« とほほ教授、内田先生『名言録』 | トップページ | ワーキングプア問題の根本にあるもの »

2006年7月23日 (日)

「南京で通じたご免なさい」について

 前回の記事で、内田樹さんと高橋哲哉さんの「戦後責任論」に対する考え方の違いについて触れましたが、今回もう一度この問題を考えてみようと思います。もう一年以上前のことになりますが、昨年の五月八日の朝日新聞『声』欄にこんな読者投稿が載りました。一度読んだら忘れられないような印象的な話なので、覚えている方も多いのではないかと思います。まずは全文を引用します。

『南京で通じた「ご免なさい」
 日中関係の難しさをみていて、1年前の体験を思い出しました。友人と4人で南京市を観光で訪れ、大虐殺記念館を見学しました。館内で日本語を話すとまずいので、やめておこうと事前に申し合わせていました。小学生ぐらいの子どもが次々と入館しました。私たちに同行していた中国人通訳が言います。「子どもたちは日本人はひどいと言っている。日本が嫌いになって帰っていきますよ」。このままでいいのかと思った私は、覚えたての中国語で子どもたちにとっさに言いました。「私は日本人です。ご免なさい」。女の子が進み出て私の目をじっと見つめ、話し始めます。「展示は過去のことです。あなたが悲しむことはありません」。「あなたの気持ちが通じたのよ」と通訳は喜んでくれました。日本は中国に反省とお詫びを表明しているといいますが、国民は痛みを感じているでしょうか。過去をきちんと受け止め、どう反映させるのかを近隣諸国民は注視していると思います。「過去のことです」という言葉は中国の人たちが発して初めて意味を持つと感じました。』

 どうでしょう。これを読んだ印象は人それぞれだと思いますが、最初新聞でこの文章を読んだ時の自分の気持ちは複雑なものでした。一見とてもよく出来た心を打たれるようなエピソードだけれども、いかにも<朝日新聞>が好みそうな原稿だよな、そんなことを考えたのです。さらに正直に告白すると、ここに登場する女の子の言動にも微妙な違和感を覚えました。つまりこんなひねくれた感想を持ったのです、この若い女の子はこの科白を口にした時、さぞかし気分が良かったに違いない、なにしろその瞬間彼女は十三億人の中国人を代表して、一人の日本人女性に<赦し>を与えたのだ。赦すということは、赦される相手よりも自分の方が一段高い場所にいることを確認することだ、それは一種の権力の行使なのだ。そもそも自分で戦争を経験したこともなく、たまたま<大虐殺記念館>で見知らぬ日本人とめぐり合わせただけの若い人が、何故「ごめんなさい」と言われて相手を赦すことができるのだろう。その言葉を「気持ちが通じた」と言って、得々として受け取る日本人も日本人だ。この小さなエピソードに隠されている欺瞞性に、投稿者はともかく新聞の編集者が気付かなかったのだろうか? それとも気付いてこれを掲載するところが<朝日>の<朝日>たる所以なのだろうか? 自分で書いていても気が滅入りますが、たぶんそんな想念が心の中で渦巻いて、この記事を素直な気持ちで読めなかったのだろうと思います。

 この投稿が新聞に載って半月ほどあと、これに反論する若い人の投稿がやはり『声』欄に載りました。ひねくれ者の私は、この文章にはさらに腹立たしさを感じてしまいました。つまり編集部の<思うツボ>にはまって、平均的な一読者の反応を返していたのです。一部を引用します。こんな投書です。

 『「南京で通じた『ご免なさい』」(8日)で、中国人の子どもに「私は日本人です。ご免なさい」と言ったことに違和感と驚きを覚えた。私には、いくら自分が日本人でも、昔の日本人がした行為に対して謝るという感覚が希薄だ。場を共有していない両者間の連続性が感じられず、昔の日本人の罪は、私にとっては「他人」の罪だ。「ひどいね、でも関係ない」というのが正直なところだ。おそらく多くの若者も似た考えではないか。』

 まあ、この文章を読んだ時の腹立たしさは、説明するまでもないと思います。「ひどいね、でも関係ない」という言葉は、いかにも自己中心的で道徳感覚が希薄な現代の若者気質をよく表している。「おそらく多くの若者も似た考えではないか」と言って、責任のがれをしようとしているところも感心しません。文章の後半で、投稿者の若者は、さすがにこうした無関心がもたらす結果に危機感を抱き、「そこで今、私は歴史を学ぶことを大学在学中のひとつの目標にしようと思う。長期休暇には日本各地の歴史資料館を訪れたい。そうすれば私の感覚も、いつか変わるのだろうか」という言葉で文章を締めくくっています。あれから1年余りが経ちましたが、この若者は大学に行って、いまごろ長い夏休みを利用して歴史の勉強をしているのでしょうか?

 先週の文章を書いてから、この1週間、主に通勤電車の中で高橋哲哉さんの『戦後責任論』を読んでいました。(ほんとはもっと早く読んでおくべきでしたね。このブログはまったく自転車操業で運営しています。苦笑) この本の中で、藤岡信勝さんや加藤典洋さんとの論争の部分は、論争している相手の論文を読んでいないので、コメントも出来ないのですが(いくら説得力があっても、論争というのは読んでいて気分が滅入るものです)、それとは別にとても美しい思想が述べられているところがあって、その部分には素直に共感出来ました。高橋さんによれば、戦争責任(戦後責任)には、例えば戦争指導者らに科せられている<罪責としての戦争責任>と、例えば戦後生まれで直接戦争に関わっていない我々世代にも問いかけられている<応答可能性としての戦後責任>があるのだと言います。罪責としての戦争責任については、とても難しい問題があるので自分には論じられませんが、応答可能性としての戦後責任は私たちの日常生活にも関わる問題です。少なくとも私たちは、<南京大虐殺>についても、<従軍慰安婦問題>についても、その実体がどのようなものであったかを正確には知り得なくても、そういう事実があったことは間違いなく知っている。「ひどいね、でも関係ない」では済まされない問題です。そして、高橋さんの思想が美しいのは、この応答可能性の責任を果たして行くことは、何も戦後責任の問題に限らない、例えば恋愛であろうと友情であろうと、他者の呼びかけに応えることは人間関係の基本であって、それは十分「歓ばしく」、「肯定的」なことの筈だと言うのです。確かに過去に不幸な歴史があったにせよ、中国や韓国の人たちと新しい友情関係を築いて行くステップだと思えば、それは十分歓ばしく、肯定的なことであるに違いありません。ここには内田樹さんが高橋哲哉さんを評して、「審問的」だと言うのとはまた違った一面があるような気がしました。

