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2006年8月27日 (日)

ブログに欲しいこんな機能

 先週、いただいたコメントへの返事を書きながら、ブログの機能に関してひとつのアイデアを考え付いたので、メモとして書き付けておこうと思います。それが技術的に可能かどうか、またそれが自分の考えるように意味のあるものかどうか、自分では判断が出来ません。ただ、1年近くブログを続けて来て、何故そんな簡単な機能がブログの標準として装備されていないんだろう、ブログというものの基本的なコンセプトを考えれば絶対にあってもいい機能なのに、そんなふうに思えて来たほど、自分としてはぜひとも欲しい機能なのです。

 思い付いたきっかけは簡単なことでした。日中関係の問題に関して記事を書いたところ、論友の(と呼ばせてください)mori夫さんから丁寧な長いコメントが付きました。コメントバックの応酬があり、もともとの記事よりもはるかに長い対話録が出来上がった。ところが、ふとこう思ったのです、mori夫さんのブログの読者は、ここでの対話のことは知らずにいるに違いない、それはmori夫さんのファンの方々にとってはもったいないことではないかと。問題はこういうことです、ブログのコメント機能は、対話を喚起するためには優れたものですが、それ自体はリンクの機能を持たないため、ひとつの閉じたブログの中に孤立したテキストを作るだけで終ってしまう。それならば、トラックバックと同じような仕組みを使って、コメントした人自身のブログにメッセージを投げ、そちらからもリンクを張る機能を追加してしまったらどうだろう。つまり、ブログにコメントを書き込む人は、自分の署名とは別に、自分の管理しているブログのアドレスとパスワードを(オプションで)入力する。するとコメント欄の署名が自分のブログへのリンクになると同時に(これは現在のブログでも実現している機能です)、コメントを書いた自分のブログの中にも、このコメント本文に向けたリンクが相互に張られるということです。現在のブログのフォーマットでは、ふつう本文の横に「最近のコメント」というリンク表示がありますが、その見出しをふたつに分け、「このブログへの最近のコメント」というリンク集(従来通りのもの)と、「外部ブログへの最近のコメント」というリンク集を作るイメージです。これによって、そのブログの管理人が、最近どこにどんなコメントを書いているのかが一覧で分かるようになるのです。

 この仕様の改訂によって、ブログのコメント機能が大きくパワーアップするような気がします。例えば、Aさんがあるテーマについて記事を書く、それに興味を持ったBさんが、Aさんの記事にコメントを書く。現在のブログの仕様では、その二人の対話を読む可能性があるのは、Aさんのブログの読者だけです。ここでもしもBさんのブログに「外部ブログへのコメント」の表示があれば、Bさんのブログの読者であるCさんの目にもそれは触れます。ここでCさんがこの対話に興味を持ち、自分も発言したいと思えば、リンクをたどってAさんのブログに行き、対話に参加することが出来る。それはさらにCさんのブログの「外部ブログへのコメント」リンクとして残り、Cさんのブログの読者にも読まれることになる。こうしてどんどん対話や議論が広がって行きます。え? それだったら要するにインターネットの掲示板と同じことじゃないかですって? いや、でもそれは少し違うと思います。掲示板というのは、基本的に同じテーマに興味を持つ固定メンバーのための意見交換の場であって、それ自体が新しいメンバーを開拓する仕組みは内蔵されていません。それにたまたま自分にとって興味のあるテーマの掲示板を見付けても、たいていそれは過去の掲示板で、もう議論は終ってしまっていたりする。ところが、「最近のコメント」リンクでつながった議論は、いままさに白熱した状態で、たくさんのブロガーを巻き込む仕掛けとして機能する可能性があるのです。

