アメリカの属国にしているのは、決して現憲法の存在ではないという点は強調したい気がします。その成り立ちはともかく、憲法はこの国を主権在民の独立国家として規定している訳だし、特定の国家や政治思想との結び付きを含意しているものでもありません。これは当たり前に考えれば誰でも分かることですが、現在の日本が一人前の独立国家と呼び難い理由は、憲法よりも日米安全保障条約という軍事上の不平等条約のためであり、もっと具体的に言えば、日本国内の八十数箇所に米軍基地が置かれているからです。もしも日本という国のことを聞いたこともない外国人が、来日して国内に点在する外国軍基地を見たら、この国は他国の占領下にあるのだと判断する筈です。私は安倍さんを代表とする愛国派の人たちが、何故この点に関してだけは見ざる聞かざるを決め込むのかが分からないのです。

 むろんそんなことは百も承知だ、我々の最終的な目標は日米軍事同盟の見直しであり、日本の自主防衛体制の確立なのだ、そんなふうに言う愛国派の人たちもいるのかも知れません。でもそれならば、ものの順序が逆だという気がします。安保条約を対等なかたちで結び直して(つまり日本国内の米軍にはすべて撤退してもらって)、その後で憲法を改正して、日本も核武装なり何なりを行なう、それなら筋書きとしては通ります。が、その逆では駄目なのです。軍事的にアメリカに首根っこを押さえられた今の状況で、憲法だけを改正するというのは、言葉を替えて言えば、自衛隊をアメリカの極東部隊として差し出すということに他なりません。最近アメリカは中東問題で多忙ですから、北朝鮮には宥和策を採っておいて、極東の地からは軍事力を減らそうとしている。こういう状況のなかで、日本が憲法を改正して、軍事的なパートナーになってくれることは、アメリカとしては大歓迎なのです。私たちはいまの日本国憲法が、六十年前にGHQに押し付けられたものだと考えていますが、最近はそのアメリカが日本に対して憲法の改正を(暗に)勧告して来ています。(今年に入ってからも、元国務副長官のアーミテージ氏が第二回目の勧告文書を提出しました。) 不平等な軍事同盟を結んだままで、現在の憲法を手放すことは、日本のアメリカに対する最後の外交カードを失うことにも等しいのです。安倍首相は〈美しい国〉だとか何だとか、おためごかしのようなことを言ってますが、実のところは裏でブッシュ政権と結託していて、この国を売ろうとしているのではないだろうか? 憲法改正を訴えることが愛国心の発露だとナイーブに信じているプチ・ナショナリズムの人たちは、たまにはそんなふうに逆転の発想をしてみるべきだと思います。

 私は現在の日本国憲法を、何か非常に崇高なもの、奇跡のように美しいものだと感じているのですが、この一種近寄り難いような気高さがどこから来たものだろうかと考えることがあります。私の仮説はこういうことです、それはこの憲法が、あの戦争で命を落とした数百万、数千万の人々の祈りによって生み出されたものであるからに違いない。何故なら、戦争で死んで行った人たちが、国籍や人種を超え、また軍人であったか民間人であったかということも超えて、最期に心に念じたであろう共通の思いは、「もう戦争というものはこれで最後にしなければならない」というものだったに違いないからです。戦後日本の歴史は、彼らが残したこの強い思念の上に築かれたと言っていい。であるならば、何故いまの日本国憲法が、二千万人の戦没者が遺してくれた貴重な遺産だと思ってはいけないのでしょう? 私は思うのです、もしも現代日本人の思い上がりでこの憲法が変えられてしまったら、あの戦争自体が無意味だったことになってしまうと。この国に誇りと愛情を持っている人間にとって(私のことです)、太平洋戦争は大きな躓きの石であり、拭い去れない歴史の汚点として映ります。安倍首相は必死にそれを糊塗し、過小評価しようとしていますが、それはむしろ過去の汚点を戦後の日本が直視して来られなかったという事実を、世界中に向けてあらためて証明しているに過ぎません。私たちはこの呪縛から解き放たれなくてはならない。日本国憲法はそのための浄化装置なのだと考えたい。それは決してアメリカに押し付けられたものではないのです、戦争で命を絶たれたすべての人の魂魄が乗り移ってかたちを成したものなのだ。だからこそ、それは戦後六十年にも亘って、日本に奇跡のような平和と繁栄をもたらしてくれたのだと私は考えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月14日 (土)

憲法改正問題、本土決戦へ!