 実はこの本を読みながら、冒頭に挙げた新聞の投稿記事のことを思い出していたのです。私たちはふだんから政治的な言説や、人を党派性で値踏みしようとする最近の傾向にどっぷり浸かっているので、こういうエピソードの持つ単純な美しさに気付きにくくなっているのかも知れない、そんなことを思ったのです。この小さなエピソードに、政治的な意図や隠された欺瞞性なんてものを読み取ろうとするのが間違いなのだと思います。今回の記事は、私が愛読している宇佐美保さんのホームページからコピーさせてもらったのですが、宇佐美さんはこのエピソードのハイライトの場面、女の子が一歩進み出て、女性に話しかける場面を評して、「まるで、芝居の、又、オペラの舞台のようです!」とおっしゃっています。私もそう感じます。この小さな女の子は、とっさに機知を働かせて、とても上手に応対してみせた。私がもしも彼女の父親だったら、娘を褒めてあげたい気持ちになると思います。彼女はそのことを誇らしく思っていいのです。そして、そういう場面に当事者として居合わせた投稿者の女性も、その幸運を噛みしめていい(だって、もっとひどい言葉を浴びせられる可能性だってあった訳ですから)。彼女がそれを記事に書いてくれたおかげで、我々もその幸せのおすそ分けにあずかることが出来たのです。こういう小さな物語を積み重ねて行くことが、戦後六十年を経ていまだに人々の心に残る<しこり>をほぐして行く唯一の方法ではないかとも思います。ついでに言えば、こういう物語は、一話完結で評価してはいけないような気がします。例の「ひどいね、でも関係ない」と言った若者だって、歴史を勉強し、例えば中国人の留学生との友情を育むなかで、もうひとつの美しい物語を紡ぎ出して行くかも知れない。むしろそう信じたい気がします。

 どうも毎年、八月が近付くとこの問題が心にまつわりついて、メランコリックな気分になります。今週は、A級戦犯合祀の問題に関する昭和天皇の言葉を記録したメモが発見されて、大きなニュースになっていました。私にはまるで興味の無いことです。せいぜい対立する二つの党派が、政争の材料として利用するくらいのことでしょう。そこには未来を志向する何の美しい物語も無い。この文章を締めくくるに当たって、最後にもうひとつ紹介したい新聞の記事があります。これも私の愛読するmori夫さんのブログで紹介されていた記事です。もう19年も前の記事だそうですが、私はmori夫さんの紹介で初めて知り、忘れられないものとなりました。これも読んだ人にとって心の宝ものになり得るような物語です。ぜひ読んでいただけたらと思います。

|

« とほほ教授、内田先生『名言録』 | トップページ | ワーキングプア問題の根本にあるもの »

コメント

mori夫です。私の記事をとりあげていただいて、ありがとうございます。

日本と中国が、いまの日本とアメリカのように、肩を抱き合ってたがいに握手できる日は、いつになったら来るのでしょうか。日米は対等に戦った仲だけど、日中は、中国のほうが一方的に侵略、蹂躙、陵辱されてしまったので、このうらみつらみは、そう簡単には解消されないのでしょうね。

Like_an_Arrowさんの語っておられる内容に、そぐわないかもしれませんが、私が普段感じていることを書かせていただきます。

日本は首相や天皇が、いままでに謝罪や反省の言葉を幾度か述べているし、ODA等で巨額の援助もしています。明仁天皇も訪中して大きな歓迎を受け、江沢民主席(当時)と握手もしています。いまの日本が中国に非難される筋合いは無いと、私は思っています。いまさら蒸し返してくる彼らに、私は腹が立ちます。(小泉首相だって戦争を賛美するために参拝しているのではないと明言しているのに。)

私がいろいろと読んだ限りの話ですが、中国は旧日本軍の蛮行を10倍くらいに拡大して、国民に宣伝しています。南京では30万人が虐殺されたことになっているそうですが、実際の犠牲者はもっともっと少ないらしい。混乱に乗じた中国人同士の略奪行為による犠牲者も多いらしい。中国共産党は、自分たちの内政の大失敗(文化大革命、大躍進政策の犠牲者は3000万人と言われています)は、いっさい国民に知らせようとせず、天安門事件のような弾圧もいっさい隠し続け、それよりも昔の日本軍の蛮行だけを、歴史教科書の半分のページを使って、国民に「歴史教育」しています。なぜこんな根拠のない嘘の記述に、日本政府は抗議しないのか。日本のマスコミは問題視しないのか。黙っているから、彼らの「反日教育」がいつまでたっても終わらない。日本を憎み続ける中国人は増えるばかり。

私は上海で起きた暴動事件の写真を見て、あぜんとしました。どうみても6~7才くらいの男の子が、恐ろしい形相をして、石を投げようとしています。この男の子を、こんなふうにしてしまったのは、「日本人の反省が足りないから」でしょうか? 私は違うと思います。中国の国内政策の失敗なのです。70年も前の出来事、(当時は地球上の各地で戦火が燃えていました)、それを、昨日起こったことみたいに国民にくどくど教えて、「反日意識」を生産し続けているからです。私には中国共産党が、自国民に自分の国の悪い部分(党の独裁、党や役人の腐敗)に目を向けさせず、視線を「憎たらしい日本」に絶えず向けさせるために、そうしているとしか思えません。

中国による日本批判や日本非難は、非常に政治的なものがあります。日本を封じ込めて、国際政治力学の上で優位に立つための戦略性が、いつも感じられます。このような背景があるのに、高橋哲哉氏ら「きれいごと派」は、日本国民に向かって「我々は反省せねばならない」とお説教するのです。

あー、いけない。「政治的言論」になってしまいました。おちつけ、おちつけ。

「応答可能性としての戦後責任」は、私も大事だと思います。でも相手の言い分をうのみにして、それに対して謝罪するわけにはいかないです。お互いに嘘は言わない。わからないことはわからないという。自分の都合のいいように事実を捻じ曲げない。そういう人間と人間が付き合う上での基本が、まずは大事です。それをすっとばして、中国が怒っているから謝ろう、というのは、私は非常によくないと思う。(まあ高橋氏も、そんなことは言ってないでしょうけど)

「従軍慰安婦」みたいなものは、日本にもありました。終戦後、アメリカ軍が進駐してきたとき、アメリカ軍の要望に応じて、売春所を作ったらしいです。当時はそういう時代でした。日本人も言うべきことは言わないと、軽率に謝罪の言葉を繰り返したりすると、何から何まで、ぜーーんぶ「鬼畜のような悪逆非道な行為をしました」と、自ら認めることになります。なにせ70年前のことなんですから。当時が世界史的にどういう時代だったか、よく考えないと。

やっぱり、おちついてないですね。(お許しを)

いずれにしても私は、中国の人々と本当に親しくなるための前提条件として、彼らの「洗脳状態」を解いてあげることが必須だと思っています。(ということは、中国国内に言論の自由や政治の自由を実現することであり、中国共産党が崩壊、消滅することを意味しますが。)

