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2006年7月30日 (日)

ワーキングプア問題の根本にあるもの

 先週日曜のNHKテレビの番組で、ワーキングプアの問題が取り上げられていました。最近日本の社会の中で、富裕層と貧困層の二極化が進みつつあるという話はよく聞きますが、番組はその一方の極にいる貧しい人たちに取材したドキュメンタリーで、視聴者になるほどいま世の中で起こっていることはこういうことなのかと強く印象づけるものでした。職を転々とした挙句、住むところも失い、定住所が無いために仕事も見付けられない三十代の男性、ガソリンスタンドでのアルバイトを3件もかけ持ちし、昼も夜も働いて月に20万円程度の収入を得、二人の息子を育てている五十歳の元サラリーマンの男性、東北の町で長年仕立屋を営んで来た六十代の男性は、町が過疎でさびれるに従い仕事が少なくなり、とうとう昨年の年収は24万円にまで落ち込んでしまいました、年金は月に6万円ほどありますが、それはすべてアルツハイマー病の妻の介護費に消えて行くのだと言います。痛ましいのは、番組に登場するどの人も、決して勤労意欲が無い訳ではないし、これまで一途に働いて来たにも関わらず、そういう現在の境遇に落ち込んでしまっているという点です。働いても、働いても、貧しさから脱け出せないワーキングプア。私自身もそうですが、視聴者の多くは、明日は我が身かも知れないという怖さを感じながら、番組を見終わったのではないかと思います。

 こういう問題が起こっている背景には、小泉政権が推し進めた経済自由化と規制緩和の影響があることはよく指摘されますが、私はそこにはもっと本質的で構造的な要因があるのではないかと思っています。例えば私が働いているコンピュータ業界では、お客さんに営業する時に、こんな常套的な宣伝文句を使います、「IT(情報技術)によって業務の効率化を図り、無駄なコストを省くことが、これからの時代を生き抜くための条件です」。なるほど良く設計されたコンピュータ・システムは、業務を驚くほど効率化し、これまで十人で行なっていた仕事が一人でこなせるようになる。我々システム屋は、「そこで残りの九人は解雇して、人件費を削減しましょう」とは言わない、「コンピュータでやれる仕事はコンピュータに任せ、社員はもっと付加価値の高い創造的な仕事にシフトすべきです」なんてことを言う。間違いではないけれども、きれいごとです。誰もがそんな質の高いクリエイティブな仕事に適応出来る筈がないからです。で、企業の中では、コンピュータにも劣るルーティンワークしか出来ないような人は淘汰され、一部の才能ある人(または自分を高く売る営業的センスのある人)だけが生き残り、高収入を得ることになる。人間の仕事の価値を下落させているのは、コンピュータだけではありません、日本のお家芸である工業ロボットや、高性能な農業機械や、銀行のATMに至るまで、こうした効率化システムの根本には人間排除の思想があります。それにさらに海外の安い人件費が追い討ちをかける。こうして構造的に貧富の二極化がどこまでも進んで行く、まったく当然な話です。

 人類はわずか百年あまりのあいだに驚くほど高度な技術文明を築き上げて来ました。しかし、生物としての人間が、それに追い付くスピードで進化出来る筈はありません。あまりに進歩し過ぎた科学や技術の世界では、不適応を起こす人が増えて来るのも当然だと思います。最近の理論物理学や高等数学のような研究分野は、大学の4年間くらいではとても習得不可能なレベルにあると聞いたことがあります。いや、そんな最先端の研究者ばかりでなく、コンピュータの世界だって、自分が若かった頃とは比較にならないほど、開発者が習得しなければならない知識や技術は複雑で広範なものになっています。しかも変化の速度が速いので、習得した知識や技術はすぐに古びて陳腐化してしまう。もうそろそろ限界なのではないかと感じることがあります。最近はよくシステムの不具合で、社会的な影響を与えるほどの大きなトラブルが発生することがありますが(銀行のATMが使えなくなったり、航空機の搭乗券が発行出来なくなったり)、それは単にプログラマーのミスや不注意のせいにすることは出来ないと思います。巨大化し複雑化したシステムに、もはや人智が追い付かないのです。一部ではこうした高度なテクノ社会から落ちこぼれる人たちがいて、一部にはそこに必死にしがみついて、過労やストレスで心を病む人たちがいる。ワーキングプアの問題は、こうした社会全体の大きな問題のひとつの現れであるように思います。

 こういった問題を解決するのに、どのような社会システムの変更が必要なのでしょう? ヨーロッパなどで提唱されているワークシェアリングの試みも、私は一時しのぎの解決策に過ぎない気がします。高度に機械化、システム化された産業界にあって、残されたわずかな仕事を人々が仲良く分け合い、少ない賃金をシェアする、それは決して仕事と人間の幸福な関係ではないような気がします。一般的に本当にやりがいのある仕事というのは、人を長時間拘束するものだと思うし、自分でなければ出来ない(つまり他人とシェア出来ない)仕事にこそ、人は喜びや達成感を感じるものだと思うからです。だとすれば、これからの時代の重要な課題は、いかに我々のような一般の人間(特に秀でた才能を持っている訳でもなく、成功に対する意欲も人並みであるような人間)にも、取り組みがいのある仕事の分野を開拓して行けるかというところにあると思います。もっと分かりやすく言えば、特に何の技能も無いふつうの勤労者(十五歳から六十五歳まで)が、生活するために十分な収入を得て、しかもやりがいのある仕事をいつでも見付けられる、そんな社会が実現出来るかということです。しかもそれは大都会だけではなく、過疎の村に住む人にも当てはまるものでなくてはならない。そんなことが果たして可能でしょうか?

 以前このブログの記事で、日本の所得税の累進率に関する問題を取り上げたことがあります。例えばワーキングプアや生活保護世帯の問題を、社会の富の再配分がうまく行っていないことに原因を求めようとすれば、税率の累進性を見直して、高額所得者からもっと多くの税金を取ることが当然の施策になると思います。が、その後インターネットで調べてすぐに分かったのですが、現在の税制上、最高税率が(地方税も含め)50パーセントで止まってしまう高額所得者に、かつてのように最高80パーセントを超す重い所得税率を課したとしても、年間での税収増加額は、国と地方を合わせても、せいぜい数千億円程度のものに過ぎないのです(私の大雑把な試算によればです。間違いがあればご指摘ください)。現在の日本の生活保護予算は、約1兆9千億円ですから、数千億円の増収分をそのまま生活保護に回せば、まあ貧困層を救済する上で多少の意味が無いこともない。しかし、それは国全体の経済的な活力を削ぐことにつながりますし(まず資本が海外に逃げます)、今後構造的に増え続けるであろう貧困層のことを考えれば、焼石に水でしかないとも言えます。ですから、この問題はやはり、いかに貧しい人を救うかということよりも、いかにワーキングプアだとかニートだとか呼ばれる人たちの潜在的な労働力を有効に活用して、効率の良い経済の仕組みを組み立て直して行くかという議論に向かうべきだと思うのです。