 国民投票法案が、与党の強行採決によって衆議院を通過しました。法案の細部をめぐって与野党の対立は最後まであったようですが、憲法を改正すること自体には野党第一党の民主党も賛成している訳で、国民投票で改憲問題を決しようとする流れは、もう止めようがないもののようです。もはやこの法案に関しては、その最も本質的な問題(すなわち、国民の過半数ということをどう定義するか、最低投票率の規定を設けるのか設けないのか、改憲投票は条文ごとなのか全文一括なのかといった問題)に対して、個別の議論を仕掛けている余裕も無いみたいです。憲法改正は、この国始まって以来の国民投票にかけられることになるのですね。今後自民党は、あらゆる政治力と資金力を駆使して、大々的な〈憲法改正キャンペーン〉を仕掛けて来るのでしょう。我々護憲派にとっては、圧倒的に不利な戦いを強いられることになります。あたかも太平洋戦争末期の本土決戦のように、竹槍一本でこの戦いに臨まなければならないといった気分です。ほかでもない、「言葉の力」という、かぼそい竹槍一本でもって。

 以前読んだ加藤典洋氏の『敗戦後論』には、戦後日本の陥った〈ねじれ〉の構造を解消するためには、その結果がどちらに転ぶにせよ、一度は国民投票によって現憲法の信認を問うことが必要だと主張されていました。私は気持ちとしては、この考え方に賛同出来る部分もあるのですが、現実問題としてはそんな簡単なことでもなかろうと感じています。実際に憲法改正が国民投票にかけられた後のことを想像してみてください。投票から一夜明けた日本では、昨日までとは何かが本質的に変わっているだろうか? もしも変わった点があるとすれば、それは私たちの心の中にある〈ねじれ〉が外部化されて、国民がはっきり対立する二つの陣営に分断されたという現実でしかないでしょう。改憲派にせよ護憲派にせよ、投票の結果によってすっきり自分たちが勝利したというような気分になれると思いますか? 私はなれないと思う。何故なら、ほとんどの国民は自分の心の中に改憲派と護憲派の両方を宿していて、自分自身の中に葛藤を抱えているのだから。人は心の中に葛藤を抱えながら、そこから成熟に至ることも出来ます。むしろ心の中に矛盾した要素を持ったままで成熟することが、ほんとうの意味で大人になることだとさえ言えると思います。私たちが自ら望んだことではなかったかも知れないが、戦後の日本人はそのようなスキームの中で精神的な成熟を遂げて来たのだと言っていい。私は安倍首相の一連の言動を見ていて、この人は精神的に非常に未熟な人間ではないかと疑っているのですが、国民投票は日本人全体をそのような未熟さのレベルに逆戻りさせるのです。