投稿: mori夫 | 2006年7月24日 (月) 22時19分

mori夫さん、コメントありがとうございます。

私は中国政府の「反日教育」と、日本政府(または日本人)の戦争責任の問題は分けて考えなくてはならないと思っています。小林よしのりさんの漫画にも書いてありましたが、日本の侵略による中国人の犠牲者は、根拠もなくどんどん数字が膨らんで、今では三千五百万人にもなっているそうです。当時の日本軍の兵力と軍備では、考えられない数字だと思います(なにせ中国と言えば「白髪三千丈」の国ですから、三千五百万という数字も一種のレトリックなのでしょう)。南京の<大虐殺記念館>の展示内容は知りませんが、確かに日本政府は行き過ぎた<反日教育>に対しては抗議をすべきだと思う。しかし、そこに中国共産党のプロパガンダがあることが、日本の<罪責としての戦争責任>を免責することにはつながらないと思うんです。

これは先週読んだ高橋哲哉さんの本に書いてあったのですが(私の場合、読んだ本にすぐ影響されるんです。笑)、日本が中国などに対外的に支払った賠償額は1兆円程度であるのに対し、日本国内の戦争犠牲者に対する補償には四十兆円も拠出しているのだそうです。中国に対するODAは確か3兆円くらいだったと思いますが、これは戦争に対する賠償ではありませんよね。もうひとつ高橋さんの本で初めて知ったのは、ドイツではニュルンベルグ裁判のあと、九十年代に至るまでに、ドイツ自らが十万件を超える戦争犯罪を捜査し、六千件を超える有罪判決を下しているという事実があるそうです。日本の場合、東京裁判でA級戦犯やBC級戦犯が数多く裁かれましたが、日本が自ら国内の戦争犯罪人を捜査し、告発した件数はゼロなんだそうです。単純に比較は出来ないと思いますが、やはり日本は責任の取り方に甘いところがあると思う。

ついでに言えば、私はアメリカが東京大空襲や広島・長崎で数十万人の無辜の市民を殺戮したことに対して、これをきちんと非難しない日本政府と日本人というのは、一体何なんだろうと思うことがあります。これこそ許されない犯罪、国際法で言うところの<人道に対する罪>だと思うのですが。それを問題にも出来ない戦後日本の在り方は、どうしようもなく歪んだものであるような気がします。日米は対等に戦った同士だから許されるという問題ではないと思うのですよ。日本がアメリカに対して正当な申し立てをせず、国際社会の中でこれを不問にして来たことが、その後のベトナム戦争や現在のイラク戦争にまでつながっているのではないか、個人的にはそんなふうに感じています。

いずれにしても、この問題は難しいですね。国を挙げてインターネットを検閲している中国政府が、成熟した民主主義の政府に生まれ変わるには、まだまだ時間がかかるような気がします(我々の生きているあいだには無理かも)。反日デモで石を投げていた6、7歳の男の子というのもショッキングですが、我々としてはせめて地道に<応答可能性としての戦後責任>を果たして行くしかないような気がします。

投稿: Like_an_Arrow | 2006年7月26日 (水) 00時22分

Like_an_Arrowさん、レスありがとうございます。政治論議は、あまり気が進まないのですが、思ったことを書かせていただきます。(自分のブログではさんざん政治発言をしていますが。(笑))

> そこに中国共産党のプロパガンダがあることが、日本の<罪責としての戦争責任>を免責することにはつながらないと思うんです。

異論はないです。そのとおりだと思います。

> これは先週読んだ高橋哲哉さんの本に書いてあったのですが(私の場合、読んだ本にすぐ影響されるんです。笑)、日本が中国などに対外的に支払った賠償額は1兆円程度であるのに対し、日本国内の戦争犠牲者に対する補償には四十兆円も拠出しているのだそうです。中国に対するODAは確か3兆円くらいだったと思いますが、これは戦争に対する賠償ではありませんよね。もうひとつ高橋さんの本で初めて知ったのは、ドイツではニュルンベルグ裁判のあと、九十年代に至るまでに、ドイツ自らが十万件を超える戦争犯罪を捜査し、六千件を超える有罪判決を下しているという事実があるそうです。日本の場合、東京裁判でA級戦犯やBC級戦犯が数多く裁かれましたが、日本が自ら国内の戦争犯罪人を捜査し、告発した件数はゼロなんだそうです。単純に比較は出来ないと思いますが、やはり日本は責任の取り方に甘いところがあると思う。

日本人民が受けた被害は、中国人民が受けた被害の40倍くらいになるのではないかと思います。だから妥当ではないかという感がします。

中国の側に立って、中国のために日本を攻撃する左翼学者に、私はほとんど共感しないです。そういうのは、本当の意味で、中国の人々に失礼なような気がするのです。(中国共産党に対してではなく。)中国国民は、あまりにも「本当のことを教えられていなさすぎる」というのが、私の変わらぬ感想です。

「ドイツの国家犯罪」と「日本軍の戦争犯罪」は、同列に語ることはできないと思います。前者のほうが数倍悪辣であったことを、東京裁判のウェッブ裁判長も、意見提出しています。

> ついでに言えば、私はアメリカが東京大空襲や広島・長崎で数十万人の無辜の市民を殺戮したことに対して、これをきちんと非難しない日本政府と日本人というのは、一体何なんだろうと思うことがあります。これこそ許されない犯罪、国際法で言うところの<人道に対する罪>だと思うのですが。それを問題にも出来ない戦後日本の在り方は、どうしようもなく歪んだものであるような気がします。日米は対等に戦った同士だから許されるという問題ではないと思うのですよ。日本がアメリカに対して正当な申し立てをせず、国際社会の中でこれを不問にして来たことが、その後のベトナム戦争や現在のイラク戦争にまでつながっているのではないか、個人的にはそんなふうに感じています。

おっしゃるとおりだと思います。私も何度か同じことを、あちこちの議論サイトに書きました。反論ではないのですけれど、別の角度から考えてみれば、日本人のいちばん良いところは、済んだことを蒸し返さないことだという気もします。

自分が負ければ、自分の悪かったところ、弱かったところを素直に反省して、相手の良いところをどんどん学ぶ。中国の国家幹部にこういう姿勢があれば、あっという間に中国は、優良国に変われると思います。「過去のことを蒸し返して、新たに賠償する」とか、そんなことは誰のためにもならないと思うんです。

> いずれにしても、この問題は難しいですね。国を挙げてインターネットを検閲している中国政府が、成熟した民主主義の政府に生まれ変わるには、まだまだ時間がかかるような気がします(我々の生きているあいだには無理かも)。反日デモで石を投げていた6、7歳の男の子というのもショッキングですが、我々としてはせめて地道に<応答可能性としての戦後責任>を果たして行くしかないような気がします。

中国の日本語サイトがありますから、そういうところに行って、中国の人々と対話するのも、いいかもしれないですね。

反日デモに関して言えば、あれはあきらかに「官製デモ」だったと思います。国連のアナン事務総長が、「新しい安保理国の第一候補は日本だ」と明言したら、すぐさまあのデモが起こりましたから。でもあの暴動には、中国当局もビックリしたはずです。あそこまでいくとは。(反日洗脳教育のツケです。)