 これからの時代に、間違いなく人手不足が起こり、失業者の受け皿になることが期待される分野として、高齢者介護を始めとする社会福祉関係の仕事があると思います。私の知り合いには、何故か福祉関係の仕事をしている人が多いのですが、彼らの話で驚かされるのは、その激務に反比例するかのような賃金の安さです。結局、お金になる商品やサービスを産み出さない仕事は、今日の経済社会の目から見れば、何も価値を生み出さない非効率なものでしかないのです。それは、経済的に貧しい高齢者や障害者の人たちが、社会の<お荷物>でしかないとする考え方と通底するものであるような気がします。番組の中で出演者のひとりが言っていた、「貧乏人は早く死ねということか」というのが、彼らを代表する声なき声です。しかし、そういう彼らの(また我々の)怒りを、現在の政治や社会体制の問題に向けている限り、何も解決策は見えて来ないような気がする。おそらく我々自身の価値観の転換が必要なのです。つまり、お金がすべての価値の基準であり、貧しい家庭は生活保護費を勝ち取ることが、福祉施設は国の補助金を勝ち取ることが、最終的な目的ではないことを、もう一度我々自身が確認することだと思います。そんなことを言っても、今の世の中、お金が無ければ食べ物も買えないし、住む家も借りられないではないか、そういう反論が当然あると思います。でも、本当にそうなのでしょうか? 人が豊かに生きて行くためには、お金を媒介にするしか方法が無いのでしょうか?

 これも以前紹介した話ですが、私が尊敬していた企業家の故小倉昌男さんは、知的障害者の作業施設を経済的に自立させるための活動に取り組んでいました。私はこれは素晴らしい取り組みだと思うのですが、やはり厳しい企業競争を戦い抜いて来た小倉さんならではの発想だと思います。障害者の作業所がパン屋さんを開けば、当然そこには地元のパン屋さんとの競争が発生し、その競争に打ち勝つということは、競争相手の売上げを奪うことにつながる訳です。むろんそれが現在の自由経済の掟なのですが、全国のすべての作業所がそういった競争に参加するというのも、なんだかしんどい話です。それならむしろこういう発想はどうだろう、各地の作業所はそれぞれ自らの得意な商品やサービスを開発し、それをお互いに物々交換で交換するというのは。例えば現在の洗練された市場の中では商品価値が見劣りするものでも、貧しくてそれが買えない人にとっては貴重な商品である筈です。東北の貧しい仕立屋さんは、中国の縫製工場が大量生産する安いスーツとは戦って行けないかも知れないが、この方の持つ技術は絶対に誰かの役に立つものだと思います。番組では、毎日1個百円の缶詰で飢えをしのいでいる様子が映し出されていました。この方のところに、地元の作業所から毎朝新鮮なパンや野菜が届けられる、その代りに作業所で使う作業服の仕立ては、彼が一手に引き受ける。そこで得られるものは、単に生活物資だけではないと思います。社会のネットワークにつながっているという喜び、自分の労働が誰かの役に立っているという喜び、それが人を幸福にする。

 とにかく今の社会で問題だと思うのは、貧しい人、弱い立場の人が、ほんとうに孤立無援だということです。人と人との基本的なネットワークが、ずたずたに分断されているように思える。これは行政の責任であると同時に、我々自身の責任でもあります。企業が24時間絶えず訴えかけて来るコマーシャリズムの洗脳を受けて、誰もが画一的な幸福観に染まっている。人は人と結びつく代りに、商品と(つまりお金と)結びついている。この悪夢から脱け出さない限り、いくら社会保障の充実だとか、機会均等だとか言っても、本質的な問題は何も解決されないような気がします。逆に言えば、「お金なんて無くたって平気」という社会の互助的な仕組みが整っていれば、仕事の選び方や幸福の求め方にも、人それぞれいろいろな選択肢が生まれて来るでしょう。今回もまたなんだかまとまりがない話になってしまいました。このまま続けると、例の生活保護住宅構想をまた蒸し返したくなるので止めますが(結構自分としては気に入っているんです。笑)、本質的にこの問題は、いまニュースを騒がしているヒズボラ対イスラエルの問題などとは違って、工夫次第ですべての人をハッピーに出来る可能性のある問題だと思うのです。もっともっと議論を活発にして行く必要がありますね。

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2006年7月23日 (日)

「南京で通じたご免なさい」について

 前回の記事で、内田樹さんと高橋哲哉さんの「戦後責任論」に対する考え方の違いについて触れましたが、今回もう一度この問題を考えてみようと思います。もう一年以上前のことになりますが、昨年の五月八日の朝日新聞『声』欄にこんな読者投稿が載りました。一度読んだら忘れられないような印象的な話なので、覚えている方も多いのではないかと思います。まずは全文を引用します。

『南京で通じた「ご免なさい」
 日中関係の難しさをみていて、1年前の体験を思い出しました。友人と4人で南京市を観光で訪れ、大虐殺記念館を見学しました。館内で日本語を話すとまずいので、やめておこうと事前に申し合わせていました。小学生ぐらいの子どもが次々と入館しました。私たちに同行していた中国人通訳が言います。「子どもたちは日本人はひどいと言っている。日本が嫌いになって帰っていきますよ」。このままでいいのかと思った私は、覚えたての中国語で子どもたちにとっさに言いました。「私は日本人です。ご免なさい」。女の子が進み出て私の目をじっと見つめ、話し始めます。「展示は過去のことです。あなたが悲しむことはありません」。「あなたの気持ちが通じたのよ」と通訳は喜んでくれました。日本は中国に反省とお詫びを表明しているといいますが、国民は痛みを感じているでしょうか。過去をきちんと受け止め、どう反映させるのかを近隣諸国民は注視していると思います。「過去のことです」という言葉は中国の人たちが発して初めて意味を持つと感じました。』