 もう少し具体的な細かい仕様について考えておきます。自分のブログに自動的に張られる「外部ブログへのコメント」のリンク先は、コメントを付けた記事の本文ではなく、そのコメントの文章(つまりページの途中)に直接行けるようにしたいところです。また、このリンク集はずっと履歴として保存しておき、それを相手先のブログ別に分類して表示させる機能も欲しい(その際、同じ記事に対するコメントはツリー状に表示させるようにします)。後から内容が思い出せるように、トラックバックのように文章の先頭部分を表示させることも必要ですね。ブロガーにとって、この機能の一番の利点は、自分があちこちに書いた文章を、整理し、データベース化出来るというところにあります。相手のブログが引っ越したり閉鎖したりしない限り、このリンク集は自分がこれまでネット上に書いた文章の全目次になる訳です。そして当然、これはそのブログの読者にも恩恵をもたらします。私はmori夫さんのブログを愛読していますが、mori夫さんが私の知らない場所で、誰とどのような果敢な議論を展開しているのか、知りたいと思うからです。(笑)

 さらにもうひとつ重要な付加価値がありました。この方式では、コメントを書く人は、原則として自分のブログのアドレスを入力する訳ですから、匿名での悪意あるコメントをある程度防げるようになるかも知れない。そうしたコメントに悩まされている人なら、オプション設定でアドレスとパスワードの入力を必須にし、それがなければコメントを受け付けないようにすることも出来る。コメントする人が、自分のブログという、いわば定住所を持っていることがコメントを書き込むことの条件になる訳です。(逆に言えば、ブログを持っていない人は発言も出来ないのかということにもなりますが。) ある意味、これはインターネットの世界ではとても理にかなったことだと思います。現在のネットの世界は、匿名であるがゆえの牽制が効かない悪意や中傷にあまりに満ちているからです。だから一方でミクシィのような会員制のプロバイダサービスが人気になるのだと思います。私の提案は、このミクシィのような身元保証の制度を、最低限の条件で、しかもオープンな環境で実現出来ないかということでもあります。

 おそらく技術的には難しいことではない筈ですが、これはブログを運営しているプロバイダ各社が、共通の仕様を取り決めないと実現しない話です。しかし、それを言えばトラックバックという機能がそもそも共通仕様で成り立っている訳ですし、不可能なことではないと思います。最近、Web2.0というコトバがもてはやされていますが、Webが進化すると同時に、blogだって進化しなければならないと思うのですが、いかがでしょうか。

(ブログのコメントやトラックバックについて調べていて、面白い考察をしているブログを見付けました。私も経験がありますが、トラックバックというのはブログ初心者には分かりにくい機能です。この機能の本質は、相手のブログから自分のブログに一方通行でリンクを張る、という極めて利己的なものです。従ってそこではこれを使う上でのマナーをめぐって、様々な意見が飛び交うことになります。これを2つの軸、4つの象限に分類して考察したのがこの記事です。とても面白い。一読をおすすめします。)

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2006年8月20日 (日)

私のナショナリスト宣言

 お盆休みは、久し振りにゆっくりして、家族で短い旅行に行ったり、離れて住む母親に孫の顔を見せに行ったりしていました。この時期は、日頃のあくせくした日常から離れられると同時に、日本人であることを強く意識する時期でもありますね。考えてみれば、8月15日が終戦記念日であるということも、不思議な符合であるような気がします。戦後61年が経った今日でも、私たちは1年で最も強く先祖のことを想う日に、あの戦争で亡くなった多くの人々のことを想っている。それがこの時期の私たちの気分を作っています。それもやがて時が経ち、戦争の記憶が薄れて行くに従い、失われて行く一時的な気分なのでしょうか。いや、これは私の予感ですが、8月15日が特別な日であることは、あの戦争が歴史の教科書の中に埋もれてしまった後も、永く私たちの想いとして残るに違いないという気がする。それというのも、8月15日という日は、日本があの戦争を最後に永久に戦争を終らせたという意味で、まさしく特別な記念日であるからです。つまり、これから百年が経とうが千年が経とうが、8月15日は日本にとって永遠の「終戦記念日」であるという意味です。事実や信念を述べているのではありません、心からの願いをこめて、そう強く思うのです。

 以前にもこのブログでご紹介したビル・トッテンさんの今週のエッセイに、心を打たれるものがありました。ご存知の方も多いと思いますが、トッテンさんは来日して38年にもなる在日のアメリカ人で、京都に居を構え、ソフトウェアの会社を経営する企業家でもある方です。日本の伝統的な文化に深く傾倒され、またアメリカ化する現代の日本には強い危惧をお持ちの方で、たくさんの著書もお持ちです。そのトッテンさんが、今回晴れて日本の国籍を取得され、日本に帰化されたということでした。本文から引用させていただきます。

