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2006年9月10日 (日)

「闘う政治家」に「宣戦布告」?

 次期総裁候補の筆頭と目されている安倍晋三さんの著書、『美しい国へ』を読みました。今回はその読後感について書いてみたいと思います。著者自身、あとがきの中で述べているように、この本は政策提言として書かれたものではなく、安倍晋三という人のいわば自叙伝として書かれたものだそうなので、個々の政治的見解については、(言いたいことはいろいろあるけれども)、今回は触れません。ただ、これだけは書いておきたいと思うのは、安倍さんの政治家として、いや人間としての狭量さという問題です。

 私は安倍晋三さんとは世代が近いこともあって、この本の基調にある明るい気分がとてもよく理解出来ます。東京オリンピックの開会式の記憶について、『青い空にくっきり浮かんだ白い雲の輪は、子ども心にも、これから日本で、なにか輝かしいことがおきそうな気配を予感させた』と書いていますが、これは高度経済成長期に少年時代を送った世代に共通の気分だったような気がします。でも、祖父に岸信介氏を持ち、大叔父に佐藤栄作氏を持ち、父に安倍晋太郎氏を持つ著者の少年時代には、私のような平凡人には窺い知れない苦労もあったようです。子供の頃、「お前のじいさんは、A級戦犯の容疑者じゃないか」と言われ、反発を感じたというエピソードが紹介されています。高校時代には、安保反対を唱える教師と対立し、こちらが反論するとうろたえて話題を変えてしまった教師に、内心深い侮蔑を感じたりしている。わざわざこういうエピソードを紹介しているのは、子供の頃からのこうした長年の対立関係が、今の政治家安倍晋三の信念を形成するのに大きく影響したことを示唆しているのだと思います。安倍さんは、自ら「闘う政治家」を自認していますが、なるほど闘う姿勢は子供の頃から一貫しているようです。

 まったく先入観なしに、つまり次期総理大臣候補の書いた本だという前提なしにこの本を読んでみれば、その内容の偏向していることは明らかだと思います。保守主義やナショナリズムに偏向しているという意味ではありません、対立する意見や考え方に対する攻撃的な姿勢が、(私の感覚からすれば)常識の範囲を超えているという意味です。ほとんどどのページを開いても、著者は何者かを敵と定め、何者かと対決しているといった印象です。この本の中には、「反論」、「批判」、「敵対」、「否定」といった、対立する言論の場にこそふさわしいネガティブな言葉は毎ページのように出て来ますが、それとは反対の「対話」だとか「共感」だとか「和解」だとかといったような、対立関係を乗り越えようとする意志のこもった言葉はほとんど出て来ません。たまたまなのかも知れませんが、私はそこに安倍さんという人の精神の傾向が端的に表れているような気がするのです。そう言えば、こういう言葉づかいはどこかで読んだ気がするぞ、と思って気が付きました、私の愛読する小林よしのりさんの言語世界そのものじゃないですか。あんまり想像したくないことですが、もしかして安倍晋三さんも小林よしのりさんの愛読者で、その影響を受けているんじゃないでしょうね(笑)。まあ、それは冗談ですが(冗談じゃないかも知れん?)、問題は、権力の座とは無縁の小林さんの繰り出すコトバは、政治的な主張であると同時に表現者としての一種の<芸>でもあり、本物の政治家であり、次期首相であることが確実な安倍さんのコトバとは、おのずからその意味合いも影響力も異なるという点です。

 私は首相になられる安倍さんには腹を割って聞いてみたいのです、あなたは闘う政治家を自認していらっしゃるが、その闘う相手とは一体誰のことなのかと。おそらく今の日本では、国民のちょうど半数くらいが憲法九条を守りたいと思っている訳です。ということは、美しい日本を目指すあなたは、日本人の半分を敵と見なして、それと闘う訳ですね? 改憲派の半分の人たちと手を携えて、次の日本を作ろうというのですね? ということは、残りの半数(私もその中のひとりです)は日本から追放しますか? それともホロコーストにでも送りますか? もしもそうでないと言うなら、あなたは我々護憲派の日本人を、どうにかして納得させてくれなくちゃいけない、それが無理だったとしても、対話の土俵には乗って来てくれなくちゃいけない。ところが、私はあなたの本を読んで、(少なくとも改憲論や軍事論に関しては)ただのひと言も納得が行かなかったし、この人とは対話が出来るとも感じさせてくれなかった。今になってみれば、小泉さんが長いあいだ首相の座にいて、高い支持率を保っていられたのは、任期中何ひとつ決定的なコトバを発しなかったからだと思います。この人の本心がどこにあるのか、最後まで分からず仕舞いだった。それが深慮遠謀の末のことだったのか、単なる能天気のなせるわざだったのかは、永遠の謎になってしまいました(この問題に関して、内田樹さんはひとつの結論を出したようですが。笑)。ところが、安倍さんの場合には、まだ首相にもなる前から、はっきりしたコトバで国民の半数に喧嘩を売っている。私は論理が明解なことは歓迎します、しかし対話の意志の無い明解さは、単なるプロパガンダに過ぎないとも考えるのです。

