« 愛国心をめぐる素朴な議論 | トップページ | ゲゼル思想研究日誌(2) »

2007年2月18日 (日)

ゲゼル思想研究日誌(1)

 今週の衆院予算委員会で、民主党からの「行き過ぎた規制緩和が社会の格差を広げている」との指摘に対し、安倍首相は、「成長戦略を進めて景気拡大を続け、果実を家計部門に広げる」と答弁し、小泉政権時代からの経済政策を変更する意思が無いことを改めて明言しました。しかし、いざなぎ景気を抜く戦後最長の好景気と言われるなか、この「風が吹けば桶屋が儲かる」的なロジックがまったくのウソであることに国民は気付いています。いくら景気が拡大して、企業が過去最高収益を上げても、非正規雇用のワーキングプアと呼ばれる層が増え、生活保護世帯が拡大の一途をたどっている事実は隠すべくもない。そんななかで政府が採っている政策は、福祉予算のカットであり、年金支給年齢の引き上げであり、個人の医療費負担比率の増加といったことばかりです。市場原理に任せれば、確かに一部の儲かっている企業の正社員には好景気の果実が行くのでしょう。だが、その他の大多数の家庭にはその〈おこぼれ〉さえ回って来ません。本来は行政による是正がどうしたって必要な筈なのに、いまの政府は見事なまでにその役割を放棄しています。政治の基本機能も果たせていないのに、「果実を家計部門に広げる」もないものです。これは小泉、安倍と続いた自称「構造改革」内閣が自己正当化のために使って来た悪質な虚偽だと言えると思います。

 構造改革派が口にする、〈機会の平等〉であるとか〈再チャレンジ可能な社会〉などという、実体の無い嘘っぱちに対して、私は心底腹が立つのですが、マクロ経済の面から冷静に考えてみれば、今の自民党政府が採りうる選択肢は他にはありえないのだろうとも思います。なにしろ絶対に返せるあてのない829兆円の借金を抱えた今の政府です(隠れた借金まで含めると、実体は1千兆円を超えるそうです。これに地方自治体の抱える200兆円の借金も加わります)。先月、日銀は景気回復にともなう利上げをまたもや見送りました。まだ景気の動向に不透明感があるからというのが表向きの理由ですが、ウソばっかり言ってます。毎年百何十兆円の国債を発行し、数十兆円の赤字をたれ流している今の財政構造では、利上げは即財政破綻につながるおそれがある、福井総裁がどんなきれいごとを言おうと、絶対に利上げが出来ないことは、政府と日銀間の暗黙の合意であろうと思います。史上例を見ない低金利が続くなか、国内資本は高い利率(というか普通の利率)を求めて海外に向かいます。最近は個人でも外貨預金や海外債券で資産を運用している人が多いようです。政府は法人税の引き下げや高額所得者への低い所得税率によって、必死に国内資本の海外逃避(キャピタル・フライト)を押さえているのです。庶民から見て、企業や金持ちばかりを優遇しているように見える裏には、そういう政府の苦しい事情があるのだと思います。日本政府が世界一の借金王であることを思えば、税金を納めてくれないどころか、福祉ばかりを要求する国内の貧乏人になど、かまっている余裕は無いのです。(一方、政権責任が無い民主党は、国民の不満に乗じて、口当たりのよい非現実的な政策ばかり提言しています。)

 とにかく問題は、日本政府の途方もない借金体質をどうするかです。借金の利払いのために新たな国債を発行するという悪循環に陥っている上に、単年度の財政収支でも巨額の赤字を積み増している現在の状況を、このままいつまでも続けられる筈がありません。来年には、小渕内閣時代に大量発行した国債が一気に償還期限を迎えるのだそうです。もしかしたら2008年が正念場になるかも知れませんね。こんな時期に首相を引き受けた安倍さんも勇気があります。私はこのブログの以前の記事で、このような国全体をおおう金縛り状態を脱出するために、政府通貨の発行という大胆な政策を考えてはどうかという意見を書きました(『セイニアーリッジ政策を考える』)。インターネット上でそういう考え方があることを知り、素人の立場からこれを考察してみたのです。しかし、この政策の当否は別として、何故いまの日本がこのような極端な経済状況に陥ってしまったのかについては、納得が行かない気持ちが残っていました。たとえ政府通貨の発行によって、政府の名目上の負債が減ったとしても、政府予算と税収のアンバランスを解消しない限り、また同じことの繰り返しになるのではないか。明らかに経済が発展して、国全体としては豊かになった筈なのに、持続可能な経済の仕組みが何故作れないのでしょう? ところが、今年の初めに読んだ一冊の本によって、その疑問がいっぺんに解決したように感じたのです。