 『私は平成の日本人が捨ててしまった日本の価値観が好きである。なぜならそれが、私が日本に来てビジネスを始めたときに手本とした、日本を高度成長時代に導いたリーダーたちの価値観だからだ。そしてそれは日本人の多くが劣っているとみなしていた「江戸時代」に主流だった価値観である。江戸時代が長いこと続き成功した理由の一つは、自然神道(明治神道ではない)や道教、儒教や仏教が混ざり合って出来上がった武士道ではなかったかと私は思う。 』

 私は(平和のためなら戦争も厭わないというほどの?)根っからの平和主義者なので、<武士道>と言われるとちょっと引いてしまうのですが、トッテンさんの気持ちはとてもよく分かる気がします。それが武士道であるかどうかは別として、平成の私たち日本人が失ってしまった大事な価値観があったに違いないとは感じています。それは過去の日本人が当たり前に持っていたものです。私自身は高度経済成長の時代に、典型的な核家族の中で育った人間なので、そういった伝統からはきわめて遠いところにいたと自覚しています。(亡くなった私の父親は、どちらかと言うとアメリカナイズされた価値観の持ち主で、若い頃は進駐軍の通訳のアルバイトをしていたような人でした。) そんな私でも、日本人が失った大事なものが何だったかは分かる気がする。難しい話ではありません、外国の方の目から見れば、とても簡単で明らかなものです。トッテンさんの文章からさらに引用します。

 『私の家族も友人も、仕事仲間も、過去38年間に私が出会った日本の人たちである。私は彼らと暮らし、共に楽しみ、これからも一緒に悩んだり苦しんだりしたいと思う。武士道精神が失われたとはいえ、私の接する多くの日本人は大部分の米国人よりも親切で、他者に対して思いやりがあり、協力的だ。他者に一方的に自分の意見を押し付けるのではない、最初は理解しにくかったやり方がだんだん分かってくるにつれ、それがあいまいさからくるのではなく、相手を尊重する思いやりからきていることに私は気付いた。余生を過ごす国はやはり日本以外考えられない。』

 藤原正彦さんや櫻井よしこさんに日本の美質を言われると、なんとなく反撥したくなるのに、ビル・トッテンさんに言われると、とても納得感があって、嬉しく感じるのは何故でしょう(笑)。平成の時代に生きる我々が、「武士道」の精神を回復するのは難事である気がしますが、「相手を尊重する思いやり」くらいなら、努力次第でもう一度取り戻せるかも知れない。しかし、そんな単純な美質が、何故日本人に特有なものだと言えるのでしょう? 親切で、思いやりがあって、協力的な国民と言うなら、日本以外にもっとその形容詞に相応しい国々が世界にはたくさんあるような気がする。トッテンさんのエッセイは、次のような文章で締めくくられています。

 『私は南カリフォルニアで生まれ、育った。近くに川も山もない、砂漠のような土地であり、一年中季節は同じだった。だから日本に来て、初めて四季を経験したときは感動的だった。移り変わる風景、温度や湿気、季節ごとに違う香りがもたらす刺激。季節ごとにすべき行事があり、食卓には「旬のもの」を味わう楽しさがある。日本に生まれ育った人々には、これらはすべて当然のことかもしれない。当然すぎるからこそ、人々はそれが人間の感情や、人と人、人と自然のかかわり合いにとっていかに大きく影響しているかを見逃してしまったのかもしれない。鴨川の流れ、上空を舞うトンビ、百日紅が咲き誇る暑い午後、私はこの恵まれた国に日本人として生活することに喜びを感じている。』