中国共産党による日本の戦争責任の追及は、こういうアジアにおける主導権争い(パワーゲーム)と無関係ではないと思います。というより、そのために中国共産党は「靖国」というカードを利用しています。朝日新聞や左翼学者が中国共産党の宣伝にのって、日本人にお説教することに、やはり私は嫌悪を感じます。(日本人が反省しなくていいという意味ではないです。)

いまの中国の人々にとって、悪いことをしているのは、日本政府や日本人ではなく、中国共産党だと私は思うのです。(情報統制、情報操作、日本への憎悪の植え付け、党の無謬性の宣伝、それで国家体制を護持しようとする。)

投稿: mori夫 | 2006年7月30日 (日) 17時24分

mori夫さん、熱いコメントをありがとうございます。どうもこの問題は、mori夫さんの<何か>に火をつけてしまったみたいですね(笑)。私もmori夫さんのコメントを拝読して、いろいろ感じるところがありました。言葉尻をとらえるようなことは意味が無いと思いますが、少しだけ書かせてください。

> 日本人民が受けた被害は、中国人民が受けた被害の40倍くらいになるのではないかと思います。だから妥当ではないかという感がします。

うーん、これはどうなんでしょうか? こちらも真偽は分かりませんが、第二次大戦のアジア各国の犠牲者は、約2000万人と言われてますよね。そのうち日本人の死者は300万人、中国人の死者は1000万人なんだそうです。単純に数字を比較しても仕方ありませんが、それにしても40倍が妥当なんてことはないんじゃないかと。それに日本の受けた被害は、主にアメリカとの戦闘によるもので、アジアの国々の被害は、ほとんど一方的な日本からの侵略によるものな訳です。そういう非対称性がこの戦争の歪んだ特徴ですよね。中国の戦争被害者の方たちにとっては、日本がアメリカから原爆を落とされたことだって、自業自得であって、同情することとは思えないのではないでしょうか。(私もそう思っている訳ではないですよ。原爆投下に関しては、これは単純にアメリカの許されざる犯罪だと思っています。)

> 中国の側に立って、中国のために日本を攻撃する左翼学者に、私はほとんど共感しないです。そういうのは、本当の意味で、中国の人々に失礼なような気がするのです。(中国共産党に対してではなく。)中国国民は、あまりにも「本当のことを教えられていなさすぎる」というのが、私の変わらぬ感想です。

「本当の意味で、中国の人々に失礼」という表現には、深いところで共感します。そして、こういう言葉に共感してくれる中国の方がたくさんいれば、どんなにいいだろうかとも思います。「中国の側に立って、中国のために日本を攻撃する左翼学者」というのは、例えば高橋哲哉さんのことですか? 私は高橋さんの著書を2冊読んだだけですが、特にそういう印象は持っていません。とにかく私は、右にしろ左にしろ、自分の立場を疑わない人とは議論も出来ない気がするだけです。だから、高橋さんの本も、2冊読めばもう十分。ただ、もうひとつだけ言えるのは、一方に小林よしのりさんや西尾幹二さんや西部邁さんのような方たちがいる以上、もう一方に高橋哲哉さんや姜尚中さんや大江健三郎さんのような人たちもいてくれないと困る。そうでないと、バランスがとれません(笑)。本当は、内田樹さんが言うように、対立する矛盾を各個人が心の深いところに抱え込んで、悩むことこそが必要なんだと思うのですけど。

> 反論ではないのですけれど、別の角度から考えてみれば、日本人のいちばん良いところは、済んだことを蒸し返さないことだという気もします。

さて、ここをどう評価するかですね。占領軍としてやってきたマッカーサーは、日本人の精神年齢は12歳並みと言ったんでしたね。自らの加害の記憶までベールで覆ってしまって、これを蒸し返さないことは、決して美徳とは言えないと思います。では、広島と長崎に受けた原爆も、済んだこととして蒸し返さないことが果たして美徳であるか? mori夫さんには怒られちゃうと思いますが、私はなんだかマッカーサーの直感の方が正しかったのではないかという気がする。あまりにひどい精神的ショックを受けると、人間て何も判断出来なくなって、退行しちゃうじゃないですか。戦中戦後に日本人に起こったのは、そんなことだったのではなかっただろうか? もちろん、訴訟好きですぐに裁判を起こすアメリカ人や、憎い政敵の墓をあばき、銅像に唾する中国人などに比べると、日本人のおおらかさというか、死者に鞭打たない優しさは、伝統的にひとつの美質であるとは思います。内田樹さん的に言うと、それを自覚的に鍛え上げて、国際社会でも通用するような汎用性のある思想にまで高めて行くことが、いま求められているのだと思います。

> 中国の日本語サイトがありますから、そういうところに行って、中国の人々と対話するのも、いいかもしれないですね。

へえ、そんなサイトがあるんですか。知りませんでした。中国政府の検閲は受けてないんですか? 中国政府公認サイトだったら、ちょっとイヤかも(笑)。翻訳は誰がしているんでしょう。あ、それとも日本語が出来る在日中国人の方が主催しているサイトなのかな? 話は飛ぶんですが、私は現在のような戦争や紛争が一向に収まらない世界情勢の一番の原因は、宗教的な対立や民族間の憎悪などはもちろんですが、もうひとつ言語の壁があることが大きいのではないかと思ってるんです。バベルの塔以来の、人類最大の課題だと思います。私は人間の智恵や技術による明るい未来を、まだ55パーセントくらい信じているので、そう遠くない未来にこんな回顧がされる日が来ることを夢見ています。「過去に起こった戦争や対立は、実は決定的に対話が不足していたことが原因だった。それは今では誰もが持っている<リアルタイム音声翻訳装置>が発明される以前の、ディスコミュニケーション時代の出来事だった」と。

> 中国共産党による日本の戦争責任の追及は、こういうアジアにおける主導権争い(パワーゲーム)と無関係ではないと思います。というより、そのために中国共産党は「靖国」というカードを利用しています。

私もそう思います。またこれも誰かが言っていることですが、現在アメリカが一番恐れていることは、日本が中国や韓国と戦略を共にして(例えば通貨統合などをして)、アメリカ自身の世界戦略が崩壊することだと思います。そのために、アメリカは日中、日韓の関係が必要以上に好転しないよう工作しているのかも知れません。そういうパワーゲームの中で、日本がどう生き残って行くか、そのシナリオや政策選択が今の政府にはまるで無いような気がします。小泉さんがそういう大局観にまったく欠ける人だったので、新しい総理大臣にはその点を期待したいですね。(安倍さんが総理になったら、また日中関係が悪化しそうで心配です。でも、安倍さんなら、ブログネタをたくさん提供してくれそうで、その点は楽しみです。笑)