 この本、『エンデの遺言 根源からお金を問うこと』については、今年最初の記事でその内容を紹介しました。もう一度ここでおさらいをしておきたいと思います。日本は戦後の焼け跡の中から、奇跡のような経済復興を遂げました。日本人は非常に勤勉であると同時に、貯蓄好きな国民でした。私たちは、稼いだお金をすぐに使ってしまうのではなく、老後のためにとっておくことこそ道徳的だと考えていました。そして、貯めに貯めたお金が1500兆円です(私は日本国民の資産合計を1400兆円と認識していましたが、最近の統計では1506兆円なのだそうです)。不思議なのは、この莫大なお金がどこに消えてしまったかということです。単純に言えば、家計部門の資産が、そのまま政府部門の負債になっているのが、現在の政府の借金なのだと思います。それでは、国は国民から預かった大事なお金の運用に失敗して、期待される利回りを得られなかったばかりか、元本まですってしまった、そういうことなのでしょうか。明らかにそうではありませんね。銀行や証券会社の個々の金融商品ならば、リスクと引き換えに高利回りを期待することも出来るでしょう(それはゼロサム・ゲームの中の勝者と敗者という意味です)。しかし、国民の全財産1500兆円の運用先などというものは、(火星の開拓にでも投資しない限り)世界中どこにもありはしないのです。それはどこに消えてしまった訳でもなく、私たちが当たり前のように享受している整備された道路や鉄道、上下水道、公共の施設といった社会インフラに投資されて、現在の豊かな生活を実現する原資となって来たのだと思います。だとすれば、数字の上で残っている1500兆円の個人資産と、それに見合う額の政府の借金というものの正体は、一体何なのでしょう?

 重要なことは、私たちは自分が働いて稼いだお金を、無傷のまま将来に繰り越せると考えていることです。若い頃に一生懸命働いて、やがて来る老後に備える、これはこの国では常識的なことです。しかし、よく考えてみれば、私たちが働いて作り出した電気製品や自動車や道路や建物は、私たちが老後を迎える頃にはスクラップになっているか、少なくとも相当老朽化が進んでいるようなものばかりです。一方これをお金というかたちに換えて、銀行に預金しておけば、古びて価値が減ってしまうどころか、逆に利子がついて殖えて行くのです。これはおいしい話であると同時に、うさんくさい話でもあります。何故この世でお金だけがそんな特権を持っているのでしょう? 何故そのことに対して誰も疑問を感じないのでしょう? 貯蓄をするということは、言ってみれば現在の社会に貢献したことへの報酬を、時を経て次の世代から受け取るという契約を、相手の承諾も無しに一方的に結ぶようなものです。世の中にはお金を貯める人もいれば、それを使う人もいて、そのバランスが均衡していれば、大きな問題は起こらないのかも知れません。ところが、ほぼ全国民が同じように老後に備えて一斉に貯蓄を始めたとしたらどうでしょう? 一体誰がその約束手形を決済出来るのでしょう? 特にこれからリタイア時期を迎える団塊の世代のような、人口比率が突出して大きく、現役時代の給与水準も高かった世代が振り出した手形は、これはもう引き受け手などいる訳がありません。不良債券化することは明らかだと思います。

 これはここ二十年くらいの政府の経済政策に誤りがあったというようなことではなく、もっと経済の根本原理に関わる問題であるようです。そのことをとても分かりやすく、単純明快な理屈で説明したのが、『エンデの遺言』の中でも大きく取り上げられているシルビオ・ゲゼルという思想家です。ゲゼルによれば、貧困や格差問題の根本的な原因は、労働者を搾取する資本家の強欲にあるのではなく、むしろ貨幣制度そのものの仕組みの中にあります。つまり、人間の生産するすべてのものが、時間の経過とともに劣化して減価して行くのに対して、貨幣だけは劣化も減価もせず、むしろ利子によって殖えて行く、そこに本質的な問題があると言うのです。資産を持つ人は、たとえ資本家として直接労働者からの搾取を行なわなくても、利子というかたちで広く消費者からの搾取を行なっています。我々が生活のために購入する物資、そのほとんどの商品の価格には利子が上乗せされているからです。利子というものの持つ破壊的な影響力は、現代日本の状況を考えてみると、とてもよく分かります。ほとんどの国民がお金を無駄使いせず、貯蓄に回すという選択をした日本では、この利子という不思議な存在が、極端なほど大きなインパクトを国家経済に与えているからです。試みにエクセルを使って簡単な計算をしてみましょう。仮に毎年5パーセントの利子が付く経済状況のもとでは、年に21兆5千億円ずつを貯蓄に積み立て、30年間複利で回せば、ほぼ1500兆円の元利合計になります。元本は645兆円ですから、倍以上に膨れ上がった訳です。もちろん現実には金利は変動しますし、インフレ率の影響もあるのでそう単純ではないと思いますが、国民の資産1500兆円のうち、相当部分が利子による水増しであることは間違いないと思います。