 いまの時代、国内では右を見ても左を見ても、みんなが喧嘩をしています。靖国参拝の是非をめぐって、日の丸君が代をめぐって、護憲か改憲かをめぐって。それはもう建設的な議論なんてもんじゃない、まさしく口喧嘩です。お互いに最初から折り合う意思がまったく無いんだからどうしようもない。そんななかに、「闘う政治家」の看板を掲げて登場するなんて、どう考えても利口なことだとは私には思えないのです。あなたはきっと、本当に憲法改正案を国会に通して、国民投票にかけることまでやってのけるのでしょう。そして、おそらく憲法は改正されることになるのでしょう。その時、あなたは自民党五十年の悲願がやっと叶ったと考えて、満足するのでしょうか? もしかしてそれが、戦後日本の深い分裂の病理を、その深刻な症状を、さらに亢進させることだったとしても? 私は新しい日本の首相には、少なくとも現在この国が重篤な症状に陥っているということの病識を持った人になって欲しい。そういう人なら、まずは相手の言葉を聴くことから始めるでしょうし、自分の信念にこだわって性急にことを決することも控えるでしょう。

 と、ここまで書いて、少し脳味噌がヒートアップしてしまったので、気分転換に近所の本屋に行って来ました。新聞の広告で見た、立花隆さんが安倍晋三さんに向けて書いた批判文のことを思い出し、読んでみたくなったのです。すぐに見付かりました、『月刊現代』という雑誌です。記事のタイトルがすごい、『安倍晋三「改憲政権」への宣戦布告』というのです。読んでみました。読んだらさらに気持ちが滅入った。立花さんの本は、過去に何冊か読んだことがあります。ことに『臨死体験』は私の座右の一冊でもあります(オカルト、好きなもので。笑)。立花さんと言えば、その硬質な文体と世間に迎合しない骨太の批評精神において、私の敬愛する文筆家のひとりです。今回の記事に付く『宣戦布告』という軽薄な言葉だって、きっと雑誌の編集者が売らんかなで後から付けたタイトルなんだろうと思っていた。ところが、読んでみたら、これがホンモノの<宣戦布告>でした! 立花さんは、最近の著作でも取り上げている南原繁氏の言葉を手がかりに、戦後民主主義の理念と、それを保障して来た現行憲法の意義を説きます。そこまではいい、私も同意です。しかし、安倍晋三さんのことを「昭和の妖怪」岸信介のDNAを継ぐ者と規定し(そりゃ継いでいるわな)、自分のことを南原繁の精神的DNAを継ぐ者と規定して、両者の対決が歴史的な因縁であるかのように演出してみせる。こんなのは傍から見てもみっともない挑発だし、最初から対話の道を閉ざしているとしか思えない。立花さんは、安倍さんが自らの憲法改正発言に今後も縛られ続けるだろうと言いますが、宣戦布告などしてしまったあなたこそ、今後安倍総理に対して心を開いた発言が出来るのでしょうか?

 この雑誌には、同じく重厚なルポルタージュ作家として知られる辺見庸さんのインタビュー記事も載っています。こちらもそのコトバの体温は、立花論文と変りません。辺見さんは言います、『小泉氏は単純で陽性な独裁者、ファシストの一面がありますが、安倍氏はあの一見柔和な表情の裏に底暗い世界観を秘めた、いわば“陰熱”の国家主義者であると感じます。』 そしてさらに安倍さんのことを「ちんぴら」と呼び、自らの病身をおしても『(憲法をめぐる)この喧嘩に最期まで付き合う覚悟です』と言って、言葉を締めくくっている。立花さんにしても、辺見さんにしても、喧嘩上手であることはよく分かりました。が、相手だって喧嘩の腕前はまだ分からないが、「闘う政治家」を標榜する人ですよ。闘う政治家に、こちらから宣戦布告をしてどうする。ゴングが鳴る前にもう場外乱闘が始まった様相です。こんな最後通告のような言葉を発してしまった以上、もうこの人たちのあいだには、どんな対話もありえないのではないだろうか、私はそれを心配します。自らを闘う者と規定する人は、相手からの攻撃によって余計に戦意を高揚させるものです。最初から作戦が間違っています。

 気分転換のつもりが、雑誌の記事でいっそう脳味噌が発熱してしまいました。本当に熱があるのかも知れん。それにしても、安倍さんにしろ、立花さんや辺見さんにしろ、こういった発言をする場合の、その言葉の平板さに私は驚き呆れます。例えば、最近私が愛読している内田樹さんの、複雑で重層的でためらいがちな思考法に比べると、なんとまあ単純で平面的で自信満々な思考法なのだろうと思ってしまう。もしかしたら、攻撃的であることと単純であることとの組み合せが、いま世界で起こっているあらゆる対立の大元にあるのかも知れない、そんな仮説さえ思い付いてしまいました。素朴で悪意の無い単純さというものは、いまのような時代にだって、結構ありふれたものとしてあると思います(例えば私のこのブログのように)。しかし、自分の持つ信念やイデオロギーに対しては一切批判的な目を向けず、対立する意見やイデオロギーに対しては本能のように牙を剥く、そういった短絡的な思考同士がぶつかり合った時には、もうどうしようもない。少なくとも商業主義や有権者の支持率には気をつかわなくてもいい我々ブロガーは、こういった犬の喧嘩からは距離を置きたいものです。

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