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2006年8月 6日 (日)

歴史に名を残す最も簡単な方法

 我が家には幼い子供がいるので、休みの日はたいてい家の中に童謡が流れています。ポピュラー音楽の世界は流行がめまぐるしく、数年前に流行った曲はすぐに「懐メロ」になってしまいますが、童謡の世界はもう少しゆったりと時間が流れているようで、自分が子供の頃に聴いて育ったような曲を、今の子供たちも聴いています。『夕焼け小焼け』や『しゃぼん玉』のような戦前からあるクラシックな童謡はもちろん、戦後作られた曲でも『おつかいありさん』や『サッちゃん』のような、自分が子供の頃にはすでに人気のあったセミクラシックな曲も、現役で歌い継がれています。もっと新しい曲、例えば『げんこつやまのたぬきさん』や『ひげじいさんのうた』なども、いまの子供たちにとっては人気の曲で、この先もずっと定番として残って行くのではないかと思います。犯罪やら戦争やら心が痛むニュースが毎日洪水のように押し寄せて来るなか、子供たちと童謡の世界だけは今でも変らず平和な時間が流れている、この原稿を書いている今も隣りの部屋から童謡が聞こえて来るのですが、そんなことを思ったりします。

 ご存知の方も多いと思いますが、古くから親しまれている童謡のひとつ、『むすんでひらいて』の原曲を作曲したのは、哲学者のジャン・ジャック・ルソーなのだそうです。ルソーは思想家として重要な著作を数多く発表すると同時に、音楽家としても活躍した人でした。この曲は、ルソー作曲のある歌劇の間奏曲を、後世の音楽家が独立した歌曲として編曲したものだそうです。最初から童謡として歌われていた訳ではなく、日本では軍歌として歌われたこともあったし、キリスト教の讃美歌の歌詞がつけられたこともあったらしい。「むすんでひらいて…」という現在の歌詞がついたのは戦後のことですが、戦後生まれの世代でこの曲を知らない人はほとんどいないのではないかと思います。『エミール』や『社会契約論』は読んだことがなくても、『むすんでひらいて』を聴いたことがない人はまずいないでしょう。人口に膾炙しているという点では、ルソーの代表作と言ってもいいかも知れません。(そんなわけないか)

 哲学的なテーマや時事問題を主に取り上げているこのブログで、一体何の話をしているのかと言うと、およそ人間が創造する作品で、音楽よりも歴史に残りやすいものはないのではないかという仮説を思い付いたのです。まあ、『むすんでひらいて』が後世に残ったのは、歴史のほんの偶然だという気がしますけれども、これが誰もが認めるクラシックの名曲であれば、それは作品自体の持つ魅力で必然的に歴史に残ったと言えると思う。例えば、もしも仮にビゼーが『カルメン』という歌劇を作曲せず、この西暦2006年の夏に突然『ハバネラ』という曲が映画音楽か何かで発表されたとしたら、どうでしょう。いくら映画がつまらなくても、この曲はきっと評判になるでしょう。いや、単に評判になるだけではない、それは音楽界の一大事件になるような気がします。そして一旦世に表れてしまった『ハバネラ』は、その出自がどうであれ、その時から人類共通の財産になる。これが例えば文学の新人賞だったりすれば、傑作なのに審査員が無能なために世に埋もれてしまう作品だってあるかも知れません(若い頃、文学賞に応募した経験がある私は、そんな偏見を持っています。笑)。しかし、本当に優れた楽曲であれば、それはきっとありえない、隠そうとしたって自然に世に知られてしまうに違いない。優れた音楽には誰の推薦文も必要ないのです。

 例えば、バッハの『G線上のアリア』でも、シューベルトの『アベマリア』でも、サン・サーンスの『白鳥』でも、ドビュッシーの『月の光』でも、サティーの『ジムノペディ』でも、要するにクラシックの名曲と呼ばれる作品であればどの曲でもいいのですが、もしもその作曲家が生涯にその曲たった1曲しか書かなかったら、それは後世に残らなかったでしょうか? 私は残っただろうと思います。それは素通りされ、忘れ去られるにはあまりに魅力的な作品だからです。ここから今回のタイトルにつながります。もしもこれが文学の世界なら、たった一篇の詩やたった一首の歌で後世に名を残すことは難しい、というよりほとんどありえないことでしょう。しかし、音楽の世界ならそれがありうると思う。高尚なクラシック音楽でなくてもいいんです、ルソーにならって童謡なんておすすめです。自分の生きた証をひとつでもいい、この世に残したいなら、小説やブログを書くより、作曲の勉強を始めるのが早道ではないでしょうか。ある日、ふとパッヘルベルのカノンのような、素晴らしいメロディーが心に浮かんで来ないとも限りません。

 まだ独身で今より時間があった頃、愛用のMacintoshにMIDI音源をつないで、作曲の真似事のようなことをしていた時期がありました。その当時のMacには、素人の作曲をサポートしてくれる“OvalTune”だとか“M”だとかいう不思議な音楽ソフトがあったのです。これには嵌りました。その結果、ミニマル・ミュージック風のへんてこな曲の断片はたくさん出来ましたが、後世に残したいような傑作はとうとう生まれて来ませんでした(当たり前ですね。笑)。これまでの半生を振り返ってみれば、私の場合、素晴らしい旋律はおろか、一篇の詩の着想も、一幅の画の構図も心に舞い降りて来たことがない。考えるのも無意味で、前向きな人生にとってはマイナスにしかならないような哲学的な疑問なら、毎回災厄のように降りかかって来るのですが…

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