 どうでしょう。これを読んだ印象は人それぞれだと思いますが、最初新聞でこの文章を読んだ時の自分の気持ちは複雑なものでした。一見とてもよく出来た心を打たれるようなエピソードだけれども、いかにも<朝日新聞>が好みそうな原稿だよな、そんなことを考えたのです。さらに正直に告白すると、ここに登場する女の子の言動にも微妙な違和感を覚えました。つまりこんなひねくれた感想を持ったのです、この若い女の子はこの科白を口にした時、さぞかし気分が良かったに違いない、なにしろその瞬間彼女は十三億人の中国人を代表して、一人の日本人女性に<赦し>を与えたのだ。赦すということは、赦される相手よりも自分の方が一段高い場所にいることを確認することだ、それは一種の権力の行使なのだ。そもそも自分で戦争を経験したこともなく、たまたま<大虐殺記念館>で見知らぬ日本人とめぐり合わせただけの若い人が、何故「ごめんなさい」と言われて相手を赦すことができるのだろう。その言葉を「気持ちが通じた」と言って、得々として受け取る日本人も日本人だ。この小さなエピソードに隠されている欺瞞性に、投稿者はともかく新聞の編集者が気付かなかったのだろうか? それとも気付いてこれを掲載するところが<朝日>の<朝日>たる所以なのだろうか? 自分で書いていても気が滅入りますが、たぶんそんな想念が心の中で渦巻いて、この記事を素直な気持ちで読めなかったのだろうと思います。

 この投稿が新聞に載って半月ほどあと、これに反論する若い人の投稿がやはり『声』欄に載りました。ひねくれ者の私は、この文章にはさらに腹立たしさを感じてしまいました。つまり編集部の<思うツボ>にはまって、平均的な一読者の反応を返していたのです。一部を引用します。こんな投書です。

 『「南京で通じた『ご免なさい』」(8日)で、中国人の子どもに「私は日本人です。ご免なさい」と言ったことに違和感と驚きを覚えた。私には、いくら自分が日本人でも、昔の日本人がした行為に対して謝るという感覚が希薄だ。場を共有していない両者間の連続性が感じられず、昔の日本人の罪は、私にとっては「他人」の罪だ。「ひどいね、でも関係ない」というのが正直なところだ。おそらく多くの若者も似た考えではないか。』

 まあ、この文章を読んだ時の腹立たしさは、説明するまでもないと思います。「ひどいね、でも関係ない」という言葉は、いかにも自己中心的で道徳感覚が希薄な現代の若者気質をよく表している。「おそらく多くの若者も似た考えではないか」と言って、責任のがれをしようとしているところも感心しません。文章の後半で、投稿者の若者は、さすがにこうした無関心がもたらす結果に危機感を抱き、「そこで今、私は歴史を学ぶことを大学在学中のひとつの目標にしようと思う。長期休暇には日本各地の歴史資料館を訪れたい。そうすれば私の感覚も、いつか変わるのだろうか」という言葉で文章を締めくくっています。あれから1年余りが経ちましたが、この若者は大学に行って、いまごろ長い夏休みを利用して歴史の勉強をしているのでしょうか?

 先週の文章を書いてから、この1週間、主に通勤電車の中で高橋哲哉さんの『戦後責任論』を読んでいました。(ほんとはもっと早く読んでおくべきでしたね。このブログはまったく自転車操業で運営しています。苦笑) この本の中で、藤岡信勝さんや加藤典洋さんとの論争の部分は、論争している相手の論文を読んでいないので、コメントも出来ないのですが(いくら説得力があっても、論争というのは読んでいて気分が滅入るものです)、それとは別にとても美しい思想が述べられているところがあって、その部分には素直に共感出来ました。高橋さんによれば、戦争責任(戦後責任)には、例えば戦争指導者らに科せられている<罪責としての戦争責任>と、例えば戦後生まれで直接戦争に関わっていない我々世代にも問いかけられている<応答可能性としての戦後責任>があるのだと言います。罪責としての戦争責任については、とても難しい問題があるので自分には論じられませんが、応答可能性としての戦後責任は私たちの日常生活にも関わる問題です。少なくとも私たちは、<南京大虐殺>についても、<従軍慰安婦問題>についても、その実体がどのようなものであったかを正確には知り得なくても、そういう事実があったことは間違いなく知っている。「ひどいね、でも関係ない」では済まされない問題です。そして、高橋さんの思想が美しいのは、この応答可能性の責任を果たして行くことは、何も戦後責任の問題に限らない、例えば恋愛であろうと友情であろうと、他者の呼びかけに応えることは人間関係の基本であって、それは十分「歓ばしく」、「肯定的」なことの筈だと言うのです。確かに過去に不幸な歴史があったにせよ、中国や韓国の人たちと新しい友情関係を築いて行くステップだと思えば、それは十分歓ばしく、肯定的なことであるに違いありません。ここには内田樹さんが高橋哲哉さんを評して、「審問的」だと言うのとはまた違った一面があるような気がしました。

 実はこの本を読みながら、冒頭に挙げた新聞の投稿記事のことを思い出していたのです。私たちはふだんから政治的な言説や、人を党派性で値踏みしようとする最近の傾向にどっぷり浸かっているので、こういうエピソードの持つ単純な美しさに気付きにくくなっているのかも知れない、そんなことを思ったのです。この小さなエピソードに、政治的な意図や隠された欺瞞性なんてものを読み取ろうとするのが間違いなのだと思います。今回の記事は、私が愛読している宇佐美保さんのホームページからコピーさせてもらったのですが、宇佐美さんはこのエピソードのハイライトの場面、女の子が一歩進み出て、女性に話しかける場面を評して、「まるで、芝居の、又、オペラの舞台のようです!」とおっしゃっています。私もそう感じます。この小さな女の子は、とっさに機知を働かせて、とても上手に応対してみせた。私がもしも彼女の父親だったら、娘を褒めてあげたい気持ちになると思います。彼女はそのことを誇らしく思っていいのです。そして、そういう場面に当事者として居合わせた投稿者の女性も、その幸運を噛みしめていい(だって、もっとひどい言葉を浴びせられる可能性だってあった訳ですから)。彼女がそれを記事に書いてくれたおかげで、我々もその幸せのおすそ分けにあずかることが出来たのです。こういう小さな物語を積み重ねて行くことが、戦後六十年を経ていまだに人々の心に残る<しこり>をほぐして行く唯一の方法ではないかとも思います。ついでに言えば、こういう物語は、一話完結で評価してはいけないような気がします。例の「ひどいね、でも関係ない」と言った若者だって、歴史を勉強し、例えば中国人の留学生との友情を育むなかで、もうひとつの美しい物語を紡ぎ出して行くかも知れない。むしろそう信じたい気がします。

 どうも毎年、八月が近付くとこの問題が心にまつわりついて、メランコリックな気分になります。今週は、A級戦犯合祀の問題に関する昭和天皇の言葉を記録したメモが発見されて、大きなニュースになっていました。私にはまるで興味の無いことです。せいぜい対立する二つの党派が、政争の材料として利用するくらいのことでしょう。そこには未来を志向する何の美しい物語も無い。この文章を締めくくるに当たって、最後にもうひとつ紹介したい新聞の記事があります。これも私の愛読するmori夫さんのブログで紹介されていた記事です。もう19年も前の記事だそうですが、私はmori夫さんの紹介で初めて知り、忘れられないものとなりました。これも読んだ人にとって心の宝ものになり得るような物語です。ぜひ読んでいただけたらと思います。

