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2006年10月22日 (日)

さらに深刻な「2008年問題」

 2007年問題ということが言われています。来年から始まる団塊世代の大量リタイアによって、企業の中では情報システムの中身が分かる人がいなくなってしまったり、熟練が必要な技術の継承が途切れてしまうことが懸念されているのです。が、私はそれよりももっと困ったこととして、企業の中でのリーダーの不在ということが大きく社会問題化するのではないかと思っています。「2007年問題」のすぐあとに顕在化する問題ということで、これを仮に「2008年問題」と名付けましょう。経営トップから各部門の中間管理職まで、組織のあらゆる層で指導力が失われ、企業が沈滞または迷走するという問題です。

 コンピュータ業界では、この何年かのあいだずっと、慢性的なPM不足ということが言われて続けています。PMというのはプロジェクト・マネージャーの略で、システム構築プロジェクトの総責任者のことです。構築するシステムの大きさによって、プロジェクトにも十人規模から千人規模までさまざまなサイズがある訳ですが、PMに期待される資質と、課される責務は同じです。預かったヒト・モノ・カネのリソースを最大限有効に活用して、プロジェクトを計画どおり遅滞なく進捗させること、顧客企業および自社の経営陣に対しては、熟練したコンサルタントのようなコトバでもって説明と説得を行なうこと、顧客担当者のクレームに対しては丁寧に耳を貸し、しかも毅然とした態度で過剰な要求の切り捨てを行なうこと、そして何よりも、部下であるシステム開発者に対しては、時には鬼軍曹のような厳しさと、時にはカウンセラーのような忍耐強さをもって、モチベーションを与えながら引っ張って行かなくてはならない。それらをすべて同時進行でこなすのがPMの仕事です。とても人間ワザとは思えませんね。単に経験や能力だけでは一人前のPMにはなれない、成功への飽くなき執念と不屈の闘志を持った人でなければ務まりません。そして業界では今このPMが払底しているのです。でも、考えてみればそれも当たり前なことです。よほど自虐的な人か逆境を好む人でもない限り、そんな立場に進んで身を置こうというのは合理的な選択ではない。優れたPMになれるくらいの才能と意欲を持った人なら、もっとずっとストレスの少ない生き方だって選べる訳ですから。

 もちろん苦労の多いプロジェクトをやり遂げた時の達成感は、他では味わえないほど大きなものです。それは長年の苦労が実って社長にまで昇りつめた人にとって、それが人生のゴールであるのと同じようなものです。おそらく団塊の世代くらいまでの日本のサラリーマンには、そういった価値観が共有されていたのではないかと思います。が、それよりも下の世代になるに従って、こういう<組織の中での上昇志向>であるとか、<与えられた難しい課題の達成>といったものに対する価値観は、薄れて行く一方なのではないでしょうか。最近の新入社員の中には、入社3年目くらいで辞めて行く人が増えているのだそうです。世間でいわゆる一流企業と呼ばれる会社でも、若い社員がどんどん辞めて行く。辞めて行く若者にはたぶんふたつのタイプがあって、キャリアを積んで自分で会社を起こそうとしているか、会社の中のふつうの人間関係にも疲れてしまって、気楽なフリーターに逃避して行くのか、そのどちらかではないかと思います。ここは二極化ではなくて三極化です。その中間にいる会社に残った層は、いい意味でも悪い意味でも平均的で、能力はあるが大きな野心はない、仕事においても人間関係においてもそこそこ、といった集団です。団塊世代が去ったあとには、この<そこそこ主義>の中間層が会社に充満する訳ですから、必然的に強力なリーダーシップも失われて行くことになります。(そこそこ主義の第1世代に属する私が言うのだから間違いない。笑) これがすなわち私の言う「2008年問題」の核心です。

