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2007年1月 7日 (日)

マイナス金利という思想について

 この正月休みに1冊の本を読みました。『エンデの遺言-根源からお金を問うこと』というタイトルの本です。格差問題のことを調べていて、たまたま自分のアンテナに引っ掛かった1冊だったのですが、目から鱗とはこのこと、正月早々、たいへん衝撃的な読書を経験した気がしました。やはりブログを続けていて良かった、さもなければこんな本にもめぐり合うことは無かったろうから。今回はとりあえずこの本の内容の紹介と、若干の感想を書きつけておきたいと思います。既に内容をご存知の方にとってはつまらない記事になると思います。未読の方がこれを読んで、多少でもこの問題に関心を持っていただけたなら、そしてこの本に書かれている思想についてお互いに意見を交換し合えたらなら、そんなことを期待しながら書いています。(すみません、まだ興奮冷めやらぬ状態なんです。)

 エンデというのは、『モモ』や『はてしない物語』で有名なドイツの作家、ミヒャエル・エンデのことです。この本の成り立ちは、晩年のエンデにNHKの取材陣がインタビューを行なった、そのテープがもとになっているのだそうです。タイトルに「遺言」とあるのは、この取材が番組としてまとめられる前、1995年にエンデが亡くなってしまったからです。まるで遺言のように、非常に重要なメッセージだけが残されました。それは数年の年月をかけてドキュメンタリー作品になり、1999年の5月にNHKのBS放送で放映されたのだそうです。残念ながら私は見ませんでした(見たとしても、当時の自分がいまの自分のように感銘を受けたかどうか)。そして翌2000年に、番組の内容をさらに深めたこの本が出版されたのです。一部では評判になったそうですし、現在も増刷が続けられているところをみると(私の買った本は15刷になっています)、長く読み継がれている本なのだと思います。そのテーマは、サブタイトルにあるとおり、お金というものの意味を根源から問い直すことにあります。エンデという作家は、今日の世界の様々な問題、戦争や貧困や自然破壊などのおおもとには、現代の貨幣経済の歪みがあると考えていたのです。そしてそれを解決するための、コロンブスの卵とも言えそうな面白い方法を提示しているのです。

 その思想はとてもシンプルで、そして美しいものです。私たちは、お金というものは銀行に預ければ利子がついて、少しずつ増えて行くものだと思っています。エンデはここに問題があるというのです。何故でしょう? 例えばこれが株式に投資したお金なら、投資先の企業の業績いかんによって株価は増えたり減ったりします。そこには実体経済と連動した合理性がある訳です。ところが、銀行に預けたお金が利子を生んで、複利で増えて行くことにどんな経済合理性があるのでしょう? それは人間社会のどのような現象と連動しているものなのでしょう? 人が生み出すどんな商品やサービスだって、時が経てば次第に古びて価値を減じて行きます。それが自然の法則です。ところがひとりお金だけは、減価しないどころか、利子によってどんどん自己増殖を続けて行く。この実体経済とかけ離れた不思議な習慣が、人類普遍の法則になってしまっているのです。このことの結果は重大です。現代の私たちは、もはやお金を労働や商品の対価だとは考えていません、むしろお金そのものを稼ぐことが目的になってしまっている。お金は交換の手段ではなく、それ自体が商品になってしまったのです。これはいまの経済の仕組みの中では当たり前の帰結です。誰だってお米を1トン貰っても、あまり嬉しくはないでしょう? でも、お米を1トンを買えるだけのお金(40万円くらい?)を貰えば嬉しいと思います。何故? 決まっているじゃないですか、お金は腐らないし、持っていても困らないし、銀行に預ければ(少しは)利子まで付くのですから。だからみんなお金を欲しがるし、現代のように情報技術が発達した社会だと、狂乱のマネーゲームまで巻き起こる訳です。犠牲になるのは貧しい国々の人々や、先進国の中でも貧困層に属する人たちです。お金が商品になってしまっては、彼らのところまでお金が回らないからです。この矛盾を解くのは実は簡単なことです。お金というものも人間社会のすべてのモノと同様、時間の経過とともに減価して行く仕組みにしてやればいいのです。つまり、お金にマイナスの利子をつけ、次第に目減りして行く仕組みを作ってやればいいのです。

 不勉強だった私は、このアイデアのことを初めて知ったのですが、まさに目から鱗が落ちる思いでした。そして、エンデのこの警告は、私たち日本人にこそ必要なものではないかとも思いました。というのも、日本人はおそらく世界のどの国の人たちよりも貯蓄好きな国民だからです。私たちは、アリとキリギリスの童話ではありませんが、子供の頃から勤勉に働いて、せっせと貯金することを奨励されて来ました。貯金だって銀行預金か郵便貯金に限るので、「株に手を出す」ことなどはバクチのような悪いこととされて来たのです(最近は少し意識も変わって来たと思いますが)。要するに、お金の本来の機能を殺して、ひたすら死蔵することを徳目としてやって来たのが日本人だった訳です。そして積み上げた貯金の総額が1400兆円。こんな莫大な貯蓄額を持っている国民は、世界のどこを見回してもいやしません。その代り、政府や自治体の借金の総額は、ほぼ国民の貯蓄額に等しいものになっています。国民が汗水流して貯めたお金を、国や自治体が景気よく全部使ってしまった、そんな言い方を私も以前したことがありますが、これも考え直す必要がありそうです。だって国民が貯金大好きで、余ったお金は全部定期預金にしてしまうんだもの、国が代ってそれを使うより仕方無いじゃありませんか。まさか銀行の金庫に札束のまま寝かしておく訳にも行かないでしょう? それに、総額1400兆円と言っても、その多くはまだ金利の高かった高度経済成長の時代に貯め込んだものですから、利子で膨らんだ部分も相当大きい筈です。例えば、これから団塊の世代がリタイア時期を迎えて、この1400兆円を取り崩して悠々自適の老後を送ろうとする訳ですが、そんな貯金を払い戻す能力は、銀行にも国にも無いのです。が、だからと言って預金者が文句を言っても仕方ありません。この莫大な預金がどこに消えてしまったかと言えば、それは道路になり、ダムになり、上下水道になり、私たちの生活を豊かにすることに使われて来たのです(無駄づかいもずいぶんあったけれど)。それで1400兆円の相当部分はペイされていると思いませんか? 別に政府の肩を持って言っている訳ではありません、要するに、プラス金利というものの実体の無さ、その最も愚かな帰結を、歴史上例のないスケールで演じつつあるのが、現代の日本人かも知れないということです。もしもこれがマイナス金利の世の中だったら、こんな不健全な事態にもならなかった筈なのです。