 現在の日本人は、複雑化した社会の様々な問題やストレスに日々さらされているので、自分たちが基本的にいかに恵まれた環境にいるのかを忘れてしまいがちです。しかし、エアコンが普及した今日でも、私たちは四季おりおりの自然や行事を楽しんでいますし、養殖やハウス栽培の技術が進歩しても、旬のものを味わう楽しさは捨てていない。誰でも考えることだと思いますが、もしも日本人の気質のなかに、<思いやり>だとか<繊細さ>だとかが特長的なものとしてあるのならば、それはこの恵まれた自然と無関係なものではない筈です。それは日本の近代化、西欧化の流れのなかで、多少は歪められて来たものかも知れませんが(特に外国との度重なる戦争によって)、それでもビル・トッテンさんのような外国の方が長く日本に住んでみれば、否応なく気付く日本人の特性である訳です。

 日本がこの百年余りの間に犯した多くの過ち、すなわち侵略戦争の数々をもって、日本という国が人類にとってマイナスの存在だったと考えるようなことは、私はもう止めたいと思います。だってもしも日本という国が歴史に存在していなければ、世界中の人が寿司や和食の素晴らしさを知ることは無かった訳ですし、浮世絵がヨーロッパに輸出されていなければ、ゴッホという画家だっていなかったかも知れない訳でしょう? もちろんエレクトロニクスや自動車産業といった分野での日本の貢献は、言うまでもありません。天然資源に乏しい日本は、開国以来、貿易で身を立てるしかありませんでした。しかし、貿易立国とは一体何でしょう? それは貰ったものよりも多くを与えて行く、国としての生き方のことではないですか。ナショナリズムというものは、互いに自国の優秀性を競うから対立の火種になってしまう。そうではなくて、自分たちが誇れる優れたものを持っているならば、それを加工して世界に受け入れられる品質にまで高め、人類に新しい価値として提供して行くこと、それを新しいナショナリズムの定義としてはどうでしょう。

 日本は、古来八百万(やおよろず)の神と言って、たくさんの神様が(多少は喧嘩をしながらも)お互いに共存するという、先進国の中では珍しい宗教を持っている国です。それがあったからこそ、日本では、儒教も仏教もキリスト教も(明治神道でさえ?)、同じひとりの人間のなかに自然に共存させることが出来るのだと思います。例えば、このユニークな宗教観を、洗練させ、理論づけ、外国語に翻訳して、パレスチナやイスラエルに輸出することは出来ないものだろうか? もちろん輸出ですから、相手が気に入って、欲しいと思う品質のものでなければならない。まあ、とんでもなく難しいことのような気はしますが、これからの日本の思想家にとって、この上なく取り組み甲斐のあるテーマであるようにも思えます。

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2006年8月12日 (土)

A級戦犯問題雑感

 小林よしのりさんの最新作『いわゆるA級戦犯』を読んで、いろいろと感じるところがありました。小林さんの著作は、この半年余りのあいだに何冊か読みましたが、今回のこの本が一番心にしっくり来ました。ジャンルが漫画ということもあって、たぶん論壇では軽んじられる傾向があるのではないかと思いますが、私は小林さんの人気はそのジャンルによるところよりも、私たちと同じような<悩める一般人>の視点でものを考え、タブーと思われている問題に対しても果敢に切り込んで行く、その知的な誠実さにあるのではないかと思っています。今回の著作では、小林さんの「いわゆるA級戦犯」の主要な人物(東条英機や広田弘毅や重光葵といった人たち)の足跡をたどり、その人物像を浮かび上がらせることに主眼が置かれていて、ゴーマニズムの傲慢度は(比較的)抑制されているように感じられました。私自身不勉強で教えられるところが多かったのですが、重光葵(まもると読みます、それさえ知らなかった自分が恥ずかしい)の章や、パール判事の最後の来日を描いた章などは、特に胸に迫るものがありました。これを読む前に、高橋哲哉さんと加藤典洋さんの「歴史主体論争」というのを読んで、抽象的でいかにも頭脳戦という感じの議論に食傷していた自分には、この本は一服の清涼剤のように感じられました。と言っても、私は決して著者の右翼的な思想に同調しようというのではありません、個人の中で<思想を鍛える>ということについて言えば、小林さんのようなやり方の方が正統ではないかと思ったのです。

