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2006年12月24日 (日)

理想の格差社会について

 前回の記事で、今日の格差社会の問題は、格差そのものよりも貧困の問題だと書きました。このことに関して、まだ何か言い足りない気がして仕方ないので、もう少し思うところを書き足しておこうと思います。私は格差問題や貧困問題の専門家ではありませんし、特にその分野に詳しい訳でもありません。が、最低限こうあるべきだという格差是正や貧困対策のあり方については、自分なりの考えを持っています。まずはそれを明らかにしておきたいと思います。それはとても簡単なことです。こんな喩え話で説明出来ます。もしもここに10人の人がいて、10個のパンがあったとします。この10人がとりあえず生きて行くために、ひとり1個のパンがどうしても必要であるならば、無条件にひとり1個ずつパンを配るべきであるという考え方です。その際、この10人の社会的地位がどうだとか、努力や才能の差があるか無いかなどということは関係がありません。そこに選択肢は無いのです。もしも全部で30個のパンがあるなら、余剰の20個をどう分配するかについて、その社会なりの選択肢があってもいいと思います。しかし、生きて行くために必要なひとり1個の最低ラインだけはどうしても譲れない、これがまず基本です。現在の日本は、過去のどんな時代よりも豊かな時代になって、全部で30個どころか100個のパンがあるにもかかわらず、最も貧しい層の人たちには、ひとりに1個のパンさえ満足に行き渡らない状況になっている、これが私が今日の格差問題について抱いているイメージです。

 日本はとりあえず60年以上に渡り、戦争をせず平和のうちに経済を発展させて来ました。よく日本の戦後復興を奇跡と呼ぶ人がいますが、この60年間に蓄積した社会資本や国民の教育水準の高さなどは、やはり奇跡に近いものであったように思います(もちろん個々にはいろいろ問題もあるでしょうが)。日本で1年間に捨てられる食べ物を上手に分配すれば、世界中で餓死する人はひとりもいなくなる、それほどの豊かさをこの国は享受しています。にもかかわらず、国内では相変わらず餓死したり凍死したりする人たちが後を絶たない。何故でしょう? 簡単なことです、豊かさの分配がうまく行っていないからです。これは完全に政治の問題です。これについては何度でも同じことを書きますが、いま政府は国家予算削減のために、最も貧しい人たちへの福祉予算も容赦なく削ろうとしている。私はこれが間違いだと言うのです。政策立案において重要なことは、国民の中で最も貧しい人たちや弱い立場の人たちに、最低限の文化的生活を保障することであり、それが出来て初めて残りの余剰の富(90個のパン)をどう分配するか、議論出来るようになるのではないでしょうか。いまの政府の政策は、その基本的なことが出来ていない。ということは、つまりこの国では政治がまともに機能していないということです。これは私の個人的な考えです。こういう考えにも反対意見があることは知っています。貧しさに転落する人は自助努力が足りなかったのだと言う人もいるからです。だが、これに対しては、私はこう反論します、「自助努力」だとか「自己責任」ということをいくら声高に言っても、私たちは貧しい隣人たちが餓死して行くのを座視することは出来ないでしょう、と。現代人の進化した道徳的感覚がそれを許さないからです。