ところで、今年は8月15日に小泉さんは靖国参拝をするのでしょうか。mori夫さんは確か首相の参拝には肯定派でしたよね。私は反対派なんです。靖国神社というのは、これからの日本の精神的な支柱のひとつになるには、やはり問題を抱え過ぎている施設だと思う。でも、また新たな論争の種を蒔くようなことはやめましょう。この問題についても、いつかまた(高橋哲哉さんとは違った視点で)書いてみたいと思っています。

投稿: Like_an_Arrow | 2006年8月 2日 (水) 23時57分

Like_an_Arrowさん、ていねいなレス、ありがとうございます。私も<何か>に火がついてしまったのかもしれません。(笑) 私も、再度考えるところを、少し書かせていただこうと思います。右翼保守勢力と同じことを言ってしまうかもしれません。なので最初に、私の偏見かもしれないことを、お断りさせていただきますね。(私も本当の真実が知りたいのですが。)

> 日本が中国などに対外的に支払った賠償額は1兆円程度であるのに対し、日本国内の戦争犠牲者に対する補償には四十兆円も拠出しているのだそうです。(2006/07/26)
> 第二次大戦のアジア各国の犠牲者は、約2000万人と言われてますよね。そのうち日本人の死者は300万人、中国人の死者は1000万人なんだそうです。単純に数字を比較しても仕方ありませんが、それにしても40倍が妥当なんてことはないんじゃないかと。

「40倍」というのは死者の数の比較ことではありませんでした。「中国人には1兆円しか払っていないのに、日本人には40兆円も払っている」ということをふまえた発言でした。日本国家当局が中国国民に与えた被害と、日本国家当局が、その失政によって、日本国民に与えた被害(原爆、日本全土の空襲、家屋の被害、生活の破壊、強制労働、強制徴兵、シベリヤ抑留など)は、私は40倍くらいになるのではないかと、漠然と考えています。

「中国人の死者が1000万人」というのは、私には信じられないです。日本軍がそんなに殺すはずがないです。中国では内乱や人民どうしの騒乱も少なくなく、そっちの犠牲者も含んでいるのではないかと思います。それにしても1000万人は多すぎる。

ナチスドイツは、ユダヤ人を皆殺しにしようとしました。地球から計画的に絶滅させようとしました。そして実際に600万人殺しました。(それでも600万人。)しかし日本軍には、中国人絶滅計画などありませんでした。日本軍の補給計画がまったくずさんだったため、軍人は物資を「現地調達」するしかなく、そのうえで起こった「戦争犯罪」でした。また、当時の中国は、近代的な統一国家ではなかったため、市民ゲリラとして日本軍の侵入に抵抗しました。これが日本軍の「非戦闘員の殺戮」につながりました。日本軍から見れば、戦闘員と非戦闘員の見分けがつかないから。

日本国家当局としては、「中国人皆殺し計画」などあるはずもなく、「中国に戦争をしかけて領土を奪う計画」もなかった。すべては軍部の暴走でした。(その後、軍が旧憲法の欠陥を利用して、政権を握りましたから日本国の罪は免れませんが)

三光作戦があった、ということもよく言われますが、「三光」という言葉は中国語で、日本語にはなく、中国が日本を非難するために作り出した言い方のようです。繰り返しですが、日本や日本軍には、中国人を大量に虐殺する計画などなかったのだと思います。そして実際に殺した数も、喧伝されている数字の十分の一くらいではないかと、勘ぐっています。(中国の宣伝ではない確かな数字があれば、ぜひ知りたいです。)

日本も日本軍も、中国大陸(満州)や朝鮮半島や台湾で、「国家としての日本」を建設しようとしました。都市インフラを整備し、近代建築物を建て、人民を日本人として教育しました。台湾にも京城にも国立大学を建てました。(これらの資産はすべて彼らの国に没収されました。)これを「悪いことだった」と、いまは言われます。たしかに今思えば「悪」でした。彼ら民族の魂を踏みにじったのですから。

でもインディアンは土地を吸収されて「アメリカ人」にされ、アイヌも土地を吸収されて「日本人」にされました。琉球人も同じです。これを「悪だった」と、いまさら言ってもはじまらないです。歴史とは、そういうものだと思うのです。日本が朝鮮半島や中国大陸でやったことを、人類史上許されないような悪をした、みたいな言い方には、納得できないものがあります。

もちろん正しかったとは絶対に言わないです。また、このような理屈を、日本人が中国人や韓国人に、理解してくれるはずもないです。ただ、60年たったいまでも蒸し返してくることに、違和は感じます。「だからいまだに中国や韓国は、自立できてないのだ」と言いたくもなります。

結局、政権を担っている人たちの政治基盤の弱さに起因しているのだと思います。「日本への憎悪」を中心にすえていないと、国民の求心力が得られない。韓国では、いまだに過去の政権の「日本への協力」という罪をあばいて断罪しようとしています。朴正煕とか全斗煥とかのころの。日本人の私からすれば、「そんなことをして何になるの? 国民の間に亀裂を深めるだけでしょ」という気持ちです。死んだ者や、過去のことを、いまの価値基準で、蒸し返して白と黒、善と悪のけじめをつけようとするなんて、不毛です。こんなことをしている盧武鉉氏は、政権を退いたら、後任者に、また断罪されて刑務所に入れられるのではないでしょうか。悲しい繰り返しです。

私ははたち前後のころに本多勝一の本を熱心に読みました。「殺される側の論理」とか「中国の旅」とか、いろいろ。そして書かれていることを全部信じてしまいました。でもそれは、中国側の言うことをすべて鵜呑みにした、信憑性の低い(かなり大げさな)ものであったことを後年になって知りました。「残虐写真」なども、日本軍によるものではないのも多かった。

私は、「戦後民主主義」や「朝日」的な左翼マスコミに、つまり親中国勢力に、国民は洗脳され続けてきたのではないかと感じます。彼らは、贖罪意識や反資本主義意識もあって、中国共産党を美化し、彼らの宣伝をそのまま日本人に伝えてきました。戦前戦中の日本が、いかに中国大陸で、悪逆非道のかぎりをつくしたか、国民に「教育」し続けてきました。

もちろん「朝日」たちが悪人だとは思いません。彼らは実に真面目でした。本当に真面目でした。彼らは、戦後長い間、多数派を形成していました。「日本人が反省していない」なんて、とんでもない話です。日本人ほど真面目に反省する国民はいないです。

> 一方に小林よしのりさんや西尾幹二さんや西部邁さんのような方たちがいる以上、もう一方に高橋哲哉さんや姜尚中さんや大江健三郎さんのような人たちもいてくれないと困る。そうでないと、バランスがとれません(笑)。

もちろんそうだと思います。誰もが自由に発言できることが何より重要です。私も高橋哲哉さんを毛嫌いしていますが、私も政治的発言をする以上、私が誰かに毛嫌いされる可能性があることを、認識しています。