 このように考えてくると、少なくとも〈悩める護憲派〉としての我々の戦略は明確なものになります。すなわち、国民のなかに憲法改正反対の機運を盛り上げ、世論調査で護憲派の割合を七割くらいにまで(!)持って行くこと。自民党にしても、勝ち目の無い国民投票を望む筈はないので(一旦否決されてしまえば、当分憲法改正のチャンスは無くなりますから)、そうなれば国民投票の実施自体を阻止出来る可能性がある。とにかく、国民投票にまで持ち込まれてしまっては、結果はどうあれ、国を誤ることになるというのが私の基本的認識です。国民投票で護憲派が勝っても駄目なのです。こんな意見は、ふつうの「憲法九条を守りましょう」的な護憲論以上に、改憲派の人たちの神経を逆撫でするものであることは分かっています。しかし、もう論戦は始まっているのだ。これから実際に国民投票が日程に乗って来るまで、長い闘いの日々が始まります。私も継続的に、思い付く限りのロジックとレトリックによって、護憲派の論陣を張って行きたいと思います。自分のごときマイナー・ブロガーが何を書いても、ほとんど影響力はゼロですが、だからと言って戦いを止める理由にはならない。むろん私はアタマの固い狂信的な護憲論者ではありませんから、反対意見は大歓迎です。もしも私を上手に説得してくださる方がいれば、私は今日からでも改憲派に転向する準備があります。ただ、これまでの経験で、私の心を動かした護憲論の名言は多々ありますが、少しでも心に響く改憲論の言説というものに出会ったことがない。そんなものがあるなら、ぜひお聞かせ願いたいと思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 8日 (日)

ゲゼル思想研究日誌(3)

 格差社会の問題がマスコミを賑わせています。確かに小泉政権の時からの規制緩和政策によって、社会の格差は広がっているように見えます。特に問題なのは、「希望格差」といったコトバにも表されているように、経済的に豊かな家庭と貧しい家庭の間には、単に現在の生活レベルの差だけではなく、将来の希望においても大きな格差が生まれているという点です。裕福な家庭は、子供の教育にも充分なお金をかけられるので、必然的に子供は高学歴・高収入の人生を歩みやすい、一方貧しい家庭では、子供に満足な教育も与えてやれないので、代が替わっても貧困を再生産して行くしかない。階層が固定化する傾向は、はっきり統計にも表れているそうです。結果の平等のみならず、機会の平等までもがはげしく損なわれているのです。おそらくいま、国民のおおかたのコンセンサスは、努力をした人や能力がある人が報われる社会は望ましい、但し誰もが同じスタートラインに立てない世の中はおかしい、このあたりだと思います。誰もすべての格差を無くせと言っている訳ではない。しかし、この点を政策によって是正するのは、非常に難しいことだという気がします。何故なら、スタートラインにおける格差の最たるものは、収入の格差以上に資産の格差だからです。誰もが同じスタートラインに立てる世の中を実現するためには、資産の所有と相続を廃止するか制限するかして、世帯間の資産格差を無くさなければならない。

 土地や生産財などの私有を廃止したのは、共産主義の社会でした。私たちはソビエト連邦の崩壊や、共産主義の国々で起こっている官僚の腐敗などについて、この目で見て知っているので、いまさら共産主義に二十一世紀の希望があるなどとはつゆ信じていません。日本でも共産党の凋落ぶりは目をおおうばかりですが、何故こんな時代になっても共産党はその看板を替えないのだろうと思うのは、私だけではないと思います。私は若い頃から、経済成長よりは福祉優先、競争よりは協調を、という〈左寄り〉の思想の持ち主でしたから、弱肉強食のアメリカ型資本主義には強い反感を持っていました。その一方で、全共闘世代よりも後に生まれて来た人間にとっては、マルクス主義という選択肢も最初から無かったのです。で、選挙権を持つ年齢になってみると、自分が投票すべき政党が見当たらないことに気が付いた。ちょうど今日は統一地方選挙の日でしたが、その状況が現在に至るまで続いているのです。まあ、自分のここ三十年間の投票行動を振り返ってみれば、アメリカの傀儡政権のような自民党もイヤ、ソビエトをまだどこかで信奉しているような共産党もイヤというわけで、仕方無くその中間あたりにいるような社会党や、社会党が無くなってしまった後には社民党あたりに一票を投じて来たわけです(もう投票時間は終ったから、具体的な政党名を書いてもいいよね?)。しかし、決してそれは自分として納得出来る一票ではなかった。何故三十年間も待ったのに、自分の思いを託せるたったひとつの政党さえ現れないのだろう? いや、それ以前に、資本主義も嫌い、共産主義も嫌いという自分自身の政治的な理想って、いったい何なのでしょう?