 これも以前書いたことと重複するのですが、現代の格差や貧困の問題は、産業の高度な効率化がその背景にあると思います。企業の中で機械による自動化やコンピュータ化が進めば進むほど、人間の労働の価値は下がります。少なくとも機械で代替出来るような単純労働の値段は、限りなく下落して行くに違いありません。(だからこそ経営者は、高価なロボットやコンピュータを喜んで購入する訳でしょう?) こういった進歩の先には、どういう世界が待っているのでしょう? 世の中の生産工場がすべて無人化されて、人間がまったく働かなくても製品がどんどん出来て来るような世界を想像してみましょう。この場合、製品はとても安価に産み出されますが、それを購入する労働者がいなくなる訳ですから、経営者や投資家にとっても都合のいい話ではなくなります。しかし、そういった世界は、要するに産業の効率化が極限まで達した世界である訳ですから、国内総生産の額も現在よりはるかに増加するに違いありません。だとすれば、問題はやはり富の再分配をどうするかという点に収斂されて行くのではないですか? すべての製造業やサービス業が完全に自動化された世界では(ロボット調理人やロボット運転手の働く世界です)、労働によって給料を得る人はいなくなる。極端な話、国内に勝ち残った企業がたった1社だけになり、そこがすべての製品やサービスを産み出していると仮定しましょう。その企業の経営者は、1000兆円のGDPをたったひとりで稼ぎ出し、900兆円の税金を収め、そこからすべての世帯に<生活保護費>が配られる。私たちは、配られた生活保護費で、またその企業の製品を買う訳です。この独占企業の経営者にしても、個人所得100兆円なら悪い話ではない(でも、一体何に使うのでしょう?)。社会の格差の程度を測るジニ係数という指標があります。ジニ係数が1の社会とは、ひとりの人間がすべての富を持ち、残りのすべての人が無一物になる社会です。この究極の格差社会は、見方を変えれば、また究極の平等社会であるかも知れないのです。

 もちろんいくら二十一世紀のビル・ゲイツのような人が登場しても、現実にそんな1社独占の世界が来るとは思われない訳ですが、産業の効率化によって行き着く究極の資本主義というものがあるとすれば、それにかなり近いものになるような気がします。昨今、大企業同士の合併が頻繁に起こり、それに伴ってリストラ(人員カット)が激しさを増しているのを見れば、すでにそういった社会が半ば実現しているとも言えるかも知れません。それを富の一極集中と見、資本家が一般大衆(その大多数が失業者であり、もはや労働者ですらない)を搾取する究極の階層社会だと見れば、未来に明るい希望は見えません。しかし、それが最も効率的に安いコストで富を作り出す仕組みの実現であるならば、その恩恵を受けるのはやはり大多数の一般大衆である他ありません。勝ち組の寡占企業だって、顧客というものは必要とする訳ですし、顧客が満足する製品やサービスを産み出すことが最大の使命であることに変わりはない。顧客の中心が生活保護世帯だからと言って、製品やサービスの質を落とす理由はありません(落とせば競争に負けますから)。こういった社会になれば、生活保護世帯の増加は、むしろ豊かさの証明であり、言祝ぐべきことにさえなりますよね。私はこれからの政治には、そういった将来を見据えた前向きな視点がぜひとも必要だという気がします。そう考えれば、予算が足りないから社会福祉や生活保護を削ろう削ろうとしている現在の政府は、まことに近視眼的であると言わなければならない。おかしいですか、この考え方は?

 今から40年くらい昔、まだ日本が高度経済成長の時代に入ったばかりの頃、私たちはみんな一度は夢見た筈です。いつか人間が単調な機械のような労働から開放されて、もっと自由に豊かに暮らせる時代が来ることを。そのために私たち日本人は必死に脇見もふらず働いて来た。そして夢に見ていた豊かさは半ば実現しましたが、いつの頃からか、豊かになること(経済的な豊かさ)それ自体が自己目的化してしまった。大事な忘れ物があったのです。現代は価値観の多様化した時代だと言われます。私はそれは嘘だと思っています。多様な価値観を認めると言いながら、実はたったひとつの価値観に染まっているのが現代です。つまり、お金に換算出来る価値だけが、現代社会の認める唯一の価値だという意味です。お金で買える趣味嗜好だけが多様化したのです。近頃は、東大の学生さんの中にも、将来自分がニートになるのではないかと心配している人が多いのだそうです。東大を出て、就職口が無い訳ではない、就職しても自分がやりたかった仕事に就ける望みは少ない、きっと2、3年で会社を辞めてしまうだろう、そういった絶望があるのです。これを豊かさの中で育った若者の贅沢な悩み(肥大化した自己実現願望)としてひと括りにするのは間違いだと私は思う。ホリエモンのように、とにかくお金を稼ぐことだけを目的と出来る単純なメンタリティの若者ならともかく、彼らニート予備軍や実際のニートと呼ばれる若者の中には、この現代の歪んだ価値観の中で窒息しそうになっている人が多いのではないかと想像します。

 貧しい老人ばかりが多い世の中も寂しいですが、多くの若者が希望を持てない世の中も暗澹としています。最近の若者は、クリエイティブな仕事がしたいなどと言って、額に汗して働くことを軽蔑している風潮がある、そんなことを言う人がいます。が、額に汗して働く単純労働の価値を下落させているのは、今日の産業界であり、現代社会そのものではないですか。クリエイティブな仕事への移行は、時代の要請です。だとすれば、例えば小説家やミュージシャンを目指して定職に就かない若者のことを、モラトリアムなどと言って否定的にばかり捉えるのも酷なような気がします。むしろそういう若者をこそ、これからの社会は応援すべきではないでしょうか。彼らの生み出す作品が、市場価値を持つかどうかだけで評価すべきでもありません(本人がそれを目標とするのは自由ですが)、これからの時代の新しい価値は、経済効率性とは無縁の場所から生まれて来るかも知れないからです。人々が真に多様な価値観で未来の夢を描けるようになった時、もう一度この国の文化にはルネッサンスが起こるかも知れない、そんなことさえ私は夢想するのです。お金に呪縛された現代人の心を、開放するような上手なお金の使い方もあると私は思います。社会福祉費や生活保護費は、決して社会の無駄なコストではありません、それはすべての人の夢を育むインキュベーション費用なのだと私は考えます。

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コメント

はじめまして。
ネットサーフィンしていたら、ここにたどり着きました。
都市計画でドクターを取得しようとしている者です。


>産業の効率化によって行き着く究極の資本主義

大いに共感できることです。遠い未来、完全に再分配できるような世の中になる気がします。資本主義を経た、真の共産主義ですね。その頃には生きてはいないでしょうが・・・
労働力が必要ない世の中へとシフトしているのであれば、やはり少子化は自然な現象なのでしょうか。


ここで現実的な問題を記載することをご容赦ください。クリエィティブな職を目指そうとする人口に対して、再分配機能が正常に働いていないことは、社会の風潮もあるかと思いますが、それを目指す絶対的な人口が多すぎることが原因ではないでしょうか。生活保護もまたしかり。社会の要求するキャパを超えていると思います。一方で、パラサイトシングルは実は再分配機能を持ち合わせたものだと思っています。裕福な親の収入や持家で、その財産を食い散らかすことはある意味再分配されているのではないかと感じます。

投稿: ラムネマン☆ | 2007年1月 6日 (土) 17時49分

ラムネマン☆さん、はじめまして。コメントありがとうございます。ご返事が遅くなってしまってすみません。

確かに今の日本は、いや、世界を見ても人口は多過ぎるのだと思います。日本はすでに高齢化のスピードを少子化のスピードが追い抜いて、昨年あたりから人口が減少し始めたようですね。確かに毎朝満員電車に揺られて通勤していると、日本ももう少し人口が減った方がいいのではと思ってしまいます。(笑)

ただ、日本も人口が増え過ぎたので、少子化も自然な現象ではという言い方には、ちょっと同意出来ない点もあるんです。子供を持ちたいけれども、主に経済的な理由から諦めてしまっているご夫婦も多いからです。フリーターやニートと呼ばれる若い人たちが、子供を持つことはもちろん、結婚も出来ない状況にあるという話を聞くと、やはりこれは人口の自然減などではなくて、政府の経済政策の失敗のせいではないかと思ってしまうんです。

実際に日本の場合は世代間の富の偏りという問題がやはり大きいですよね。親にパラサイト出来る若い人はめぐまれているし、自ら意図せずに再分配に協力しているのだと思いますけど、食い散らかす財産も無い若い人はやはり気の毒だと思います。安倍首相は、再チャレンジ可能な社会と言いますが、具体的にどんな政策を考えているのでしょう?

最新の記事にも書きましたが、日本で若い人がお金も無く、仕事も無くて苦しい思いをしているのは、実は高齢世代がお金の流れを堰き止めてしまっているからなんですね。日本人って実は恐ろしい国民で、勤勉なのはいいけれど、稼いだお金をブラックホールのように吸い込んで、最後まで吐き出さないんです。まるでこの国は、お金の墓場みたいです。本当はお金は社会を駆け巡って、若い人や貧しい人たちにも幸せを運んで行くべきものなのに。

今の日本でとても重要なことは、若い世代や将来の子供たちに、いかに我々の時代のツケを回さないかということではないかと思います。「持続可能な社会」というのは、要するにそのことではないでしょうか。都市計画というのも、この点でとても大事な役割を担った研究分野ですよね。高層のオフィスビルやマンションをどんどん建てるのもいいですが、それが百年後の私たちの子孫にとって重荷にならないかどうか。今年は私もお金の問題と持続可能な社会の問題を少し考えてみたいと思っています。よろしければまたお立ち寄りください。

投稿: Like_an_Arrow | 2007年1月10日 (水) 23時52分

過去の数千年の人口推移をみると、文明開化するたびに人口が増加し、ある程度まで到達すると減少に転じ、また次の文明開化で人口が増加するとの繰り返しです。今の日本社会はある程度まで到達した文明であると思いますので、人口減少社会に転じるのは必然かと思っています。次に人口爆発が起こるときは、宇宙移民時代とかではないかと思います。資本主義という文明に限界が見えてきた(ニートなど様々な問題があるように)、と考えると自然な現象だと思います。

しかし、現時点で政府の政策は悪いと思います。少子化が危険だ!と警鐘を鳴らし国民を誘導し、子育て支援という名目でお金をばらまいてます。お金を配るだけでは全くもって意味がない。ライフスタイルそのものを変化させていかないと子供は増加しないのです。ライフスタイルの変化もある意味、文明開化とでもいうのでしょうか。確かデンマーク(オランダかな?)での例ですが、結婚した時点で、今まで男女共に1.0の仕事量(1.0+1.0=2.0)だったのを、0.75にし、あわせて1.5の仕事量したそうです。残りの0.5で余暇や子育てをする。結果、少子化に歯止めがかかったそうです。また、0.5分の雇用も増えますし、0.5の余暇で購買意欲が湧き、経済も循環して一石三鳥の成果をあげたそうです。要はワークシェアですね。

ニートに関してですが、ニートのうち、「病気や怪我の療養のため」で全体の4分の1だそうです。これは何を意味するのでしょうか。NETで情報を仕入れ、精神病だと仮病で診断してもらい、生活保護をうける、といったことも想像できます。現に多くの人がそれを実行しています。また、低所得者家庭にニートが多いそうですが、実はニートが着目される以前から多かったのではないかと思っています(データがないのが残念ですが)。富裕層のニートに着目され、その後、実は低所得者家庭にはもっといる、といったことが考えられます。

将来、私達の子孫のことを考えると、高層のオフィスビルやマンションをバンバン建設することは反対ですね。人口減少化社会において、過剰な供給は必ずゴミとなり、それを処分するのは誰になるのかと考えると、やはり子孫ですよね。なんとかしなくてはならないと思うのですが、まだまだ私では力不足です。反対論者の中には、高層マンションで育った子供は精神面で成長が遅れるというデータを持ち出します。人間は、元来、地面に触れてきた生き物ですからね。まあ、当然のことかと思いますが、そういった理由で反対する人はいかがなものかと思いますね。私は、個人的に、これは人類の進化の過程の一つなのではないかと考えています。将来、宇宙に飛び出すであろうことを考えると些細な問題ですからね。

投稿: ラムネマン☆ | 2007年1月12日 (金) 02時33分

なんか違うと思う。怠けまくって老人になった人。やっぱり国が救わないといけないのか?これから大量に出てくるぞ。怠け貧乏人。生活保護。博愛主義に悪乗りできる世の中なら勤労意欲なんてわきません。らくだもん。ニートとかフリーターはもう足元見てるんだよ。ヒューマニズムは美しい。でも世の中を成り立たせるのは所詮アメとムチなんだよ。後期高齢者の問題を見てもわかるだろ?年よりはそんなに偉いのか?

投稿: | 2008年7月 3日 (木) 17時38分

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