中国には発言の自由も報道の自由もありません。中国に自国の政権を批判する「朝日」のようなマスコミ勢力が無いことが、何よりも中国の不幸だと思います。私が、つい感情的に、高橋さんに「嫌悪」という言葉を使ってしまったりするのは、独裁政権の政治戦略性、その不毛、不健全性、性悪性を特に問題とすることもなく、非常にきれいな一般論としての正義から、学者の理想的道徳論(きわめてロジカルな)から、日本国や日本人を批判することに、反対したいのです。

私は、特に、「日本はナチスドイツと同じことをした」というふうに、かなりの人が思っている(外国人も)ことに、異議を訴えたいです。

投稿: mori夫 | 2006年8月 5日 (土) 13時51分

すみません。文章に誤りがありました。

誤)このような理屈を、日本人が中国人や韓国人に、理解してくれるはずもないです。

正)このような理屈を、日本人が中国人や韓国人に言っても、理解してもらえるはずもないです。

投稿: mori夫 | 2006年8月 5日 (土) 13時59分

mori夫です。何度もすみません。

> へえ、そんなサイトがあるんですか。知りませんでした。中国政府の検閲は受けてないんですか? 中国政府公認サイトだったら、ちょっとイヤかも(笑)。

http://jpbbs.chinabroadcast.cn/index.php

北京放送の日本語BBSです。「南京大虐殺」などの議論を見ると、喧嘩しているのは日本人同士かな? とも思えます。検閲されてるのは中国語のHPだけでしょうから、何でもアリみたいです。

中国語のgoogleでは、「天安門事件」も「法輪功」も、何も検索されないそうです。「法輪功」については、たとえば日本の中国大使館のHPでは、「あれは中国版のオウム真理教だ」といってヒステリックに非難していますが、現実はちょっと違うようです。自由と民主を求める人々が、次々と参加しているように、私には思えます。

http://www.epochtimes.jp/jp/2006/03/html/d71549.html

http://www.epochtimes.jp/editorial/9ping.html

政治や戦争の話ではなく、普通の会話をして、中国の人と親しくなりたいものですね。

投稿: moti夫 | 2006年8月 5日 (土) 20時53分

しつこくてすみません。書き忘れたので、お許しを。

「大紀元」というのは、日本の右翼のHPではなくて、法輪功の「客観ジャーナリズム」を装ったHPです。私は右翼ではありませんので、ご了解を。(中国当局の法輪功への弾圧は、ものすごいです。日本の戦中の特高のようなことをやっています。)

投稿: mori夫 | 2006年8月 5日 (土) 23時02分

mori夫さん、いろいろ貴重な情報をありがとうございます。北京放送のBBSも「大紀元」のHPも初めて知りました。いまさらですが、なるほどインターネットというのはある程度、政治的な規制も言語の壁も乗り越えて行くのだなと感じました。高峰一さんという方の講演録も興味深く読みました。さすがにmori夫さんはアンテナを広く張っていらっしゃる。いや、私の方が不勉強過ぎるだけかな?

> 「中国人の死者が1000万人」というのは、私には信じられないです。日本軍がそんなに殺すはずがないです。中国では内乱や人民どうしの騒乱も少なくなく、そっちの犠牲者も含んでいるのではないかと思います。それにしても1000万人は多すぎる。

私もそう思います。高橋哲哉さんの本を読んでも、加藤典洋さんの本を読んでも、アジアの戦争犠牲者は二千万人ということになっていて、それを前提に議論が進められています。その根拠がどこにあるのだろうと思って、インターネットで探してみましたが、見付かりませんでした。こういう数字は、いくら実証的・学術的に調べようと思っても、限界があるものだと思います。日本が中国を侵略した期間が、盧溝橋事件から敗戦までだとすれば、丸八年もある訳です。当時の中国国民は五億人と言われていますが、たとえ戦争が無くても、五億人の国民を抱える国は、単純計算で毎年七百万人以上、八年間のあいだにはおよそ五千七百万人の国民を死なせる訳です(平均寿命を七十歳として)。日本軍の管理下にある病院で普通の病気や老衰で亡くなった方もカウントすれば、一千万人という数字は簡単にでっち上げることが出来ると思います。問題は日本の権威ある大学の先生が、そういう数字を議論の土台にして、何も疑念を持っていないように見えることです。

> でもインディアンは土地を吸収されて「アメリカ人」にされ、アイヌも土地を吸収されて「日本人」にされました。琉球人も同じです。これを「悪だった」と、いまさら言ってもはじまらないです。歴史とは、そういうものだと思うのです。

ここは多少引っ掛かります。「歴史とは、そういうもの」と言ってしまっては、そこで判断が止まってしまうと思うからです。この部分のご意見をもう少しソフトにリライトすると、こんな感じかと思います、「それは間違いなく悪だったのだけれども、その多くは取り返しのつかないものとして、過去の歴史になってしまった。しかし、その歴史的事実を記憶し、これからの歴史の中でそのようなことが二度と起こらないように努めることは、現代に生きる私たちの義務だと思う。」これなら抵抗は少ないかも知れない。私はよく思うのですが、議論が高じて感情的にも対立してしまうのは、ちょっとした言い回しや語気の強さが相手に与える印象がもとになっている場合が多いと思います。私がインターネットのBBSに行きたくないのも、そういう感情的対立に疲れてしまうからなんです。

> 私は、「戦後民主主義」や「朝日」的な左翼マスコミに、つまり親中国勢力に、国民は洗脳され続けてきたのではないかと感じます。彼らは、贖罪意識や反資本主義意識もあって、中国共産党を美化し、彼らの宣伝をそのまま日本人に伝えてきました。

日本の左翼マスコミが、国民を組織的・計画的に<洗脳>して来たというのも、私にはしっくり来ません。「朝日新聞」は多少<左寄り>の傾向はあっても、ジャーナリズムの中立性を大きく踏み外すほど偏向しているとは私には思えないんです。それは読売だって毎日だって日経だって同じだと思います。中国共産党を美化しているといった事実も、(過去はともかく)現在は無いんじゃないか。いや、これは私の認識が甘いだけかも知れません。

> 中国には発言の自由も報道の自由もありません。中国に自国の政権を批判する「朝日」のようなマスコミ勢力が無いことが、何よりも中国の不幸だと思います。

その通りだと思います。それにしても、北京放送のBBSが日本語の書き込みまでは検閲していないというのは、私にはちょっと意外でした。というよりも、政治的な議論が出来るBBSをオープンしていること自体が不思議な気がしました。案外変化は速いのかも知れませんね。ソ連だって、まさかこんなに急激に共産党支配が終わるとは誰も思っていなかった訳でしょう? 中国共産党の中にも、もしかしたら我々くらいの世代の人の中から、ゴルバチョフさんみたいな人が現れて来るかも知れない。私は単純にそれを期待したいです。

高橋哲哉さんや内田樹さんの本を読んで、ちょっと<左>に傾いていた私の気分は、mori夫さんのコメントで少し<右>に押し戻されました。私はどちらにも偏しない中立な立場をとるよりは、むしろどちらの意見にも共感出来る立場でいたいと思うので(日和見ということではないと思っています)、mori夫さんのようなご意見は貴重なんです。死刑制度や裁判員制度に関しては、私はもう立場を決めているのですが(それだってまた変わるかも知れません)、資本主義か共産主義かの問題は、両者が抱える問題が明らかになっている以上、まだまだ建設的な議論の余地はあると思うのです。

投稿: Like_an_Arrow | 2006年8月 7日 (月) 01時41分

Like_an_Arrowさん、いただいたレスにあまえて、また私見を書かせていただきます。

> さすがにmori夫さんはアンテナを広く張っていらっしゃる。いや、私の方が不勉強過ぎるだけかな?