 これもこの半年間の読書目録の一冊ですが(ブログを始めて、にわか勉強をしている最中なのです)、佐藤早苗さんという方の書かれた東条英機に関するルポルタージュには、A級戦犯の筆頭に挙げられるこの人物の遺書が併録されています。図書館で借りて読んで、これだけはまた読み返したいと思い、コピーを取ってあります。その文面から小林よしのりさんが描くとおりの、いかにも几帳面な能吏という印象を私は受けたのですが、またこれだけ立派な遺書を遺し、戦争裁判においても堂々とした態度を崩さなかった人物が、並みの人格者である筈がないとも感じました。やはり小林秀雄の言うように、歴史は非凡な人物を選んで、常人では負えない重荷を背負わせるものなのだろうか、そんなことを思ったりもしました。人間の価値は、その人がどのようにして死んだか、その死に際の様子に最もはっきり表れると言います。私にはこれは強迫的で恐ろしい観念なのですが、一面の真実は含まれていると思います。小林よしのりさんの本を読めば、処刑されたA級戦犯の人たちは、みな自分自身の死の恐怖よりも、戦闘で死んだ兵士たちのことを思い、天皇陛下のことを思い、また将来の日本のことを思い、それだけを心残りに従容として死に臨んでいる。果たして今の日本の政治家にそれだけの器量があるかと思うのは、私だけではない筈です。

 東京裁判が、実は国際的に正当な裁判ではなく、勝者の敗者に対する復讐劇に過ぎなかったとする小林さんの考え方に、私は全面的に賛成しますが、それでもやはり当時の政府および軍の最高指導者は、死刑を免れるべきではなかったろうと考えます。自国の三百万の民と、他国の二千万の民(定説によれば)を死なしめた責任の重さは、通常の犯罪などとは別次元のものであり、これを裁くものはもはや法ではなく、いわんや敵対国の復讐心などでもなく、戦争というものの要求する本源的なルールそのものだと思うからです。東条英機の遺書にはこうあります、『今日刑死されることは個人的には慰められるが、国内的にこれを見れば到底その責任は免れ得るものではない。』 おそらく高橋哲哉さんのような論者であれば、『国内的にこれを見れば』という部分を批判的に読むかも知れない。私もここは残念です。東条英機の遺書は立派ですが、そこで彼が遺恨に感じているのは、日本国内のことであって、日本が侵略した国々のことはひと言も出て来ないからです。しかし、今日の目で遺書を文学作品のように読んではいけないと思います。私は単純にそれがこの時代の限界だったと思うのです。今日の社会でも、社会的に大きな不祥事を起こした企業の経営者は、責任を取って辞任するのが常識になっています。たとえその不祥事に当の経営者が関与しておらず、その事実さえ知らされていなかったとしてもです。それが組織というもののルールだからです。現在の企業活動の中では、たとえどんなに大きな社会的影響を与えた事件でも、社長が死刑になることはありません。しかし、国民の生命を文字どおり資源として投入する戦争という事業においては、責任者は生命をもって責任を全うするしかない。このことは東京裁判が連合国の茶番だったということとは関係なく言えると思う。私は原爆投下を決定したトルーマンも、同じように裁かれるべきだったと考えているのです。

 それにしても、あの泥沼のような戦争のさなかにも、一部の指導者はこれを食い止めようと必死の努力を続けていたことは、我々は記憶しておく必要があるし、これを若い人たちや他国の人たちにも伝えて行く義務があると思います。『いわゆるA級戦犯』という漫画を読みながら、私はこれを中国語や韓国語に翻訳して、かの国で出版出来ないものだろうかと思ったのです。「歴史主体論争」などを外国語に翻訳しても、こんなものは観念の遊びに過ぎないと言われるだけのような気がしますが、小林よしのりさんの漫画は、いい意味でも悪い意味でも、一般の人たちに問題提起をするものになるでしょう。(それとも、こんな時代だから、すでに中国語版や韓国語版が出ているのかな?) 日本の漫画は世界中を席捲していますし、こんな面白いものを国内だけで独占しておく手はないという気もします。インターネットでたまたま見付けたのですが、最近、中国海南省に東条英機のこんな銅像が建てられました(中国政府が建てたのではない、地元の業者が観光のために建てたのです)。道行く人が唾を引っ掛けるための銅像だそうです。一見して不愉快を感じるのは、私が日本人だからではないと思います。心ある人なら、中国の人でも何処の人でも、嫌悪感を覚えずにはいられないものだと私は思う。そして、いまこの時代、自国にこんな銅像が建つことの愚かさを感じ取る感性を持った中国人なら、小林よしのりさんの漫画にも、共感とまでは言わないまでも理解を示してくれるかも知れない(少なくとも、興味は持ってくれるでしょう)。これは日本人も同じですが、そういう感性を研ぎ澄ませること、それがこれからの時代の日中対話の土台でなければならないのではないか、私はそう思います。