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2006年7月16日 (日)

とほほ教授、内田先生『名言録』

 最近、そのタイトルの奇抜さに惹かれて、内田樹(うちだたつる)さんという方の『態度が悪くてすみません』という新書本を読みました。自分には滅多に無いことですが、それがあんまり面白かったので、アマゾンで検索して自分にとってテーマが一番興味のありそうな『ためらいの倫理学』というのをもう一冊読んでみた。するとこれがさらに面白くて、これはブログのネタにしなくては、そう思ってしまいました。へえ、今の時代にこんなタイプの思想家がいるんだ。そうだよ、自分がめぐり逢いたかったのはこういう本だったんだよ。後で知ったのですが、内田さんは数年前からご自分のブログをお持ちで、しかもそれは大変な人気ブログで、毎日平均1万件、現在通算660万件のアクセスを誇る有名ブログなのです。知らなかった私が迂闊だったのです。

 今回はこの『ためらいの倫理学』についての書評(というか感想)を書こうと思います。とても心に染みるいい文章が随所に散りばめられているので、鉛筆で傍線を引きながら読んでいたら、一冊まるごと傍線だらけになってしまった。こういう本の内容を紹介するのは難しいことです。内容を抜粋しようと思っても、著者自身が見事な表現でそれを簡潔にまとめてしまっている。で、無理に内容を要約するよりも、傍線を引いた心に残った言葉をそのまま引用して、それに感想を書き足すことを思い付きました。ブログのタイトルを『名言録』とした所以です(著者から無断引用のクレームが付くことは無いと思います。それは内田さんご自身ブログの中でさんざんやっていることですから。笑)。自分がこれまで考えて来たことや、このブログに書き留めて来たことと通じ合うところが多いので(と私は思っているのですが…)、自分の意見を正当化するための引用にならないように注意しなければなりません。何故かと言うと、内田樹さんという人は、追随者というものが一番似合わないたぐいの思想家だからです。まずはそのことから書き始めます。

 現在の日本の思想的状況をひと言で言うならば(なんて、何も勉強していない自分に言える訳はないのだけれども)、例えば首相の靖国神社参拝に対する賛否両論に代表されるような、いわゆる<右寄り>の党派と<左寄り>の党派の対立の構図というのがまず挙げられると思います。自分のようなノンポリ(死語かな?)のブロガーでさえ、どちらかに偏って不用意な発言をすると、批判の矢面に立たされるのではないか、そういう警戒心から言葉を選んでいたりするのです。しかし、戦後日本が育んで来たこの二つの党派性というものは、本来なら戦後の日本人が銘々の心の中にこそ深く刻み込むべきだった本質的な矛盾、いわば「ねじれ」の構図そのものではなかったかというのが、内田さんの考え方なのです。(以下『』の中が引用です。)

 『「ねじれ」は一人の人間が矛盾を抱え込むから「ねじれる」のであって、矛盾や対立が二人の人間に分割されれば、そこには「すっきり」と対峙する二人の人間がいることになり、内的な「ねじれ」は消滅する。簡単な算術だ。』

 この簡単で安易な方法に従って、例えば「親米派」と「反米派」、「護憲派」と「改憲派」、あるいは「アジアの人民への謝罪」を呼号する「知識人」と「失言」を繰り返す「大臣」といった単純な役割を振られた役者同士が、予定調和的な芝居を演じ続けて来たという訳です。矛盾する部分は相手に投影してしまうので、自分自身は少しも「ねじれて」いないという状態で。

 『この二党派の絶妙な「分業」によって、日本は自己矛盾からも罪責感からも自己免罪を果たし、かつ主体的に判断することも行動することもできないまま、何もしないで半世紀をやり過ごしてきた。』

 この部分の引用は、内田樹さんのまったくの独創ではなく、加藤典洋さんという方の著作(こちらも読まなくちゃ)へのコメントとして書かれた部分なのですが、私にはどうしようもないほど正論だと思えます。そして、このような考え方を持った人に、思想的に追随しにくい理由もはっきりしています。だって、「お前は首相の靖国参拝に賛成なのか反対なのか?」と問われて、「いや、私は賛成とも反対とも言えません、その矛盾こそ私なんです」なんて言う態度の煮え切らない論客に、いったい誰がついて行くのでしょう? 例えば高橋哲哉さんの思想に共鳴する人は、容易にその追随者になれるような気がしますが(高橋さんの話題はこのあとすぐに出て来ます)、内田樹さんの場合、愛読者になることは出来ても、追随者になることは難しい。この点にまず私は心を惹かれるのです。(かくいう私も、実は生意気で、「態度が悪くて」、人には追随したくないタイプの人間だから。笑)

 『誤解してほしくないので、繰り返し言うが、私は高橋の政治的私見そのものは正論だと思っている。しかし、「政治的に誤り得る自由」を認めない政治的私見は、たとえ正論であっても私はそれを支持することができないのである。』

 内田さんの高橋哲哉さんに対する批判には鋭いものがありますが、その批判の根幹には、<正しさにこだわり過ぎることは正しいことではない>という、言わば生活人の当たり前の知恵のようなものがあるように思います。そしてその批判の言辞は、私にはとても腑に落ちるものでした。私自身、高橋さんの著作を読んで、一方で明解な論理とその知的な誠実さに共感すると同時に、一方では何か言葉に出来ない違和感のようなものを感じていたからです。それがこの本を読んで何だったのかが分かった。この本の中で、内田さんは高橋さんの『戦後責任論』に対し、反論を試みています。内田さんの論旨を自分なりに注釈すると、こんなふうなことだと思います。もしも高橋氏の言うように、日本に侵略されたアジア諸国に対する戦争責任を、史実にもとづいて自己査定し、自己審問することが唯一戦争責任を果たす方法であり、アジア諸国からの信を回復する道であるとするならば、まずは史実というものを誰にも異論の無いように確定することが大前提でなければならない。しかし、それは原理的に不可能なことだし、また実はこの前提自体も間違っている。精神分析学の知見からしても、人は実際に経験していない被害に対してもトラウマを持ち得るし、実際に犯していない加害に対しても罪責感情を持ち得るからだ。むろん史実を明らかにする努力が中断されていい訳はない、しかし、史実が明らかにならなければいかなる責任遂行もあり得ないというのは知性の怠慢である。歴史的事実には、絶対中立な物理的事象としての事実とは別に、それに巻き込まれた人たちの受けた心理的事実というものがあるからだ。そして内田さんは、次のような<名文>を記すのです。