 これに対するシルビオ・ゲゼルの処方は、過激ですが即効性のあるものです。お金にはいつの時代にも平均して年5パーセント程度の利子が付いて来ましたが、これを止めて、逆にマイナス5パーセントの利子を付けてやればいいというのです。つまり、人間の生み出すすべての生産物と同様、貨幣も自然に劣化して減価する仕組みにしてやればいいのです。先ほどの例で言えば、毎年21兆5千億円を30年貯蓄しても、マイナス5パーセントの年利では、30年後の残高は320兆円にしかなりません。1500兆円とは雲泥の差ですし、元本から見ても半分を下回っています。もしもこれが実現していれば、政府部門の借金も現在のような馬鹿げたものにはならなかったでしょうね。しかもマイナス利子で減価した分のお金は、個人や法人が貨幣を持っていること自体に対する課税、いわゆる「持ち越し税」として国庫に入りますから、それで慢性的な財政赤字を解消することも出来る訳です。なるほどこれは名案だ。いま私はゲゼルが書いたマルクスに対する批判の文章を読んでいます。経済学の素人による苦労しながらの読書ですが、とても納得出来るような文章が多いです。マルクスは労働者による資本家階級打倒の革命を説いたのでしたね。しかし、それは結局共産党という新しい独裁政権と腐敗した政治をもたらしただけでした。ゲゼルより百年後の我々はそのことを見て知っている訳です。これに対してゲゼルの思想は、もっと単純でおおらかで現実的なものです。問題は資本家と労働者の対立だとか、搾取と被搾取の関係なんて面倒なことじゃない、現在のお金や土地の仕組みに、実は少し欠陥があるだけなんだ。だからそれを改善してやれば、あとは市場原理に任せておいてもうまく行くんだよ。私はそんなふうにゲゼルの思想を読みました。これはとてもモダンで、現代人の趣味にも合う、魅力的な考え方であると思います。

 ゲゼルの著作は、日本ではほとんど出版されていないようですが、ゲゼル研究会が発行している『自由経済研究』という雑誌には、いくつかの論文が訳出されていますし、主著である『自然的経済秩序』の翻訳は、インターネットで無料で閲覧することさえ出来ます。ゲゼルという思想家の吸引力のせいでしょうか、日本でもこの人の周りには多くの善意が集まっているように感じます。ゲゼル研究会代表の森野榮一さんにメールをお送りしたところ、とても親切なご返事をいただきました。その中で森野先生はこう書かれています。『まだまだ日本では賛否は別にしてゲゼルに関心を寄せ、継続的に取り組んでくださる方は多くはないですね。ドイツのように活発に研究し発言する人が数十人規模で輩出してくれればというのが私の夢です。』 自分のような経済学の素養も無く、ドイツ語も出来ない人間が、ゲゼル研究などと言えばおこがましいですが、素人が少しずつ理解を深めて行く過程をライブに伝えることなら出来るかも知れない、そう思って『ゲゼル思想研究日誌』という気張ったタイトルをつけ、思いつくまま感想や疑問点などを断続的に書いて行くことにしました。今回はその第一回。まだまだ勉強はこれからです。ゲゼル思想に関心をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひご意見など賜りたいと思います。

|

« 愛国心をめぐる素朴な議論 | トップページ | ゲゼル思想研究日誌(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138790/13966634

この記事へのトラックバック一覧です: ゲゼル思想研究日誌(1):

» 利上げの裏の潜む「不都合な真実」 [福井プログラマー生活向上委員会]
たまに書いている「利子」の話、先日、私とほぼ同意見のことを書いている記事をみつけました。私が書くよりよほど読みやすくて為になるのでご紹介します。(^^)利子について考える始めると、今の環境破壊や格差社...... [続きを読む]

受信: 2007年2月22日 (木) 16時37分

« 愛国心をめぐる素朴な議論 | トップページ | ゲゼル思想研究日誌(2) »