 今年も8月15日がめぐって来ます。終戦記念日には、果たして小泉さんは靖国神社を参拝するのでしょうか? いつもの勘違いで、それが引退の花道だなどと考えているのかも知れませんね。中国政府と韓国政府は、靖国神社からのA級戦犯の分祀を求めています。私は首相の靖国参拝には反対の立場なのですが、それは靖国神社にA級戦犯が合祀されているからではありません。小林さんの本を読むまでもなく、A級戦犯という呼称は連合国の恣意的な分類によるものであり、処刑された指導者の中にも戦争を食い止めるよう、また拡大させないように尽力した人もいたのです(もちろん、そうではない人もいましたが)。それに、A級戦犯さえ分祀してしまえば、靖国参拝を容認するという中韓の言い分も私には納得が行かない。日本が行なった侵略戦争のおぞましさは、たった十四人のA級戦犯を分祀したからといって、免罪されるようなものではない筈でしょう? 私が現在の靖国神社に対して感じる違和感は、その祭祀システムのあまりにアナクロニックな硬直性にあります。もともと<軍神>を祀る宗旨なのだから、日本国のため、官軍として戦った兵士だけを祀ることはまあいいとしましょう(日本には宗教の自由があるのだから)。しかし、祀られている兵士の中には、自ら(遺族が)分祀を願い出ているクリスチャンもいれば、当時日本に併合されていた満州や朝鮮の人たちもいる。それを一度祀ってしまったものは分祀出来ないのが神道の教義だと言って突っぱねる。最初に合祀された時にも、遺族側には打診や相談無しです。知らないあいだに靖国神社の祭神にされている。こんな強引で自分勝手なやり方がいまどき許されるもんじゃない。新しい時代に向けて、この点だけでも靖国神社自身が自ら改革して欲しいと思う。そうすれば、基本的な宗旨は変えずとも、開かれた国際社会の中でも、靖国神社の生き残る道はまだあると思うのですが、いかがでしょうか?

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2006年8月 6日 (日)

歴史に名を残す最も簡単な方法

 我が家には幼い子供がいるので、休みの日はたいてい家の中に童謡が流れています。ポピュラー音楽の世界は流行がめまぐるしく、数年前に流行った曲はすぐに「懐メロ」になってしまいますが、童謡の世界はもう少しゆったりと時間が流れているようで、自分が子供の頃に聴いて育ったような曲を、今の子供たちも聴いています。『夕焼け小焼け』や『しゃぼん玉』のような戦前からあるクラシックな童謡はもちろん、戦後作られた曲でも『おつかいありさん』や『サッちゃん』のような、自分が子供の頃にはすでに人気のあったセミクラシックな曲も、現役で歌い継がれています。もっと新しい曲、例えば『げんこつやまのたぬきさん』や『ひげじいさんのうた』なども、いまの子供たちにとっては人気の曲で、この先もずっと定番として残って行くのではないかと思います。犯罪やら戦争やら心が痛むニュースが毎日洪水のように押し寄せて来るなか、子供たちと童謡の世界だけは今でも変らず平和な時間が流れている、この原稿を書いている今も隣りの部屋から童謡が聞こえて来るのですが、そんなことを思ったりします。

