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2006年5月21日 (日)

ふたつの『憲法前文』を読み比べる

 憲法改正については、これまでもこのブログで何度か触れていますし、これからも折にふれて考えて行かなければならないと思っているのですが、今回は昨年発表された自民党の新憲法案と、現在の日本国憲法とを読み比べてみたいと思います。但し具体的な憲法の内容について比較するのではなく、むしろこれを文学的な見地から味わい比べてみたい(個々の条文の内容については、まだ勉強中の段階ですので)。しかも全文を比較するのは、ブログのテーマとして重過ぎるので、とりあえず両者の前文だけを見てみます。そこにふたつの憲法の性格の違いが、最も端的に表れていると思うからです。まずは我々日本人が六十年近くにも渡って慣れ親しんで来た、現行憲法の前文をここに引用してみます。あらためてこれをひとつの〈作品〉として鑑賞する気持ちで読み直してみましょう。

<日本国憲法前文>

 『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』

 どうでしょう。とても名文とは言えないと思います。翻訳調なのは仕方無いとしても(実際にアメリカが作った原案の翻訳なのですから)、文章はだらだらと長くて冗漫だし、読点で区切られたフレーズ間の論理的整合性はあやしいし、〈てにをは〉や〈かかりむすび〉もなんだかおかしい。ありていに言ってしまえば、ひどい悪文であると言っても差し支えないと思います。しかし、それでも、これは私が護憲派の人間だからそう思うだけなのかも知れませんが、この前文には何か読む者の心に迫って来るものがある。何と言うか、一種のたたみかけるような迫力が文章から感じられるのです。この迫力が何に由来するのかは、まったく明らかなことだと思います。それは『政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し』という部分に明示されています。この短い前文の中に、「決意し」、「宣言し」、「誓う」といった宣誓の言葉がやたら散りばめられていますが、こういった仰々しい言葉の羅列は、一般的には何か空々しい印象を読者に与えるものです。しかし、これが決して空疎な言葉ではない理由は、これが人類がかつて経験したこともないような大戦争の直後に書かれたという事実に拠っているのだと思います。その点では、起草者が日本人であってもアメリカ人であっても同じことです。この憲法は、戦争直後の異常な心理の中で書かれたという点において特殊なのです。

 現行の日本国憲法の比類なき価値は、何を措いてもまずこの歴史的価値という点に求められると思います。例えてみれば、それは広島の原爆ドームのようなものです。つまり、それが訴えて来るものは、かつての戦争の悲惨さであり愚かしさであり、その前にたたずむとき我々は(日本人も、アメリカ人も、その他の国々の人たちも)、二度とあのような過ちを犯すまいと自然に心に誓っている、そのための装置として機能しているのです。原爆ドームは汚らしいからペンキで塗り直してしまえと考える人がいないように、日本国憲法は現代人の趣味で簡単に書き直していいようなものではない、なにしろそれはかけがえのない歴史的記念物なのですから。

 と、こんなふうに書くと、いくらなんでも原爆ドームと憲法は別ものだろうという反対意見も聞こえて来そうです(いま自分で書いていてもそう思いました。笑)。しかし、問題は、ここに謳われているような平和への願いや不戦の誓いというものが、今日ほどアップトゥデートな緊急の課題となって国内で問われたことは、過去六十年の間に一度も無かったのではないかということです。つまり、(護憲派の主張としては)今こそこの歴史的記念物である憲法が、その本領を発揮すべき時なのではないかということなのです。日本国憲法は、歴史的記念物ではあっても、決して過去の遺物ではありません。以前このブログで紹介した、自衛隊に関する浅田次郎さんの言葉を借りれば、「GHQと戦後日本政府がこしらえたおもちゃの憲法が、実は人類の叡智の結晶ともいえる理想の憲法であることを、ブッシュにも、無能な政治家どもにもわからせてやれ」。現行の憲法は、六十年前にアメリカの進駐軍に押し付けられた筈のものなのに、最近ではアメリカ政府自身が日本の憲法改正に賛成の意向を表しています。これは重大なことです。単に日本一国の問題としてではなく、世界の平和に対する最後の砦としての日本国憲法の役割は、今日非常に重いと見なければならない。

 さて、以上が護憲派から見た多少強引な憲法擁護論です。(文学的見地から鑑賞すると書いておきながら、やはり政治的な立場から意見を書いてしまいました。すみません。) では、気を取りなおして、次に昨年出された自民党の新憲法案の前文を見てみましょう。こちらはそう長くないですし、文章も簡潔なので読みやすいと思います。

<自民党新憲法草案前文>

 『日本国民は、自らの意志と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。
 象徴天皇制は、これを維持する。また、国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。
 日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治体の発展を重視する。
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。
 日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球の環境を守るため、力を尽くす。』

 もちろんこの新憲法案で危惧すべき点は、自衛軍の設置を含む憲法九条の改正が第一なのですが、今回はそれには触れません。素直に読めば、具体的なひとつひとつの内容は、いいことが書かれていると思います。いきなりのっけから『象徴天皇制は、これを維持する』は、なんだか唐突な印象ですが、象徴天皇制については、民主主義との関連もあるので前文に盛り込んでおくのはいいと思う。国や社会に対する『愛情と責任感』については、憲法に謳うようなことかという反論はあろうかと思いますが、実際にそれがあまりに希薄な現代においては、効果は無いだろうけど書き込んでおいてもいい(ただ『気概』というのは余計だと思います。『地方自治体の発展』というのも、この場では違和感がある)。さらに『圧政や人権侵害を根絶させる』という過激で物騒な表現は止めて欲しいけれども、国際協調主義については賛成です。最後に『自然との共生』や『地球の環境』について触れているのも、きれいごとと言ってしまえばそれまでですが、二十一世紀の憲法としては相応しいと思います。

 このように全体としては無難に、まあ過不足無くまとまった前文だと思うのですが、単純に新しい日本の憲法の前文として読んだ時の印象はどうでしょう? 私は最初にこれを読んだ時、これは憲法の本文そのものではなく、そこに織り込む内容のメモ書きなのかと思いました。いや、比較した現憲法の異様な迫力があまりに圧倒的なものだから、そう感じただけなのかも知れません。でもなんだかあっさりし過ぎているように感じて、食い足りない。一国民として、何も鼓舞されるものがありません。現行の憲法が、広島の原爆ドームのように、まるで呪文のように、私たちの心に訴えかけてくるのとは対照的です。この自民党案でも、これから六十年経てば歴史の重みが染み込んで、何かしらの存在感を持つようになるのでしょうか? 私にはとてもそうは思えない。自分のなかに真の理想や、その理想に対する信念を持っていない人や政党が憲法草案を起草しても、国民の心に届くような文案は書けないのだと思います。これは自民党を批判して言うのではありません、現代という時代がそういう時代なのです。だから私は言うんです、現代人のさかしらな頭で今の憲法を改正しようとしても、しょせんかないっこないんだって。

(この文章を書くに当たって、他の国の憲法前文がどういうものなのか、調べてみようと思いました。アメリカだとかフランスの憲法なんて、さぞかし志の高い格調ある名文が掲げられているに違いない、そう思っていたんですが、全然そんなことはないんですね。自民党案と比べてもあっさりし過ぎているくらい。そういう意味でも、今の日本国憲法というのは特殊なものなのだと思いました。)

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