 『信の回復とは、「外傷経験」が「何を言おうとしているのか」を聞き取るということである。それは「真相究明」が要求するような検察官的なものではなく、もっと忍耐強い、そして、もっと開放的でもっとぬくもりのある仕事のように思う。
 検察官の仕事は、「邪悪なるものと無垢の被害者の物語」を作り上げることである。私は「戦後責任の引き受け」というものが、そのような検察的な作業であってほしくないと考えている。その点が私と高橋の相違点である。』

 著者はこの本の中で繰り返し、検察官的な「審問」の語法が持つ隠された自己権力化の構図を暴き出して見せます(対象は高橋哲哉さんであったり、上野千鶴子さんであったり、ジャン・ポール・サルトルであったり)。それは一見弱者の側に立ち、それを抑圧する権力への異議申し立ての装いをしているけれども、実は「邪悪なるものと無垢の被害者」というそれ自体誰も正面から反論出来ない二項対立の構図に相手を引き込み、自分自身が(少なくとも言論の世界では)不敗のポジションを獲得する最も簡便で常套的な語法なのです。

 『「審問の語法」が領する場では、誰ひとり、その語法以外の言葉づかいではおのれの経験を記述することも、内心の思いを語ることもできなくなる。
 それは「勝ち負け」の語法や「停滞と乗り超え」の語法や「革命と反動」の語法や「健常と異常」の語法と同じものである。ひとたびその言葉づかいで語り始めたら、どのポジションにいようとも、もうそれを繰り返すしかない。(中略)
 その閉塞感に私はどうしてもなじむことができない。
 だから、「それとは違う言葉づかい」で同じ論件を語ることはできないのだろうかと自問するのである。』

 内田樹さんがこの本でやろうとしていることは、この「それとは違う言葉づかい」で語ることの試みに他ならないと思います。私のような弱小ブロガーでさえ、多少政治的な問題について書こうとすると、自分自身が「審問の語法」で語り始めているのに気付くことがあります(自分なりにそれを避ける努力はしているのですが)。それだけでなく、自ら上ったこの土俵が、内田さんの言う「審問の語法が領する場」であることにも気付くのです(別に誰に審問される訳でもありませんが)。「それとは違う言葉づかい」とはどういう言葉づかいでしょう? 別に特殊な語法がある訳ではないのだと思います、この本のどの頁を開いても、著者が目指す言葉づかいがどういうものであるのかは伝わって来ます。(で、チェックしようとすると、傍線だらけになってしまう。)

 『不幸にして、哲学者たちは「愛」についてよりも「審問」について語ることを好む。その対象がたとえ自分自身であってさえ、彼らは「愛すること」よりも「告発すること」を好むのである。』

 それでは、それとは反対側の人たち、<愛国心>を説き、歴史や伝統に対する尊敬を唱えるいわゆる<右寄り>の人たちはどうなのでしょう? 彼らは自分の国に対して、「告発すること」よりも「愛すること」を優先させようとしている人たちなのではないだろうか。が、ここでも内田さんの眼光は鋭く、愛国心という美名の裏に彼らが隠し持っているものは簡単に見透かされてしまいます。例えば、同じ問題を扱って、高橋哲哉さんと同様に大きな社会的影響力を持ち、しかも正反対の立場の代表である漫画家の小林よしのりさんに対しては、こんな分析がなされます。

 『小林は死者を安らかに死なせようとしない。彼らには「仕事」があるのだ。それは小林自身のイデオロギー的立場の正しさの「証人」となるという仕事である。文学者たちが「死者たちの証人」となろうとしているのに対して、小林は「自分の証人」として死者たちを蘇らせるのである。』

 小林よしのりさんの『戦争論』は私も読みましたが(実は『靖国論』を初めて読んで以来、結構小林さんのファンだったりします。笑)、やはり共感と同時に大きな違和感も感じたことを覚えています。内田さんに指摘されれば、なるほどそういうことかと思い当たります。例えば、特攻隊員として死地に向かった若者たちの遺書を小林さんは好んで引用します。誰だって心が騒ぎ胸が痛むのです。ふだんそのことを忘れている我々に(特に先の戦争を歴史上の事実としてしか感じとる機会の無い若い人たちに)思い出させてくれること、これは人気漫画家である小林よしのりさんでなくては出来ない仕事だと思います。しかし、作者は我々読者にその遺書を読んだ時の印象にたたずませておいてはくれない、その印象が薄れないうちに<大東亜戦争肯定論>や<国立追悼施設反対論>に引っ張って行かれるからです。この点が内田さんをして、『「自分の証人」として死者たちを蘇らせる』と断ぜしめる理由だと思います。

 (考えてみれば、高橋氏や小林氏のような言わば<思想のプロ>は、極端に徹することでプロとしてのレゾンデートルを獲得しているとも言えるかも知れません。こういう著者に原稿を頼む出版社は、当然一定の党派性を予測して、と言うより期待している訳でしょう。常に立場を明確にする著者には追随者も多いでしょうし、そういった読者を裏切れないという事情もあるに違いない。しかし、これは思索家としてはとても不自由な立場に自分を追い込むことだと思います。またこの不自由さは最終的に思想家としての不誠実さにまで至らせるものであるかも知れません。)

 以前このブログでも論争になった(え、なってない?)国歌斉唱問題に関する記述もありました。これも私にはとても共感出来る文章です。(この本のエッセイにはどれも違和感なく共感出来るんです。自分としては不思議なくらいです。そういうのを追随者って言うんじゃないの? ああ、そうか!) 少し長いですが引用します。

 『先日、合気道の全国学生大会を見学に行った。開会式の次第に「国歌斉唱」とあった。司会者が「それでは国歌斉唱です」というと、会場中の数百人が素直に立ち上がって国旗に向かった。しかし「君が代」を声に出して歌うものは、来賓を含めて数名しかいなかった。しん、と静まり返った体育館の中に小さな声とテープの伴奏音だけが響いていた。
 私はこの風景には現代日本人の実感がみごとに表現されていると思う。
 その場には、みっともないから「みな、大声で歌え」と怒鳴るものも、どうせ歌わないのだから「国歌斉唱なんかやめてしまえ」というものもいなかった。全員が「どっちつかず」の気まずさを静かに共有していた。
 国家の象徴を前にしたときのこの「気まずさ」、この「いたたまれなさ」が私たちの国家とのかかわりの偽らざる実感なのである。ならば、そのような実感に言葉を与え、市民権を与え、それを国家への態度の基本として鍛え上げてゆくことが、いま私たちに課されている思想的な仕事ではないだろうか。』

 なんだか、もうこれ以上コメントするのがバカバカしくなってしまいました。何を書いても、原作者の方がはるかに雄弁なんだもん。それに、これ以上書いても、同じことしか書けない気がするし。だいたい、引用してみると分かりますが、この本の中で著者は毎回ほとんど同じようなことしか言っていない(内田さん自身もそう書いていたと思います)。しかし、真の思想家というのは実はそういうものなのではないでしょうか。作品リストを見ると、内田さんはこれまでに数多くの著書をものされていますが、著作家としてのデビューは遅かったようです。こういう思想が熟成され発酵するまでには、それだけの年月が必要だったんだろうなあ、そんなことまで考えてしまいます。今回は『名言録』と銘打ったので、どちらかと言えばおかたい、<格式の高い>文章ばかり集めてみましたが、「とほほ主義」を標榜するウチダ先生には、もっと楽しくて笑ってしまうような文章もたくさんあります。いや、まだ読み始めたばかりの自分が言うのも何ですが、まだ読んだことのない方には絶対おすすめですよ。

 (実は今回の文章は、単にひとりの著作家のエッセイ集に心打たれたから、それを感想文として書いたという素直なものではありません。そうだ、相手もブログなんだからトラックバックしちゃえばいいんだ、なにしろ相手は毎日1万人が訪れる人気ブログだ、間違ってクリックしてこちらに来てくれる内田樹ファンの方がいるかも知れん、そんな不純な動機で書いた文章なのです。しかし、そうすると内容も大事だが、タイトルはもっと大事だぞ。内田ブログの愛読者が、思わずクリックしちゃうようなフレンドリーで興味をそそるタイトルでないと。で、自分のコピーライター的センス(?)を総動員して考えついたのが、「とほほ教授、内田先生『名言録』」というもの(とほほ)。ウチダ先生、どうもすみません、たいへん失礼致しました。笑)

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2006年7月 8日 (土)

働かなくてもよい時代は到来するか?

 前回の記事では、生活保護制度の今後のあり方について、ひとつのアイデアを提示しました。自分の周りの人に話しても、どうもあまり評判のよくないアイデアで、貧しい人の人権を無視しているだとか、まるでスターリン時代の収容所のようだと言う人もいた。もしも老後になって、お金が無くなった時に、そんな施設があったらいいね、そう我が家の奥さんに話したら、私はそんな所に入るのはまっぴら御免と言われてしまいました(笑)。そんなにひどいアイデアだろうか? もしもこれからの時代が、規制緩和によっていっそう自由競争を煽る方向に向かうならば、貧富の差がさらに広がるのは必然的なことです。その時に、競争に負けた側の人々、または最初から競争に参加するつもりの無い人々、あるいは競争に参加する資格さえ持っていない人々に対して、一定の受け皿を用意しておくことは、国の政策として当然行なっておくべきことである、ここまでは同意してもらえることではないかと思うのです。そうであるならば、これからの政府は単純に規制緩和や民営化を推し進めるだけでなく、天秤のもう一方の錘として福祉政策の充実も図らなければならない、これは道理だと思うのですが。

 生活保護世帯やホームレスといった、言わば社会の底辺の人たちへの福祉政策が、すんなりと合意を得にくい理由は、「働かざる者、食うべからず」という古い倫理観が、現代の私たちの心にも深く染み付いているからではないだろうか、そんなことを考えたりもします。生活保護認定で貰える金額が国民年金よりも高いなんて、そんなことは絶対に許せない、私たちがそんなふうに感じるのは、一方で真面目に働いて税金を納めている人がいるのに、一方で自らは働きもせずにそれに寄食している人がいる、それは不当なことだと道徳心が感じるからではないでしょうか。病気で働けない人や身体に障害を抱えた人に福祉が手を差し延べるのは当然としても、若い頃さんざん遊んだ挙句に貯金も年金も無く老年を迎えた人や、健康なくせに働く意欲の乏しいような人を、なんで我々の税金で救ってやらなければならないんだ? そうあからさまに言う人は少ないとしても、そういう気分は多くの人に共通している気がします。

 自分が子供の頃(昭和三十年代から四十年代にかけてですが)、時代は高度経済成長のただ中にあり、子供の目から見ても未来は明るいものでした。今でもあるのかどうか知りませんが、子供向けの図鑑の中には、動物や植物や昆虫の図鑑などと並んで、<未来>の図鑑というのがあった。今でもその印象はよく覚えています、真鍋博さんの描くイラストにある未来の社会では、自動車にはタイヤもハンドルも無いし、家の中ではロボットが家事のすべてをやるし、工場にも工員さんはいなくて自動的に新製品がどんどん産み出されて来る(あくまで子供の頃の印象としての記憶です、正確ではないかも知れません)。つまりそこは人が生きるために働く必要の無い世界でした。一方、現実を見れば、サラリーマンだった自分の父親は、毎日仕事の帰りは遅いし、土曜日だって最近のように休みではなかった。図鑑にあるような、働かなくても豊かに生きて行ける社会は、当時としてはまだまだ先の夢でした。自分が大人になる頃には、そういう未来が実現していて欲しいなあ、子供だった自分は(たぶん)そんなことを思いながら図鑑に見入っていたのです。

 小さい頃から勉強嫌いだった少年は、社会に出てそのまま仕事嫌いの大人になりました。私自身のことです(笑)。ところが、あの頃から40年も経つのに、生活には一向にゆとりがないし、労働時間は親父の時代から比べてそう短縮されたとも思えない。確かに週休二日の会社は増えましたが、その代り平日の残業が増えた、しかも手当の付かないサービス残業です。図鑑にあったような宙を飛ぶエアカーこそ実現してはいませんが、工場には産業用ロボットが大量に導入されて、工員は確かに減っている(少なくとも正社員は減っている)。つまり確かに豊かにはなったのです、たぶん経営者や投資家だけが。それは考えてみれば当たり前の話で、会社を経営する側からすれば、無人化や省力化を極限まで進めて、無駄な人件費は省きたいに決まっている。経営者や株主にとって理想の会社というのは、社員が一人もいないのに、製品がどんどん出来て売れて行く会社でしょう。もちろん多くの会社は社是に社員への福利厚生という一項を挙げていますが、社員を福利厚生費のかからないロボットに置き換えられれば、その方がずっといいに決まっています。

 営利企業というのは現代の怪物のようなもので、放っておけばこの世界のどんなニッチな隙間にも触手を伸ばして、どんな小さな利益でも吸い取ろうとする。その際にそこで暮らす人々の生活を打ち壊すことだっておかまいなしです。(例えば貧しい国の農園に外国資本が入って、その国の人々が食べる作物を輸出用の作物に代えてしまうとか、大型のスーパーマーケットが地元の商店街を壊滅させてしまうとか。) すぐれた製品やサービスを通じて社会貢献をするというのも、多くの企業がアピールしていることですが、その社会貢献というのは、お金を払ってくれる顧客への貢献であって、路上で凍えるホームレスやアフリカの難民に何かを貢献する訳ではない(税金対策として福祉事業に寄付をするくらいのことはあるかも知れませんが)。今の政府が進めようとしている規制緩和というのは、この怪物の手綱をほどいて、自由にのさばらせることに他ならない、私はそんなイメージを持っています。規制を取り払って経済を自由化すれば、市場の自律原理が働いて、最終的には貧困のない調和のとれた社会が実現する、そんな考え方はまったくの幻想だと思う。

 と、こんな意見を書くと、ははあ、やっぱりお前は共産主義者なんだなと言われてしまうかも知れません。まあ、そういう傾向があることは否定しませんが、私とても旧ソ連のような計画経済が望ましいとはまったく思いませんし、北欧のような重税高福祉型の社会が唯一目指すべき方向であるとも思わない。子供の頃、空中をエアカーがビュンビュン飛び交い、家事ロボットが炊事洗濯すべてをやってくれる未来に憧れた自分は、今でも工業技術の進歩には無邪気な期待を寄せている部分があります(これは私たちの世代に特徴的なことかも知れません)。技術革新によって生産性が上がることは好ましい、さらにそれが人に優しく、環境にも優しい技術であればさらに好ましいと思います(絶対に事故を起こさない自動車だとか、地熱を利用した発電所だとか)。そういう技術の発展を促進する規制緩和だったら、どんどん進めてもらっていい。ただ、そこで産み出された豊かさを、(顧客だけではなく)ふつうの人間に広く還元する仕組みも準備しておいてもらいたい。それは政治の役割だろうと言うのです。

 結局、自分たちの現役時代には、働かなくても豊かに暮らせる時代は到来しませんでした。しかし、今のフリーターやニートと呼ばれる若い人たちの中には、過度の贅沢は求めず、許容出来る程度の貧乏にも折り合い、むしろ自分の時間を大切にして、精神的な余裕を持って暮らして行きたい、そんな人生観を持っている人も多いと思います(私だって本当はそういう人生を送る筈だったのですが。苦笑)。今の日本には、そういう人たちの行き場がどこにも無い、そのことが問題だと思うのです。私の言いたいことは単純です。豊かな時代になったのだから、「働かざる者、食うべからず」なんてケチなことを言うのはやめようよ、お金が使い切れないくらい儲かっている企業や個人には、税金をもう少したくさん払ってもらおうよ、自分たちの子供や孫の時代には、朝から晩まで働きづめに働かなくてもそこそこ豊かに暮らせるような社会を遺してあげようよ、というくらいの控えめな主張なんですが、やっぱり反論されてしまうかなあ。

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2006年7月 2日 (日)

生活保護制度改革案に思う

 先週日曜の朝日新聞の一面トップには、「生活保護費を削減」という見出しで、厚生労働省の生活保護制度に関する見直し案が載っていました。もちろんこの時期の見直し案ですから、生活保護を手厚くする見直しである筈がない、基準額の引き下げや母子家庭に対する特別加算の縮小など、要するに生活保護全体にかかる予算の削減を目的としたものであることは言うまでもありません。新聞の記事にも、「最後のセーフティネットのあり方にかかわるだけに議論を呼びそうだ」とのコメントがありました。政府は今回もまた、「骨太の方針」などと、言葉の響きの良さだけでその内実をカムフラージュするキャッチフレーズを付けて、国民の中でも最も弱い(すなわち発言力も小さい)人たちに赤字財政のしわ寄せを押し付けようとしています。いくら予算削減と言っても、削っていい予算といけない予算がある、もういい加減にしてくれと言いたいのは、一部の人権擁護派の人たちばかりではない筈です。

 生活保護と言えば、福祉政策の中でも最後の聖域であるような気がしていましたので、こうも早い時期に改革の手が付けられるとは思っていませんでした。ちょっと不意を突かれた感じです。生活保護制度の問題については、以前の記事でも少し触れましたし、一度は真面目に考えてみなければならない問題だと思っていました(将来は自分だってそのお世話になるかも知れないし。笑。いや、笑いごとではなく)。この記事を読んだのを機会に、まだ考えがすっかりまとまっていないこの問題について、書いておこうと思いました。書きながら、漠然と感じていることを、はっきりした形にして行こうと思ったのです。不勉強である上に、なんだか過激なことを書きそうで、自分でも心配です。

 この問題が重要であるのは、これが最後のセーフティネットにかかわる問題だからというよりも、これが国家(政府)が国民に保障する基本的人権を、金額に置き換えた場合の基準ラインをどこに置くかという問題だからだと思っています。新聞の記事によれば、東京23区内のひとり暮らしのお年寄りの場合、生活保護の基準額は約8万1千円、それに対して国民年金の満額は約6万6千円しかないのだそうです。このことから、生活保護の基準額を引き下げるべきだという意見が、自民党議員などから出されているという話です。しかし、これはおかしな話だと私は思います。生活保護を受給している人は、ふつうその8万1千円でひと月の生活費のすべてを賄わなければならないのに対し、国民年金を受給している人の中には、預金や副収入を持っている人もいるでしょうし、当然ですが持ち家に住んでいる人も多い筈です。それを単純に金額で比較して、不公平だから一方を引き下げるべきだなんて、いくらなんでも乱暴過ぎる議論ではないでしょうか。もしも年金生活のお年寄りで、他に収入も資産も無く、6万6千円で家賃と生活費のすべてを賄わなければならない境遇の方がいるなら、むしろそういう人にこそ年金額の不足分を生活保護で補填すべきだ、私ならそう考えます。私はその自民党議員さんに聞いてみたいですね、あなたは生活保護の月額を国民年金に合わせて引き下げるべきだとおっしゃるが、そもそも都内に住む借家暮らしのお年寄りに、1ヶ月6万6千円でどうやって生活して行けというのか? それどころか8万1千円だって全然足りないでしょう。それがこの国の保障する基本的人権の月額なのですか? 生存権の評価額なのですか?