 またつまらない前フリが長くなってしまいました。だから今年の初めにシルビオ・ゲゼルという人のことを知った時には、これこそ自分が三十年間探し求めて来たものかも知れないという啓示のようなものを感じたのです(ちょっと大袈裟かも知れませんが)。ゲゼルの貨幣理論については、すでにこのブログで何度も取り上げていますが、今回考察してみたいのはその土地理論についてです。前回も書いたように、ゲゼルの土地理論は「自由土地」という概念に集約されています。これは主著の『自然的経済秩序』の第2章にまとめて論じられていて、これを通読すれば概要が分かるようになっています。(第2章の冒頭は講演緑で、これはちょっと読みにくいので、興味のある方は第2章第2節の「自由土地ということばの意味」から読み始めることをお勧めします。それにしても、こんな貴重な文献をインターネットに無償で公開してくださっている岩田憲明さんと廣田裕之さんに感謝です。) ひと言で言うならば、自由土地というのは土地の国有化を前提とした理論です。ゲゼルの「自由貨幣(減価する貨幣)」の着想に感動した私は、最初「自由土地」の説明を聞いてもピンと来ませんでした。土地の国有化と言えば、大嫌いなマルクス主義を思い出しますし(笑)、だいたい現代の高度に発展した資本主義社会で、そんなことが可能である筈がない。ところがゲゼルさんの主張をよく読んでみると、これが結構現実的で、あながち夢物語でもないような気がして来るのです。

 自由土地の考え方が、マルクス主義で言う土地の国有化と異なる点は、大きく言ってふたつあると思います。ひとつ目は、国が管理する土地は自由な入札によって民間に貸し出され、そこで自由な生産活動のために供されるという点です。決して計画経済や統制経済といったものが始まる訳ではなく、市場の自由な競争が保証されるのです。基本的にシルビオ・ゲゼルという人は、健全な市場原理というものを信じていた人で、その点で現代の我々にも理解しやすい思想家だと思います。ふたつ目は、土地を国有化するに当たっては、地主に対してその充分な対価が支払われるという点です。マルクス主義のように、革命や階級闘争によって暴力的に土地が奪取されるという思想とは対極的です。もちろん一時的に国の財政には大きな負担がかかる訳ですが、国有化後は民間からの地代がコンスタントに国庫に入って来る訳で、ゲゼルさんの試算では約20年で土地の接収費は回収出来ると言います。もちろん、二十世紀初頭のドイツと現代の日本では、土地の値段がそもそも違いますし、それでなくても巨額の赤字を抱える日本政府に、そんな費用が捻出出来る訳はない。しかし、土地が毎年5%の利益を上げれば、20年でペイするという計算はいつでも成り立つ訳だし、土地の接収を段階的に進めて行けば、やがては国土全体を国有化出来るという見通しは立つかも知れない。現在でも地主の人たちは、高い固定資産税や相続税によって国からの搾取を受けていて、土地を孫子の代まで安泰に引き継いで行くことは難しい訳ですから、条件によっては国に土地を売却してしまった方が得だという計算も成り立ち得るでしょう。我々のような小作人、じゃなかった借地人にしても、国有化で土地の値段の乱高下が無くなれば、暮らしも安定するし、精神的にも安心して生産活動にいそしめるというものです。1990年代のような、バブル崩壊の悪夢も、二度と見なくて済みますね。