 お金にマイナスの利子をつけるというアイデアは、エンデの発案ではありません。19世紀から20世紀にかけてドイツで活躍したシルビオ・ゲゼルという経済学者が考案し、理論付けたものだそうです。『エンデの遺言』という本は、実はこのゲゼルの足跡を追い、紹介した本でもあります。これも私は初めて知ったのですが、そこには20世紀のその後の歴史を変えるような大きなドラマがあったのです。自ら実業家でもあり、経済学者でもあったゲゼルは、精力的に貨幣改革の理論を説き、一時政治にも関わりましたが、生前には充分な評価を得られないまま、1930年に亡くなりました。時は第一次世界大戦のあとの大不況で、ヨーロッパ中に失業者があふれていた時代です。そのゲゼルの遺志を継ぐかのように、彼の思想に共鳴した人々が、最初はドイツのシュヴァーネンキルヘンという町で、次いでオーストリアのヴェルグルという町で、ゲゼルが提唱した自由貨幣を町の通貨として発行したのです。結果は奇跡のような驚くべきものでした。周囲の地域が不況であえぐなか、この2つの町では失業者が激減し、豊かな経済活動が回復したのです。それは世界中の注目するものとなり、たくさんの人が視察に訪れたと言います。が、この2つの町の試みは、いずれも時の中央政府によって禁止され、短い期間で廃止されることとなりました。町は再び30パーセントの高い失業率に逆戻りし、希望を失ったヨーロッパはまもなくナチスの台頭を許すのです。シュヴァーネンキルヘンの郷土史家は、「もしもこの試みが禁止されずに各地に広まっていたら、ヒトラーの第三帝国の台頭を食いとめられたのではないかと思います」と語っています。ゲゼルの理想がどういうものであったか、それはヴェルグルで試された「減価する紙幣」(労働証明書)の裏面に記された宣言文が雄弁に語っています。感動的なので、引用してしまいます。

 『諸君! 貯め込まれて循環しない貨幣は、世界を大きな危機に、そして人類を貧困に陥れた。経済において恐ろしい世界の没落が始まっている。いまこそはっきりとした認識と敢然とした行動で経済機構の凋落を避けなければならない。そうすれば戦争や経済の荒廃を免れ、人類は救済されるだろう。人間は自分がつくりだした労働を交換することで生活している。緩慢にしか循環しないお金がその労働の交換の大部分を妨げ、何百万という労働しようとしている人々の経済生活の空間を失わせているのだ。労働の交換を高めて、そこから疎外された人々をもう一度呼び戻さなければならない。この目的のためにヴェルグル町の労働証明書はつくられた。困窮を癒し、労働とパンを与えよ。』

 いやあ、どうにも私は弱いんですよ、こういう高らかな理想主義のトーンに。本当に、こんな試みを押しつぶすなんて、当時の政府はなんともったいないことをしたものだろう。その後、悪夢のような第二次世界大戦が起こり、さらに世界は資本主義対共産主義の冷たい戦争の時代に入って行ったことを私たちは知っています。しかし、そんな中で、小さな試みだったかも知れないけれど、資本主義でもない、共産主義でもない、まさに市民のための第三の経済機構が胎動していたという事実は、現代の私たちにも希望を与えるものだと思います。現代は、グローバリズムという名のもとに、商品化したお金がかつてないほどの暴威をふるっている時代だからです。20世紀を代表する経済学者だったケインズの書物の一節には、こんな言葉があるそうです、『われわれは将来の人間がマルクスの思想よりはゲゼルの思想からいっそう多くのものを学ぶであろうと考えている』と。このケインズの予言が的中したかのように、今日でもアメリカで、日本で、世界各地で、ゲゼルの思想を直接間接に受け継いだ地域貨幣の試みが始動している、そのこともまたこの本は伝えています。私はあまりに知らな過ぎました。今年はひとつのテーマとして、このことについて勉強して考えて行こうと思います。お正月に一年の計として、そのことを記しておくことにしました。そうかあ、五十年も生きて来てどうも居場所が見付からないと思っていたら、自分はマルキストでもケインジアンでもなくて、ゲゼリアンだったのかあ。こいつは春から縁起がいいや。(笑)

 (日本にもシルビオ・ゲゼルの思想を研究する「ゲゼル研究会」という組織があるそうです。そこの代表をなさっている森野栄一さんは、『エンデの遺言』の執筆者のひとりでもあり、また日本各地で始まっている地域通貨への取り組みのアドバイザー的な役割をしている方のようです。森野さんの由布院での講演録がインターネットで公開されています。分かりやすく地域通貨の意義を説いた、とてもいい記録だと思いますので、併せてご紹介しておきます。)

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