いえいえ、単に、気になる言葉をgoogleで検索して、出てきたblogやHPをいくつか読んでいるだけです。テレビや新聞とは、また違った情報や話題が得られますので。

> 日本軍の管理下にある病院で普通の病気や老衰で亡くなった方もカウントすれば、一千万人という数字は簡単にでっち上げることが出来ると思います。問題は日本の権威ある大学の先生が、そういう数字を議論の土台にして、何も疑念を持っていないように見えることです。

原爆では広島で14万人、長崎で7万人死にました。(1945年の死者。)これはそうとう綿密に調査して積み上げた数字だと思うのです。中国の場合だと、そもそもこういう類の調査が存在しないのではないでしょうか。大雑把に想像して、しかも自分たちの被害を誇張して、「○○万人」と言っているだけのような気がします。共産中国は日本の敗戦後に樹立されたので、それより前の中国国民の居住場所や人口など、誰も管理していなかったとも考えられます。清が滅亡したあと、中国大陸には国家と呼べる組織体制はなかったし、清にしても、非近代的な一族郎党のためだけの王朝国家であって、現代ふうの市民を守る民主国家とはまったく別の国家だったと思うのです。

> ここは多少引っ掛かります。「歴史とは、そういうもの」と言ってしまっては、そこで判断が止まってしまうと思うからです。この部分のご意見をもう少しソフトにリライトすると、こんな感じかと思います、「それは間違いなく悪だったのだけれども、その多くは取り返しのつかないものとして、過去の歴史になってしまった。しかし、その歴史的事実を記憶し、これからの歴史の中でそのようなことが二度と起こらないように努めることは、現代に生きる私たちの義務だと思う。」これなら抵抗は少ないかも知れない。

私たちは近現代史の教訓を、どういうふうに今日明日の政治に生かすべきか、という点についてのご意見として、完全に同感です。ただ、過去(古代以前も含めた)の歴史の評価という話になると、私は少し違う考えを持っています。

これはLike_an_Arrowへの反論ではないのですが、たとえば日本史や世界史の教科書を読めば、まさに人類の歴史は戦争の歴史であったことがわかります。歴史年表は「○○○年、□□□国が滅んだ」という記述のオンパレードです。これはたいてい、□□□国の人民が大虐殺されたり、その元首や首領が斬首されたことを意味します。これを、現代の価値観で評価して、「人類の歴史は愚か者の殺し合いの歴史だった」と、もし断罪するのなら、それは歴史を見る目が現代的評価主義の偏見で曇っていると私は感じます。歴史を見る目に単純な勧善懲悪の視点を持込んではいけないとも思います。

サル社会には、グループ同士の抗争もあるし、ボスザル争いで負けたサルの子供は、新しいボスザルに皆殺しにされたりします。日本も日本以外の国も、いまのような統一国家になるまでの長い道のりには、まさに血みどろの民族抗争、部族同士の殺し合いがありました。この歴史なくしては、われわれは今日にいたることができませんでした。これを現代の人間社会の価値観で「悪」とみなすのは、私は、いわば「文学的感傷」であるような気がします。(繰り返しですがLike_an_Arrowさんの今回のご意見への反論ではないです。)

以上が、私の「歴史とはそういうもの」という言葉の真意でした。

> 私はよく思うのですが、議論が高じて感情的にも対立してしまうのは、ちょっとした言い回しや語気の強さが相手に与える印象がもとになっている場合が多いと思います。私がインターネットのBBSに行きたくないのも、そういう感情的対立に疲れてしまうからなんです。

よくわかります。私も、いくつかの議論サイトで右寄りの発言をしたことがあるのですが、言葉尻をとらえられて、ものすごく口汚くののしられたことは、少なくありません。政治の議論て、どうしてこうなってしまうのでしょうね。

> 日本の左翼マスコミが、国民を組織的・計画的に<洗脳>して来たというのも、私にはしっくり来ません。「朝日新聞」は多少<左寄り>の傾向はあっても、ジャーナリズムの中立性を大きく踏み外すほど偏向しているとは私には思えないんです。それは読売だって毎日だって日経だって同じだと思います。中国共産党を美化しているといった事実も、(過去はともかく)現在は無いんじゃないか。いや、これは私の認識が甘いだけかも知れません。

朝日などのマスコミが日本人を「洗脳していた」というのは、私の過大表現だったと思います。しかし彼らの、「日本をよくしよう、日本人を正しい方向に導こう」というエリート意識は、そうとうに強いものがあったと実感しています。アメリカべったりの自民政権より、革命中国の共産党に、戦後かなり長いあいだシンパシーを抱き、中国共産党びいきの報道をしてきたことは、間違いない事実と思います。朝日らは、いまも昔も、「客観報道に徹するマスコミ機関」では決してなかった。自ら政府を攻撃し、人民を指導する「政治結社」(に近いもの)でした。(それをダメだとは言いません。彼らも私的な団体にすぎないので、表現の自由、思想の自由は保証されますので。)事故や災害の報道は別として、政治的な報道は、取捨選択された非常に作為的なものを、私はいつも感じます。(朝日は左翼系の市民運動は小さなものでも報道しますが、右翼系のそれは、まず報道しません。)

朝日らの「日本改革」の熱い思いは、中国や中国共産党を見る目を、そうとう曇らせていたといえると思います。朝日の悪いところは、いままでの誤解を素直に認めないことです。日本政府や日本人には「反省が足りない」とお説教するのに、自分のことは反省しないです。戦中に戦争協力報道をしたことや、戦後に革命中国の礼賛報道をしたことを、報道機関として正式に謝罪していないと思うのです。(そういう記事を見たことがありません。)戦中のことを真剣に反省するのなら「朝日新聞」という名前を捨てて、経営者も一新して、新しい会社としてやり直すべきだったのです。社説で国民に高邁な説教をし続けるなら、自らけじめをつけるお手本を示すべきだったと思うのです。(余談ですが監査法人の中央青山は、みすずという社名に変更して再出発するそうです。)

> それにしても、北京放送のBBSが日本語の書き込みまでは検閲していないというのは、私にはちょっと意外でした。というよりも、政治的な議論が出来るBBSをオープンしていること自体が不思議な気がしました。