 どんな時代でも、改革というものが難しいのは、既得権益を持つ人たちの抵抗に遭うからだと思います。多くの場合、既得権にしがみつく人というのは、他のもっと有利な選択肢が示されても、それを冷静に比較考量することはしないものです。しかし、今の自民党政権もそうですが、改革を推し進めようとする政治家は、それを丹念にねばり強く説明して説得して行くしかないと思います。私はゲゼル思想の全体を、こうした私たち自身が持つ保身的で狭量な視界を打ち破るものとして受け止めます。もしも自由貨幣が実現すれば、金利生活者の人たちにしてみれば既得権を奪われることになる訳で、抵抗するのは当然です。が、自由貨幣の経済のもとでは市場が驚くほど活性化し、そこで実現される豊かさを最初に享受出来るのは彼らお金持ちの人たちなのです。もしも自由土地を実現しようとすれば、地代で生活している人たちは既得権を奪われる訳で、彼らが抵抗するのは当然です。が、自由土地の国家では財政が驚くほど安定し、もう子や孫への相続のことなどで心配する必要も無くなるし、社会全体として次の世代に明るい未来を遺すことが出来るようにもなる。それは自分の子や孫だけが特権的に幸福であるような世の中よりも、ずっと好ましいものである筈です。こういう前向きな楽天主義が、ゲゼル思想の魅力の本質だと私は考えます。それは暴力的なマルクスの革命理論と違って、なんと自分の心にしっくり来るものだろう。

 現代において、多少でも理想主義的なものの考え方は、十羽ひとからげに「左翼的」というレッテルを貼られ、共産主義の暗いイメージを押し付けられて、論難されるよりもむしろ嘲笑される傾向にあると思います。これが理想主義の元気を奪っているのです。だとすれば、やはりマルクス主義というものの罪は重かったと思わざるを得ない。私はマルクス思想の最大の誤りは、人間の社会が本質的に持っている矛盾を、資本家対労働者、地主対小作人、あるいは特定の階級同士の対立として、外部的にのみ捉えたところにあるのではないかと思っています。二十一世紀の私たちは常識として知っている訳です、迫害された側が権力を握れば、今度は自らが迫害者に変身するし、プロレタリアート独裁が成就すれば、今度はその中から特権階級が生まれて来ることを。むしろ対立は、私たちひとりひとりの心の中にこそあると捉えた方が、現代の常識には適っていると思います。どんな人だって程度の差こそあれ、何かの既得権益は持っている訳だし、それがすべて悪いとは言わないけれど、その裏で誰に負担を押し付けているかを想像することは出来る。小泉前首相は、構造改革の痛みに国民みんなが耐えて欲しいと訴えました。私たちはそれを覚悟して受け入れたと思います。ところが現実には、痛みはみんなに平等にはやって来なかった。一部の人たちが規制緩和の波に乗って、この世の春を謳歌している裏では、ワーキングプアと呼ばれる層の人たちが増加し、毎年三万人の人たちが自殺に追い込まれている。私は小泉さんの言葉にウソがあったというよりも、方法論に間違いがあったのではないかと思うのです。すなわち、ひとりひとりが小さな痛みに耐えることで社会の問題を解決して行けるなら(もちろんあんまり大きな痛みは嫌だけど)、日本人はきっとそれに耐えるでしょう。しかし、そういう〈仕掛け〉を政府は提供して来ませんでした。そしてこの観点から「自由貨幣」と「自由土地」の思想(合わせて「自由経済」と総称されます)を捉え直してみると、今の日本にとって非常に有望な思想ではないかと思えて来るのです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月 1日 (日)

ソメイヨシノに寄す

 桜が満開です。これも地球温暖化の影響か、東京では例年よりも一週間ほど早い開花なのだそうです。住んでいるアパートの前には見事な桜並木があって、道行く人々の表情もいつもと違って見えます。足どりもいつもよりゆったりしているようです。私は梅の花と桃の花の区別もつかないほど無粋で風流を解しない人間ですが、やはり桜の季節だけは格別なものを感じます。花を見てこんなに心がさわぐなんてことは、一年のうちにこの時期しかありません。桜の花は私たちの心に何かを呼び覚まし、その美しさ、はかなさで私たちの心を浄化してくれる。この桜が咲く一週間ほどのあいだ、きっと日本中で、いじめも夫婦喧嘩も殺人事件も、ふだんより少しは数が減っているような気さえします。不思議ですね。単純に心が浮かれているだけではないのです。たとえば西行法師の有名な、『願はくは花の下にて春死なん』という歌のことを思い出し、自分もあと何回この桜をながめることが出来るのだろうかと考えている。自分が日本人であることを最も痛烈に意識するのがこの季節でもあります。