 現在の生活保護制度の何が一番の問題かと言うと、その金額の妥当性ということよりも、私はそれが現金支給によって実施されていることではないかと思っています。問題はふたつあります。ひとつは、生活保護世帯に現金を渡す制度では、審査の厳しさから本当に必要な人に支給が行き渡らなかったり、逆に審査の目をかいくぐった不正な受給が起こる可能性があるということ、もうひとつは、各世帯に個別に現金を渡すやり方は、経済的に見てとても非効率であるに違いないということです。生活保護を申請した人の体験談などを読むと、この制度がいかに支給側と受給側のストレスに満ちた駆け引きの上に成り立っているかが分かります。どうやって認定を渋るケースワーカーと交渉するかをアドバイスしたマニュアル本まで出ている有り様で、福祉事務所の周りではまさに生存権を賭けたバトルが日々繰り広げられている。これもおそらくその地区の決められた福祉予算内で生活保護費もやり繰りしなければならない苦しい台所事情があってのことでしょう。生活に困っている人を非情にも突き放す、官僚的体質の福祉行政職員、そんなステレオタイプな批判で片付くような問題でもないと思います。

 もしも限られた予算内で、効率良く、必要な人に必要な支援を提供する仕組みを考えるなら、現在のような現金ばら撒きのやり方は根本的に見直すべきでしょう。素人の頭で考えても、方法はたったひとつだと思います。生活保護世帯向けの大規模な共同住宅を作り、そこに現金ではなく、生活物資を集中的に投入するやり方です。単身者が都会で部屋を借りて生活するには、8万1千円でもかつかつだと思いますが、土地の安い郊外に何十世帯、何百世帯が入居出来る大きなアパートを建て、その中に給食センターを設け、身体が不自由な人のための介護施設や共同の入浴設備なども備え付ける。民間企業で培った効率化のノウハウを応用すれば、同じ予算でももっと多くの人に、もっと豊かで人間らしい生活を提供出来るのではないでしょうか。これが自分が漠然と考えていた、生活保護制度についての抜本的な改革案のビジョンです。

 ここまでの議論でもたくさんの反論が予想されますが(笑)、もう少しだけこの空想を続けさせてください。こういった施設を、現代の姥捨て山や難民キャンプのようなものにしないために、そこでは一定基準の生活の質を保障することが重要になります。具体的な生活水準の設定は、個別に議論すべきことですが、例えば施設の中には図書室や娯楽室、パソコンルームなども併設する(入居者は、その気になれば自分のブログを持つことだって出来る)。つまり現代人として相応しい文化的な生活が保障されているのです。現行の制度のもとでは、生活保護世帯と言えば、世間に対してはうしろめたい、世間からは厄介なお荷物と見られるような、マイナスのイメージしかないと思います。ところが、この集合住宅では、そういった暗いイメージは払拭されるのです。同居しているのはみな同じような境遇の人たちですし、入居者は日がな一日ぶらぶらと無為徒食の毎日を送る訳ではない。給食センターで食事を作るのも、施設内を清掃するのも、お年寄りの介護をするのも、すべて入居者の仕事です。地域社会の中でばらばらに隔離されてしまっている現在の生活保護世帯には、社会で働く機会も充分に与えられていないのではないかと思いますが、ここには仕事が山ほどある。それは入居者にとっての生きがいにもなるでしょうし、さらには国の社会福祉予算の節約にもつながるのです。

 もちろんこの施設を、単なる貧乏人のユートピアとして描く訳には行きません。私が考えるに、そこには絶対に守らなければならない厳格なルールがひとつだけ必要です。すなわち、私的な財貨の所有を、一切とまでは言わないまでも、原則として認めないということです。もともと現金支給だった生活保護費を廃止して、現物支給に切り換えるのがこのアイデアの骨子ですから、入居者に月々の手当てなどを支給することは理屈に合わない。つまり、ここに住んでいる限り、衣食住には困らないが、その代り貯金も出来なければ、施設の外で買い物をしたり旅行をしたりといったことも許されない。(レクリエーションとしての小旅行や、施設内でのみ通用する貨幣を使ったバザーのようなものはあってもいい。と言うかむしろそういう楽しみは必要だと思います。) と言って、この施設に住む人は、今日の自由主義経済から追放されてしまう訳ではありません。働く意欲のある人が、外に働きに出て<外貨>を稼いで来ることは認められますし、むしろ奨励されます。この場合、賃金は本人に手渡されるのではなく、施設の口座に振り込まれます。施設はその一部を運営費として徴収し(これも福祉予算削減の一助になる)、残りの金額を本人の貯金として預かります。本人がこの貯金を下ろせるのはたったひとつの場合だけです。つまり施設を出て、自活する時の準備資金としてのみ使えるのです。こうして生活保護世帯から、社会へ復帰するルートが確保出来ます。負け組にも再挑戦するチャンスが与えられるのです。(そう考えれば、施設内の労働に対しても、一定の対価を支払う必要がありますね。)

 こうした施設が、各都道府県に何ヶ所かずつ作られた社会を想像してみましょう。私のシナリオでは、そこに入るための入居資格は、特に設けません。病気や高齢で働けない人はもちろん、若くて健康な人でも、本人が望めば入居出来るようにします。財産を持っている人でも、それを施設に預ければ即入居可能です(それは退去時に返還されます。但し、その一部は運営費として徴収されます。累進課税です)。何故ここで厳しい入居資格を設けないかと言うと、今の福祉現場で起こっているような生活保護認定をめぐっての不愉快なやり取りを無くしたいのと、もうひとつ、これからの時代にますます増えるであろう、ニートやひきこもりと呼ばれる若い人たちのことを考えているからです。社会経験を積まずに年を取って行ってしまう若者たちを、どうやってもう一度社会復帰させるかということは、これからの時代の重要なテーマだと思います。生活保護住宅という一種の互助的な<ぬるい>社会は、ニートの若者が社会復帰をする訓練の場としては、とても相応しいのではないかと思います。もしもそこが居心地が良くて、ずっと居ついてしまっても構いません。少なくとも実家の部屋に閉じこもって、じっと動かないでいるよりはずっとましです。

 このような制度は、今の日本で進みつつある裕福な家庭と貧しい家庭への二極化を、より加速させ、定着化させるものだと言われるかも知れません。しかし、私は思うのですが、最近の日本の社会がなぜこうもストレスに満ちているのかと言えば、勝ち組と言われる人たちでさえ、いつ足場を踏みはずしてホームレスにまで転落するか分からない、そういう恐怖感に誰もがさらされているからではないでしょうか。文字どおり、みんながセーフティネットの無いところで綱渡りをしているような感じです。サラリーマンをしていると、本当に恐さを感じるのですが、そこそこのところで満足する、そこそこのところで諦めるといったふうな、<そこそこ>という場所がどこにも無くなってしまったのを感じます。規制緩和でアメリカ型の社会を目指すと言うならそれも結構です。しかし、二十世紀のような大量消費型の社会が、今後百年に渡って続けられる見込みは無いのですし、どこかで方向転換が必要なことは誰もが感じていることだと思います。最近は<持続可能な社会>だとか<ロハスな生き方>なんて言葉もよく耳にしますが、案外この生活保護住宅から、二十一世紀の新しい方向性が生まれて来るかも知れない、そんな予感がするのですが、いかがでしょうか?

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