 ご存知の方も多いと思いますが、古くから親しまれている童謡のひとつ、『むすんでひらいて』の原曲を作曲したのは、哲学者のジャン・ジャック・ルソーなのだそうです。ルソーは思想家として重要な著作を数多く発表すると同時に、音楽家としても活躍した人でした。この曲は、ルソー作曲のある歌劇の間奏曲を、後世の音楽家が独立した歌曲として編曲したものだそうです。最初から童謡として歌われていた訳ではなく、日本では軍歌として歌われたこともあったし、キリスト教の讃美歌の歌詞がつけられたこともあったらしい。「むすんでひらいて…」という現在の歌詞がついたのは戦後のことですが、戦後生まれの世代でこの曲を知らない人はほとんどいないのではないかと思います。『エミール』や『社会契約論』は読んだことがなくても、『むすんでひらいて』を聴いたことがない人はまずいないでしょう。人口に膾炙しているという点では、ルソーの代表作と言ってもいいかも知れません。(そんなわけないか)

 哲学的なテーマや時事問題を主に取り上げているこのブログで、一体何の話をしているのかと言うと、およそ人間が創造する作品で、音楽よりも歴史に残りやすいものはないのではないかという仮説を思い付いたのです。まあ、『むすんでひらいて』が後世に残ったのは、歴史のほんの偶然だという気がしますけれども、これが誰もが認めるクラシックの名曲であれば、それは作品自体の持つ魅力で必然的に歴史に残ったと言えると思う。例えば、もしも仮にビゼーが『カルメン』という歌劇を作曲せず、この西暦2006年の夏に突然『ハバネラ』という曲が映画音楽か何かで発表されたとしたら、どうでしょう。いくら映画がつまらなくても、この曲はきっと評判になるでしょう。いや、単に評判になるだけではない、それは音楽界の一大事件になるような気がします。そして一旦世に表れてしまった『ハバネラ』は、その出自がどうであれ、その時から人類共通の財産になる。これが例えば文学の新人賞だったりすれば、傑作なのに審査員が無能なために世に埋もれてしまう作品だってあるかも知れません(若い頃、文学賞に応募した経験がある私は、そんな偏見を持っています。笑)。しかし、本当に優れた楽曲であれば、それはきっとありえない、隠そうとしたって自然に世に知られてしまうに違いない。優れた音楽には誰の推薦文も必要ないのです。

 例えば、バッハの『G線上のアリア』でも、シューベルトの『アベマリア』でも、サン・サーンスの『白鳥』でも、ドビュッシーの『月の光』でも、サティーの『ジムノペディ』でも、要するにクラシックの名曲と呼ばれる作品であればどの曲でもいいのですが、もしもその作曲家が生涯にその曲たった1曲しか書かなかったら、それは後世に残らなかったでしょうか? 私は残っただろうと思います。それは素通りされ、忘れ去られるにはあまりに魅力的な作品だからです。ここから今回のタイトルにつながります。もしもこれが文学の世界なら、たった一篇の詩やたった一首の歌で後世に名を残すことは難しい、というよりほとんどありえないことでしょう。しかし、音楽の世界ならそれがありうると思う。高尚なクラシック音楽でなくてもいいんです、ルソーにならって童謡なんておすすめです。自分の生きた証をひとつでもいい、この世に残したいなら、小説やブログを書くより、作曲の勉強を始めるのが早道ではないでしょうか。ある日、ふとパッヘルベルのカノンのような、素晴らしいメロディーが心に浮かんで来ないとも限りません。

 まだ独身で今より時間があった頃、愛用のMacintoshにMIDI音源をつないで、作曲の真似事のようなことをしていた時期がありました。その当時のMacには、素人の作曲をサポートしてくれる“OvalTune”だとか“M”だとかいう不思議な音楽ソフトがあったのです。これには嵌りました。その結果、ミニマル・ミュージック風のへんてこな曲の断片はたくさん出来ましたが、後世に残したいような傑作はとうとう生まれて来ませんでした(当たり前ですね。笑)。これまでの半生を振り返ってみれば、私の場合、素晴らしい旋律はおろか、一篇の詩の着想も、一幅の画の構図も心に舞い降りて来たことがない。考えるのも無意味で、前向きな人生にとってはマイナスにしかならないような哲学的な疑問なら、毎回災厄のように降りかかって来るのですが…

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