 私たちが街の中でよく目にする桜は、ソメイヨシノという品種で、これは日本人が古来愛して来た桜とは別ものなんだそうです。最近の新聞記事で、ソメイヨシノの遺伝子解析から、その交配元になった品種がはっきり特定出来たという話を読みました。それは江戸時代末期に日本で作られた園芸品種だったという従来の定説を、裏付けるものであったようです。私は若い頃、小林秀雄という人の文章にとても強い影響を受けたのですが、その小林秀雄がソメイヨシノのことをさんざんこきおろしています。確か誰かとの対談の中で、本居宣長の有名な歌を引き合いに出しながら、「あんな下品な花に朝日がさしても何の風情も無い」というようなことを言っていました。私はいま、愛用のシグマリオンを持ち出して、満開のソメイヨシノの下でこの原稿を書いています。で、思うのです、いったいこの花のどこが下品なんだろう、と。小林秀雄の文章には、恐ろしく深い洞察や心を打つ表現が随所に散りばめられていますが、一方で読者の神経を逆撫でするような言葉も数多く置き去りにされています。若い頃の自分は、それも鋭い批評精神の妥協しない表現なのだろうと思い、自分の心を傷つくに任せていたこともありました(なにしろ耽読していましたから)。しかし、歳をとってわがままになってくると、こういった思いやりの無い文章は自然に読み飛ばせるようになって来ました。おそらくそれは小林秀雄という文学者の、唯一の欠点だったのではないかと今では思っています。だからソメイヨシノが下品な花だなどという言葉も、いまは自分の前を素通りして行くだけなのです。

 現在の日本で、ソメイヨシノが桜の代表的な品種になってしまったのは、何よりもその生育の早さと手入れの容易さに理由があるようです。日本古来の原生種であるヤマザクラやエドヒガンなどは、植えてから花を咲かせるまでに長い年月がかかる上に手間もかかる。とても明治以降の我が国のあわただしいスピードには合わなかったようです。しかも、ソメイヨシノの場合、花を咲かせてから一週間くらいで散ってしまう。この花のいのちの短さも桜の特徴だと思っていたのですが、他の種類の桜ではそんなに開花期間が短い訳でもないようです。軍歌『同期の桜』にもあるような、散りぎわのいさぎよさを愛でる風潮も、ソメイヨシノとともに始まったのですね。その美化されたイメージとともに、多くの若者が戦地に送られ、実際に桜のように散ってしまった。その歴史を過去に持っている私たちは、古代の人たちとはまた違った意味で、深い無常観を桜の花に感じてしまうのかも知れません。

 考えてみれば、子供の頃から自分が見て来た桜は、ほとんどがソメイヨシノでした。つまり、自分にとっては桜と言えばソメイヨシノのことを指すのです。入学や卒業、たくさんの出会いや別れ、そこには様々な個人の思い出がつまっています。それは現代の日本人の多くに共通する思いでしょう。日本の歴史の中では比較的新しいものかも知れないけれど、個人の歴史として見れば、私たちは最初からソメイヨシノの咲く国に生まれて来たのです。たとえ西行や芭蕉や宣長の見た桜が、いま自分の見ている桜とは別ものだったとしても、そして彼らの繊細な感受性が体験したところを、自分が追体験することなどはとても不可能だったとしても、私は信じます、いま自分がソメイヨシノを見ながら感じているこの気持ちの高まり、この胸苦しいまでの感動は、やはり日本人が古代から培って来たものの延長線上にあるのだと。いや、なんだか妙に感傷的なことを書いていますね。これも桜の花の魔法にかかっているのだと思って、大目に見てください。さあ、早いとこ原稿を投稿してしまって、これから家族で花見にでも行くことにしましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »