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2006年10月 1日 (日)

安全性の標準化に関する提言

 タイムマシンと並んで、SFでよく取り上げられる夢の技術に、テレポーテーションというものがあります。日本語で言えば、瞬間物質転送装置とでもいうのでしょうか、テレビドラマで人気のスタートレックにも出て来るあの機械のことです。もしもこれが発明されたら、その実用性と有用性はタイムマシンなどの比ではないと思います。これがあれば従来の交通手段や物流手段はすべて不要なものになる。世界中の街角に電話ボックスのような送受信機が置かれ、電話をかけるような気軽さで、世界のどこの国にも一瞬で移動出来るといったイメージです。しかも省エネルギー型の技術なので、環境にも優しい。まさに究極の技術革新とも呼ぶべきものです。仮にそんな技術が本当に実現したと想像してください。しかし、この夢の技術にもひとつだけ欠点があって、たまに起こる事故だけはどうしても防げない、日本国内で転送中の事故により、毎日平均二十人くらいの人が死亡するとしたらどうでしょう。便利さと引き換えに、その程度のリスクは甘受しますか? たぶんほとんどの人はそれを受け入れられないという気がします。(なにしろこの装置による事故は悲惨で、人間の胴体と首が別々の場所に転送されてしまったりする。) ところが、これと同じくらい危険で、しかもこれよりずっと不便で、コストもかかり、環境にも悪い技術が、当たり前のように普及しています。自動車のことです。

 今回は自動車の安全性の問題について書こうと思ったら、こんな書き出しになってしまいました。自分自身、もともとクルマがあまり好きではないこともあって、このような未成熟で危険な機械を、何故現代社会は当たり前のように受け入れてしまっているのかと考えることがよくあります。最近、飲酒運転による重大な事故が立て続けに起こり、世間の関心が集まっていますね。たいていは飲酒運転をする人のモラルの低さや、罰則の甘さが議論になるだけで、自動車そのものの危険性が指摘されることはあまりありません。私自身はクルマを運転しない人間なので、ドライバーの気持ちはよく分かりませんが、酒の方は人並み(以上?)にたしなむので、酒飲みの気持ちはよく分かる(笑)。クルマ嫌いの自分としては、どんどん飲酒運転を取り締まってもらって、違反者はどんどん交通刑務所に送ってもらって構わない訳ですが、冷静に考えれば、<酔っ払い>を取り締まることにはどこか無理があります。酒を飲んだら運転してはいけないということは、理性を持った大人なら誰でも知っている、しかしその理性を失わせるのが酒というものなんですから。酔っ払いに対しては何を言っても無駄なことは、私たちは日常生活の中でよく承知している筈です。飲酒運転者をつかまえて罰することは、子供のおねしょを叱るのと同じような、どこか滑稽なところがあるように感じます。(いや、だからと言って飲酒運転を大目に見るつもりは毛頭ありませんよ。)

 自動車の性能は、ここ百年のあいだに格段の進歩を遂げました。しかし、こと安全性能ということに限っては、初期のT型フォードの頃からいくらも進歩したとは思えない。逆に自動車自体が高性能化するに伴って、事故の際の危険度は増しているように思います。(運転者はエアバッグで守られているかも知れませんが、歩行者の立場で言わせてもらえば、最近の4WDに轢かれるよりは、昔のT型フォードに轢かれた方が、まだ生き残る可能性は高い気がする。) 私にはどうしても、現在のクルマというものが、安全性を置き去りにしてアンバランスに進化しているとしか思えないのです。むろん各自動車メーカーが、最新の電子技術を駆使して、安全なクルマ作りに取り組んでいることは知っています。でも、それならば、安全性が確保出来るまでは製品化して世に出すのを控えるというのが企業の倫理というものではないだろうか。仮に国内で毎日20件の死亡事故を起こす電子レンジやガス湯沸かし器なんてものを想像してみてください。そんなものに対してマスコミが黙っている訳がない、大問題です。では、何故自動車だけはそれが問題にされないのだろう? たぶん自動車が危険なのは、運転者の不注意や交通違反によるもので、製品自体の欠陥ではないというのがメーカーの論理なのでしょう。しかし、年間7000人の死者を出し、数十万人の怪我人を出しているという事実が、そのメーカーの論理を裏切っています。自動車というものは、大量生産が始まった百年前から今日に至るまで常に、安全に操作するためには人間の能力を超えた製品だったのだと思います。

 トヨタの最高級車レクサスの新型には、クルマの前に飛び出した人影をレーダーで感知して、急ブレーキをかける機構が備わっているそうです。そんな技術が実現しているなら、何故すべての自動車にそれを標準装備しないのでしょう? カーナビゲーションやエアコンなどはオプション装備であって構いませんが、安全に関する装置は、オプションのコストを払った人だけを守るものであってはならないと思います。たとえそのために、すべてのクルマが数十万円ほど価格アップするとしても、それを標準化するのはメーカーの良心というものでしょう(これまで百年間も欠陥商品を売って来たんだから)。それにもうひとつ、安全装置をオプション装備にすることには、別の危険性が潜んでいる気もします。例えば、世の中の8割のクルマにレクサスのようなレーダー探知機が着いたとします。そうなると子供たちは、クルマというものは、その前に飛び出しても止まってくれるものだと思い込んでしまうかも知れない。そしてそれが着いていないクルマの前に飛び出して、轢かれてしまうかも知れない。あるいは、アンチロックブレーキが装備されたクルマで運転感覚を覚えた<走り屋>の若者は、たまたま人に借りたクルマで山道を攻めていて、いつもの感覚でカーブに突っ込み、曲がり切れずに谷底に転落してしまうかも知れない。そんな原因で事故が起こらないと果たして言えるでしょうか? 安全性をオプションで売ろうとしている自動車メーカーは、そんな危険性のことまで考えているのでしょうか?

 自動車を安全なものにする研究は、各メーカーが競合の垣根を超えて共同で行なうべきものです。そしてその成果は、メーカーや車種の違いに関係無く、標準で搭載されるべきものだと考えます。レクサスには航空機並みの巨大なシステム・ソフトウェアが搭載されているのだと聞きました。こうした複雑なシステムは、もちろん故障の危険性はありますし、ソフトウェアである以上、誤動作の可能性だって無くはないでしょう。しかしそれでも<人間の誤動作>よりは、はるかにマシであるに違いない。なにしろ放っておけば、これからも毎日20人の生命が自動的に奪われて行くのです。この点に関しては、行政も規制緩和の流れに逆らってでも、実用化の目処が立った技術の義務化に動くべきだと思います。もちろん飲酒者が運転席に座った時に、エンジンがかからなくする仕組みなど、真っ先に標準化を義務付けるべきものです。

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