 今週NHKで放送された茂木健一郎さん司会の番組に、コンビニ第2位のローソンの若い社長さんが出ていました。新浪剛史さんという方です。自分と同世代の人の中にも、こんな強烈なリーダーシップを持った経営者がいるんだ、そう思って素直に感心しました。ただ、ひとつ特徴的だと思ったのは、新浪さんはローソンの生え抜き社員ではなく、米国で経営学を学び、MBA(経営学修士号)を取得したプロの経営者(の卵)だったという点です。その彼が入社した商社の中で頭角を現し、セブンイレブンを追撃するローソンの社長として送り込まれた。私たちは、カルロス・ゴーンさんが日産を<奇跡の復活>に導いて以来、要請されて外部から来た人が大企業のトップに就任することにも、それほど抵抗を感じなくなっています。が、それを受け入れた企業の側から見れば、やはりそれは経営陣の層の薄さだとか、次の経営者に足る人材の不足だとかいうことが、お家の事情としてあったのではないかと勘ぐってしまう。本来なら、やはりその会社で叩き上げた人物が、樹木が大木に成長するように自然にトップの座に就くことが望ましいと思います。日産やローソンのようなケースは、あくまで緊急避難的な例外であって欲しい、そう考えないと日本企業の将来が心配です。例えば日本の上場企業4000社の経営トップが、すべてゴーンさんや新浪さんのような人たちで占められてしまった時のことを想像してみてください。それが果たして産業界の健全な姿と言えるだろうか。

 ゴーンさんのような(おそらく)真のプロフェッショナルと呼べる経営者(私はむしろ<経営請負人>と呼びたい気がしますが)は、平均的なリーダーの質が低下するなかで、今後ますますその存在感を増すことになると思います。しかし、社内の生え抜きではない、外部から来たプロの経営請負人に会社の舵取りを任せることは、結局は社内の求心力を弱め、長い目で見た場合企業の競争力を失わせる結果になるであろうことは、最近の事例を見ても想像出来ることです。これは米国と日本では事情が違うといった問題ではありません。辣腕の経営請負人であったカーリー・フィオリーナさんを追放したあとのヒューレット・パッカード社は、いまだに経営陣の内紛が収まっていないようです。逆に雇われ経営者のもとで業績が落ち、息も絶え絶えだったアップル・コンピュータは、創業者のスティーブ・ジョブズ氏を呼び戻して、見事に復活を果たした。フィオリーナはいかにも頭の切れる女性経営者といった風貌でしたが、ジョブズという人は傲慢で怒りっぽく、人間としては最低の人格なんだそうです(笑)。これは象徴的なことだと思います。社員は最高の経営理論で武装したロボットのような経営者にはついて行けないが、数々の伝説を持つカリスマ創業者のもとでは再びやる気を取り戻したのです。

 組織の中でトップに立つ人のなり手がいないという問題は、民間企業の中でだけ起こっている問題ではないようです。例えば全国の公立学校で、校長先生のなり手がいないという問題も、同じ構図ではないかと思いますし、政治の世界でも各政党は同じ悩みを抱えているのではないかと思います。(ただ、政治の世界には定年制がない分、2008年問題が一挙に露呈することもない訳ですが。) 安倍晋三さんは、団塊の世代に遅れて生まれて来た、日本で初めて誕生した「優しさの世代」の首相ということになります。著書の中ではずいぶん勇ましいことを言い、タカ派の前評判が高いので心配していたのですが、首相になってからの演説を聴けば、なんのことはない、自分と同じ優柔不断ではっきりものが言えない、典型的なポスト団塊世代のタイプの人でした。たぶんああいうもの言いでは、国民の人気を長くつなぎ止めておくことは無理でしょうね。リーダーの不在は、これからの社会のあらゆる方面で深刻な問題となって現れて来るような気がします。特に政治の世界では、それがまた別の危険性を孕む可能性もあります。長いあいだのリーダー不在は、逆に強力な個性に対する期待を国民のなかに醸成させることにつながるでしょう。長く続いた小泉人気を思い出してみれば、政治家が小粒になればなるだけ、際立つ異能のカリスマを舞台に登場させる危険性は増すように思うのです。

 今回もまたなんだかまとまりのない記事になってしまいました。たまたまテレビを見ていて、<2008年問題>という言葉を思い付いたので、そこから何か議論を展開出来ないかと思ったのです。最近は日本でもリーダーシップ論というのが盛んなようです。しかし、問題は単に組織を効率的に運営したり、部下にやる気を起こさせたりするテクニックの問題ではないような気がします。むしろ企業や政治や教育がこれからどこに向かうべきか、いま時代は大きな岐路に差しかかっていると思うのですが、その方向性や目標を社会全体で共有することなしには、どんなリーダーシップもありえないように思うのです。いや、そんな大所高所からの議論で締めくくってみても、何も言ったことにはなりませんね。安倍さんの改革はまだ始まったばかりですし、新浪さんの挑戦もまだまだこれからです。当面はその行方を見守ることにしたいと思います。

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