日本語(外国語)のHPまでは検閲しないのでしょうね。(影響力が小さいから。)

> 案外変化は速いのかも知れませんね。ソ連だって、まさかこんなに急激に共産党支配が終わるとは誰も思っていなかった訳でしょう? 中国共産党の中にも、もしかしたら我々くらいの世代の人の中から、ゴルバチョフさんみたいな人が現れて来るかも知れない。私は単純にそれを期待したいです。

私も中国にゴルバチョフのような人が現れることを期待しています。しかしこんな情報もあります。
http://www.epochtimes.jp/jp/2006/01/html/d28857.html
「中共の各級幹部が毎年使用する公用車費は3000億元であり、国家財政支出全体の38%を占めている。」(極貧生活で、子供を満足に学校へもやれない人々が、膨大な数に及ぶのに。)

中国では党や役人が暴利をむさぼっています。もし民主化が行われて、中共幹部が公費と称して、いかに私腹をこやしていたかを人々が知ったら、中国全土に暴動が起きるかもしれません。文化大革命の反右派闘争のときは、農民や兵士が、知識人・文化人・都会人(ブルジョア)を敵視して、虐殺したり、縄で縛って市中引き回しをしたり、農村へ追放したり、柏楊に言わせれば「天地をひっくり返したような大暴乱」だったそうですが、それと同じことが起きそうです。中国の民主化へのソフトランディングは、非常に難しい。

これは偏見かもしれませんが、かの国は大きすぎて、社会のなかに道徳心や遵法精神(つまり身内一族ではない、見知らぬ世間の人々を信頼する心)が、無いように見えます。だから体制が変わると、いままでの支配者・支配階級に対する大復讐がはじまる。なんだかんだ言っても、日本は、外国から見れば、「一億総家族」のような一体意識による安定があります。これは日本が、ほどよい大きさの島国であることが、非常に幸いした結果であろうと思います。

> 高橋哲哉さんや内田樹さんの本を読んで、ちょっと<左>に傾いていた私の気分は、mori夫さんのコメントで少し<右>に押し戻されました。私はどちらにも偏しない中立な立場をとるよりは、むしろどちらの意見にも共感出来る立場でいたいと思うので(日和見ということではないと思っています)、mori夫さんのようなご意見は貴重なんです。死刑制度や裁判員制度に関しては、私はもう立場を決めているのですが(それだってまた変わるかも知れません)、資本主義か共産主義かの問題は、両者が抱える問題が明らかになっている以上、まだまだ建設的な議論の余地はあると思うのです。

保守かリベラルか、というのは、どっちが正しいということはないのでしょうね。両方の思想や、両方の感覚を、同時に持ち続けているのが、大事であるように、私は思います。

投稿: mori夫 | 2006年8月13日 (日) 04時14分

> これはLike_an_Arrowへの反論ではないのですが

敬称が抜けていました。失礼しました。

投稿: mori夫 | 2006年8月13日 (日) 04時16分

mori夫さん、こんにちは。今週はお盆休みで出掛けていて、ご返事が遅くなってしまいました。終戦記念日には、案の定、小泉さんは靖国参拝をしましたね。この問題については、翌16日の内田樹さんのブログでも取り上げられていてますが、私がとても違和感を感じるのは、何故今年に限って8月15日に参拝するのかということです。どうせ参拝するなら、毎年この日に参拝すればいいじゃないですか。それを公約も無視して、こそこそと別の日に参拝する、それで再選を気にしなくていいこの時期になって、後は野となれで問題の日に参拝する。姑息だと思います。中国や韓国の反対を押し切って参拝する意味は、mori夫さんがおっしゃるような偏った歴史観に否を表明し、そこから新しい対話の基盤を作って行くこと以外にはないと思います。そのためには、参拝は個人の心の問題などとはぐらかさず、きちんと日本人にとっての靖国神社の意味を海外にアピールして行くべきではないか。そういう説明をこの人は一切して来なかった。振り返ってみれば、小泉純一郎という人は、国内にも国外にも対話というものの可能性をすべて閉ざして来てしまった総理大臣だったと言えるような気がします。

この時期にこの問題について意見を交換するのは、とても時宜にかなっているし、大切なことだと思います。いただいたコメントからは、いろいろな考えを呼び覚まされました。ここで触発された考えを、もう一度文章にまとめてブログの記事にしようと思っています。タイトルだけはもう決まっているんです、『私のナショナリスト宣言』というものです(笑)。mori夫さんにご丁寧なコメントをいただくので恐縮しています。ご自身のブログがお休み中なのに、ここであまりにお時間を取っていただいていると思うからです。ご本人よりも全国のmori夫ファンの方々に申し訳ない。いや、ほんとです。だって私のブログって、本当に訪問者が少ないんですよ。たぶんここでのやり取りを見ている方は、我々の他ひとりもいないと断言出来ます(笑)。私はいいのですが、mori夫さんのエントリーを待っている方は、きっとここでの貴重なコメントを知らずにいらっしゃる。それがもったいないです。

あ、いま気付いたのですが、ブログというものは日記ツールとしてはとても優れていますが、対話ツールとしてはもうひとつ改良の余地がありますね。mori夫さんは、たぶんあちこちでコメントや対話を残していらっしゃるのだと思いますが、それをmori夫さんご自身のブログにも同時にアップロード出来る機能があってもいい。つまり、二人(もしくは複数人)の人がブログ上で議論する場合、ある設定をすれば(すなわち議論が起こっているブログをマスタ側とし、自分のブログをスレーブ側と設定して、2つのアドレスを入力することで)、本文とコメントのやり取りが両方のブログに同時に掲載されるという仕組みです。もちろんスレーブ側のエントリーはただのコピーなので、そこに直接コメントは出来ない。その際に、マスタから引っ張って来るコメントにハンドル名(とパスワード)でフィルターをかけられるようにするとなおいい。そうすれば、本体のブログが<荒らし>にあって、ブログ炎上という事態になっても、コピー側では静謐が保たれます。自分のブログが炎上しやすい体質の人は、自分のブログの中にスレーブを二重に持つことも出来ます。どうでしょう、思い付きにしては、ちょっといいアイデアではないでしょうか。(著作権の問題はあるかも知れませんが。)

話が脱線してしまいました。戦争責任や靖国の話題はこれからも細く長く続けて行きましょう。mori夫さんのブログも再開されたのですね。ここまで書いて、いま拝見したのですが、やはり小泉首相に関する評価は、意見が分かれるみたいです。考えがまとまったら、コメントさせていただきますね。

投稿: Like_an_Arrow | 2006年8月19日 (土) 15時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138790/11070379

この記事へのトラックバック一覧です: 「南京で通じたご免なさい」について :

« とほほ教授、内田先生『名言録』 | トップページ | ワーキングプア問題の根本にあるもの »